2018年01月22日

マキサカルシトール事件大合議判決は高林説を否定したのか(Sotoku 9号)(出願時同効材の均等論第5要件と出願人の帰責性)


Sotoku, 通号9号, 1-40 (2018) (published online on 22-01-2018)

タイトル: 出願時同効材の均等論適用に関する「マキサカルシトール事件」の知財高裁大合議判決(平成27年(ネ)第10014号)はボールスプライン軸受事件(平成6年(オ)1083号)で最高裁が示した5要件を判断したものであったのか、それとも単に“融通性のある文言解釈”を行ったに過ぎないのか

著者:  想特 一三 (Sotoku Ichizo)

出願時同効材の均等論適用に関する「マキサカルシトール事件」の知財高裁大合議判決(平成27年(ネ)第10014号)はボールスプライン軸受事件(平成6年(オ)第1083号)で最高裁が示した5要件を判断したものであったのか、それとも単に“融通性のある文言解釈”を行ったに過ぎないのか


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『マキサカルシトール事件』の最高裁判決に関しては、前回の投稿で書いた高林先生の『標準特許法 第6版』につづき、田中孝一元最高裁調査官による最判解説が掲載された『年報知的財産法2017-2018』(日本評論社)が先月出版され、さらにほぼ同時に、本命となる田中先生による調査官解説が『法曹時報』の12月号に掲載された。

それにしても、田中先生による(と思われる)『マキサカルシトール事件』判決の解説は、これまでにいくつ読んだだろうか。

 ・田中孝一, Law and Technology No.76 (2017) 70-80
 ・田中孝一, ジュリスト No.1511 (2017年10月号) 106-109
 ・判例タイムズ No.1440 (2017年11月号) 117-125 (匿名解説)
 ・判例時報 No.2349 (2017) 76-83 (匿名解説)
 ・田中孝一, 「年報知的財産法2017-2018」 (高林龍・三村量一・上野達弘 編) 日本評論社 (2017) 14-24
 ・田中孝一, 法曹時報 Vol.69, No. 12 (2017) 3847-3878
 ・・・

しかも内容は基本的に同じなのだ。 まぁ、書いてあることが違っていたら逆に変だが・・・。

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さて、9月20日の投稿でも書いた通り、今回の均等論の大合議判決(平成27年(ネ)10014)や最高裁判決(平成28(受)1242)については、「特許侵害」という最終結論については反対はしないものの、第5要件の判断基準の判示については私は批判的で、裁判所が示した判断基準は特許権者に対して甘すぎだと思う。 そして本稿の「6.」〜「8.」節に書いた通り、私と同じように思っているであろう人たちは他にもいると思われるのだが、判決後に出された論文の中で、判決に対する批判をはっきりと打ち出したようなものは残念ながらほとんど見当たらない。 愛知先生の「Law and Technology No.74 (2017) 75-83」(82ページ)くらいだろうか。 愛知先生はその論文の中で、「 ……、本大合議判決は、…。……と述べる。 しかし、…… ではなかろうか。 さらに、……と説く。 しかし、……。 …… ではないだろうか。」(82ページ)という感じで、大合議判決の説示に反論されている。 しかしそうした反論も大合議判決までで、最高裁判決に関する愛知先生の評論(TKCローライブラリー 新・判例解説Watch 文献No. z18817009-00-111131515)では、かえって逆方向、つまり出願時同効材が明細書ではなく出願人(特許権者)の論文に記載されている場合に関して特許権者を擁護するような考察が行われているだけで、特許権者に対して甘すぎるという論調はなくなってしまった。

しかしそれでいいのでしょうか・・・・?

ということで、今さらだが大合議判決の評釈を書いた。

なぜ「最高裁判決」に対する評釈ではなく「大合議判決」に対する評釈なのかというと、最高裁判決は、原審(大合議判決)の「第5要件」の判断の是非についてのみ判示を行い、「第1要件」に関しては判示を行わなかったからだ。 しかし本稿で詳しく説明する通り、「第5要件」だけを検討したのでは、今回の大合議判決で知財高裁がしたことの全体像は分からない。 それを理解するためには、大合議判決の「第1要件」と「第5要件」をセットで検討することが不可欠だと思う。

「第5要件」に関して大合議判決は、出願時同効材を「出願人が,出願時に,・・・ 代替するものとして認識していたものと客観的,外形的にみて認められるとき,例えば,・・・ 明細書に ・・・ 記載しているとみることができるとき ・・・ は, ・・・ 第5要件における『特段の事情』に当たる」と説示した。 しかし、明細書や出願人の論文に記載されているときに限って第5要件で均等を否定すればよいなどという基準は、見るからに硬直的だ。 また、クレームしていないものに対し、特許権者が後出し的に「均等だ」と主張することを容易にしてしまう点で、特許権者のモラルハザードを助長する基準だと思う。 それなのに最高裁判決は、大合議判決が示したこの「第5要件」の基準を基本的に是認してしまった。 これらに対する批判は本稿の「11.」節までに書いた。

しかしより注目すべきだと思うのは、特許侵害の判断のエキスパートである知財高裁が、「第5要件」に関してなぜあのような説示を行ってしまったのかということだ。 そして、それを理解する鍵となるのが「第1要件」に関して大合議が説示した内容であって、「第1要件」の判示と「第5要件」の判示を合せて考えることで、今回の事件で大合議がしたことの意味が見えてくるというのが今回の Sotoku 9号 の内容だ。 その意味で、本稿が意義深いものとなるかどうかは、大合議判決の「第1要件」の判示について検討を行っている「12.」節に同感してもらえるか否かにかかっている。 しかし「第1要件」は技術的な内容が関わるところでもあり、読む人にどれほど同感してもらえるかは少し自信がない。 私の言っていることが間違っておらず、人に同感してもらえるものであればいいのだが・・・。

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ところで前回の投稿で話題にした通り、早大の高林龍先生は、出願時同効材に対する均等論の適用には否定的で、出願時同効材に対しては均等論を適用するのではなく「文言解釈に柔軟性を持たせることで十分」だと論じていた(『標準特許法 第5版』有斐閣 2014, 155頁)。 これが高林先生の「融通性のある文言解釈」論だ。

私が高林先生の「融通性のある文言解釈」論を知った当初は、失礼ながら正直に言って、「なにまた変なこと言ってんの?」と思っていた。 なにしろ、ボールスプラインの最高裁判決で均等論が認められることとなり、最高裁調査官を務めた三村量一先生の判例解説(最高裁判所判例解説 民事篇 平10年度(上), 2001 法曹会, 112-185頁)において、「出願時同効材」についても基本的にはボールスプライン最判の5要件が適用されることが明言され、仮に均等を否定する必要がある場合は「第5要件」で否定することがはっきりと論じられているのだから、今後はその線に合わせて考えていけばよいものを、高林先生一人が均等論の適用を否定して「融通性のある文言解釈」を使えと唱えたところで、他の人はなかなかその考え方に乗れるものではないのではないか。

事実、高林先生の「融通性のある文言解釈」論は、ほとんど誰も乗ることはなく、今回の判決で否定されるような恰好になってしまったことは前回の投稿で書いた。

ところが、だ

本稿の「12.」節を読んで納得できるのなら同感してもらえるだろうが、今回の大合議判決の判決文を読むと、「第1要件」の判断に関して大合議がやっていることは、実質的には「融通性のある文言解釈」となんら変わらないではないか!

すなわち大合議判決は、表向きは高林説をきっぱり否定しているにもかかわらず、「第1要件」の判断でやっていることはまさに高林説なのだ。 つまり本稿の本文中にも書いたように、「高林説を否定しようとして、図らずも高林説で判断してしまった」のが、今回の大合議判決だというのが私の理解だ。 そこが今回の大合議判決の面白いところであり、また、そういうことだったのかと納得できるところだと思う。(つまり大合議がやったことはまだ分かる。 それに対して、「第1要件」の判断に触れることなく、大合議が行った「第5要件」の判断だけを切り取って是認してしまった最高裁は救いようがない。)

高林先生に関しては、こういう「気が付けば高林説」ということは結構あるような気がしている。 例えばプロダクト・バイ・プロセス・クレームの解釈に関しては、「物同一説」と「製法限定説」の対立があり、高林先生は「製法限定説」を支持しながらも、たとえ「物同一説」で解釈しても、権利行使できる範囲は「製法限定説」と同じだと論じていた(知的財産権 法理と提言 (牧野傘寿記念) 青林書院, 2013, 302-320の319ページ)。 この発言も、「物同一説」論者からすれば、「なに変なこと言ってんの」という感じだろう。 「物同一説」の方が広いに決まっているではないかと。 しかし実際には、Sotoku 通号6号 の脚注42で取り上げた通り、高林説は真実を突いている。 「物同一説」で権利行使したくても、物の構造が分からない限りは、「物同一説」で権利行使しようがないのだから。 「プラバスタチンナトリウム事件」で最高裁は「物同一説」を判示したが、それでどうなる? 不可能・非実際的事情を満たすPBPクレームのほとんどは、物の構造が分からない以上、「製法限定説」でしか権利行使のしようがない。 このようにPBPクレームの解釈問題に関しても、いずれは高林先生の言っている通りだったということになっていくだろう。

また、本稿の中でも取り上げているが、均等論の判断に関して高林先生は、「第1要件」には、「第1要件」〜「第5要件」のすべての要件が含まれていて、「第1要件」〜「第5要件」のすべてが均等成立の要件を満たしたときに、初めて「第1要件」は満たされるということを論じている。 これも多くの人は、「ボールスプライン事件で最高裁がせっかく要件を5つに分けたのに、なんでまた混ぜこぜにするのか」と思っているだろう。 例えば『知的財産法の要件事実 (法科大学院要件事実研究所報第14号)』(2016, 日本評論社) で伊藤滋夫先生は、高林先生のこの考え方を理解困難だと批判している。 かくいう私も、安易に混ぜこぜにすることに対しては批判的ではあるが、本稿の「12.」節で書いた通り、今回の大合議判決で知財高裁自身が事実上そういう判断(つまり、「第1要件」の中に「第5要件」の要素を混ぜ込んで判断すること)を行っているのを見ると、あながち高林先生の考え方を否定すればよいというものでもない気がしてくる。 むしろ多くの裁判官にとっては、そういう考え方の方がぴったりくる、あるいは、そういう考え方しかできないのかも知れない。

このように高林先生の言っていることは、一見するとおかしいと思うことでも、知らないうちに高林先生の考え方に戻ってきてしまう。 今回の大合議判決は、高林説が持つマジックのような一面を象徴していると思う。

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ところで今回の Sotoku 9号では、わりと強引に「高林説は実質的には三村説や大野説と同じである」ということにしてしまった。 しかし、これには私の希望も入っているかも知れない。 「融通性のある文言解釈論」は実質上「均等論」と同じであることは高林先生自身も認めているのだから、高林先生には、これからは自説を「均等論」として論じてもらい、他の人も乗りやすい考え方を説いてもらう方がよいのではないかな、と思っている。

なお、京大の愛知先生の考え方に関しても、できれば三村説や大野説の仲間にしたかったのだけれど、愛知先生の書いたものを読む限り、それはちょっと難しそうだったので、申し訳ないと思いつつ本稿では愛知説だけ仲間外れのように扱ってしまった。 しかし本稿でも紹介した通り、大合議判決後に書かれた愛知先生の論文(上述の L&T Vol.74)を読む限り、三村説に近づいている感じもする。 三村・高林・愛知・大野、そして出願時同効材に関して出願人の帰責性(換言すれば、クレームの文言が第三者に与える「それはクレームされていない」という客観的・外形的理解)を考慮すべきだと思っているすべての方々には、これからもあるべき均等論を論じて頂くことを期待しよう。

最後に、今回の Sotoku 9号では、大合議判決や最判の判示を素直に受け取り、「出願時同効材が明細書等に記載されていない限りは、基本的には第5要件の特段の事情には当たらない」という判示だと捉えている。 しかしこれについては、最高裁判決のもとでも、出願時同効材が本当に容易に記載できたはずのものである場合には、たとえ明細書等に記載されていなくても、「出願人はあえてクレームに記載しない旨を表示しているも同然だ」と捉えて均等を否定することも、解釈論として不可能ではないかも知れない。 しかし、私は初めからそういう立場は採りたくないのだ。 この判決を素直に受け取ったのでは問題があるということを認識してもらった上で、それを補うためにどういう解釈論が必要かを模索するというのならともかく、判決を批判せずにそういう立場をとってしまうと、すべてはたまむし色になり学説の進展が望めなくなる。 本稿では論点をはっきりさせるために、判決は「明細書等の記載」という明確な外形的証拠がない限りは出願人の帰責性を不問にすることを判示したと解し、それが不適切だと論じた。 今回の判決に対する私の解釈が正しくないというのなら、この判決を支持した側(すなわち高林・三村・愛知・大野を批判した側)にこそ、解釈論を論じて頂くことが求められるだろう。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする