2017年10月05日

市場競合性のある範囲で延長期間を統一することが求められる理由(愛知靖之 判例評論702号170-177頁 2017)


愛知 靖之
最新判例批評 ([2017] 26) 先行する製造販売承認と特許権の存続期間延長登録の要件 − アバスチン事件 [最高裁第三小法廷平成27.11.17判決]
判例評論 (第702号) 170-177 (2017)

今回は京大の愛知靖之先生の論文を取り上げたい。 愛知先生は、医薬品特許延長問題については今回が初めて書いた論文ではないか。 愛知先生の論文は、途中までは田村説に非常に考え方が近く、これはひょっとして田村説と同じ結論に行くのではないか! っと思って読み進めたら、最後は違う結論になっていた。 しかし、両者を比較しながら検討すると意義深いと思うので、以下に比較しながら見て行きたい。 また、私がなぜ両先生とは違う考えを持っているのかについても最後に説明したい。

1.延長制度の趣旨

延長制度の趣旨について田村先生は、2015年論文(AIPPI Vol.60 206-236, 2015)や2017年論文(知的財産法政策学研究 Vol.49 389-452, 2017)において、“二本柱”というたとえを用いて以下のように論じている。

[田村善之, 知的財産法政策学研究 Vol.49 (2017) 389-452の400-401ページ]
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特許権者が医薬品の承認を受けようとする間は、特許権者はその医薬品を製造販売(すなわち“実施”)することはできない一方、その間も、第三者の実施に対して差止めや損害賠償を請求することは妨げられていなかったというのが、田村先生に限らず多くの論者の理解だ。 したがって、医薬品の承認を受ける間にも、特許権の「禁止権」にあたる部分は存在していたということになるから、医薬品の承認を受ける間に損なわれたのは「実施」の部分だけということになる。 そうすると、延長制度において延長する必要があるのは「実施」の部分だけで、「禁止」の部分は延長する必要はないということになりそうだが、これについて田村先生は上記の通り、特許法というのは「禁止権」の存在だけでは保護として不十分なのであり、『禁止権+実施』という“二本柱”が備わって「初めて保護が万全となる」と論じ、医薬品の承認を受けようとする間は、「この二本柱の一つが欠けていた時期」であるから、この二本柱が備わる期間を追加するのが延長制度の趣旨なのだと論じていた。

これに対して愛知先生は、“両輪”というたとえを用いて以下のように論じている。

[愛知靖之, 判例時報2333号(判例評論702号)170-177, 2017の172ページ]
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つまり、医薬品の承認を受ける間に損なわれたのは「実施」の部分だけであるという考え方について愛知先生は、特許制度というのは「実施」と「排他性」両輪として独占的実施を特許権者に認める制度であると論じ、医薬品の承認を受けようとする間は「実施」ができないため、「実施と排他性」という両輪の一方が脱落している状態であり、独占的実施を保障するという特許制度の趣旨が全うされていないので、独占的実施が保障された状態を回復させるために設けられたのが延長制度だと論じている。

禁止+実施」という「二本柱」が備わって「初めて保護が万全となる」と論じる田村先生に対して、愛知先生も「実施と排他性」という「両輪」が備わって初めて、独占的実施を保証するという「特許制度の趣旨が全う」されると論じている。 延長制度の趣旨の説明において、二人の先生の間に差はないと言ってよいのではないか。 私は2015年に田村先生の論文を読んだとき、「二本柱」という言葉がとても奇妙に思えたのだが、慣れてきたせいか、最近はこれはこれでいいのかなと思うようになってきた。。 もちろん、8月18日にも投稿した通り、医薬品の承認を受ける間は禁止権も損なわれているのであって、禁止権は損なわれていないという両先生の理解は間違いだとは思っているが。


2.延長の可否

延長の可否の判断基準についても、二人の先生は高度な一致を見せている。 アバスチン事件の最高裁判決において最高裁は、以下のように説示した。

平成26年(行ヒ)356 より]
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上に引用した通り最高裁は、先行医薬品の製造販売が、本件医薬品の製造販売を包含するときは、延長は認められないと説示している。 私には、「製造販売が・・・製造販売を包含する」という日本語がそもそもよく分からないのだが、最高裁はこれについて以下のように解説している。

[平成26年(行ヒ)356 より]
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つまり、先行医薬品ではXELOX療法との併用療法のためのこの医薬品を製造販売することはできなかったが、本件処分によって、この併用療法が「初めてこれが可能となった」と説示した。

この「併用療法が初めて可能となった」という最高裁の説示を、田村先生は以下のように、「新たな市場・新たな需要」を開拓したことだと捉えた。

[田村善之, 知的財産法政策学研究 Vol.49 (2017) 389-452の408ページ]
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そして田村先生は、先行医薬品に対してたとえ成分・用法・用量などが異なる医薬品の承認を受けたとしても、新たな市場・新たな需要を開拓したとは言えないような医薬品については延長を認める必要はなく、新たな市場・新たな需要を開拓したと言える場合に限って延長を認めるべきだと論じた(以下に引用)。

[田村善之, 知的財産法政策学研究 Vol.49 (2017) 389-452の416ページ]
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これに対して愛知先生も、最高裁はXELOX療法との併用が「初めて可能となった」ことを考慮に入れていると論じ、用法・用量が異なれば直ちに延長が認められるわけではないことが示唆されていると論じた(以下に引用)。

[愛知靖之, 判例時報2333号(判例評論702号)170-177, 2017の175ページ]
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そして、先行医薬品の実施には包含されない治療法を可能とした場合や、適用対象を広げた場合は、延長を認めてさしつかえないのだと論じた(以下に引用)。

[判例時報2333号(判例評論702号)170-177, 2017の175ページ]
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まぁ、上記の解釈は、周知の添加剤等を先行医薬品に加えるだけで再び延長ができるのはおかしいと思っている人が、XELOX療法との併用療法が「初めて可能となった」と説示して延長を認めた最高裁判決を読んだ場合に自然にたどり着く結論とも言えるかも知れない。

しかし田村先生と愛知先生の考え方は、もっと細部まで一致している。 田村先生は、先行医薬品が錠剤であって、後行医薬品がOD錠のような場合であっても、咀嚼が困難であった需要者を捕捉しうるようになったのであれば、延長は認められるべきだと論じていた(以下に引用)。

[田村善之, 知的財産法政策学研究 Vol.49 (2017) 389-452の417ページ]
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これに対して愛知先生も今回の論文において、OD錠により嚥下障害患者が服用可能となったのであれば、延長は認められるべきだと論じた(以下に引用)。

[愛知靖之, 判例時報2333号(判例評論702号)170-177, 2017の175ページ]
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このように田村先生と愛知先生との間には、延長の可否基準の考え方についても差はないと言ってよいのではないか。 但し気になるのは、延長の要件について愛知先生は次のようにも述べていることだ。

172ページ
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174ページ
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つまり、承認を受けなければ実施行為ができなかったのなら延長は認められるべきだと論じている。 しかしそうであれば、基本的には医薬品の処分ごとに延長を認めることになるのではないか? なぜなら、後行医薬品によって先行医薬品に比べて適用範囲が広がろうが、同じであろうが、後行医薬品の実施行為(すなわち特許権者による後行医薬品の製造・販売行為)は、後行医薬品に対する処分を受けなければ不可能だったからだ。 後行医薬品という特許発明を実施(製造・販売)しうる状態であったのか否かと、後行医薬品の実施によって適用対象を広げたのか否かは違う概念だから、愛知先生が一体何を延長の条件だと捉えているのか、愛知先生が論じていることに矛盾はないのかがやや気になる。 しかし、まぁ上に引用した175ページの「・・・治療法を可能とする場合や、・・・適応対象を広げる・・・場合」という言い方や、「・・・治療法が可能になった、あるいは、・・・服用が可能となったというケースなど」という言い方からすれば、少なくともこの論文の結論としては、“治療”や“適用対象(患者)”の実質的な違いを重視するということだろうから、そう考えて話を進める。


3.連動論について

連動論とは、延長の可否の判断基準と延長された特許権の効力の判断基準とを一致させ、既に延長された特許権の効力が及んでいる範囲についてはさらなる延長を認めないことによって、延長された特許権の効力範囲が重なり合う「重畳延長」を防ぐという考え方だが、これについても二人の先生の考え方はかなり近い。

例えば田村先生は、連動論について次のように論じていた。

[田村善之, 知的財産法政策学研究 Vol.49 (2017) 389-452の396-397ページ]
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[田村善之, 知的財産法政策学研究 Vol.49 (2017) 389-452の399-400ページ]
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すなわち田村先生は、アバスチン大合議判決は連動論を採用しないとの立場を鮮明にしていると評し、上告審である最高裁判決も、延長の可否(67条の3第1項1号)の判断基準の説示において、延長された特許権の効力範囲(68条の2)の規定になんら触れることはなかったことからすれば、両者を連動させる必要はないとの立場を示したとみるべきだと論じた。

これに対して愛知先生も、今回の論文で連動論に固執すべきではないと論じている(以下に引用)。

[愛知靖之, 判例時報2333号(判例評論702号)170-177, 2017の174ページ]
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そしてアバスチン大合議判決については、連動論を明確に退けたとの見解を示した(以下に引用)。

[同174ページ]
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そしてアバスチン最高裁判決についても、68条の2に全く言及していないことからして、少なくとも積極的に両者を一致させようとする配慮が働いているわけではないことは間違いないと論じた(以下に引用)。

[同174ページ]
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ここまで見てきた通り、田村先生と愛知先生の見解は、「延長制度の趣旨」および「延長の可否の判断基準」において一致しており、「連動論」が不要だとする立場であることも一致している。 ここまで一致していると、もう二人の先生の考え方は違いようがなく、「延長された特許権の効力範囲」の考え方についても一致するのだろうと思いたくなるが、次に見るようにこれについては分かれてしまう。


4.延長された特許権の効力範囲

「1.延長制度の趣旨」のところで見た通り、田村先生も愛知先生も、医薬品の承認を受ける間は、特許権者は「実施」が妨げられているために特許制度の趣旨が貫徹されておらず、それを補うために延長制度はある旨を論じている。 特に愛知先生は、延長制度は『特許権者に「特許発明の独占的実施」が保障された状態を回復させる』制度だと論じている(172ページ中段)。 そうすると、延長された特許権の効力は、特許権者の特許発明の独占的実施を実現できる範囲に及ばなければならない。 実際、愛知先生は以下のように論じている。

[同174ページ]
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[同175-176ページ]
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特許権者に「特許発明の独占的実施」を保障するためにはどうすればよいか。 特許権者が実施する医薬品と市場で競合する医薬品(であって、特許権者の特許発明に該当する医薬品)を第三者に実施されてしまっては、特許権者の「特許発明の独占的実施」は侵されてしまう。 したがって、延長制度で禁止する必要がある範囲は、特許権者が実施する医薬品と市場で競合する範囲だ (当然、特許発明の技術的範囲内という縛りはあるが)というのが田村先生の考えだ。

[田村善之, 知的財産法政策学研究 Vol.49 (2017) 389-452の428ページ]
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特許権者が1つの医薬品しか実施していないことを前提にすれば、私は田村先生の結論になるはずだと思う。 前回投稿した通り、神戸大の前田先生も2015年論文(神戸法学雑誌 65(1) 2015-06, p.1-44)以来、田村先生と同じことを論じている。 ところが今回の論文で、愛知先生はその結論を退けてしまう。

[愛知靖之, 判例時報2333号(判例評論702号)170-177, 2017の177ページ 注23]
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上に引用した通り、愛知先生が田村先生の結論を退けた理由は以下の2つだ。

(1)「市場を同じくする範囲」は、68条の2の趣旨を超えないのかについて疑問があること
(2)「市場を同じくする範囲」というものの範囲が明確ではなく、予測可能性を害すること

そして愛知先生は、「延長された特許権の効力範囲」を「後発医薬品に該当する範囲」とすることが、基準の明確性・予見可能性という観点からして一考に値するように思われると述べて論文を締めくくった(以下に引用)。

[愛知靖之, 判例時報2333号(判例評論702号)170-177, 2017の176ページ]
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*     *     *

(1)愛知先生が思っている『特許権者の「特許発明の独占的実施」を保障するのに必要な範囲』とは何なのか?

上に引用した通り、延長された特許権の効力範囲に関して愛知先生は、『特許権者の「特許発明の独占的実施」を保障するのに必要な範囲』に及ぶべきだと指摘している。 もし愛知先生が、市場を同じくする特許発明を第三者に実施されてしまっては特許発明の独占的実施は果たされないのだから、『特許権者の「特許発明の独占的実施」を保障するのに必要な範囲』とは『市場を同じくする範囲』(もちろん特許発明の技術的範囲内という縛りがあるのは当然)だと論じ、理論的には延長された特許権の効力を「市場を同じくする(特許発明の)範囲」にまで及ぼしてよいのだが、それでは具体的な範囲が不明確だから、明確性を担保するために「後発医薬品に該当する範囲」に設定することを提唱すると論じているのならまだ分かりやすかった。 前回投稿した通り前田先生は、まさにそういう理由で延長した特許権の効力範囲を「後発医薬品」に設定することも一案だと論じている。

しかし愛知先生はそう論じるのではなく、上に引用した脚注22に記載されている通り、「市場を同じくする(特許発明の)範囲」は、『特許権者の「特許発明の独占的実施」を保障するのに必要な範囲』を超えないのかについて「疑問が残る」と言っている。 ということは、愛知先生が思っている『特許権者の「特許発明の独占的実施」を保障するのに必要な範囲』は、『市場を同じくする特許発明の範囲』よりも狭いのだろうか? まさか、特許権者の医薬品と全く同じ物(例えば名前だけ変えた物)を第三者が実施することさえ禁止すれば、独占実施は一応は果たされると考えているわけではないはずだが・・・。 井関先生にも言えることだが、「特許発明の独占的実施」を保障する範囲というものがどのような範囲であるのかについて、もう少し明確に考えを書いて欲しい。

これは私の想像だが、愛知先生が「市場を同じくする範囲」を広すぎると感じる理由は、8月18日の投稿で取り上げた井関先生と同じであって、特許権者が医薬品の承認を受けている間は禁止権は損なわれていないと思っているからではないか。 禁止権は損なわれていないと思っていると、延長した特許権で特許権者の実施と競合するところを完全に禁止したのでは回復させすぎだと感じることになるから、延長した特許権の効力範囲は、特許権者の実施と競合するところを完全に禁止するよりもなにがしか狭い範囲に制限しないと延長の趣旨に反すると感じることになってしまう。 そうした感覚が、「市場を同じくする範囲」は延長制度の趣旨を超えるのではないかという疑問につながっているような気がする。

あるいは、市場を同じくする複数の医薬品について特許権者が延長した場合に効力範囲が重なり合ってしまうことをおもんぱかっているのだろうか?

今回の論文には、『特許権者の「特許発明の独占的実施」を保障するのに必要な範囲』というものが、より具体的にはどういう範囲であるのかについては詳しくは論じられていないので、愛知先生が具体的にどういう範囲を想定しているのかは今後の論文を待つしかない。

(2)後行医薬品が先行医薬品に対して適用対象を広げたかどうかはどうやって判断するのか?

愛知先生は今回の論文において上記の通り、後行医薬品が、先行医薬品と比較して、新たな治療法を可能とする場合や、適用対象を広げる(または適用対象を変更する)場合などには延長を認めてよいと論じ、OD錠でも、嚥下能力の低い人も飲めるようになったのであれば延長は認められると論じている。 しかし、適用対象が広がったのかを、具体的にどうやって判断するのか? 実際にそのような患者が一人以上(または何人以上)いることを条件とするのか? それとも、実際にそのような患者がいるか否かにかかわらず、OD錠は飲みやすいのだから適用対象は拡大するはずだと理念的に考えて延長を認めるのだろうか?

アバスチン事件においても、先行医薬品では適用が2週間毎の投与に限られており、FOLFOX療法との併用しかできなかったところ、後行医薬品によって3週間毎の投与が可能となったことからXELOX療法との併用もできるようになった(すなわち新たな療法が可能となった)ことが、延長が認められたポイントであるかのように論じられているが、FOLFOX療法(2週間毎の投与)とXELOX療法(3週間毎の投与)は同時に受けるわけにはいかないのだから、アバスチンを併用療法で使う人は、2週間毎か3週間毎のどちらかを選ぶことになる。 そうすると、XELOX療法でアバスチンを使う患者が増えれば、FOLFOX療法でアバスチンを使う患者は、少なくとも減るはずで、たとえ後行医薬品でXELOX療法との併用が初めて可能となったとしても、XELOX療法においてアバスチンを使用する患者の増加がそのままアバスチンの需要の純増を意味するわけではない。 XELOX療法との併用が可能となったというだけで、適用対象が拡大したと言えるのだろうか? 「3週間毎の方が2週間毎よりも通院負担が少ないのだから利便性は向上するはず」などとも言われるが、ならば先行医薬品が「3週間毎の投与」で後行医薬品が「2週間毎の投与」の場合は延長は拒絶するのか? 仕事のスケジュールの関係で2週間毎でなければ通院できない人もいたかも知れないのに?

このように考えると、適用対象が拡大したのかを判断するのは実際にはなかなか困難で、結局は、成分・用法・用量などのいずれかが異なりさえすれば、それにより初めて使用するようになった患者がいなかったとは言えないということで、すべて延長が認められることになってしまいそうだ。

愛知先生は、「市場を同じくする範囲」というものを延長の区切りとする考え方、すなわち、上述の通り、延長された特許権の効力を「市場を同じくする範囲」に及ぼせという田村先生や前田先生の説や、前田先生が2015年論文で論じていたように、特許権者が既に先行医薬品を独占実施していたのであれば、それと市場を同じくする範囲については後行医薬品の承認による延長を認めるべきではないという考え方については、範囲が明確ではなく予測可能性に乏しいことを理由に反対する一方で、「適用を広げるもの」については延長を認めてよいのだと論じ、予見性や明確性を問題にしていない。 しかし実際に適用を広げたのか否かを判断することは、「市場を同じくする範囲」を判断することと同じくらい予見性や明確性に乏しいのではないかと私は思う。

つまり、後行医薬品が実際に適用範囲を広げたのか否かがもし判断できるというのなら、「市場を同じくする範囲」というものも判断できるはずだと言ってよい気がするし、逆に、適用範囲を広げたのか否かを、実際に広げたか否かで判断するのではなく、成分・効能・効果・用法・用量等の違いに基づいて形式的に判断する(つまり、現実に適用範囲が広がっているか否かは気にしない)ことにするというのなら、「市場を同じくする範囲」というものも、同じように形式的に決めて判断する制度とすることも考えられてよいように思う。


(3)適用対象を広げたかどうかを判断基準とすることは、パシーフ事件の最高裁判決と矛盾しないか

上の(2)で、アバスチンの後行承認によってアバスチンの適用場面が実質的に拡大したと言えるのかは、用法・用量の違いから直ちに明らかとは言えないことについて述べた。 しかし、アバスチンの後行承認で延長を認めることは最高裁(平成26年(行ヒ)356)が決めたことなのだから、文句があるなら愛知先生や田村先生にではなく最高裁に言ってくれということだろう。 だから私は以前から最高裁判決(特に平成21年(行ヒ)326の方)を批判している。 パシーフカプセル事件の最高裁判決(平成21年(行ヒ)326)は、後行医薬品の承認を受けて延長しようとする特許のクレームの技術的範囲に先行医薬品が属しないときは、その後行医薬品は「承認を受けることが必要であったとは認められないということはできない」と説示し、クレームの範囲に先行医薬品が含まれていない限りは延長が認められる旨を判示した(以下に引用)。

平成21年(行ヒ)326 判決文 2ページ目]
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このパシーフカプセル事件の最高裁判決がいかにおかしな帰結となるのかは、2月8日の投稿で説明した。 パシーフカプセル事件の最高裁判決によれば、後行医薬品が、先行医薬品を含まないような別特許になってさえいれば、後行医薬品がどれほど先行医薬品と似ていようが、その特許の延長は認められる。 例えばある有効成分の物質特許を出願した場合に、「その有効成分を含む溶液」という請求項について分割出願しておけば、凍結乾燥製剤の先行医薬品の承認を受けた後で、液剤の承認を受ければその特許を延長することができる。 「その有効成分を含む錠剤」というクレームで分割出願をしておけば、カプセル剤の先行医薬品の承認を受けた後で、錠剤に剤型を変えて承認を受ければ、その特許を延長することができる。 先行医薬品を含まない別特許としておくことはいともたやすい。 “発明”として同一でない限りは別特許にすることは可能なのだから、「新たな療法が可能になったのか」や、「新たな市場を開拓したのか」などということは関係がない。 そういうわずかな違いしかないものについてパシーフカプセル事件の最高裁判決は、承認を受けることは必要だったと判示したわけで、この最高裁判決が出された時点で、現在の延長制度が、このままではまともな延長制度にならないことは確定したようなものだ。

すなわち、パシーフカプセル事件の最高裁判決によって、いわば現在の延長制度は詰んだ。 もう何でもかんでも延長を認めることにするしかない。 私はアバスチン事件の最高裁判決(平成26年(行ヒ)356)はそういう判決だと捉えていて、成分・効能・効果・用法・用量等のいずれかが異なっていれば、基本的に何でもかんでも延長は認められるのだという判決だと思っている。 だからアバスチン事件の最高裁判決が出たときに、わりと好意的に受け止めた。 何でもかんでも延長が認められるのがおかしいのは明らかだから、この判決で、現在の延長制度がまともな延長制度にならないことは明らかになるだろう。 そして世間の人も、現在の延長制度に対しては完全に諦めがついて、みんなで新しい制度づくりに向かって進んでいけると思った。 だから2015年11月15日の投稿で、「これから議論して適切な制度を作っていくことが必要」と書いた。

ところが学者や裁判官たちはそうは思っていない。 アバスチン事件の最高裁判決の「XELOX療法・・・との併用療法・・・が,本件処分によって初めてこれが可能となったものである」という説示をことさらに捉えて何とかしようとしている。 パシーフカプセル事件の最高裁判決は、別特許になっている程度の違いでも「承認を受けることが必要であったとは認められないということはできない」と判示したのだから、もしアバスチン事件の最高裁判決を「新たな療法が可能とならない限りは承認を受けることが必要であったとは認められない」という判示だと解するとすれば、パシーフカプセル事件の最高裁判決と相容れないことになるのではないか? 別特許になっている程度の違いでも「承認を受ける必要はあった」とみなして延長を認めたパシーフ事件の最高裁判決と矛盾なく理解するには、アバスチン事件の最高裁判決は「成分・効能・効果・用法・用量等のいずれかが異なっていれば、承認を受ける必要があるのであり、延長は認められる」と解するのが自然な解釈だろう。 そして実際の医薬品の承認においても、既存の医薬品と成分・効能・効果・用法・用量等のいずれかが異なっていれば別途承認を受ける必要があるのだから、それが当然といえば当然だろう。


(4)延長された特許権の効力範囲を「市場を同じくする範囲」に設定することと、「後発医薬品」に設定することの違いがもたらすもの

上述の通り、愛知先生と田村先生は、延長された特許権の効力範囲の解釈において考え方が大きく異なっており、田村先生は「市場を同じくする範囲」に及ぼすことを提唱している一方、愛知先生は、それでは68条の2の趣旨を超えないのかに疑問があり、また予測可能性に乏しいことを理由に「後発医薬品に該当する範囲」に及ぼすことを示唆している。 2つの説の違いにより、具体的に何が変わるのかを考えてみる。

例えば特許権者が有効成分の物質特許を持っているとする。 以下の円を、その特許のクレームの範囲とする。
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そして、クレームの範囲内の医薬品について、特許権者が3年をかけて承認を受けて、特許を3年延長したとする。 赤い点はその医薬品を表しており、そのすぐ外側の赤い一点鎖線の円は、後発薬として承認を受けうる範囲を表しており、一番外側の赤い点線の円は、市場を同じくする範囲を表している。 市場を同じくする範囲は、クレームの範囲をはみ出すだろうが、もちろん田村説においても、延長した特許権の効力範囲自体はクレームの技術的範囲をはみ出ることはない。

なお、本来は平面的な集合の図としては描けないものを無理やり集合の図のように描いているので、多少おかしいところは大目に。。

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その後、特許権者は、第2の医薬品について、2年をかけて承認を受けたとする。 もし第2の医薬品が第1の医薬品の後発薬として承認されうるようなものであれば、臨床試験は要らないからすぐに承認を受けられるのだろうが、今回の例では、後発薬として承認を受けられるようなものではない(すなわち、第2の医薬品は赤い一点鎖線の外側に位置している)と仮定する。 青い点は第2の医薬品を表しており、青い一点鎖線の円は後発薬として承認されうる範囲を、青い点線の円は市場を同じくする範囲を表している。 第2の医薬品は、ターゲットとする市場は第1の医薬品と大半は重なるが、第1の医薬品よりも適用範囲が拡大した部分(すなわち赤い点線の円の外側になっている部分)もある。

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適用範囲が拡大した部分があるのだから、愛知説でも田村説でも、延長は認められるだろう。 そして特許権者は特許を2年延長したとする。 そしてその後、特許権者は、第3の医薬品について、5年をかけて承認を受けたとする。 緑の点は第3の医薬品を表しており、緑の一点鎖線の円は後発薬として承認されうる範囲を、緑の点線の円は市場を同じくする範囲を表している。 第3の医薬品は、赤い一点鎖線や青い一点鎖線の内側には入っていない(つまり、先行医薬品の後発薬として承認を受けられるようなものではなく、したがって5年の臨床試験が必要だったわけだ)。 第3の医薬品は、ターゲットとする市場は2つの先行医薬品と大半は重なるが、適用範囲が拡大した部分もある。

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適用範囲が拡大した部分があるのだから、愛知説でも田村説でも、延長は認められるだろう。 そして特許権者は特許を5年延長したとする。

さて、田村説の場合、延長された特許権の効力は、その医薬品と市場を同じくする範囲にまで及ぶべきだと論じているから、第1の医薬品の延長では以下の赤い色をつけた領域が3年延長されることになる。

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そして、第2の延長では、以下の青い領域が2年延長される。 上の赤い領域と下の青い領域は重なり合うことになるが、両方の効力が重畳的に及ぶことになるので、重なり合う領域は事実上、延長期間が長い方が終わるまでは後発者は参入することができない。 第1の医薬品の延長期間は3年で、第2の医薬品の延長期間は2年だから、赤い領域と青い領域が重なり合う領域は、3年間は後発者は参入することができない。

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そして、第3の延長では、以下の緑の領域が5年延長される。

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緑の領域は、赤い領域や青い領域と大半の領域が重なり合うことになるが、重なり合う領域は、事実上、延長期間が長い方に統一されるので、第3の医薬品の延長により、その領域は5年の延長に切り替わることになる。 また、第1〜第3の医薬品の後発薬として承認されうる医薬品の範囲(赤、青、緑の一点鎖線の円)は、(図のように緑で塗った領域にすっぽり含まれるのではなく、実際にははみ出る部分もあるかも知れないが、)基本的には緑で塗った領域に大きくかぶることになるだろうから、緑の領域への適用をすべて除外したような後発薬の承認を取ることが薬事制度的に可能なのであればともかく、そうでなければ後発者は、5年が経つまでは、第1〜第3の医薬品のいずれの後発薬も販売することはできない。

このように田村説では、いったん延長すれば広い範囲において延長期間が確保され、その後、短い期間で後行医薬品の承認を受けても延長期間が短くなることはなく、後行医薬品の承認を長い時間をかけて受けると、延長期間をさらに延ばすことができる。 結局のところ、大半の領域の延長期間は、事実上、一連の複数の医薬品の承認のうち、もっとも長く時間がかかった期間に統一されることになる。 特許権者としては、初めの医薬品についてはとにかく短期間で承認をうけて独占販売を開始して利益を上げつつ、後行医薬品の承認を5年をかけて受けることにより、大半の領域について延長期間を事実上5年に切り替えることができるため、特許権者に有利過ぎるし、モラルハザードを招く制度設計だと思う。

これに対して愛知説はどうなるかというと、第1〜第3の医薬品の後発薬として承認されうる範囲なので、以下の3つの一点鎖線の円で示した領域が、延長された特許権の効力が及ぶ範囲となる。 重なり合う領域については、重畳的に効力が及ぶことになるのだろうから、事実上、長い方に統一されることになる。

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そうすると、特許権の本来の満了日(出願から20年)から2年経てば、第2の医薬品(図中、青で示した医薬品)については後発薬を出せることになってしまう。 しかし第2の医薬品は、第1の医薬品や第3の医薬品と市場の大半は重なり合っているから、第2の医薬品の後発薬が市場に出てきてしまうと、特許権者の第2の医薬品の市場シェアだけでなく、特許権者の第1の医薬品や第3の医薬品の市場シェアまでが奪われることになるだろう。

このように、特許権者が複数の医薬品の承認を受けて複数回特許を延長した場合、延長した特許権の効力を、田村説のように「市場を同じくする範囲」に重畳的に及ぼすことにすると、最も長い延長期間が終わるまでは後発者は何も参入できない制度になる一方で、愛知説のように「後発薬として承認されうる範囲」に及ぼすことにすると、最も短い延長期間が終わればその後発薬が参入してきてしまい、特許権者の他の医薬品の市場までが荒らされることになってしまう。 つまり田村説を採るか、愛知説を採るかで、両極端な結果になってしまうのだ。

但し愛知説の場合、特許権者としては、「最初の延長期間より短い延長しかできない後行医薬品の承認は受けない」という戦略を採ることにより、不利益を受けないように自衛することができる。 上の例で言えば、第2の医薬品の延長期間(2年)は第1の医薬品の延長期間(3年)よりも短いから、第2の医薬品の承認を受けると特許権者は損をしてしまうかも知れない。 したがって、そのような医薬品は開発しないか、あるいは、何らかの理由を付けて臨床試験期間を長引かせ、必ず先行医薬品よりも長い延長期間を確保するようにすれば、不利益を受けることを回避することができるだろう。 その意味では、田村説よりは愛知説の方がまだいいということは言えそうだ。 しかしこれでは特許権者に対して、たとえ短い期間で出せる後行医薬品があるとしても敢えて出さないことによって負けないゲームを行うことを許すという恰好になってしまう。 そのような制度にしてしまってよいのかという問題はある。


(5)愛知説の場合、自由市場であれば適用対象を広げたかどうかを判断する必要はない

愛知説において、第1の医薬品の延長期間が3年で、第2の医薬品の延長期間が5年であった場合を考えてみる。 下図では、第1の医薬品が赤で、第2の医薬品が青で示されている。

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この場合、特許権の本来の満了日から3年が経つと、第1の医薬品の後発薬が市場に出てくることになる。 それにより、特許権者の第1の医薬品の市場シェアが奪われることになるだけでなく、特許権者の第2の医薬品の市場シェアも奪われることになる。 なぜなら両者の市場は大半が重複しているからだ。 しかし、第1の医薬品の後発薬によって市場シェアが低下するのは、基本的には第1の医薬品の市場範囲に限られるだろうから、その外側の領域の市場については後発薬によって侵されることはない。 そうすると、第2の医薬品の市場範囲であって、第1の医薬品の市場範囲の外側に位置する領域(下図で影を付けた部分)は、後発薬によって侵されることはない。 したがって、この領域の市場から受ける利益は、第2の医薬品の延長期間(5年)が切れるまでは守られることになる。

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この領域は、第1の医薬品に対して第2の医薬品が「新たに開拓した市場」に相当する。 つまり第2の医薬品で延長したことにより特許権者が得られる利益として、「新たに開拓した市場」から得られる利益だけは守られることになる。 そして愛知先生も田村先生も、第2の医薬品で延長を許容する理由は、まさに第2の医薬品が「新たな市場」を開拓した(または新たな適用を可能とした)ことにある旨を論じているのだから、第2の医薬品で延長したことにより「新たに開拓した市場」から得られる利益“だけ”を確保してやることは理にかなっているだろう。

なお、仮に第1の医薬品と第2の医薬品の市場範囲が全く同一である場合、すなわち、第2の医薬品が「新たな市場」を開拓していない場合に、第1の医薬品で3年延長し、第2の医薬品で5年延長したとする。 この場合、第1の医薬品の延長期間(3年)が切れて第1の医薬品の後発薬が出てくると、第2の医薬品の市場シェアも奪われてしまい、第2の医薬品で5年延長したことの意味がなくなってしまうかも知れない。 しかし、第2の医薬品が、第1の医薬品に対して「新たな市場」を開拓するものではないのなら、そもそも延長する必要はなかったのだから、5年延長したことの意味がなくなってしまうことは理にかなっている。

このように、延長された特許権の効力を「後発薬」に設定した場合、延長の可否判断の場面において、わざわざ「新たな市場を開拓したか否か」を判断することなく延長を認めても、おおよそ妥当な結果が得られるように見える。 「新たな市場を開拓したか否か」は、第1の医薬品の後発薬が参入してくることにより、市場原理により自動的に判断されることになり、「新たな市場を開拓した部分」があれば、その部分については第2の医薬品の延長期間が終わるまでは守られ、「新たな市場を開拓した部分」がなければ、第1の医薬品の後発薬が参入することにより、第2の医薬品で延長したことの意味は自然となくなることになる。 したがって、上記の(2)で問題にした、「後行医薬品が先行医薬品に対して適用対象を広げたかどうかはどうやって判断するのか」という点については、そもそも判断する必要はないじゃないか、ということになる。

私が2014年にSotoku 1号を書いた当時は、これと類似したことを考えていた。 つまり、後発医薬品に権利行使できる特許の延長期間は、その後発薬の承認を受けるにあたって依拠した先行医薬品の延長期間だということにしておけば、たとえ特許権者の似たような複数の医薬品に関して、延長期間の異なる複数の延長を認めたとしても、後発者は、どの先行医薬品の後発薬を出すかを自由に選択することができるのだから不利益を受けないだろうと考えていた。


(6)市場原理が働かない医薬品市場においては、市場原理を前提とする制度設計はできない

上の(5)で説明したように、延長された特許権の効力範囲を後発薬に設定すれば、特許権者による複数の延長を許容しても問題は起きないように見える。 しかしこれがうまく行くためには、特許権者が販売した複数の医薬品について、後発者は自由に選択して後発薬の承認を受けることが可能である必要があり、また、そうして販売された後発薬が、市場原理に基づいて需要者に選択される環境が整っている必要がある。 ところが、医療用医薬品の市場はそのような市場ではないのだ。

例えばイレッサの延長問題に関して田村先生は、イレッサの2回目の承認医薬品によって、もし実施の範囲が拡大したのであれば、延長は認めてよいのではないかと論じている(以下に引用)。

[田村善之, 知的財産法政策学研究 Vol.49 (2017) 389-452の420ページ]
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そして上記の(5)の考え方に基づけば、イレッサの2回目の承認によって延長した特許権の効力が、1回目の承認医薬品の後発薬に及ばない限りは、実施の範囲が拡大したのか否かを確認せずに延長しても構わないということになる。 すなわち、もしイレッサの2回目の承認医薬品が市場を拡大するものではないのなら、イレッサの1回目の承認医薬品の後発薬の販売が解禁されることにより、イレッサの市場は後発者に開放され、特許権者の医薬品の市場シェアは、市場原理によってイレッサの2回目の承認医薬品もろとも低下するはずであるから、イレッサの2回目の承認に基づいて延長を認めたとしても、特許権者が不当な利益を受けることにはならないはずである。

しかしイレッサの場合、現実には1回目の承認医薬品の後発薬を販売することは不可能だった。 なぜなら、2回目の承認と同時にイレッサは、1回目の承認医薬品(EGFR遺伝子に変異があってもなくても投与できる医薬品であって、化学療法未治療患者への適用について注意書きあり)から2回目の承認医薬品(EGFR遺伝子に変異がある患者だけに投与できる医薬品であって、化学療法未治療患者への適用について注意書きなし)へと販売が切り替わり、イレッサの1回目の承認医薬品は後発薬として承認され得なくなってしまったからだ。 ある医薬品について、薬剤の安定性や、有効性や、稀に起こる副作用等に関して、未だ見つかっていない潜在的な問題がある場合、あるいはそうした問題が見つかったとしてもそれが許容範囲内である場合は、その医薬品の販売の継続は認められ、特許権者は利益を上げ続けることができる。 しかし、その問題を改善する改変医薬品について特許権者がいったん承認を受ければ、旧医薬品から新医薬品へと販売は切り替わり、旧医薬品はもはや誰も販売することはできなくなる。

つまり、特許権者に対しては実施が許可されて販売できた医薬品が、後発者には実施が許可されなくなるということが薬事制度においては起こるのであり、特許権者としては、これを逆手に取ることで、先行医薬品を独占実施しつつ、それを改良した後行医薬品を開発し、先行医薬品から後行医薬品に切り替えることで、自分たちは販売できた先行医薬品を、他者には販売できなくすることも可能となる。

また、先行医薬品の後発薬を販売できればよいというものではない。 そもそも上記(5)の考え方は、先行医薬品の後発薬と、特許権者の後行医薬品が、市場原理にしたがって自由に選択されることを想定しているものだ。 しかし医療用医薬品の市場は、厚労省による規制や指導と保険制度のもとに成り立っている市場であって、コストを払う者が医薬品を自由に選択する仕組みになっていない。 命や健康にかかわる医薬品の選択においては、少しでもよい(あるいはブランド力のある)医薬を使いたいという意向が医師側も患者側も働く一方で、医薬品のコストの大半は保険制度によって国が賄っているため、市場原理によるバランスの実現が期待できない。 また、そもそも医療を市場原理にゆだねることは適切ではないと考えられているからこそ、薬事制度や保険制度は存在するのだ。

そのような環境下で、「市場が重複している部分は市場原理に基づいて後発薬がシェアを取るはずだから」という前提で制度設計を行なえば、先発薬メーカーとしては、病院側に自分たちの薬を選択させるために、あるいは自分たちの薬以外の選択肢をなくしてしまうために、薬事規制や保険制度を最大限利用すること、言い換えれば、如何に自由市場における市場原理から乖離した状態を実現させるかを考えることが、利益を最大化させるために採るべき経営戦略となってしまう。

このように、市場原理が働かない医薬品市場において市場が重なり合う後行医薬品について延長期間の異なる延長を認めてしまっては、それを逆手に取った延長戦略が横行し、かえって市場の公平性や健全性を損なうことになるだろう。 それを避けるためには、本来は市場原理によって実現されるであろう適切なバランスからの逸脱を人の手によって防ぐこと、すなわち、衡平の理念にもとる行為ができないように制度を設計することが求められるのだと思う。

市場競合性を加味した範囲を設定し、その範囲では複数の延長期間の設定を認めない代わりに、後発薬の参入を広く阻止することによって、特許権者が確実に利益を回収できるようにすること、そして延長期間が終了したときには、特許権者の後行医薬品によって市場価値が低下している最初の医薬品に対する特許権だけを消失させて良しとするのではなく、延長制度が与えてきた特許権者に対する利益手段の実質が後発者に手渡されるようにすること、という制度設計が重要だと私が考えるようになったのは、以上のような理由からだ。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする