2016年12月29日

延長期間の調整による特許権存続期間延長制度の制度目的の達成(Sotoku 通号7号)


Sotoku, 通号7号, 1-24, 2016  (published online on 29-12-2016)

タイトル: 医薬品特許の特許権存続期間延長制度の目的と公平性の観点から見た制度のあり方について

先行医薬品を独占的に実施しながら高い代替性のある後行医薬品の承認を受け、後行医薬品の承認に要した期間と同じだけ特許期間を延長する場合において、その期間の終期が先行医薬品の承認を受けて延長した特許期間の終期と一致しない場合、延長制度により特許権者が回復できる利益は延長制度の目的から乖離したものとなる

著者:  想特 一三 (Sotoku Ichizo)


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ある生理活性化合物を発明して特許を取得した特許権者が、その化合物を含む医薬品を製造・販売したいと思っても、医薬品の製造・販売には厚労省の承認 (製造販売承認) を受けることが必要であり、そのためには医薬品の安全性や治療効果を証明するための臨床試験 (治験) を実施する必要があり、それには数年の期間を要する。 しかしその間も、特許権の存続期間は刻々と短くなってしまうため、特許権者は 「医薬品」 という特許発明を実施することができないまま、特許期間だけが侵食されるという不利益を被る。

特許権の存続期間の延長登録制度は、その不利益を回復させるために導入された制度だと理解した上で、制度をどのように運用すれば制度目的を達成できるのかについて、本稿では考えた。

例えば、特許権者がまず 「第1の医薬品」 について製造販売承認を受け、その承認にかかった期間だけ 「第1の医薬品」 に関して特許を延長する。 そして、特許権者が、「第2の医薬品」 について製造販売承認を受けたら、その承認にかかった期間だけ 「第2の医薬品」 に関して特許を延長する。 そして、「第1の医薬品」 に関して延長した特許権の効力は、「第2の医薬品」 には及ばず、「第2の医薬品」 に関して延長した特許権の効力は、「第1の医薬品」 には及ばない。 この考え方は、とてもシンプルで、侵食された特許権の存続期間を忠実に回復させるという意味では、正しい延長だと言えるだろう。 前回の投稿で述べた通り、同志社大の井関涼子氏は、基本的には、延長制度はそうあるべきだと考えているのだろうと思われるし、私も Sotoku 通号1号 を書いていたころは、そう考えていたと思う。 とりあえず、これを 「井関説」 と呼ぼう。

しかし、「第1の医薬品」 と 「第2の医薬品」 に市場競合性がある場合、そのような「井関説」 に基づく制度にしたのでは、2つの問題が生じる。

1つ目の問題は、「第1の医薬品」 の承認にかかった期間よりも、「第2の医薬品」 の承認にかかった期間の方が短い場合、例えば、「第1の医薬品」 の承認に5年かかって、「第1の医薬品」 について5年延長し、「第2の医薬品」 の承認には2年かかって、「第2の医薬品」 について2年延長した場合に、下図のように、「第1の医薬品」 に関して延長した特許権の効力は、「第2の医薬品」 には及ばず、「第2の医薬品」 に関して延長した特許権の効力は、「第1の医薬品」 には及ばないとすると、延長期間が2年経過すれば、「第2の医薬品」 に関してジェネリック医薬品が販売可能となってしまう。

Sotoku 通号7号, 図5より(一部改変)]
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上の図は、有効成分に関する物質特許の存続期間を表していて、左から右に時間が進む。 「第1の医薬品」 と書いてあるところの黒い線は、「第1の医薬品」 の特許権者による販売期間を表していて、黒い線の一番左にある細い白い四角は、「第1の医薬品」 の承認を受けようした期間 (5年) を表している。 「第2の医薬品」 に関しても同様で、「第2の医薬品」 の承認を受けようとした期間は「2年」となっている。

上述の通り、延長期間が2年経過すると、「第2の医薬品」 に関してジェネリック医薬品が販売可能となる。 そして、もし 「第2の医薬品」 に対するジェネリック医薬品が販売されてしまうと、特許権者の 「第2の医薬品」 の販売量が落ち込むだけでなく、市場競合性のある 「第1の医薬品」 の販売量まで落ち込んでしまうので、もはや 「第1の医薬品」 に関してあと3年延長期間が続いていることは、あまり意味がなくなってしまう。 つまり、「第1の医薬品」 の承認にかかった期間よりも、「第2の医薬品」 の承認にかかった期間の方が短い場合、特許権者は不利益を負ってしまうのだ。 これが、1つ目の問題だ。

2つ目の問題は、「第1の医薬品」 の承認にかかった期間よりも、「第2の医薬品」 の承認にかかった期間の方が長い場合、例えば、「第1の医薬品」 の承認に2年かかって、「第1の医薬品」 について2年延長し、「第2の医薬品」 の承認には5年かかって、「第2の医薬品」 について5年延長した場合は、今度は上とは逆のことが起こるということ。

Sotoku 通号7号, 図8より(一部改変)]
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この場合、延長期間が2年経過すれば、「第1の医薬品」 に関してジェネリック医薬品が販売可能となるが、「第2の医薬品」 については、まだ3年の延長期間が残っているので、そのジェネリック医薬品は販売できない。 このとき、「第1の医薬品」 の需要が、競合する 「第2の医薬品」 に奪われてしまっている点が問題なのだ。 特許権者が 「第1の医薬品」 しか販売しておらず、「第2の医薬品」 をまだ販売していないころは、この有効成分を含む医薬品を使いたい患者は、みな 「第1の医薬品」 を使うしかなかった。 だから全員が 「第1の医薬品」 を使っていた。 特許権者が 「第2の医薬品」 の承認を受けようとしていた間も、基本的には、患者はみな 「第1の医薬品」 を使うしかない。 だから特許権者は、「第1の医薬品」 を安定して販売しつつ、「第2の医薬品」 の承認のために手続を受けられる。

ところが特許権者が 「第2の医薬品」 の販売を開始すると、「第1の医薬品」 を使っていた患者は、「第1の医薬品」 を使うのをやめて、「第2の医薬品」 を使うようになるかも知れない。 例えば、「第1の医薬品」 よりも 「第2の医薬品」 の方が、副作用がより抑えられているとか、薬剤の安定性が高いなどの場合、ほとんどの患者が 「第2の医薬品」 の方を使うようになるかも知れない。 そうすると、「第1の医薬品」 の需要は低下してしまうかも知れない。

その状況で、「第1の医薬品」に関してジェネリック医薬品が販売可能となっても、ジェネリック医薬品メーカーとしてはうれしくないし、特許権者は、需要がなくなった 「第1の医薬品」 だけをジェネリック医薬品メーカーに明け渡して、「第1の医薬品」 を使っていた患者から需要を取り込んだ 「第2の医薬品」 については引き続き独占できるわけだから、事実上、この有効成分の医薬品に関する独占状態を5年に引き延ばすことができることになる。

裁判所や学者らは、このことを問題視していないけれど、こういうやり方で独占状態を維持して利益を上げ続けるというのは、本稿 (Sotoku 7号) で説明した通り、延長制度の趣旨を逸脱している。 これが、「井関説」 の2つ目の問題。

今回の Sotoku 7号では、上記の 「1つ目の問題」 と 「2つ目の問題」 を表裏一体の問題として取り上げて、この2つを解決できる制度でなければ、延長制度の趣旨に沿った公平な制度とは言えないということを説明している。

「井関説」 は、一般には、特許権者に一方的に厳しい説だとみなされていると思うが、実はそうではない。 上の 「1つ目の問題」 で説明した通り、「第1の医薬品」 の承認にかかった期間よりも、「第2の医薬品」 の承認にかかった期間の方が短ければ、確かに特許権者に不利になるが、「2つ目の問題」 で説明した通り、「第1の医薬品」 の承認にかかった期間よりも、「第2の医薬品」 の承認にかかった期間の方が長い場合は、たとえ 「井関説」 をもってしても、延長制度の趣旨を超えた過大な利益を特許権者に与えてしまうことになるということを、学者や裁判所の人たちには分かってほしい。

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さて、12月7日の投稿で触れた、神戸大の前田健氏や、北大の田村善之氏の説は、上記の 「1つ目の問題」 に対処するために、延長された特許権の効力範囲を、「市場競合性のある医薬品」 の範囲に拡大するというもので、いわば、下図のような感じにするというものだ。

Sotoku 通号7号, 図6より(一部改変)]
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このようにすれば、確かに 「1つ目の問題」 については解決できるかも知れないが、「第1の医薬品」 の承認にかかった期間よりも、「第2の医薬品」 の承認にかかった期間の方が長い場合はどうだろうか?

Sotoku 通号7号, 図21より(一部改変)]
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この場合、結局5年間は 「第1の医薬品」 のジェネリック医薬品も、「第2の医薬品」 のジェネリック医薬品も販売することはできないわけで、「井関説」 よりも、もっと過大な利益を特許権者に与えてしまうことになる。 つまり 「2つ目の問題」 に関しては 「井関説」 よりもひどい状態になってしまうわけで、田村説や前田説が「2つ目の問題」 を解決できないのは明らかだ。

「井関説」 は、「1つ目の問題」 については特許権者に不利になるが、「2つ目の問題」 については特許権者に有利になる点で、まだバランスは取れていると言えるが、田村説や前田説は、「1つ目の問題」 については、延長された特許権の効力範囲を広げることにより解決するものの、「2つ目の問題」 については解決するどころか、延長された特許権の効力範囲が広いことにより、さらに特許権者が有利になってしまう点で、一方的に特許権者に有利な不公平な考え方となっている。 その意味では、「井関説」 の方がまだいいというべきだろう。

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ところで、『「医薬系 "特許的" 判例」ブログ』 の 12月24日の投稿 では、延長された特許権の効力をどう及ぼせばよいかという問題について、かなり踏み込んで提案が行われている。 それを読むと、特許権者が代替性のある2つの医薬品 (例えば 「初回承認医薬品」 と 「新剤形医薬品」) について特許を延長していて、後発メーカーが 「新剤形医薬品」 のジェネリック医薬品について承認を受ける場合、その承認が、新剤形医薬品の承認だけでなく、初回承認医薬品の承認にも依拠している場合は、新剤形医薬品の延長された特許権の効力だけでなく、初回承認医薬品の延長された特許権の効力も、重複してそのジェネリック医薬品に対して及ばせるべきだと論じられている。 私も、延長された特許権の効力が及ぶ対象は、特許権者の医薬品の承認手続に対する 「依拠性」 で判断すべきだと思っているので、その点では考え方は近いと思う。 しかし 「依拠する」 といっても程度はいろいろで、1つのジェネリック医薬品の承認を受ける場合に、仮に複数の先行医薬品の承認に依拠することがあるとしても、必ずしも、それぞれの先行医薬品の承認にフルに依拠するわけではないので、それぞれの延長期間が、そのまま重複してジェネリック医薬品に対して適用される合理性はないんじゃないかなという気がする。

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ともかく、上の 「図5」 や 「図8」 に示したように、たとえ延長された2つ特許権の効力が、重複して1つのジェネリック医薬品に及ぶことがないとしても、初回承認で延長した期間よりも、2回目の承認で延長した期間の方が長い場合は、延長制度の趣旨を超えた利益を特許権者に与え得ることになってしまい、その分、後発メーカー (ひいては国家財政や国民) が不利益を受けることになる懸念があるのは今回の Sotoku 7号 で論じた通り。 この問題を、「延長された特許権の効力が及ぶ対象」 を調整することできれいに解決することは難しく、この問題を解決するためには 「延長期間」 を調整すること、すなわち、たとえ 「第2の医薬品」 の承認を受けたとしても、延長期間は 「第1の医薬品」 の延長期間にそろえるというのがもっとも合理的だというのが、今のところの私の考えだ。

但し、例えば特許権者が第2の医薬品を販売することによって、初回承認医薬品に比べて爆発的に売り上げが増加したような場合は、延長期間を初回承認医薬品で延長した期間にそろえてしまうのでは特許権者が可哀そうなのは確かだ。 そこで私も、そういう場合に救済の道はないかと Sotoku 7号 で少し考えてはみたけれど、なかなかやっかいだった (Sotoku 7号 の 20ページ、脚注6 参照)。 市場競合性の範囲を決めるにあたって、この点を考慮した判断基準にすることはあり得るかなと思っているけれど、詰めては考えてない。

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さて、知財高裁大合議が、この問題に関して来年1月20日(?)に判決を出すのなら、もう一ヶ月もないことになる。

果たしてどうなりますかね。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月19日

オキサリプラチン地裁判決後の特許延長問題論説A(井関涼子,特許研究 PATENT STUDIES 62:16-30,2016)


特許延長問題の最近の論説について、12月7日の投稿で取り上げた神戸大前田健准教授の論説に続き、今回は、同志社大の井関涼子教授の論説を取り上げる。

2.井関涼子 「特許権の存続期間延長登録出願の拒絶要件と延長特許権の効力範囲」 特許研究 PATENT STUDIES No.62, 16-30, 2016-09

延長制度に関する井関氏の考え方は、11月19日の投稿でも書いた通り、延長された特許権の効力範囲に関する傍論も含めて、基本的に大合議判決 (平成25年(行ケ)10195〜10198) に賛成するものであり、延長された特許権の効力が非常に狭い範囲にしか及ばないことを許容するという立場だった。 したがって、12月7日の投稿で取り上げた前田氏や、北大の田村氏の考え方とは対立することになる。

前田氏が、昨年の論説 (神戸法学雑誌 2016) においてかなり具体的に井関氏の考えを否定したこともあり、今回の井関氏の論説は、前田説や田村説を批判するためにかなりのページ数が使われている。 したがって、論説を読む限り、前田説・田村説に対する対立姿勢が顕著な印象を受けるが、論説の最後まで読むと、それなりの範囲には権利を及ぼしてよいと考えているようでもある (後述)。

井関氏の考え方の特徴は、特許権者が医薬品の承認を受けるために、医薬品を実施 (製造・販売) することができない期間があった場合に、特許権者は 「実施することができない」 という不利益を受けるので、この “自分が実施することができない” という不利益を回復させることが特許権の延長制度の趣旨だと理解した上で、“自分が実施することができない” という不利益を忠実に回復させることが制度としては妥当なのであり、それ以上に広い範囲にまで延長された特許権 (特に、他者に対する排他的権利) を及ぼす必要はないと考えているところにある。

そして、そのように考えることを正当化する理由として、特許権者が医薬品の承認を受けようとする間も、その医薬品を他者が実施することを禁止する権利 (すなわち特許権が持つ権利のうち、差止めや損害賠償などを行う 「排他的な権利」) を行使することはいささかも妨げられていなかったことを井関氏は強調しており、また、排他的権利がいささかも妨げられていないのに特許期間を延長しなければならないのは、日本の特許権が排他権ではなく “専用権” であるからだと井関氏は考えている。

井関氏は、2009年の論説 (同志社法学, 60巻6号 83-113, 2009) のときからそうだった。 例えば 同志社法学 (2009) において井関氏は以下のように述べている。

[井関涼子, 同志社法学, 60巻6号 83-113, 2009 の97ページ]
特許権の存続期間延長制度は、特許権の本質を如何に考えるかにより、解釈が相違する場面であると思われる。 薬事法上の製造承認を得るまでの間は特許発明の実施が妨げられるとはいうものの、その間も他人の実施は変わりなく排除できる。 すなわち、特許権の排他的効力は些かも侵食されてはいない。 したがって、侵食された特許期間を回復するというのは、自ら独占的に実施できる効力が侵食されたために、これを回復するということに他ならないのであり、このような考え方に立って存続期間延長制度を立法している我が国は、特許権の効力を専用権であると考えていると解される

[同 105ページ]
・・・、米国特許法では、特許権は排他的効力を有するにすぎず、これを超えて、特許権者自らが特許発明を実施できる権能を積極的に付与するものではないと解されているから、法的意味において特許権の排他的効力は侵食されていないのであり、・・・、その立法趣旨は、「失われた特許期間の回復」 ではあり得ず、特許権者が事実上被った不利益の補填にすぎない。 すなわち、特許権者が特許発明を実施できなかったことは、米国特許法においては法的意味を持たないという、日本法との相違に留意しなければならない。

そして今回の論説においても井関氏は次のように論じている。

[井関涼子, PATENT STUDIES 62:16-30,2016 の17ページ]
・・・,存続期間延長制度と特許権の本質との関係について,2件の最判とその原審知財高判等に一貫して,判例は,特許権の効力について専用権説 (特許発明を独占的に実施しうる効力を認める考え方) に立っていると解される。 上記2件の知財高判は,「特許権者の被る不利益の内容として,特許権の全ての効力のうち,特許発明を実施できなかったという点にのみ着目したものであるといえる」と述べることからも,このことは明らかである。

[同 19ページ]
・・・,延長登録制度の場面では,専用権説に立たざるを得ないのであって,・・・

[同 26ページ]
市場競合性ということであれば,たとえば改良発明は,基本発明に対して,・・・,市場競合性があるといえようが,そのような別発明についてまで,延長後の特許権の効力を及ぼしてよいとは思われない。 なぜなら,改良発明等の実施を禁止する特許権の効力は,政令で定める処分を待つ間もいささかも損なわれてはいないのであって,そのような広い範囲についてまで特許権を延長する必要はないからである。

[同 27ページ]
2つの最高裁判決の各原審である知財高判が制度趣旨として,「特許権者の被る不利益の内容として,特許権の全ての効力のうち,特許発明を実施できなかったという点にのみ着目したものである」「特許発明を実施する意思及び能力があってもなお,特許発明を実施することができなかった特許権者に対して,・・・,特許発明を実施することができなかった不利益の解消を図る」と述べている部分は,特に重要である。 本制度は,通常の特許権のように特許発明をその技術的思想において保護しようとするものではなく,特許権者が「実施する意思及び能力」があった,すなわち,製造等の承認申請をした医薬品について,その実施ができなかったことを回復するものであるから,延長期間においては,当該医薬品の独占的な実施が保証されることが必要であるが,それで十分である

『特許権者が医薬品の製造販売承認を受けようとする間も、その医薬品が他人が実施することを禁じる “排他的権利” はいささかも妨げられていない』 という考え方は、井関氏に限ったことではない。 上の引用文中で判決が引用されている通り、大合議判決 「平成25年(行ケ)10195〜10198」 でも、『このような期間においても,特許権者が「業として特許発明の実施をする権利」を専有していることに変わりはなく,特許権者の許諾を受けずに特許発明を実施する第三者の行為について,当該第三者に対して,差止めや損害賠償を請求することが妨げられるものではない』 と判示されており、「平成10年(行ケ)361〜364」 でも 『・・・、第三者による実施を許さないとの限度では権利を享受できることは、いうまでもないことである。』 と判示されている。 また、Sotoku 通号1号 の脚注3でも書いた通り、常岡孝好氏 (行政判例研究, 78(8), 127-138, 2002)、土肥一史氏 (AIPPI, 51(11), 690-694, 2006)、中道徹氏 (横浜弁護士会 専門実務研究, No.6, 124-135, 2012) などが同趣旨の説明を論説の中で行っており、最近でも東崎賢治氏 (知財研フォーラム 2016 Summer, Vol.106, 31-41 の36ページ) の論説で、同趣旨のことが記載されている部分がある。

また、オキサリプラチン地裁判決 (平成27年(ワ)12414;平成28年3月30日判決) においても、『このような期間においても,特許権者が「業として特許発明の実施をする権利」を専有していることに変わりはなく,特許権者の許諾を受けずに特許発明を実施する第三者の行為について,当該第三者に対して,差止めや損害賠償を請求することが妨げられるものではない』 という大合議判決が行った説示がそのまま繰り返されている。 また、北大の田村善之氏も 「・・・処分によって特許発明の実施をすることができなかった時期にあっても,特許権が存在していた以上,その禁止権の保護があったことは自明であるにも関わらず,・・・」(AIPPI vol.60(3) 206-236, 2015 の226ページ) と論じ、排他する権利は侵食されていないことを認めた上で論理構成を行っており、神戸大の前田健氏も基本的には同様だ。

しかし、例えば田村氏の場合は、排他的権利は侵食されていないことは受け入れつつも、『 「禁止権+(排他権の庇護の下での)実施(・・・)という二本柱が備わって初めて保護が万全となると法は考えている』 (AIPPI vol.60(3) 206-236, 2015 の226ページ) という “二本柱理論” を打ち立てることによって、排他的権利が侵食されていないことは、結果的に、どうでもよいことにされている 😖。 しかし田村氏の場合、そうした独自の “二本柱理論” を持ち込んでしまったことが、侵食された権利を侵食された期間だけ回復させるということを軽視することにつながってしまい、12月7日の投稿でも書いた通り、特許権者に有利過ぎる権利行使を容認する考え方になってしまっているように思う。 一方で井関氏の場合は、排他的権利は侵食されていないというところを重視する結果、排他権を行使させることに消極的であるところに特徴がある。

この問題については、私はこれまでに何回も書いているし、9月15日の投稿の「(2−3) 公知申請や臨床試験を他人がやった場合でも延長できる制度にすることはありうる」 でも書いたが、「医薬品の承認を受けようとする間も、排他権はいささかも妨げられていなかった」 ということがそもそも間違っており、医薬品の承認を受けようとする間は、その医薬品に関しては、特許権の排他的効力を行使することも妨げられていたと思っている。 特許権者がある医薬品の承認を受けようとする間、その医薬品に対する排他権を行使できる余地はあったか? もしその医薬品を他者が販売できたのであれば、排他権を行使することは可能であっただろう。 しかしその期間、その医薬品を他者が販売する余地はなかった。 なぜなら、その医薬品は承認を受けようとしていたのであり、承認されるまでの間は誰も実施できないからだ。 だから、「もしその医薬品を他者が販売できたのであれば」 という前提は成り立たないのであって、その医薬品に対する排他権を行使する余地もなかった (すなわち排他的権利を行使することも妨げられていた) と考えるのが正しいと私は思う。 もちろん、承認を受けないまま、未承認の医薬品を (薬機法に違反して) 販売することはできたであろうが、それは特許権者も同じであって、特許権者は医薬品を承認を受けようとする間も、未承認の医薬品を販売することはできた。 したがって、未承認の医薬品を販売するという実施行為については、承認を受ける間も特許期間はなんら侵食されていないのであって、延長される必要はないし、延長された特許権の効力も当然及ばないのだ。 延長されるのは、あくまで承認医薬品の実施行為に関する特許権であって、その実施については、特許権者が承認を受けようとする間、排他権を行使する余地がなかった以上、排他的権利も含めて延長されることに理由はある。 したがって、特許権が “排他権” であろうが、“専用権” であろうが、そんなことは関係がない。 医薬品の承認を受けようとする期間は、その承認医薬品に関する特許権のすべての権利行使は妨げられていたのだから、すべての権利が延長されてよい。

特許権者が医薬品の承認を受けようとしたのでなく、他人が医薬品の承認を受けようとした場合でも同じ。 他人が承認を受けようとしていた医薬品は、他人が承認を受けようとする間、実施することはできなかったし、実施する余地がなかった以上、それに対して特許権の排他的効力を行使する余地もなかった。 排他できていたからといって、特許権の排他的権利を行使できたとは言えないのだ。 だから、たとえ承認を受けたのが他人であっても、その医薬品について、他人が承認を受けるためにかかった期間と同じだけ特許を延長する理由はある。 例えば、仮に特許権者が5年かかって医薬品の承認を受けて、特許を5年延長したとして、そのデータ保護期間中に、他人が独自にがんばって臨床試験を行って、4年で承認を受けた場合は、その他人の医薬品に対する延長期間は4年にするのが (理論的には) 正しいと思う (Sotoku 通号1号 の14ページ右段)。 ただしそれでは特許権者が不利益を受けてしまうから、「特許権者が5年かかったのなら5年で揃えましょう」 というのはいいと思うし、また、お互いの利害を考えながらそうやって調節していくことは延長制度において必要なのだろうとも思うが、それは後で話題にする 「代替性」 に関わる話であって、特許権の存続期間の侵食とはまた別の話だ。

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さてジェネリック医薬品に対する権利行使はどう理由づければよいか? 

ジェネリック医薬品とは、特許権者の先行医薬品に依拠して簡易に承認を受けるものだ。 もし先行医薬品がなければ、独自に臨床試験を行って承認を受けなければならないところを、例えば特許権者が行った臨床試験を流用して時間と金を節約するものだと言える。 それはいわば、特許権者が自分の特許権の存続期間を侵食させながら受けた先行医薬品の承認を利用して “時間をワープした” と言えるだろう。 そうであれば、そういうジェネリック医薬品に対しては、ワープした時間だけ特許権の存続期間を延長するのが妥当だと言えるのではないか。 つまりジェネリック医薬品に対して効力を及ぼす特許権は、その承認において依拠したとみなせる先行医薬品の延長された期間と同じ長さだけ延長するのが妥当だと思う。 それを言い換えて、特許権者の先行医薬品の承認で延長した特許権の効力が、そのジェネリック医薬品にも及ぶと表現したとしても、言い方の違いに過ぎず、結果的には同じことだが。。

つまり、特許権者が医薬品の承認を受けたときにだけ特許権の存続期間が侵食されるのではなく、他人が承認を受けた時にも特許権の存続期間は侵食されるのであり、特許権者であろうが他人であろうが、医薬品の承認を受けるたびに、その医薬品にのみ効力が及ぶ特許権を、侵食されたとみなすべき期間だけ延長するというのが、侵食されたものを忠実に回復させるためのもっとも論理的な考え方だと思うのだ。 そのように考えた場合、延長された特許権の効力は、その医薬品にしか及ばないのであり、効力に “幅” はない。 しかし現実には、ジェネリック医薬品メーカーが承認を受けるたびに延長手続を行うわけにもいかないから、本当は 「ジェネリック医薬品にのみ効力が及ぶ特許権を、それが依拠した特許権者の先行医薬品の延長された期間と同じ長さだけ延長する」 というのが理屈としては正しいのではあるが、「特許権者の先行医薬品で延長された特許権の効力が、それに依拠して承認されたジェネリック医薬品にも及ぶ」 とみなすことにして制度を運用するのが現実的であろうし、それが実際の延長制度だということになる。

まあ、このように私は井関氏の考えが間違っていると思っているけれど、ひょっとしたら私の方が間違っているかも知れないし、私も井関氏も両方間違っていることだってあり得るだろう。 私も間違ったことはたくさん言っていて、過去に自分が書いたものを読み返すと間違っていると思うことはあるし、今言っていることも、実はときどき自信がなくなる。。 正しいことばかり言えるわけでもなく、かつ、時々間違ったことに気が付いて考え方が修正されて行くのだから、半年、1年と経てば、考え方が変わっているとしてもしょうがないでしょう。 だから井関氏も、裁判所も、「排他的権利はいささかも侵食されていない」 というのが本当に正しいのかを再度考えてもらって、もしそっちが間違っていると思うのなら、考えを修正してちょうだいねと思う。

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ところで、井関氏は論文の最後でオキサリプラチン事件について触れている。 オキサリプラチン事件判決 (平成27年(ワ)12414) において東京地裁 (嶋末コート) は、原告側の延長された特許権の効力は、被告のジェネリック医薬品には及ばないと判断したが、この判決について井関氏は、次のように評している。

[井関涼子, PATENT STUDIES 62:16-30,2016 の28ページ]
この東京地裁判決は,均等物・実質同一物の判断に均等論を用いず,発明の性質に応じつつも,具体的に明確な基準により認めようとしていると解され,妥当であると考える

ちなみに被告のジェネリック医薬品は、原告側の先行医薬品とよく似た医薬品であって、有効成分や効能・効果、用法・用量は同じだが、ジェネリック医薬品には、有効成分以外の成分として、有効成分の分解を抑制する作用を有することを被告が見出した “グリセリン” が添加されている点が先行医薬品とは異なり、これにより、両者の医薬品の 「成分」 はすべてが同一とは言えないものになっている。 大合議判決は傍論において、延長された特許権の効力は、『成分(有効成分に限らない)、効能、効果、用法、用量』 が同一の医薬品、およびその均等物・実質的同一物に及ぶと説示していた。 それを文字通りに捉えれば、「成分」 が同一とは言えない本件のジェネリック医薬品には延長された特許権の効力は及ばないこともあり得るということになり、事実、上記の東京地裁は 「及ばない」 と判断し、井関氏は、この地裁判決を妥当だと評価したわけだ。 ところが、同じページで井関氏は、次のように論じている。

[同28ページ]
延長後の特許権の効力は,出願理由処分の対象となった医薬品を独占的に実施できることが保証される範囲に及び,かつ,それ以上には及ばないことが必要であるところ,医薬品の独占を損なう場面とは,医師が処方した特許権のある医薬品に代えて,後発医薬品が調剤される場合であろう。 「医師の処方薬に代えて後発医薬品を調剤できる場合」 は,厚生労働省保険局医療課長等通知 「処方せんに記載された医薬品の後発医薬品への変更について」 として示されている。 後発医薬品に変更できる場合は,このように厚労省通知で明確にされているとすれば,これに依ることが,明確でよいのではないだろうか。 具体的には,たとえばOD錠は,処方薬に代えて後発医薬品を調剤できる場合とされているため,実質同一物といえるであろう。

つまり井関氏は、医師が処方した医薬品に代えて変更調剤が可能な後発医薬品については、延長された特許権の効力を及ぼしてよいと考えているようなのだ。 しかし、オキサリプラチン事件の被告製品である 『オキサリプラチン点滴静注「トーワ」』 は、原告側製品である 『エルプラット点滴静注液』 から変更調剤は可能なのではないか・・・? ジェネリック医薬品メーカーがジェネリック医薬品を販売する場合、基本的には変更調剤可能なようにジェネリック医薬品を販売するはずで、もし井関氏のように変更調剤可能な医薬品に権利を及ぼしていいというのなら、実用的には十分広い範囲に権利行使を認めることになるだろう。 権利行使を否定した東京地裁判決「平成27年(ワ)12414」を妥当だと言いながら、変更調剤可能な医薬品には権利を及ぼせと言うのは、意味がよく分からない。。 それとも井関氏の上記の説明は、「東京地裁の判決が実質同一物の判断に均等論を用いなかった」 というところが評価できると言っているだけで、非侵害とした東京地裁の結論そのものは賛成できないと言うことなのだろうか? あるいは井関氏の上記の説明は、権利行使できるのは、医師が先発品を指定して処方箋を書いたのに変更調剤されてジェネリック医薬品が使われた場合だけで、医師が最初から処方箋にジェネリック医薬品を指定して記載した場合や、医薬品の一般名で処方した場合は、権利行使を否定するという意味なのだろうか??? (まさかね。。) 論文の最後になって、井関氏が何を考えているのかよく分からなくなってしまった 😖。

(2017/7/3 追加) [井関涼子, 法律時報 Vol.89, No.8, 10-15 (2017) の14ページ脚注20 で井関先生は、上記の点について捕捉されていて、それによれば、特許研究 (2016) の28ページで後発薬に対して延長された特許権の効力を広く及ぼしてよいようなことを書いたのは、有効成分の物質特許を念頭において書いたもので、製剤特許の場合は、たとえ後発薬として承認を受けたものでも、有効成分以外の成分の付加等で、周知慣用とは言えない新たな効果を奏したような後発薬には、延長された特許権の効力は及ばないと考えているようだ。]

なお、今回の論説で井関氏は、以下のようにも論じている。

[井関涼子, PATENT STUDIES 62:16-30,2016 の26ページ]
・・・,たとえば改良発明は,基本発明に対して,改良というプラスアルファがある分,優位に立つことは明らかであって,市場競合性があるといえようが,そのような別発明についてまで,延長後の特許権の効力を及ぼしてよいとは思われない。

そういう観点で言えば、被告製品の 「グリセリン入りのオキサリプラチン」 は、被告が特許 (特許第5314790号) を取得できたほど画期的な製品であって、“改良発明” であることは明らかであるのだが・・・。 9月15日の投稿でも書いた通り、被告製品が原告製品に対して進歩性があるか否か、あるいは、被告が努力して新たな付加価値を生み出したか否かということ自体は、権利行使を認めるか否かの判断に直接影響を与えるものではないと私は思っている。 重要なのは、被告が原告の特許発明を利用しているのか (すなわち特許発明の技術的範囲に含まれるのか) という観点と、被告が原告側の先行医薬品の製造販売承認を利用しているのか (すなわち先行医薬品に依拠して承認を受けたのか) という観点であって、被告がいくら努力して画期的な付加価値を付けようが、それが上記の観点には影響を及ぼさないのであれば、特許侵害をまぬがれる理由にはならないのだ。 もっとも本件特許の場合、オキサリプラチンを単に注射用水に溶かしただけのような物がクレームされている特許であるから、そもそもこの発明には特許性があるのか、あるいは、そのような特許が、オキサリプラチンと水以外の成分を含む溶液に広く権利行使できる特許であるのかについては、大いに疑問があることについては5月10日の投稿 「医薬品独占の延命特許の無効審判と裁判」 でも書いた通りなので、被告製品にグリセリンが入っていることは、原告の特許発明の技術的範囲に含まれるのか否か (特許法70条) の判断については大いに影響を及ぼし得るのだろうが、被告製品が原告側製品の後発薬として製造販売承認を受けている以上、グリセリンを入れることがいくら画期的であろうが、延長された特許権の効力範囲 (68条の2) の判断において影響を及ぼすものではないと思う。

このように、延長された特許権の効力に関しては、井関氏の言う 「変更調剤可能か否か」 や、 「“改良というプラスアルファがある” か否か」 といったことは関係なくて、「先発医薬品の承認に依拠して承認を受けたのか否か」 で判断するべきであり、その方が、承認を受けるにあたって “時間をワープした” という観点からしても延長制度と論理的に整合性がとれると思う。

もちろん、それだけだと、本件オキサリプラチン事件の場合は “延長された特許権の権利行使を認める” という結論になってしまうことになるが、権利行使できるのか否かはそれだけで決まるものではなく、前々回の投稿や9月15日の投稿でも説明した通り、そもそも “延長の可否” や “延長の期間” は、特許権者が代替性のある先行医薬品を実施していたのか否かが考慮されて決められるべきものであるし、また上述の通り、延長とは関係のない問題として、この特許に無効理由はないのか、水以外の添加物を含む溶液に広く権利行使できるような特許であるのか、などの問題もかかわってくるので、そういったことを考慮しない限り、被告製品に権利行使できるのか否かを判断することはできないのである。

ちなみに本件オキサリプラチン事件の場合、延長された特許権の効力を考えるまでもなく、そもそも被告製品は原告の特許発明の技術的範囲 (特許法70条) に含まれないのではないかという点については、東崎賢治氏も上記の論説 (知財研フォーラム 2016 Summer, Vol.106, 31-41 の41ページ) において、「本判決は ・・・ 判断をスキップしたが、・・・ 判断をしていたとすれば、対象物件は特許発明の技術的範囲に属さず、非侵害とされた可能性があるように思われる。」 と論じており、平野和宏氏 (知財ぷりずむ, Vol.14, No.167, 2016-08, 56-72 の68ページ) も、「・・・、本判決は、そもそも本件発明は有効成分以外の成分を含まない製剤に関する発明であると解していることが窺われ、・・・、そもそも被告製品は本件発明の技術的範囲に属するものではなかったのではないかと考えられるものである。」 と論じている。 その点は私も同感で、11月21の投稿でも書いた通り、今回の事件は、本件特許の技術的範囲にそもそも入らないか、あるいはこの特許はそもそも新規性・進歩性がないので無効とされるべきものであるという理由で特許権行使を否定する判決を行うことができたのだから、延長問題に触れずに判決を行ってもよかったのではないかと思う (とは言っても、本件に関しては、特許性を肯定した特許庁の審決を支持する知財高裁判決 平成22年(行ケ)10122 および 平成27(行ケ)10105 が存在しているから、地裁としてはそういう判決はやりづらかったのかもしれないが)。 むしろ延長問題に立ち入ってしまうと、原告側製品の後発薬として簡易に製造販売承認を受けているのに 68条の2 の観点で権利行使を否定するのはどう見てもおかしく、そうかといって67条の3第1項1号の観点で延長を否定するのも最高裁判決が邪魔になってむずかしいので、それでも権利行使を否定する結論を導こうとすると、どうしても無理をした理由付けで結論を導かざるを得なくなってしまうだろう (東京地裁の平成27年(ワ)12414判決や平成27年(ワ)12415判決がそうであったように)。 だから、来年1月の大合議判決においても、延長の許否の判断や効力範囲について、現在の特許法の条文や最高裁判決に沿いながら適切な規範を示すことは至難の業だろうと思うし、無理な理由付けでおかしな判示をすることになるのではないかと心配だ。 「特許法の条文や最高裁判決がそもそもおかしい」 というところまで踏み込んで説示してくれるのなら大いに歓迎なのだが(笑)。

なお今回の大合議が、延長問題について判示するために組まれたのではなく、単に過去の上記2件の知財高裁判決 (平成22年(行ケ)10122 および 平成27(行ケ)10105) を再評価するために組まれたものであるのなら、それはそれで評価できる。 5月10日の投稿で書いた通り、特に平成27(行ケ)10105判決の説示については、特許権者側に有利な説示を行い過ぎている点で私は不満があるし、そうした説示が特許権者の強気な訴訟行為を後押ししてしまったことは否定できないのだろうから。

*     *     *

さて、上述の通り、“延長の可否” や “延長の期間” は、特許権者が代替性のある先行医薬品を実施していたのか否かが考慮されて決められるべきものであると私は思っており、神戸大の前田健氏も昨年の論説 (神戸法学雑誌 65(1) 1-44, 2015) においてはこれに近いことを論じていることは12月7日の投稿でも書いたが、こういった考え方について井関氏は、今回の論説において以下のように批判している。

[井関涼子, PATENT STUDIES 62:16-30,2016 の18ページ]
・・・ 外延が柔軟に広がる可能性があり,予測可能性,法的安定性が損なわれるおそれがあると思われる。

[同18ページ]
市場競合性という概念は,その程度としてどこまでを含めるかによって,いくらでも広がる可能性があり,市場競合性のみで判断するのであれば,恣意的にならざるを得ないことが懸念される。

しかし、それは単に決め方の問題であって、例えば “市場競合性” の物としての範囲を、「有効成分と効能・効果が同一の範囲」 と解してしまえば、外延は明確になるし、予測性も担保される。 したがって、“市場競合性” という言葉自体が曖昧に見えることは、“市場競合性” を加味して延長を判断することを否定する理由にはならないだろう。

また井関氏は今回の論説で、“市場競合性” の範囲を、例えば 「有効成分と効能・効果が同一の範囲」 と解する可能性に関して、『・・・,なぜ68条の2 の「物」を有効成分,「用途」を効能・効果と解するのか,根拠は述べられていない。』(27ページ) とも指摘している。 私の場合、延長された特許権の効力を “市場競合性” のある範囲に及ぼせと言っているのではなく、“市場競合性” がある範囲においては、延長期間の終期をそろえるべきだと言っているだけだから、68条の2 は必ずしも関係がないし、また、延長された特許権の効力が広がるわけではないから、必ずしも特許権者が有利になるものではないが、「有効成分と効能・効果が同一の範囲」 を基準にすることに関して条文上の明確な根拠がないという批判は確かにその通りかも知れない。 しかしできない理由を並べ立てるのは簡単なのであって、もし何らかの形で “市場競合性” を加味することが重要だという点で同意できるのなら、条文からそれを読み込む努力をすればよいのだし、それがどうしてもできないのなら、立法的に解決すればよいだけの話だ。 要するに、“市場競合性” を加味することが重要だという点に同意できるのか否か、というところがミソなのであって、井関氏は今のところ、同意できないということなのだろう。 しかし、井関氏が同意していないのは、“市場競合性” を加味しないで延長制度を運用したら、どういう不都合が起きるのかということを、井関氏がまだちゃんと考えていないからだと思うのだ。

なお、上記の平野和宏氏の論説についても一言だけ感想を書くと、平野氏は論説の中で、井関氏が、いったん延長された部分が、それより長く再延長されるような制度運用とすることに対して批判的であることに対し、逆に井関氏を批判して、『「一旦延長登録されてその効力が及ぶ範囲に、重ねて延長登録され、この後の登録の方が延長期間が長い場合」 が生じることがあるとしても、後発医薬品メーカーの利益が不当に害されるとまでは言えないと思料される・・・』 (知財ぷりずむ, Vol.14, No.167, 2016-08, 56-72 の70ページ) と述べている。 しかしその段落の文脈で判断する限り、平野氏が考慮しているのは “予測可能性を担保する” という観点だけだ。 しかし考慮すべき観点は 「予測可能性」 だけではない。 特許権者が先行医薬品を独占販売しながら代替性のある後行医薬品の承認を受け、その期間だけ特許を再延長した場合に、現実に特許権者や後発者が受ける利益・不利益がどうなるのかをぜひ考えてみてほしい。 それを考慮してもなお、“不当に害されるとまでは言えない” と言えるのか?

つまり、重複延長を批判しつつも、延長された特許権の効力範囲を狭くすれば問題は解決できると思っているように見える井関氏も、重複延長を認めることにあまり疑問を持っていないように見える平野氏も、どちらも代替性のある後行医薬品を特許権者が開発して再延長した場合に何が起こるのかを考えずに議論しているから、それぞれの考えがどちらも不適切であることに気づけないのだと思う。 ちなみに私も Sotoku 通号1号を書いていたころはそうだった。

“市場競合性” を考慮せずに延長制度を運用したらどうなるか? 例えば、特許権者が先行医薬品の承認を受けたら、その承認にかかった期間だけその医薬品に効力が及ぶ特許権を延長することができ、特許権者が、市場競合性のある後行医薬品の承認を受けたら、その承認にかかった期間だけその後行医薬品に効力が及ぶ特許権を延長することができるとして、それが延長制度の趣旨に合致していると本当に言えるのだろうか?  そういうやり方で、特許権者が承認を受けるために被った不利益が、忠実に回復できる制度になると言えるのだろうか?

過去に私が書いてきたことの繰り返しにはなる部分は多いけれど、今書いている Sotoku 通号7号において、それを今一度、確認してみたいと思う。


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2016年12月13日

オキサリプラチン侵害訴訟 控訴審判決 平成28(ネ)10031(平成28年12月8日)


特許延長問題の最近の論説について感想を書いている途中ですが、オキサリプラチン事件に関して知財高裁の判決文が公開されたので、今回の投稿はちょっと脱線して、そのことについてコメント。

*      *      *

オキサリプラチン製剤に関する特許 「オキサリプラチン溶液組成物ならびにその製造方法及び使用」(特許第4430229号) の侵害差止事件において、今年の3月3日に東京地裁の民事46部で出された一審判決 (平成27(ワ)12416号) に対する控訴審判決が、先週木曜日に知財高裁第3部 (鶴岡稔彦裁判長) において出された (平成28(ネ)10031;平成28年12月8日)。

この特許に関しては、侵害を否定する判決が、今年の9月から10月にかけて東京地裁の民事29部と40部において連続して3件出されており (平成27年(ワ)28849平成27(ワ)28468平成28年(ワ)15355)、流れは権利行使 “肯定” から “否定” へと転換したようであったが、今回出された知財高裁判決においても、その流れのまま侵害を否定する判決となった。 判決内容も、先の3件の地裁判決と同様、この特許発明はシュウ酸を “添加” したものに関するものであって、オキサリプラチンの分解で自然に生成したシュウ酸 (解離シュウ酸) しか含まない被疑侵害者の製品は特許発明の技術的範囲に含まれないというもの。 なお本件が、差止め請求を棄却する判決であるのに対し、同じ被疑侵害者に対する損害賠償請求を棄却した判決が、平成28年10月31日に東京地裁で出された平成28(ワ)15355 に当たる (東京地裁 民事29部; 嶋末和秀裁判長)。 これら2つの判決内容は比較的一致している。

オキサリプラチンに関連する一連の事件に関しては、これまで特許権者に有利な審決や判決が続いていたが、特許権者の請求を棄却する判決を初めて行ったのが、本件の特許権者が保有するもう1つの特許 (特許3547755) に関して嶋末コートが行った判決だった (平成27年(ワ)12414;平成28年3月30日)(その判決については9月15日の投稿を参照)。 そして本件特許 (特許4430229) に関する一連の事件に関しても、侵害を否定する判決を初めて行ったのが嶋末コートだった (平成27年(ワ)28849;平成28年9月12日)。 それを考えると、オキサリプラチンの一連の事件に関して嶋末コートが果たした役割は大きかったと言えるのではないか。

嶋末和秀氏は、弁護士登録した後で東大薬学部に入り、薬学の研究を経験した後で特許業界に入り、代理人を経験した後で裁判官になったという経歴を持っている (パテント Vol.59, No.5, 3-30, 2006 の 8ページ)。 もっとも、本件の特許侵害を否定する判決自体は、上述の通り東京地裁民事40部 (東海林保裁判長) も行っているし、今回の知財高裁第3部 (鶴岡稔彦裁判長) も行ったのだから、適正な判決を出すのに専門技術の知識が必要だということにはならないだろうし、単なるオキサリプラチンの水溶液を特許侵害にしてよいのかを考えれば、たとえ技術など分からなくても、権利行使を否定すべきだという結論は出せるはずではある。 しかし、過去の審決や判決がいずれも特許権者に有利な判断となっているときに、それでも我が道を行く判決を行おうとする際には、専門分野に対する知識が後押ししてくれることもあるのではないか。

*      *      *

さて、今回の判決では、上述の通り、本件の特許発明は 「添加したシュウ酸」 に限定して解釈された。 オキサリプラチンの後発薬を販売しているジェネリック医薬品メーカーの中で、わざわざシュウ酸を添加した製品を出しているメーカーはないだろうから、今回の判決によって、この特許は事実上、いずれのジェネリック医薬品メーカーに対しても権利行使できない特許となったわけで、ジェネリック医薬品メーカーにとっては、この特許はもはや、存続していても障害にならない特許、つまり無効にする必要もない特許となってしまっただろう。

しかし、本件特許 (特許4430229) には、無効審判 (無効2014-800121;平成27年7月14日) の審決取消訴訟 (平成27年(行ケ)10167) が今のところ係属しており、今回と同じ知財高裁第3部 (鶴岡コート) で来年の3月8日に判決が行われる予定となっている (知財高裁HPの事件情報より)。 今回の判決では、本件特許発明の技術的範囲は 「添加したシュウ酸」 に限定して解釈されており、同じ知財高裁第3部で判断される以上、その判断が変わることはないだろうが、無効審判の審決取消訴訟においても同じように解釈されるのか、すなわち、発明の要旨認定においても同じ解釈が採用されるのか、それとも、ひょっとして要旨認定においては 「解離シュウ酸」 も含むものとして解釈されるのか、そこはちょっと興味深いのではないか。 ちょっと想定しにくいが、仮に来年3月の判決で、今回のクレーム解釈とは違う解釈が用いられるとすれば、同じ裁判体が侵害論と無効論において違うクレーム解釈を用いる好例となるだろう。

たとえ今回と同じように 「添加したシュウ酸」 に限定して解釈されるとしても、その発明に特許性があるのか否かという点について知財高裁の判断が聞けるというのは十分興味深い。 もし今回の判決で、本件の特許発明は 「添加したシュウ酸」 に限定されるものではなく、「解離シュウ酸」 も包含されるとみなされ、「だから新規性・進歩性がないので無効理由があるから104条の3により権利行使できない」 と判断されていたとすれば、審決取消訴訟でも同様に判断されて特許は無効になることになり、特許権者としては、クレームを 「添加したシュウ酸」 に訂正してまで特許を維持するのもバカらしいだろうから、特許を捨ててしまうかも知れない。 そうなると、「添加したシュウ酸」 に限定すれば特許性があるのか否かという点については、知財高裁の判断が示されないまま事件は終了してしまうことになるが、今回の判決により、その事態はとりあえず回避されたわけだ。

例えば、クレームの 「シュウ酸」 を 「添加したシュウ酸」 に限定して解釈すれば、この特許は進歩性があるのかに関連して、東京地裁の9月12日判決で嶋末コートは以下のように判示している。

 [嶋末コート 9月12日判決 平成27年(ワ)28849 の裁判所の説示より]
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また東京地裁の10月28日判決で東海林コートは次のように説示している。

 [東海林コート 10月28日判決 平成27年(ワ)28468 の裁判所の説示より]
平成27(ワ)28468-02.png
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ちなみに、この特許が無効にされるべきであるのかという点については、東京地裁の民事46部 (長谷川浩二裁判長) も、3月3日判決 (平成27(ワ)12416) において次のように説示しているのは、5月10日の投稿でも触れた通り。

 [長谷川コート 3月3日判決 平成27年(ワ)12416 の裁判所の説示より]
平成27(ワ)12416kakubetu.png

そして、今回の判決で、知財高裁第3部 (鶴岡コート) は以下のように説示した。

 [鶴岡コート 12月8日判決 平成28(ネ)10031 の裁判所の説示より]
平成28(ネ)10031-01.png
平成28(ネ)10031-02.png

以上の通り、各裁判所の説示は、どれもおおむね一致している。

そして、オキサリプラチンはシュウ酸とジアクオDACHプラチンに分離し、逆に、シュウ酸とジアクオDACHプラチンは結合してオキサリプラチンが生成するという可逆的な反応系において、シュウ酸濃度を増加させれば、シュウ酸濃度が減少する方向に反応の平衡点が移行すること、すなわち、シュウ酸を添加すればオキサリプラチンの分解が抑制されることがもし自明だと言うのなら、たとえ本件特許発明を 「添加したシュウ酸」 に限定して解釈したところで、自明だということになるのではないか。

これについては 5月10日の投稿の 「有用化合物のお手軽な市場独占方法」 というところでも書いたが、ある有効化合物の分解産物の1つ (例えば本件の場合はシュウ酸) を添加して分解が抑制されるかを試した結果、分解が抑制されたとして、それが “進歩性” がある発明なのか? そういう発明に特許を与えるというのが特許制度として妥当なのか? という問題だと思うのだ。

今回の判決によって知財高裁第3部は、この問題についてより具体的に説示するチャンスを作ったわけで、少し期待しながら来年3月を待ちたい。


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2016年12月07日

オキサリプラチン地裁判決後の特許延長問題論説@(前田健,民商法雑誌 152(2)160-182,2016)


平成27年11月17日の最高裁判決 「平成26年(行ヒ)356」 により、延長を認めるか否か (特許法67条の3第1項1号) に関する問題は一応の最終決着を見たことから、残る問題は、延長された特許権の効力の範囲 (特許法68条の2) の解釈の問題だと一般に言われているところ、平成28年3月30日に判決言渡が行われたオキサリプラチン地裁判決 「平成27年(ワ)12414」(東京地裁民事第29部、嶋末裁判長) は、最高裁判決の後に、延長された特許権の効力範囲について初めて判断を示した判決として注目されている。 この地裁判決について私は、少し批判的な感想を9月15日に既に投稿している。 そこで説明した通り、「延長の可否の問題は最終決着したので、あとは効力の問題だ」 という認識そのものが間違いであり、「延長期間」 の決め方を現行の運用から変えなければ、この問題は解決しないと私は思っている。

それはともかくとして、上記の東京地裁判決に触れつつ、医薬品特許の延長問題について論じた学者の論説が、今年の秋に2つ公開されているので、これについて感想を書いてみたい。

いずれの論説も今年の9月くらいに公開されたもので、著者 (前田健氏、井関涼子氏) は過去にも延長問題について複数の論説を書いている。 特に井関氏 (同志社大教授) の2009年の論説 (同志社法学, 60巻6号83頁, 2009) は延長問題を広範に考察したものだった。 その後も、特許延長問題について大きな判決が出るたびに井関氏は論説を発表しているし、今でも学界における延長問題の第一人者だと言えるのではないか。 前田氏については、私は昨年11月19日の投稿「最高裁判決平成26年(行ヒ)356号で医薬品特許権延長問題はふりだしに戻る」 でも書いた通り、2015年に前田氏が公開した論説 (神戸法学雑誌 65(1) 1-44, 2015) は、最近の学者の論説の中ではもっとも評価できると思っていた。

その両氏が、最高裁判決 (平成26年(行ヒ)356) を踏まえつつ、3月30日のオキサリプラチン判決についてもコメントしながら書いたのが、今回紹介する2つの論説なのだが・・・。

*    *    *

1.前田健 「先行する製造販売承認と存続期間延長登録要件」 民商法雑誌 152, 2, 160-182, 2016-09

私がこの論説を読んで感じたのは、昨年公開された神戸法学雑誌 (2015) の論説と比べると、私の中の前田氏の評価はむしろ下がってしまったということ。 神戸法学雑誌 (2015) で私が評価していたのは、11月19日の投稿でも書いた通り、特許権者が既に先行医薬品を独占販売している場合に、改変医薬品の承認を受けて新たな期間の延長が認められるか否かは、先行医薬品と改変医薬品が 「高い代替性」 があるのか否かできまるべきだと論じていたこと。 例えば、神戸法学雑誌 (2015) で前田氏は以下のように書いていた。

[前田健, 神戸法学雑誌 65(1) 1-44, 2015 の22ページ]
・・・先行処分に基づく延長によって市場支配が可能な範囲に属する医薬品について別の後行処分を受けたとする。 しかし、・・・、その市場は先行処分に基づく延長で過不足なくすでに回復されていたと考えることになる。 そのときに、再度延長を認めて延長期間が延びたとすると、発明者と利用者のバランスの回復が終了した点について、発明者の側に利益の天秤を再度傾けることになってしまうといえる。 このようなときには、延長登録制度の趣旨からすれば、二度目の延長は認めるべきではない。

[同 23-24ページ]
(後行処分) に基づく延長が認められるとすると、後発医薬品メーカーは、特許権の存続期間が満了するまでの間、あらゆる範囲で最大5年間の延長がおこりうる可能性を覚悟しなければならなくなる。 ・・・。 ・・・製造販売をしてよいのかは、ぎりぎりまで予測することができない。 この点は、特許権者と後発医薬品メーカーのバランスを考えたときに、特許権者側に大きく天秤を傾ける効果が生じてしまう点には注意を払う必要があるだろう。 ・・・。 満了するまでそれが予測できないことは、その分特許権が延長するに等しい効果を持つといえるのである。

[同 24ページ]
 このような二重の利益を防止すべきという観点からすると、・・・、すでに先行処分を受けて特許発明を実施することができるようになった結果として市場を支配することが期待できる範囲については、発明の利用を独占できる地位がすでに回復されているので、発明の利用を独占できる地位を回復させるために再び処分を受ける必要がないので、延長を認める必要がない・・・。
 ここでいう市場を支配することが期待できる範囲とは、先行処分の対象となった医薬品と市場における高い代替性を有する範囲のことである。

[同 25ページ]
・・・、処分の対象となった医薬品と市場における高い代替性を有する医薬品を「同種の医薬品」と呼ぶとすると、・・・。 ・・・、後行処分と同種の医薬品についての先行処分を受けていた場合には、後行処分に基づいた延長登録は、後行処分を受けることがその特許発明の実施に必要であったとは認められないので、延長を受けることができない。

その代わりに前田氏は、初めて医薬品の承認を受けて延長した場合の効力範囲は、その医薬品と市場における高い代替性を有する医薬品に広く及ぶことにして、バランスを取ろうとしていた。 具体的には、神戸法学雑誌 (2015) で前田氏は以下のように書いていた。

[同 25ページ]
・・・、先行処分のある場合に延長を認めない範囲と、先行処分による延長の効力の範囲との関係をどう考えるかについても言及しておきたい。 ・・・。
 二重の利益の防止を考える立場に立つときは、両者は基本的に一致すると考えることになる。 先行処分によりすでに利益が回復されていたとみなせる「市場支配を期待できた範囲」とは先行処分により延長された特許権の排他的効力が及ぶ「市場における高い代替性」が認められる範囲と基本的に一致すると考えることになるからである。

これだけを見れば、前田氏の昨年の論説は非常に評価できるものだった。 しかし、この考え方には大きな障害があった。 それが、「パシーフカプセル30mg事件」 の最高裁判決 (平成21年(行ヒ)326;平成23年4月28日) であり、その判決で最高裁が、後行医薬品を含み、先行医薬品を含まない特許に関しては、延長を認めなければならない旨を判示していることだ。 したがって、たとえ後行医薬品が、先行医薬品と市場における高い代替性を持っていたとしても、後行医薬品を含み、先行医薬品を含まない特許に関しては、延長をみとめなければ最高裁判決と齟齬が生じてしまうのだ。

私はこの問題については、最高裁判決 「平成21年(行ヒ)326」 の説示こそが不適切なのだと考えているのだが、前田氏の昨年の論説においては、この最高裁の判示について、「・・・延長の可否の問題とは切り離して考えた方がよいと考えられる。」(神戸法学雑誌(2015) の13ページ脚注22) などと言って考えることを避けており、前田氏の昨年の論説に関しては、この点が不満であることは11月19日の投稿でも書いた通り。

それで、今回新しく公開された前田氏の論説では、この点がどう考察されているかに注目して読んだのだが、残念なことに、最高裁判決 「平成21年(行ヒ)326」 を批判するどころか、逆方向に行ってしまった。

今回の論説で前田氏は、神戸法学雑誌 (2015) で自らが提唱していた考え方について、やや自己批判的に次のように論じている。

[前田健, 民商法雑誌 152, 2, 160-182, 2016-09 の170ページ]
 この考え方は、一定の範囲では一度しか延長を認めないことが望ましく、・・・、それを理論化しようと試みるものである。 しかし、これには解釈論の範疇を超えるものとの批判もあるだろう。 また、政策論としても、・・・、延長登録の要件と延長された効力の範囲は分離して、延長は効力範囲に重複があっても認めるという理解もありうる。 延長が何度もなされることが望ましくないとしても、それを効力範囲と連動させる形で規制する必要はないという批判はありえよう (22)。

ここで、「(22)」 というのは北大の田村善之氏の論説 (Westlaw japan 判例コラム第63号) のことを指しており、田村氏のこの論説については、今年1月7日の投稿でも紹介したが、前田氏の昨年の論説 (神戸法学雑誌 2016) を批判的に取り上げ、代替性のある先行医薬品を販売できていた場合に後行医薬品の延長を認めるべきではないとする前田氏の説明について、「後行処分に関しては・・・、実施できない期間があったのであるから、その期間については、・・・・、後行処分に関して・・・延長を不当とする理由はない」 と論じている (田村善之, Westlaw japan 判例コラム63 の脚注22)。

しかし田村氏のこの考え方は妥当ではないのだ。 なぜなら、後行医薬品の処分を受けようとして実施できなかった間、特許権者は、代替性のある先行医薬品を独占販売していたからだ。 もし後行医薬品を早く販売できていたら、代替性のある先行医薬品の販売量はシェアを奪われて落ち込んでいたであろうに (あるいは販売を取りやめてさえいたかも知れないであろうに)、後行医薬品の処分に時間を要したことにより、先行医薬品をその分、多く販売できていた。 つまり特許権者は、後行医薬品を実施できなかった期間に、後行医薬品を実施できなかったという不利益を受けていただけでなく、先行医薬品を多く販売できていたという利益を受けていた。 先行医薬品を多く販売することにより手にした利益を返還させることもせずに、後行医薬品を実施できなかったという不利益をただ回復させるのでは、特許権者を過剰に利することになるのであり、バランスを失する。 先行医薬品を多く販売して手にした利益を返還しない以上は、後行医薬品の処分による新たな延長期間の設定は制限されなければならないのであって、この点について田村氏は考慮していない。

なお、田村氏が延長問題をどう考えているのかについては、11月19日の投稿でも書いたが、延長を認めるか否か (特許法67条の3第1項1号) については、大合議判決 (平成25年(行ケ)10195〜10198) と同様に何でも延長を認めることを許容する一方で、延長された特許権の効力 (68条の2) は 「市場において競合可能な範囲」 という広い範囲に及ぼすべきだというもので、とても受け入れることはできない説となっている。 批判されるべきは、前田説ではなく田村説の方だ。

ところが前田氏は今回の論説で、田村氏による前田説批判をはね返すことをせず、むしろ上に引用したように、「・・・批判はありえよう (22)」 などと言って、田村説に寄り添ってしまっている。

今回の論説で前田氏は、延長された特許権の効力の範囲については、昨年の論説と同様、次のように論じている。

[前田健, 民商法雑誌 152, 2, 160-182, 2016-09 の180ページ]
・・・、延長された特許権の効力は、処分対象医薬品そのものについても実施のみならず、それを市場において同等な医薬品についての実施にも及ぶを考える。 処分対象医薬品と同等な医薬品とは、特許発明の技術的範囲に属し、かつ、それを市場における高い代替性を有し競争関係にある医薬品のことである。

それだけ広い範囲にわたって延長された特許権の効力を及ぼそうというのであれば、特許権者が不当な二重利益を奪取することがないように、特許権者が既に先行医薬品の処分で延長を行っている場合には、後行処分による延長に対しては、それなりに厳しい制限を特許権者に課すべきであるにもかかわらず、今回の前田氏の論説では、

[前田健, 民商法雑誌 152, 2, 160-182, 2016-09 の180ページ]
別々の処分の対象となった医薬品のそれぞれについて市場が重なり合う部分があるにしても、・・・、最高裁は、それについて調整を行う必要はないとする立場をとったのだと理解することができる。

などと論じ、最高裁判決 「平成26年(行ヒ)356」 に責任を押し付ける感じになってしまった。 確かに最高裁判決 「平成26年(行ヒ)356」 は、“医薬品の成分,分量,用法,用量,効能及び効果” のいずれかが異なれば延長を認めてよいと解釈できる判示となっており、もしそうであれば、事実上、承認を受けるたびに延長できるようになる。 しかし、だからといって、それにより引き起こされる弊害について最高裁が 「調整を行う必要はないとする立場をとった」 なとどなぜ言ってしまえるのか!?

ところで、最高裁判決 「平成26年(行ヒ)356」 では、『もっとも,前記のとおりの特許権の存続期間の延長登録の制度目的からすると,延長登録出願に係る特許の種類や対象に照らして,医薬品としての実質的同一性に直接関わることとならない審査事項についてまで両処分を比較することは,当該医薬品についての特許発明の実施を妨げるとはいい難いような審査事項についてまで両処分を比較して,特許権の存続期間の延長登録を認めることとなりかねず,相当とはいえない。』 と説示しており、医薬品の承認をうけて特許を延長しようとする場合に、延長しようとする特許の “種類や対象” によって、延長を拒絶したり認めたりという違いが生じることがあり得るかのような雰囲気をかもし出している。 前田氏はこの点に注目し、

[前田健, 民商法雑誌 152, 2, 160-182, 2016-09 の175ページ]
・・・想像をたくましくするなら、細分化された延長が繰り返されることは望ましくないとの判断を盛り込むこともありえなくはない。

と論じており、上記の最高裁の説示を根拠に、延長を細分化しないために2度目の延長を拒絶する何らかの規範を盛り込む可能性を捨て去ってはいないようだ。 しかし最高裁のこの曖昧な説示はかなり無責任ではないか。 特許の “種類や対象” というのは、結局のところ、クレームの 「発明特定事項」 によって規定されているものであるから、もし特許の “種類や対象” で延長の可否を決めるのが妥当だというのなら、「発明特定事項」 によって延長の可否を決めていた旧審査基準でもよかったじゃないかということになる。 最高裁は旧審査基準を否定しておきながら、特許の “種類や対象” を持ち出すというのは一体どういうことなのか? 私は、そういう観点で問題を解決することはできないと思うが、そうではないと最高裁が考えているのなら、もっとはっきりした見通しを示すべきで、見通しがないのなら、思わせぶりなことを言うべきではない。 オキサリプラチン事件 (平成27年(ワ)12414) の東京地裁判決で嶋末コートが、物質特許の場合は延長された特許権の効力を広く、製剤特許の場合は狭くすると説示したのは、最高裁判決が特許の “種類や対象” で調整することを示唆していることを受けたのかも知れないが、私には、最高裁判決のいい加減な説示に振り回されているように見えてしまう。

なお、オキサリプラチン事件 (平成27年(ワ)12414) における “延長された特許権の効力範囲” の説示に関して、前田氏は今回の論説で、次のように判決を批判している。

[前田健, 民商法雑誌 152, 2, 160-182, 2016-09 の181ページ]
同判決は、・・・、市場の観点から効力範囲を判断すべきと考える立場からは賛成しかねる。 同判決は、・・・ ごく狭い範囲にしか効力を認めていない。 市場において代替性を有し競合する製品なら、・・・、効力が及ぶとして問題なかったと考える。

しかし、特許権者が二重の利益を受けることを防ぐという視点があるのなら、この特許権者が、この医薬品 (溶液製剤) の承認を受けようとする間にも、同じ有効成分からなる凍結乾燥製剤を販売できていた部分 (具体的には手術不能の大腸癌に対する適用) があるのか否かについて検討する必要があるはずなのに、前田氏の今回の論説は、それについては言及すらされていない。

結局、最高裁判決を批判もせず、かつ延長された特許権の効力は広く認めるべきだと論じている今回の前田氏の論説は、田村説に近づいてしまった。

私は前田氏に一番期待していただけに、今回の前田氏の論説は少し残念。 前田氏がこうなってしまった原因は、昨年の論説 (神戸法学雑誌 (2015)) では前田氏は、特許権者が既に市場代替性のある先行医薬品を販売していた場合は、後行医薬品による延長を “認めるべきではない” と論じていたのに対して、昨年11月17日の最高裁判決 「平成26年(行ヒ)356」 が、医薬品の成分,分量,用法,用量,効能及び効果のいずれかでも違えば認めるべきだと判示してしまったことにより、前田氏のような考え方を取りづらくなってしまったことにあるのだろう。 しかし、そういう判示になるであろうこと (というより、“なるべき” であること) は、最高裁判決 「平成21年(行ヒ)326)」 が出た段階ですでに予測できたわけで、そのことは Sotoku 通号5号の6-7ページで説明した。 したがって、今回の最高裁判決 (平成26年(行ヒ)356) のような結論にならざるを得ないことを予測した上で、「平成21年(行ヒ)326」 をもっと批判的に論じなければならなかったのに、無批判に受け入れてしまっているところに、前田氏の考え方が私の考え方とは異なってしまう根本的な原因があるのだと思う。

ところで今回の前田氏の論説には、“政策判断”、“政策的判断” という言葉が頻出する。 つまり何度も延長を認めるのではなく、ある程度広い範囲に延長された特許権の効力を及ぼす代わりに、その範囲については2度目の延長は認めないことにするのは “政策的判断” だというのだ。 そしてこの論説を読んでいると、“政策的判断” という言葉は、前田氏が神戸法学雑誌 (2015) で採っていた考え方はしょせん “政策的判断” であり、延長制度の条文から導けるものではなかったという “あきらめの弁” として使われているように見えるのだ。 しかし、前田氏が神戸法学雑誌 (2015) で採っていた考え方のもっとも重要な点は 「二重利得の防止」 なのであり、これは “政策的判断” などという軽いものではなく、“公平の観点” や “社会的正義”、あるいは “特許法の法目的” から求められることであって、延長制度の具体的条文 (67条の3第1項1号) よりも優越する要請だと言えるのではないか。

神戸法学雑誌 (2015) で採っていた考え方をあきらめることなく、ぜひ 「二重利得の防止」 という観点でもう一度見直してほしい。

(つづく)

posted by Ichizo Sotoku at 08:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする