2017年03月23日

Westlaw Japan判例コラム100号田村善之氏解説(知財高判平成29.1.20;平成28(ネ)10046)


延長された特許権の効力範囲の問題に関して1月20日に判決言渡があった知財高裁大合議判決 (平成28(ネ)10046) に関して、ウエストロー・ジャパン (Westlaw Japan) の判例コラムの第100号 として、北大教授の田村善之氏の解説が先週公開された (「特許権の存続期間延長後の特許権の保護範囲について 〜エルプラット事件知財高裁大合議判決(平成29年1月20日判決言渡)の意義〜」)。

判決から2カ月足らずで公開とは早い。

でも読んでみると、判例コラム63号のころと、考え方が変わってないみたい。。 だから、あまりいいことは書けないのだけれど、田村氏の解説をもとに、また延長問題を考えてみたい。

大合議判決 (平成28(ネ)10046) に対する感想は、1月23日の投稿や、その後で書いた田中調査官の最判解説に関する2月8日の投稿で既に書いた。 最高裁判決 (平成26(行ヒ)356) により、基本的には、特許権者が医薬品の承認を受けるたびに、1つの特許を何回も延長できるようになったが、延長された特許権の効力範囲はどうなるのだろうかと言われてきたわけだ。 そして東京地裁判決 平成27年(ワ)12414 (民事29部;嶋末和秀裁判長) は、延長された特許権の効力の範囲を 「実質的同一」 の解釈を利用して調整することを説示し、有効成分の物質特許の場合は比較的広く、製剤特許の場合は狭く考えることを示唆した。 そして、その控訴審である大合議判決 (平成28(ネ)10046) も、基本的に同様のことを説示したわけだ。 そして、そういうやり方について私は、弥縫的で、問題を根本的に解決するものではないと思っているわけ。

これに対して田村氏の考え方は、昨年1月に公開されたWestlaw japan の判例コラム第63号の田村氏の論説に関して、私が昨年1月7日に書いた投稿や、神戸大の前田健氏の論説に関して昨年の年末に書いた投稿でも触れた通り、延長の機会は、基本的には医薬品の承認を受けるたびに何回も認めるという最高裁判決 (平成26(行ヒ)356) を支持する一方で、延長された特許権の効力範囲については、承認を受けたそれぞれの医薬品と 「市場で競合する範囲」 にまで広く及ぼすことを認めるというもの。 そうすると、例えば特許権者が、ある抗癌剤の凍結乾燥製剤について4年をかけて医薬品の承認を受けて4年延長し、その凍結乾燥製剤を独占販売しながら、同じ抗癌剤に関して水溶製剤の医薬品の承認を、今度は5年かけて受けたとすると、4年延長された特許権の効力範囲とほぼ同じ範囲が、今度は5年延長に切り替わることになる。 これがもし認められるというのなら、特許権者は、まず先行医薬品を、とにかく短期間で承認を受けて販売を開始し、その先行医薬品を独占販売して利益を上げつつ、剤型変更した製剤の承認をゆっくり5年かけて受けることで、確実に延長期間を5年に伸ばすことができることになる。 そんな延長制度が妥当であるはずがないと思ったので私は、昨年の1月7日に書いた投稿で、この田村氏の考え方について、『10人に訊けば10人とも 「不適切だ」 と答えるような問題』 だと書いた。

ところがそれから1年経って発表された今回の判例コラム100号において田村氏は、これから見ていくように、同じことをまだ言っている。。 でもまあ、昨年12月7日の投稿でも紹介した通り、神戸大の前田氏も、直近の論説では、なぜか田村氏の考え方に近づきつつあるように見えるから、『10人に訊けば10人とも 「不適切だ」 と答えるような問題』 とも言えないのかな。。

さて、今回の田村氏の論説から、2つの問題について考えてみる。

*     *     *

1.“被疑侵害者” が治験を実施して承認を受けた医薬品の実施行為に対して、特許権者の延長された特許権が行使されることの是非

今回の論説で田村氏は以下のように書いている。

[田村善之, WestLaw Japan 判例コラム第100号 (文献番号 2017WLJCC008) 9ページより引用]
WLJ100tamura01.png

上に引用した文章で田村氏は、2つの事例を挙げている。 1つ目の例は、アレルギー性喘息に対する有効成分に関する特許を持つ特許権者が、その有効成分を含む 「注射剤」 について承認を受けて特許権を延長したが、後発者が同じ有効成分を含む 「スプレー剤」 の承認を受けてアレルギー性喘息の後発薬を販売した場合に、延長された特許権を行使することができるのかという事例だ。 2つ目の例は、抗ガン剤に関する特許を持つ特許権者が、「1回 5mg/kg(体重)で投与間隔を2週間以上」 の用法・用量で承認を受けて特許権を延長したが、後発者が同じ有効成分を 「1回 7.5mg/kg(体重)で投与間隔を3週間以上」 で承認を受けて後発薬を販売した場合に、延長された特許権を行使することができるのかという事例だ。 そして、後発者に 「スプレー剤」 を売られてしまっては、特許権者の 「注射剤」 の販売は落ち込んでしまうだろうし、後発者に 「1回 7.5mg/kg(体重)で投与間隔を3週間以上」 の医薬品を販売されてしまっては、競合する特許権者の「1回 5mg/kg(体重)で投与間隔を2週間以上」 の医薬品の販売は落ち込んでしまうだろう。 したがって、こういう医薬品に権利行使できないと延長制度の意味がないので、延長された特許権の効力は、こうした市場で競合する医薬品に対して広く及ぶべきだと論じている。

つまり田村氏は、被疑侵害者の医薬品が、特許権者の医薬品と比べて 「周知技術、慣用技術による付加、転換」 と言えるような小さな違いではなく、もっと大きな違い、例えば上記の2つの例のように、用法や用量が明確に異なるような場合であっても、それを抑えることは必要じゃないかと言っているわけだ。 その指摘はもっともだろう。

しかし、ここで問題になるのは、「注射剤」 に対して 「スプレー剤」 とか、「5mg/kg体重/2週間」 に対して 「7.5mg/kg体重/3週間」 というほどの違いがある医薬品は、もはや新たな治験を行わなければ承認することはできない医薬品だろうということ。 すなわち、ジェネリックメーカーが、特許権者の先発医薬品の治験に依拠して、治験なしに簡易に後発医薬品として承認を受けられるような医薬品ではないということ。 したがって、田村氏が挙げている2つの例は、仮想的な例として考えることはできるものの、実際にはかなり例外的な事例だということになる。 延長制度においてぜひとも権利行使できなければならないのは、ジェネリックメーカーが特許権者の先発医薬品の承認に依拠して治験なしに同等品を販売する行為に対してであろうから、延長した特許権の効力は、特許権者の医薬品の承認に依拠して承認を受けた後発薬に対して及びさえすれば、延長制度に求められる主要な機能は果たすことができる。 特許権者の特許の範囲に含まれるものに関して、後発者が独自に医薬品を開発して治験を行うという場合についてどこまでまじめに考える必要があるのかは、議論のあるところかも知れない。 

しかし、そういうことは起こりえないわけじゃない。 抗体医薬などが増えてくると、今後はどうなるか分からないところもある。 私はこの問題は、とても興味深い問題だと思っていて、2年半前に投稿したSotoku 1号の14ページにおいて、後発者が、特許権者の特許の範囲内の化合物ではあるものの、特許権者の先発医薬品とは異なる化合物を有効成分として医薬品を開発し、独自に治験を行って製造販売の承認を受けた場合に、その販売を阻止することが正当である理由は何なのかということについて考えたし、最近では、昨年の9月15日の投稿(「公知申請や臨床試験を他人がやった場合でも延長できる制度にすることはありうる」) でも、他人が治験を行った場合について書いた。

田村氏は今回の論説において、こうした場合に後発者の実施を阻止できないとすれば、「・・・ 存続期間を延長した意味が問われることになろう。 結論として、・・・、特許法68条の2は、・・・ 市場において競合する ・・・ か否かという観点からその範囲を画すべきである。」(9ページ) と論じている。 しかし、「・・・意味が問われることになろう。 結論として・・・」 というのは、延長制度の意味論から一気に結論へと飛躍するものであって、結論を急ぎ過ぎていると思う。

特許権者が 「注射剤」 を実施 (製造販売) するために治験を受けて特許を延長した場合、特許権者は 「スプレー剤」 を実施しようとしたわけではないから、「注射剤」 の治験を受ける間、「スプレー剤」 の実施に関して特許期間が侵食されたとは言えない。 特許権者が 「5mg/kg体重/2週間」 の用法・用量で実施するために治験を受けて特許を延長した場合、特許権者は 「7.5mg/kg体重/3週間」 の用法・用量を実施しようとしたわけではないから、「5mg/kg体重/2週間」 の治験を受ける間、「7.5mg/kg体重/3週間」 の実施に関して特許期間が侵食されたとは言えない。

特許権者が治験を受けることによって特許期間が侵食されたとは言えない実施行為である 「スプレー剤」 や 「7.5mg/kg体重/3週間」 に関して、なぜ延長された特許権を権利行使できる理由があるのか? それは、これまで何回も言っているように、「スプレー剤」 や 「7.5mg/kg体重/3週間」 について被疑侵害者が承認を受けるために治験が必要で時間を要したということ自体が、その医薬品の実施に関する特許期間が侵食されたことを証明しているからだ。 特許期間の侵食は、特許権者が特許発明の範囲に含まれる医薬品の承認を受けるときだけ起こるのではない。 特許権者の特許発明の範囲に含まれる医薬品の承認を、他人が受けるときにも起こるのだ。 誰が医薬品の承認を受けようとするかは関係がない。 医薬品の承認を受けようとすることにより、その医薬品が一定の期間、誰も実施することができなかったという客観的状況が明らかになりさえすれば、その医薬品に関する特許期間は、その間、侵食されていたと言えるのだ (詳しくは Sotoku 1号 の 「特許権の存続期間の時計を止めるべきとき」(2〜4ページ)、およびSotoku 5号 の 「第三者が特許発明に該当する医薬品の承認を受けることによる特許権の排他的効力の侵食」(26ページ) を参照)。 したがって、もし特許権者が 「注射剤」 について、もたもたしながら5年をかけて医薬品を承認を受けたのに対して、被疑侵害者が、特許権者の注射剤の承認にはまったく依拠せずに、独自に 「スプレー剤」 について迅速に臨床試験を行い、4年で承認を受けられた場合は、「スプレー剤」 に関しては4年延長されるのが、原理的には正しいと思う。 したがって、田村氏が論じているように、「注射剤」 に関して延長された特許権の効力が、その延長期間にわたって 「スプレー剤」 に及ぶのが当然とは言えないのだ。

しかし、では実際の延長制度において、特許権者の 「注射剤」 の延長期間は5年なのに、後発者の 「スプレー剤」 は4年で参入させていいのかと言われると私も確信がないし、例えば特許権者の医薬品が既に承認されているときに、後発の承認が、先行の承認にまったく依拠していないと言い切れるのかもよく分からないところがある。 したがって、あまり期間をバラバラにせずにそろえる方が、おさまりがいいような気がするから、昨年末に出した Sotoku 7号 では、以下のように、先行医薬品で延長した延長期間の終期にそろえるのがバランス的にいいのではないかと書いた。

Sotoku 7号 の図32 より]
(有効成分の物質特許を持つ特許権者(図中では“他者”と表記されている)が先行医薬品を販売しており、それに対して製剤特許を持つ被疑侵害者(図中では“自分”と表記されている)がスプレー剤などの新型製剤の承認を独自に受けた場合を示している。)
sotoku7-p23.png

ということで、被疑侵害者が独自に治験を実施して医薬品の承認を受けたような場合に関しては、結構難しい問題があるのだと思う。 こういうケースは、現行の制度に無理やり入れ込むのではなく、現行制度ではカバーしきれていない問題だと捉えた上で、立法論や制度構築論として考える方が適切なのではないかな、と考えている。

しかしいずれにしろ、田村氏のこの問題提起は、私は好意的に捉えている。 同志社大の井関氏あたりは 「そんなものまで延長制度で保護する必要はない」 と言うかも知れないけれど、他人が治験を行う場合でも特許期間は侵食されるのであり、それにより特許権者が不利益を受ける以上、それを保護できる制度にしていくことには合理的な理由があるのだと思う。


*     *     *


2.延長問題を考える上で重要な前提として何を選択するか

また、今回の論説で田村氏は以下のように書いている。

[田村善之, WestLaw Japan 判例コラム第100号 (文献番号 2017WLJCC008) 13ページより引用](下線追加)
WLJ100tamura02.png

上記の通り田村氏は、今回の大合議判決 (平成28(ネ)10046) は延長された特許権の効力範囲が 「過度に重なることがないようにしなければならないという発想を前提にしている」 と論じている。 そして、この大合議判決の発想について田村氏は、自説にとって “支障となりうる” と論じ、「・・・ 重なりが生じることは織り込み済みのはずであり、なぜ ・・・ 問題視されなければならないのか、理解に苦しむ。」、「・・・重複が広範囲で生じることはむしろ当然の事態」 と論じている。

つまり、延長した特許権の効力範囲が互いに重なり合う “重複延長” を田村氏は容認しているわけで、私が前々から批判しているところだ。

田村氏が 「支障となりうる」 と論じている大合議判決の説示は以下の部分だ。

[2017.1.20 大合議判決 平成28年(ネ)10046, 32-33ページ](下線追加)
H28ne10046-p32-33_.png

つまり知財高裁大合議は、延長した特許権の効力範囲は “広がり過ぎないように” 配慮する必要があり、延長した特許権の効力範囲が重なり合うという事態が、“分量が異なる一部の” 医薬品同士で生じることがあるとしても、複数の医薬品の承認を受けた場合に、そのすべてが重なり合うなどということが起こらないように検討する必要がある旨を説示した。 大合議のこの説示を指して田村氏は、重なりが “生じ「過ぎ」ること” がなぜ問題視されなければならないのか理解に苦しむと書いているのだ。

大合議はなぜこのように説示したのか? なぜ重なりが生じ過ぎではいけないのか? それは言わずもがな、そうしなければ 「衡平の理念にもとる」 からだ。 今回の大合議判決において裁判所は、「・・・ 特許権の存続期間の延長登録の制度趣旨(・・・)及び特許権者と第三者との衡平を考慮した上で,これを合理的に解釈すべきである。」 と説示している (判決文の28ページ)。

重なりが生じ過ぎても構わないと考える根拠として田村氏は、アバスチン事件の知財高裁大合議判決 (平成25(行ケ)10195〜10198; 平成26年5月30日判決; 飯村敏明裁判長) が、延長の可否を規定する範囲 (67条の3第1条1項) と、延長された特許権の効力範囲 (68条の2) の連動を否定したことを挙げており、連動を否定するのであれば、「複数の延長登録の間で相互に重なりが生じることは織り込み済みのはず」 だと指摘している。 しかしアバスチン大合議判決は、延長の可否を規定する範囲は 「成分,分量,用法,用量,効能,効果」 で画される範囲であるのに対し、延長された特許権の効力範囲は 「成分,用法,用量,効能,効果」 で画される範囲である旨を説示したわけで、基本的には、両者は 「分量」 の違いくらいしかない、すなわち、分量が違う医薬品同士が重なり合う程度のことなのだ。 アバスチン大合議判決の説示を根拠に、広範な重なり合いを “織り込み済み” と評することはできないだろう。

また田村氏は、「・・・ 同一特許権という狭いコップのなかで延長登録の可否の単位について個別化志向をとる以上、それぞれの延長登録の単位ごとにそれと市場で競合し、ゆえに排他権を残さないことには保護が万全とならないものの重複が広範囲で生じることはむしろ当然の事態といえる。」 と論じている。 ここで 「個別化志向」 とは、最高裁判決 平成26(行ヒ)356 が、「成分,分量,用法,用量,効能,効果」 のいずれかが違えば延長を認めることを判示したことを指している。 そして、特許権者の医薬品に関して特許権が延長されていても、もし延長された特許権の効力が、そのような個別化された狭い範囲にしか及ばず、その範囲から外れた後発医薬品の販売を抑えることができないのだとすれば制度の意味がないから、保護を万全とするために、市場で競合する複数の特許権者の医薬品で延長された特許権の効力範囲同士が広範囲に重複することはむしろ必然だということなのだろう。

しかし、重複を避けようと思うのなら、アイデアは出せるはず。 例えば、最初の延長では延長された特許権の効力範囲は広いと考えて、後の延長では効力範囲は狭いと考えれば、重複が広範囲に生じることは防ぐことができる。 東京地裁の嶋末コートの判決 (平成27年(ワ)12414) や、今回の大合議判決は、有効成分の物質特許の場合は、延長された特許権の効力範囲は広く、製剤特許の場合は狭いと説示したが、似たようなことを1つの特許の中で実現させるのだ。 すなわち、1つの特許を複数回延長する場合に、最初の延長では、延長された特許権の効力範囲は広いと考え、その後の延長では狭いと考える。 ちなみに私はそういう考え方を “弥縫策” と呼んで批判している (つまり、狭くするのではなく、延長させないこと、言い換えれば、延長期間を最初の延長期間に合わせることが適切だと思っている) けれど、私が言うように解決しようとすると、どうしても最高裁判決と齟齬が生じてしまいがちだから、最高裁判決に従いつつ広範囲な重複を避けるためには、「最初は広く、その後は狭く」 という弥縫的な考え方は便利だろう。 別の考え方としては、被疑侵害者の後発薬に対して権利行使できる延長された特許権は、後発薬にもっとも近い特許権者の医薬品で延長された特許権だとみなすことにすれば、複数の延長が重畳的に権利行使されることを避けることができる。 特許期間の侵食の回復という原理的な観点から私がもっとも適切だと思っている考え方は、被疑侵害者の後発薬に対して権利行使できる特許権は、後発薬の承認を受けるために依拠した特許権者の医薬品で延長された特許権だとみなすことだ。 すなわち、延長された特許権の効力が及ぶ対象は、その医薬品に依拠して承認を受けた後発薬だと考えるのだ。 私と同じ結論にならないまでも、田村氏はなぜ、重複を避けるそういった結論に至らないのだろうか?

それは、この問題を考えるにあたって、何を大事に考えるかの違いにあるのかも知れない。 上述の通り田村氏は、「個別化志向をとる以上、・・・ 排他権を残さないことには保護が万全とならない ・・・」 と論じている。 ここで 「個別化志向」 とは上述の通り最高裁判決 (平成26(行ヒ)356) であり、「排他権を残さないことには保護が万全とならない」 とは、延長制度による保護実現を指している。 つまり、「個別化を志向した最判」 と、「延長制度による保護実現」 の2つを前提に置いて結論を導いている。 そしてその結果、延長の重複が広範囲で生じる結果となることについては、「なぜ・・・問題視されなければならないのか、理解に苦しむ」 と述べて切り捨ててしまう。

しかし、延長問題に対する結論を導くにあたって、「個別化を志向した最判」 と 「延長制度による保護実現」 の2つが、もっとも大事な前提なのだろうか?

[延長問題を考える上で重要な前提として何を選択するか]
田村氏の考え方:
 個別化を志向した最判延長制度の趣旨重複延長容認

裁判所の考え方:
 個別化を志向した最判衡平の理念弥縫的解決

別の考え方:
 延長制度の趣旨衡平の理念
 (注: もちろん、それ以外を考えていないということではなく、特徴的なものを挙げて単純化して示しているだけ。)

延長問題に対する結論を導くにあたって、何を大事な前提として選択するかによって、結論は変わり得る。 では何を選択するか? 「個別化を志向した最判」か? 「条文」か? 「制度趣旨」か?

この問題に限らず、まず前提とすべきは 「公平性」 や 「社会的正義」 ではないか。 なぜなら、それは根本的な社会的要請であって、それを無視した制度設計はできないと思うからだ。 次に私が選ぶとすれば、「制度趣旨」 だ。 だから昨年末に出した Sotoku 7号 でも、その2つを表題にした。

Sotoku 7号 のタイトル]
sotoku7-title.png

今回の大合議判決でも知財高裁は、上述の通り、「・・・ 特許権の存続期間の延長登録の制度趣旨(・・・)及び特許権者と第三者との衡平を考慮した上で,これを合理的に解釈すべきである。」(判決文の28ページ) と説示したが、もっともなことだろう。

そしてその2つを前提として問題を考えた場合に、もし 「最判」 や 「条文」 とは相容れないことが生じるのだとすれば、解釈によって乗り切ったり、それができないのであれば切り捨てるべきは 「最判」 や 「条文」 の方なのであって、「衡平の理念」 ではない。 そして、本件の最判が、いかに衡平の理念を冒す危険があるのかについては、田中調査官の最判解説に関する2月8日の投稿で図示しながら説明した通りだ。

つまり、田村氏の考え方と私の考え方が違ってしまう原因の1つは、問題を考えるにあたって重要な前提として選択しているものが違うからだ。 「個別化を志向した最判」 と 「延長制度の趣旨」 の2つを選択することが本当に妥当なのか、そこが再考されるべきだと思う。

なお、2月8日の投稿で説明した通り、「延長された特許権の効力範囲」 が重なり合わなければ衡平が確保できるというものではない。 「延長された特許権の効力範囲」 が重なり合わないようにするだけでは駄目なのであって、延長期間が異なる特許権者の2つの医薬品の市場シェアが強く競合するような事態が起きないようにすることが必要だ。 そのためには、結局のところ、市場で高度に競合する特許権者の複数の医薬品の延長期間はそろえることが求められるのだと思う。 Sotoku 7号で述べた通り、これは後発者を保護するためだけでなく、特許権者を保護するためでもある。

*     *     *

以上の通り、田村氏に限らず、前田氏の論説に対しても言えるが、この問題を根本的に解決したいと思うのなら、最判や条文を出発点とするべきではない。 最判や条文を柔軟に解釈、または否定することも念頭に置きつつ、制度趣旨 (侵食された特許期間の回復) と衡平の理念を出発点として問題に取り組むべきだ。 そして、そうした論考ができるのは、知財高裁でも最高裁でもない。 条文や判例に拘束されず、自由に論じる立場に立てる者にこそ、それが求められているのだと思う。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月15日

平成27(行ケ)10167オキサリプラチン審決取消訴訟(知財高裁平成29年3月8日判決)


3月8日、シュウ酸入りのオキサリプラチンに関する特許 (特許第4430229号 「オキサリプラチン溶液組成物ならびにその製造方法及び使用」) の無効審判に対する審決取消訴訟の判決があった (平成27(行ケ)10167;知財高裁第3部 (鶴岡稔彦裁判長))。

判決文の内容は、同じ鶴岡コートで出された侵害訴訟の判決 (平成28(ネ)10031;平成28年12月8日) とほぼ同じで、この発明はシュウ酸を “添加” したものに関するものであって、オキサリプラチンの分解で自然に生成したシュウ酸 (解離シュウ酸) しか含まないオキサリプラチン水溶液は、クレームの範囲には含まれないというもの。

今回の審決取消訴訟の対象となった無効審判 (無効2014-800121) で特許庁審判合議体は、以下のように説示した。

[無効2014-800121 審決より]
無効2014-800121-0314-1.png
無効2014-800121-0314-2.png

つまり審判合議体は、本件特許発明にいう 「緩衝剤の量」 は、添加した緩衝剤に限定されず、水溶液中で生成した緩衝剤までを含む 「現に含まれる全ての緩衝剤の量」 と意味することは明確だと説示し、「緩衝剤」 は 「追加され混合された緩衝剤」 に限定されるという無効審判請求人の解釈は採用できないので、それに基づく主張は検討しないと説示した。

それに対して今回の判決では、「緩衝剤の量」 を 「現に含まれる全ての緩衝剤の量」 だと解釈するのは誤りだと指摘し、「追加され混合された緩衝剤」 だと解釈して新規性・進歩性を検討していないことを理由に審決を取り消した (以下)。

[平成27(行ケ)10167]
平成27(行ケ)10167-02.png

まぁ、多少気になるのは、審決はあくまで、クレームにいう 「緩衝剤の量」 は、「現に含まれる全ての緩衝剤の量」 だと言っているだけで、「現に含まれる全てのシュウ酸の量」 だと明言しているわけではないんだよね。 ここで、もし今回の判決で裁判所が説示したように、「緩衝剤」 は 「添加シュウ酸」 に限定解釈されるのであれば、「現に含まれる全ての緩衝剤の量」 とは、「現に含まれる全ての添加シュウ酸の量」 だと解釈されるわけだから、それでいいじゃないかということになる。 すなわち、審決が 「緩衝剤の量」 を 「現に含まれる全ての緩衝剤の量」 だと説示していること自体は、誤りとは言えないとみなすこともできる。

この点は、今回の判決において裁判所自身が、次のように説示している。

[平成27(行ケ)10167 より]
平成27(行ケ)10167-03.png

上記の説示と同様に、「緩衝剤」 を外部から添加されたものに限るとの解釈を採るのであれば、たとえ 「緩衝剤の量」 を 「現に含まれる全ての緩衝剤の量」 だと解釈したとしても、「緩衝剤」 に 「解離シュウ酸」 が含まれることにはならないのだから、審決が説示した表現が誤りとまでは言えないということになるのではないか。

つまり、審決の上記の説示からだけでは、この審決が誤りであると結論することはできないと思うのだ。 審決が不適切であると結論するためには、「緩衝剤」 に 「解離シュウ酸」 が包含されると審決が考えている根拠を、別途、示す必要がある。

この点は、この審決に関して昨年の5月10日の投稿したときにも気になったのだけれど、審判合議体は 「緩衝剤」 に 「解離シュウ酸」 が含まれるとは思ってはいなかった、あるいは、思っていたとしてもそれについて審決で書くのは避けようとしていた可能性もなくはない。 『無効審判請求人の請求を棄却するために必要最小限のことだけを説示し、言う必要のないことは一切言わない。 “見ざる言わざる” を貫く。』 ということを実行した可能性があるということ。

但し、5月10日の投稿でも言った通り、審決では、オキサリプラチンを注射用水に溶かしただけの水溶液を加温保存した結果、オキサリプラチンが分解してシュウ酸が生成したようなもの (審決において 「引用発明A」 や 「引用発明B」 と認定されているもの) に関して、『引用発明Aの 「シュウ酸」 は本件訂正発明1における 「緩衝剤」 に相当し、・・・』、『引用発明Bの 「シュウ酸」 は本件訂正発明10における 「緩衝剤」 に相当し、・・・』 と指摘しているから、単なる分解産物 (不純物) として存在しているだけのシュウ酸 (すなわち “解離シュウ酸”)も 「緩衝剤」 に包含されると考えているとみなすことができ、その説示を併せて初めて、この審決は不当だと言えることになるのだと思う。

なお私は、「緩衝剤」 を 「添加シュウ酸」 にまで限定解釈する必要はなくて、「緩衝剤たるシュウ酸」 を水溶液中で発生させることを意図して、「緩衝剤ではないシュウ酸前駆物質」 を添加したような場合もクレームの範囲に包含されてよいと考えており、「緩衝剤」 を添加することに限定する裁判所の解釈に頼りたくない (緩衝剤ではないものを添加して、水溶液中で緩衝剤を発生させた場合もクレームに含まれる) と思っているから上記のように言っているわけ。 それに対して裁判所は、「緩衝剤」 という言葉を 「添加した緩衝剤」 に限定解釈しているから、審決が 「・・・ 追加され混合された緩衝剤の量であるとする解釈)は採用できない」 と説示していることだけをもって、この審決は誤りだと結論することができるのだろう。

それはともかく、たとえ審判合議体が、上述のように 「緩衝剤」 に 「解離シュウ酸」 が含まれるのか否かという問題に言及することを巧妙に避けて “見ざる言わざる審決” を行ったのだとしても、結局は、そうしたやり方が今の混乱をもたらしたのだし、かつ、そうした審決のやり方は、知財高裁には通用しないということも今回の判決で明らかになったのだから、そういう技巧的で分かりにくい審決はもうやめてよね、ということなのだと思う。

*   *   *

もう一つ、今回の判決で気になったのは、今回の判決文の最後で裁判所は、審判合議体が 「緩衝剤」 を添加されたものに限定解釈せずに審決を行ったことに関して、「してみると,本件審決の上記要旨認定の誤りは,少なくとも本件訂正発明1ないし17に係る進歩性欠如の無効理由についての審決の判断に影響を及ぼすものといえる。」 と説示して審決を取り消していること。 しかし果たして、「緩衝剤」 を添加されたものに限定解釈しなかったことは、本当に進歩性の判断に影響を及ぼすと言えるのだろうか?

審決は、「緩衝剤」 が添加されたものに限定されなくても、本件発明には進歩性があると判断したわけだ。 そうであるのなら、「緩衝剤」 を添加されたものに限定したら、発明の範囲は狭くなるのだから、論理的には、進歩性があることはより確実になるはずであって、審決における進歩性の判断に影響を与えないことはむしろ明らかだと言えるのではないか?

そう考えると、今回の判決は、審決を取り消す理由としては不十分だと思うのだ。 審決を取り消すためには、もっとズバリと核心に切り込むこと、すなわち、『「緩衝剤」 を添加されたものに限定解釈したとしても進歩性がない』 ということを判示する方がよかったんじゃないのかなぁと思う。 その点は今回の裁判で争点になっているのだから。

なお、今回の判決で、裁判所自身が次のように説示している。

[平成27(行ケ)10167 より]
平成27(行ケ)10167-04.png

つまり、優先日当時の技術常識によれば、「外部からシュウ酸を添加すると,ル・シャトリエの原理 ・・・ によって,シュウ酸の量を減少させる方向,すなわち,・・・ オキサリプラチンが生成される方向の反応が進行し,・・・不純物・・・ の生成を防止する作用を果たすものといえる。」 と裁判所は説示しているわけだ。 そこまで言っておいて、添加シュウ酸に限定した発明に進歩性がないということを判示することをなぜ避けるのだ?

結局、審決も判決も “見ざる言わざる” みたいなものが多くて、なんかストレス溜まるんだよなぁ。。

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とはいえ、今回の判決で、少なくとも “審決取消” という結論は出された。 私が昨年5月10日に投稿したころは、知財高裁の判決は特許権者に有利なものしかなく、かなり絶望的な心境だったけれど、今振り返って感じるのは、「ともかく裁判所は機能した」 ということ。 そして裁判所は、特許要件の技術的な判断においても、特許庁審判部より信頼が置ける場面があるということも分かった。

今回の一連の事件の経緯は、ダブルトラック問題を考える上でも示唆的な事例になるだろうと思う。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする