2018年06月22日

玉井克哉先生の「アレルギー性眼疾患治療薬事件」評釈 自治研究 94(6) 136-150 (2018)(平成29年(行ケ)10003)


この事件の特許「アレルギー性眼疾患を処置するためのドキセピン誘導体を含有する局所的眼科用処方物」(特許3068858号)は、オロパタジン塩酸塩を有効成分とする抗アレルギー点眼剤「パタノール®点眼液」に対応すると思われる特許だ。 この特許に対して起こされた無効審判(無効2011-800018)において、特許庁の審判部は2回連続してこの特許は「進歩性あり」と判断したが、知財高裁は2回とも「進歩性なし」として特許庁の審決を取り消した。

特に、2回目の審判および訴訟で争点となったのは、この薬剤が有している、ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出を阻害する活性(ヒト結膜肥満細胞の安定化効果)が、この発明の進歩性を認めるに足る「顕著な効果」だといえるのかという点である。 これについて裁判所は、「本件発明1の効果は,当業者において,・・・,予測し難い顕著なものであるということはできず,本件審決における本件発明1の効果に係る判断には誤りがある。」として審決を取り消すと共に、判決文の最後に付した付言の中で、今回の進歩性の争点については、当事者は、前回の審判・訴訟において主張・立証を行うことができたものであり、前回の判決の確定後にこれを争うことは訴訟経済に反し、判決の拘束力(行政事件訴訟法33条1項)の趣旨に照らして問題がある旨を指摘した(平成29(行ケ)10003; 平成29年11月21日判決;高部眞規子裁判長)。

今回の論文は、この判決が東大の行政判例研究会で検討対象となったことを受けて玉井先生がお書きになったもののようだ。 論文全体は論理立てて判決を批判するものとなっており、そのような論文はあまり出ないので貴重な論文かも知れない。

とは言うものの、この論文に書かれていること全部に賛成できるかというとそうでもないので、気になったところをいくつか取り上げてみたい。

*   *   *

1.容易に想到できるものでも、「顕著な効果」があれば一般に進歩性は認められるのか?

今回の玉井論文では、論文の最初の方で次のように論じられている。

[自治研究 94(6) 136-150 (2018) 140ページ]
発明について進歩性を基礎づけるには、当該発明の構成を当業者が容易に想到できなかったことか(構成非容易性)、実際に構成した場合に予測を超えた著しい効果を発揮したことか(効果顕著性)、いずれか一方があれば足りる

つまり、容易に想到できるものであっても、予測を超えた著しい効果(効果顕著性)があれば進歩性は肯定されるのだと論じられており、これを前提にして話が進んでいく。 確かに私も昔は、「顕著な効果があれば進歩性あり」ということを前提にしたような投稿(2015年7月28日)をしていたこともあった(反省)。 しかし、Sotoku 6号を書いているころによく考えて、今では、進歩性は容易に到達できないものに認めるべきで、「顕著な効果」は進歩性を認めるための十分条件にはならないと考えているので、玉井論文のように、構成非容易性か効果顕著性の「いずれか一方があれば足りる」と明言されてしまうと、ちょっと引っかかってしまう。

この問題は、学説上も争いがないわけではない。 例えば北大の田村善之先生は、顕著な効果はあるものの、すぐに発明できるようなものについて、「・・・ 発見されるのも間近であったといえ,それが予測し難い顕著な効果であるからといって,あえて特許を与える必要はないように思われる。」と論じている(田村善之, パテント (2016) Vol. 69, No. 5 (別冊No. 15) 1-12の9ページ)。 私も田村先生と同意見だ(Sotoku 6 号, 111ページ)。

但し、そう思っている人はかなり少数派かも知れない。 玉井論文の140ページで 平成27年(行ケ)10054(H28.3.30判決;清水節裁判長)や 平成28年(行ケ)10005(H29.1.18;設樂隆一裁判長)が挙げられている通り、裁判所は「効果が顕著なら進歩性あり」といった一般論をときどき説示するし、中でも清水節先生(知財高裁前所長)などは講演でもそういう単純な図式で進歩性を解説している。 しかし、例えばある効果に関して、その効果の程度が調べられることになるのは時間の問題となっている場合は、その効果が評価されて、いくら予想外の高い効果であったからといって、田村先生が言うように「発見されるのも間近」だったのであり、それにより進歩性を認めるのはおかしいのではないか? 本件の場合も、それが当てはまり得る事例のような気もする。

また、今回は特許庁の審判合議体は進歩性を認める判断を行っているとはいえ、特許庁の現在の審査基準を見る限り、「顕著な効果」の取り扱いについては、先ほど挙げた2015年7月28日の投稿でも書いた通り、特許庁は一歩引いた感じになっており、「顕著な効果があれば、即、進歩性あり」ということではなくて、あくまで「総合考慮の中の一つの事情」という位置づけになっているように思う。

ということで、この問題については私は分が悪いかも知れないけれど、「顕著な効果」があれば進歩性は認められるということは、どのような場面でも成り立つ前提とまでは言えないのではないか、ということは指摘しておきたい。 今回の事案の効果が進歩性を認めるに値するものであるのかについては、後でもう少し詳しく考える。


2.既存の効果と同レベルに過ぎないものでも、実用レベルであれば「顕著な効果」とみなすべきなのか?

これも、玉井論文の最初の方で論じられているが、具体的には次のように論じられている。

[自治研究 94(6) 136-150 (2018) 141ページ]
 医薬品分野においては、他の分野とは異なり、既存発明と同程度の効果を発揮するに過ぎない技術的創作であっても、原則として有意味な実用的効果を有する、と考えるべきである。 それは、三つの事情による。 第一に、生物としてのヒトの個体差があるために、投与される患者によって、効能に差異が生ずることである。 また第二に、予期されなかった副作用がしばしば既存医薬品に見つかることである。 さらに第三に、薬効以外の重要な性質についても、医薬品ごとに重大な相違がありうることである。 そうした事情があるために、既存医薬品と同程度の効能を有する医薬品を創出する発明は、医薬品分野における多様性をもたらすものとして、効果顕著性ありとすべきである

これに続いて玉井論文では、既存薬と効果が同程度のものに特許を与えないと、一部の患者で既存薬が効かないことが後日わかった場合に、代替薬がないことになってしまうこと、既存薬で重大な副作用が後日生じた場合に代替薬がないことになってしまうこと、既存薬が保存性に欠けることが後日わかった場合に代替薬がないことになってしまうことなどが指摘され、そのような場合に備えて選択肢を揃えておくこと自体を技術的「進歩」だと考えるべきだからだと論じられている。

しかしこれもどうなのだろうか。 そういう話を言い出すと、どんなものでも特許にしてよい理由は見つけられるような気もする。 実際のところ、ある化合物が知られていたとして、これを薬にすればよいことは誰もが分かっているが、特許がないがためにどの製薬会社も薬を開発しようとしない場合、玉井論文の趣旨からすれば、代替薬を揃えること自体をサポートすべきだということになりそうだから、治験に手を挙げた製薬メーカーに特別に特許を与えるべきだということになりかねないのではないか。 確かに代替薬を幅広く揃えておくことのメリットはあるだろうが、結局のところ、この問題は特許制度における技術的問題というよりは、薬事行政において創薬をどうサポートしていくかという問題であって、特許制度において進歩性のレベルを調整して解決すべき問題というよりは、薬事制度において取り扱うべき問題のような気がする。

それに、安易に進歩性のレベルを下げれば、都合よく利用されてしまう心配もある。 例えば、自社の既存薬の組成をちょっとだけ変えた。 すると、安定性がわずかに向上した。 これに特許性を認めてしまうと、大して向上もしていない改良薬に対して次々と特許が取られ、改良薬への切り替えが図られることで、薬事制度上、古い薬の後発薬は出しにくくなってしまうかも知れない。 薬の選択肢をなるべく多くしておいた方がいいから、という理由で進歩性のレベルを下げることで、本当に総合的に妥当な結果となるのかは疑問が多いと思う。


3.効果の顕著性の主張を斥けてよい「本件に固有の特別な事情」は認められないのか?

本件の経緯をもう一度簡単に説明すると、本件は進歩性の有無が争われた事件であり、上述のとおり無効審判においていったんは「進歩性あり」という審決(前審決)がなされたが、審決取消訴訟(前訴;平成25年(行ケ)10058)において「進歩性なし」としてその審決が取り消された。 しかしその時点までは、この発明の「効果の程度」、すなわち効果が「顕著」であるか否かは明示的にはなんら主張も判断もされていなかった。 そして次の審決(本件審決)において、前訴と同一の発明(請求項1)に関して効果の程度が検討され、「効果が顕著」であることを理由に「進歩性あり」という審決がなされた。 つまり特許庁は、知財高裁が「進歩性なし」と判断した発明について、「効果が顕著である」ことをもって「進歩性あり」という審決を行ったことになる。

この審決の取消を争ったのが今回の訴訟(本件訴訟)であり、本件判決で裁判所は、効果の程度を判断した上で進歩性を否定して審決を取消した。 のみならず、判決文の一番最後で、「なお,本件審判の審理について付言する。」とした上で、以下のような説示を行った。(なお本件では審判が3回行われており、私や玉井論文が「前審決」と言っているものは、以下の判決文の「第2次審判」の審決に対応する。)

平成29(行ケ)10003 判決文PDF 35ページ]
 なお,本件審判の審理について付言する。
・・・。
 発明の容易想到性については,主引用発明に副引用発明を適用する動機付けや阻害要因の有無のほか,当該発明における予測し難い顕著な効果の有無等も考慮して判断されるべきものであり,当事者は,第2次審判及びその審決取消訴訟において,特定の引用例に基づく容易想到性を肯定する事実の主張立証も,・・・ ,行うことができたものである。 これを主張立証することなく前訴判決を確定させた後,再び開始された本件審判手続に至って,・・・,前訴と同一の引用例 ・・・ から,前訴と同一で訂正されていない本件発明1を,当業者が容易に発明することができなかったとの主張立証を許すことは,特許庁と裁判所の間で事件が際限なく往復することになりかねず,訴訟経済に反するもので,行政事件訴訟法33条1項の規定の趣旨に照らし,問題があったといわざるを得ない。

これについて玉井論文では次のように論じられている。

[自治研究 94(6) 136-150 (2018) 142ページ]
 まず、前提として確認しておくべきことは、前審決においても前訴においても、判断の対象となったのは専ら構成非容易性であって、効果顕著性はまったく判断されていなかった、ということである。 ・・・ 前審決は、・・・ 遊離抑制作用を有するヒト用の点眼薬を想到するのは容易ではない(構成非容易)だとし、前訴判決は、・・・ 効果を確認するのは当然だから構成が容易だとしたものである。 ・・・。
 ・・・。 ・・・、前訴確定判決の拘束力は、効果顕著性については生じない。
 ・・・。
 ・・・ 前審決以降の具体的な経緯に照らしてみても、効果顕著性についての攻防を前訴で当事者が尽くしておくべきだったとするような、特別な事情は見当たらない。 前訴は、専ら構成非容易性のみを判断対象とした前審決の取消しを原告が訴求したものだったから、構成が容易で前審決が誤りだとの判断だけで審決の取消しには十分であって、それを超えて、効果顕著性について判断する必要はなかった。・・・。
 このように考えると、本判決は、本件に固有な特別の事情があったから被告特許権者が構成非容易性と効果顕著性の両方について前訴から主張立証を遂げておくべきだったというのではなく、無効審判請求を受けた特許権者は、一般にその両方を主張し、判断を得ておくべきである、との立場だと見るべきである。 ・・・。 即ち、本判決は、・・・、構成非容易性と効果顕著性を常に、、同時に主張しておくべきだという立場を採っているわけである。

玉井論文が指摘している通り、前訴判決では「効果の顕著性」については判断されていない。今になってから判決文を見ると、前訴判決(平成25年(行ケ)10058;富田善範裁判長)は慎重に言葉を選んでいるようにも見える。 例えば本件発明の化合物(KW-4679)が本件効果(肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用)を持つことが容易であるか否かという説示において、前訴判決では次のように説示されている。

[前訴(平成25年(行ケ)10058)判決文より]
(PDF 89ページ)
・・・当業者は、甲1記載のKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みるに際し,KW-4679が上記二つの作用を有するかどうかの確認を当然に検討するものといえる。

(同89ページ)
この記載は,・・・,・・・薬理作用の一つとして肥満細胞からのヒスタミンなどの ・・・ 遊離抑制作用があることの仮説を述べるものであり,その仮説を検証するために,化合物Aについて肥満細胞からのヒスタミンなどの遊離抑制作用があるかどうかを確認する動機付けとなるものといえる。

(同89ページ)
・・・,甲1及び甲4に接した当業者においては,・・・,ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するかどうかを確認する動機付けがあるものと認められる。

このように前訴の裁判所の説示では、一貫して「遊離抑制作用を有するかどうかを確認する」という言い方が用いられており、「遊離抑制作用を確認する」というような一般化した表現は一度も用いられていない。 つまり裁判所は、ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用の「有無」を確認することは容易であると説示しているだけで、「作用の程度を確認することまでを含めて容易である」と受け取られるような説示はあえて避けているようにも感じられる。 この判決を見た特許権者や審判合議体が、「作用の顕著性」に基づく進歩性については、別途争う余地はあると感じたとしても無理はないかも知れない。

そして一般論としても、特許の無効を主張する無効審判請求人側が、無効審判において「発明の構成」が容易であることしか主張していないのであれば、特許権者はそれを否定する主張を行なえば足りるはずで、主張されていない事項(「効果が顕著とは言えないから無効」という主張)までも想定し、それについて否定する主張・立証を行わなければならないというのは一見しておかしい。

したがって、「構成が容易ではない」という主張と、「効果が顕著である」という主張を常に同時に行うことを強制するかのような今回の裁判所の付言を玉井論文が批判しているのはもっともでしょうね。 少なくとも一般論としては。。

そして、これについても玉井論文は釘を刺している。 上でも引用したが、強調を入れて再掲すれば以下の通り。

[自治研究 94(6) 136-150 (2018) ]
(144ページ)
・・・、前審決以降の具体的な経緯に照らしてみても、効果顕著性についての攻防を前訴で当事者が尽くしておくべきだったとするような、特別な事情は見当たらない

(同)
・・・、本判決は、本件に固有な特別の事情があったから被告特許権者が構成非容易性と効果顕著性の両方について前訴から主張立証を遂げておくべきだったというのではなく、無効審判請求を受けた特許権者は、一般にその両方を主張し、判断を得ておくべきである、との立場だと見るべきである。

つまり今回の裁判所の説示が、本件の固有の経緯によって許容できるような事情は見当たらないので、一般論としての批判は本件にも妥当するのだと指摘している。 これについても玉井論文を否定することはできないかも知れないけれど、それで終わりにしてしまうと裁判所がちょっと気の毒な気もするので、今回の判決や審決を読んで私が気がついた個別事情を以下に挙げておきたい。


3−1.拘束力に関する裁判所の説示は「付言」に過ぎない

まず強調しておきたいのは、本件発明の効果の「顕著性」について、今回の判決で裁判所は検討しているということ。 つまり今回の判決は、「効果の顕著性も前訴で主張立証しておくべきだった」と説示して門前払いしたわけではない。 本件発明の効果が進歩性を認めるに足る顕著なものであるかを検討した上で、それを否定したのだ。 「主張立証することができた」という説示は、判決の最後で「付言」として述べただけだ。

効果の顕著性を検討した上でそれを否定したという判断が、判決文の構成の中に、主文の結論を導くために必要な理由付けとして存在しており、「前訴で主張立証することができた」という説示は、主文の結論を導くためには必要のない単なる付言に過ぎないことからすれば、裁判所は、今回の判決で「効果の顕著性も最初の訴訟で主張しておかなければならない」という一般的な規範をこの判決で打ち立てようとしているとまでは解せないと思う。

玉井論文はこの付言を取り上げて批判し、「先例的価値のある形で早期に是正することが好ましい。」、「本件について、上告審の適切な判断が期待される次第である。」(150ページ)としているけれど、ちょっと大げさな気もする。。 まあ、どこまで本気なのかは分からないけれど。


3−2.効果に顕著性がないという判断は、まったく不当とまでは言えない

上述の通り、今回の判決では本件発明の効果の顕著性についても判断されているが、具体的には以下の通りだ。

本件発明の効果の顕著性を示す重要なデータとなるのが本件明細書に掲載されている「表1」で、そこでは本件発明の化合物に相当する「化合物A」が、ヒト結膜組織肥満細胞からのヒスタミン(炎症性メディエーター)の放出を用量依存的に抑制することが示されている。

[本件特許明細書(特許3068858号)より(赤字は追加したもの)]
JPB_0003068858t1c2.png

確かにこの表を見ると、既存薬(クロモリンやネドクロミル)に比べて本件発明の化合物(化合物A)だけが突出して高い効果(「92.6」とか、「66.7」とか)を発揮しているように見える。しかしこの表を見て感じる違和感は、本件発明の化合物(化合物A)以外の化合物の数値が低すぎるということ。 クロモリンは、阻害の値がマイナスになっていたりしている。 つまり、クロモリンは全く効果を発揮していない。 しかし、クロモリン等は抗アレルギー薬として使用されている薬である以上、抗アレルギー薬としての薬効がまったくないはずはないから、この表は、クロモリンやネドクロミルでは効果が現れない作用を調べていると解されるものだ。 つまりこの表は、実験に使用した細胞に対してヒスタミン放出を抑制するという作用機序で目に見える効果を発揮するのは、表の中で用いられている化合物の中では「化合物A」だけであることを示しているに過ぎず、クロモリンやネドクロミルの抗アレルギー薬としての薬効の顕著性が「化合物A」よりも劣ることを示しているわけではない。 クロモリンやネドクロミルは、そもそも別の細胞または別の作用機序で作用していることが推定される以上、ヒト結膜組織肥満細胞からのヒスタミンの放出抑制という効果の「顕著性」を判断するための比較対象として、これらの既存薬がふさわしいとは言えないだろう。 ヒト結膜組織肥満細胞からのヒスタミンの放出抑制という作用機序を持つであろう薬が今回初めて発見されたというのならともかく、そういう作用機序で作用すると考えられていた既存薬(例えばケトチフェンなど)は知られていたのだろうから、効果の「顕著性」を示したいというのであれば、そういう既存薬と比較しなければ、本件発明の化合物の効果が「顕著」なのか否かは判断できないのではないか。

そして、ヒスタミンの放出抑制という作用を発揮する既存薬と比べて本件発明の化合物(化合物A)がどうなのかという点について、今回の判決では以下のように判断されている。

平成29(行ケ)10003 判決文PDF 30-31ページ]
 また,・・・,化合物Aがヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するか否か及び同作用を有する場合にどの程度の効果を示すのかということについて,・・・,甲20等には,本件特許の優先日前にスギ花粉症患者11例ないし30例に対して,化合物A以外の化合物について,抗原による眼誘発試験(スギ抗原液を点眼することによるアレルギー反応誘発試験)を行い,点眼液の点眼後5分後及び10分後の涙液中のヒスタミン遊離抑制率を測定した結果,@ 0.0003%塩酸プロカテロール点眼液では,誘発5分後で平均79.0%及び誘発10分後で平均82.5%,同0.001%点眼液では,誘発5分後で平均81.6%及び誘発10分後で89.5%,同0.003%点眼液では,誘発5分後で平均81.7%及び誘発10分後で90.7%を(甲20),A 0.05%ケトチフェン点眼液では,誘発5分後で平均67.5%及び誘発10分後で平均67.2%を(甲32),B 2%クロモグリク酸二ナトリウム点眼液では,誘発5分後で平均73.8%及び誘発10分後で平均67.5%を(甲34),C 0.25%ペミロラストカリウム点眼液では,誘発5分後で平均71.8%及び誘発10分後で平均61.3%,同0.1%点眼液では,誘発5分後で平均69.6%及び誘発10分後で平均69.0%を(甲37),それぞれ記録した旨が開示されている。
 そうすると,当業者の本件特許の優先日における技術水準として,化合物Aのほかに,所定濃度を点眼することにより約70%ないし90%程度の高いヒスタミン放出阻害率を示す化合物が複数存在すること,その中には2.5倍から10倍程度の濃度範囲にわたって高いヒスタミン放出阻害効果を維持する化合物も存在することが認められる。
 以上のとおり,本件特許の優先日において,化合物A以外に,ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出に対する高い抑制効果を示す化合物が存在することが知られていたことなどの諸事情を考慮すると,本件明細書に記載された,本件発明1に係る化合物Aを含むヒト結膜肥満細胞安定化剤のヒスタミン遊離抑制効果が,当業者にとって当時の技術水準を参酌した上で予測することができる範囲を超えた顕著なものであるということはできない。・・・。
 したがって,本件発明1の効果は,当業者において,引用発明1及び引用発明2から容易に想到する本件発明1の構成を前提として,予測し難い顕著なものであるということはできず,本件審決における本件発明1の効果に係る判断には誤りがある。

このように、ヒトへの点眼投与においてヒスタミンの放出を抑えるという効果を奏する既存薬は存在していたことが分かり、そうした既存薬と比べて本件発明の化合物が突出して高い効果を発揮することが本件明細書に示されている事項から客観的に把握できるというわけでもない。

なおこの点について玉井論文では、「紙幅の関係で詳論することを得ないが、本判決が、ごくわずかな被験者への投与例から本件特許発明と同程度の効果を認定したことも、統計学的に支持できない認定手法である」(142ページの割注)とされている。 玉井論文はそれ以上の理由を述べていないので、具体的にどう不適切だと思っているのかは詳しくは分からないが、判決文の中で特許権者側が主張している通り、本件明細書の表1の実験は眼組織から単離した結膜肥満細胞を使ったインビトロ実験であるのに対し、裁判所が言及している甲20等の実験はヒト患者におけるインビボの実験であるから、そもそも両者の数値を単純には比較できないのは確かで、また、本件明細書の表1によれば有意なヒスタミン遊離抑制作用を示していないクロモリン(別名 クロモグリク酸)が、甲34のインビボ実験では、上記の判決文中の引用の通り、最大73.8%の抑制を示したとされているから、益々単純には比較できないことが示唆される。 仮に両方の実験が正しいのであれば、インビトロの実験(表1)からは、実際のヒト患者に投与した場合の効果(インビボの効果)は予測できないということになるだろう。

ちなみに、この点について本件審決(無効2011-800018;平成28年12月1日審決)で審判合議体は、「・・・ クロモリン ・・・ について、本件特許明細書に記載されたインビトロのモデル実験では効果が観測できなくてもヒトの臨床試験では大きな効果が認められたことは、本件特許明細書に記載のインビトロの実験手法の条件は、ヒトの臨床試験に用いる化合物を選別するための非常に厳しいスクリーニング条件であると考えられる余地がある。」などと説示し、非常に厳しいスクリーニングをパスして見出された本件発明の化合物はすばらしい、ということを匂わせているが、「余地がある」という表現を使っているとはいえ、特許権者側に一方的に有利な解釈を示唆するものだ。 公平に見れば、本件明細書の「表1」からも、上記の甲20等の記載からも、本件発明の化合物のヒスタミン遊離抑制作用が予測を超えて「顕著」であるか否かは判断はつかないというべきだろう。

おそらく、玉井論文でもそこは意識していたからこそ、上の「2.」で指摘したとおり、論文の最初で、既存の効果と同レベルに過ぎないものでも実用レベルであれば「顕著な効果」とみなすべきだという前提を置いたのだろうね。 でもその前提については、「2.」で書いた通り、私は全面的には賛成はできない。

なお、本件発明の薬剤を製品化した「パタノール®点眼液0.1%」 の承認審査の際に作成された医薬品医療機器総合機構(PMDA)の審査報告書(判決文の甲26)には、以下のように記載されている。

[パタノール®点眼液0.1% PMDA審査報告書 10ページ]
 抗ヒトIgE抗体によるヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン・・・遊離に及ぼす影響が検討された。 本薬はヒスタミン・・・遊離を濃度依存的に阻害し、IC50は・・・559±277μM・・・であった。 ・・・。 なお対照薬として用いたケトチフェンは濃度依存的にヒスタミン遊離を抑制し、IC50は22.9μMであった・・・。

この記載からすると、既存薬であるケトチフェンは、本件発明の化合物の1/24の濃度で同等の「ヒスタミン遊離抑制効果」を発揮することになる。


3−3.前訴では「構成非容易性」のみが判断されたという言い方は誤解を招きやすいのではないか

さて、玉井論文は、上述の通り「前審決においても前訴においても、判断の対象となったのは専ら構成非容易性であって、効果顕著性はまったく判断されていなかった」(142ページ)と指摘している。 確かにその通りだが、この「構成非容易性」という言い方は、本件においては誤解を招きやすいと思う。「構成非容易性」しか判断されていないという指摘を見ると、前審決や前訴では「医薬品の物質としての非容易性」のみが判断されたように感じてしまうが、本件の場合はそうではないからだ。 本件の無効審判が請求された際、本件特許のクレーム1は以下のようになっていた。

【請求項1】アレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な眼科用組成物であって、治療的有効量の11−(3−ジメチルアミノプロピリデン)−6,11−ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン−2−酢酸またはその薬学的に受容可能な塩を含有する、組成物。

すなわち、本件特許発明は当初、「アレルギー性眼疾患を処置するための」という用途で限定された組成物の発明だった。 これが、前審判における訂正請求によって以下の発明に訂正された。

【請求項1】ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な、点眼剤として調製された眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤であって、治療的有効量の11−(3−ジメチルアミノプロピリデン)−6,11−ジヒドロジベンズ[b,e]オキセピン−2−酢酸またはその薬学的に受容可能な塩を含有する、ヒト結膜肥満細胞安定化剤

つまり、「アレルギー性眼疾患を処置するための」という用途で限定された組成物の発明だったものが、「ヒト結膜肥満細胞安定化」という用途でさらに限定された「剤」の発明に変わったわけだ。 「・・・剤。」という表現は典型的な用途発明の表現であって、「ヒト結膜肥満細胞を安定化させる」という効果を発揮させる用途に限定された発明だ。 そして前訴では、この訂正請求によって特定された「ヒト結膜肥満細胞安定化」という用途を検討した上で、これを容易だと判断したのだから、「ヒト結膜肥満細胞を安定化させる」という効果にまさにスポットが当たった上で、その効果(があること)は容易だと判断されたことになる。

つまり、玉井論文は「構成非容易性」が判断されただけだというが、実際には、「効果の非容易性」も判断されているわけだ。 もちろん、訂正後のクレームは「肥満細胞安定化」という効果が発明特定事項としてクレームの構成に組み込まれている発明だから、「その効果までを含めた構成」の非容易性のみが判断されたという言い方は正しいが、「肥満細胞安定化」という効果について前訴で検討され、その効果(があること)は容易だと判断されているわけだから、「構成非容易性」のみが判断されたというよりは、「効果の存在の非容易性」も判断されたという方が、前訴で判断されたことの実態に合っていると思う。 したがって本件に則して今回の判決の「付言」を考えるとすれば、それは、『「効果の存在の非容易性」のみが明示的に判断されて進歩性が否定された後で、同じ効果の「顕著性」に基づいて進歩性を争うことができるのか』という問題だと考えることができるだろう。


3−4.効果の「顕著性」を表している本件明細書の「表1」は前訴で既に提示されている

上記の「3−2.」で説明した通り、本件発明の効果の顕著性を示す鍵となるのが本件明細書の「表1」だが、この「表1」は、前訴判決で既に取り上げられている。 具体的には、前訴において裁判所は以下のように説示している。

[前訴判決(平成25年(行ケ)10058)判決文より]
(PDF 35ページ)
 イ 訂正明細書(甲171)の【発明の詳細な説明】には,次のような記載がある(下記記載中に引用する「表1」ないし「表3」は別紙1を参照)。

(PDF 42ページ)
 (ク)「表1が明らかに示すように,抗アレルギー薬であるクロモグリク酸二ナトリウムおよびネドクロミルは,ヒト結膜肥満細胞脱顆粒を有意に阻害することができなかった。 対照的に,化合物A(シス異性体)は,肥満細胞脱顆粒の濃度依存的な阻害を引き起こした。」(8頁)

(PDF 別紙1)(判決文の最後に添付されているもの)
平成25(行ケ)10058_bessi1.png

このように、前訴において裁判所はこの「表1」を見た上で、既存薬(クロモリンやネドクロミル)とは対照的に、本件発明の化合物(化合物A)は肥満細胞からのヒスタミン放出の濃度依存的な阻害を引き起こしたことを認定している。 クロモリンやネドクロミルとは「対照的」であること、そして「用量依存性」があることを認定しているわけだから、裁判所は、「表1」中の「化合物A」の数値を他の既存薬の数値と見比べていることは明らかだろう。 そうすると、事実上、効果の顕著性を表している表1の「化合物A」の数値は裁判所によって見られているわけだ。 それでもなお前訴では、「程度」は判断していなかったと言えるのだろうか?

本件訴訟において特許権者は、「表1」を持ち出して本件発明の効果の「顕著性」を主張したわけだが、そのとき裁判所はおそらく、「その表は、前訴の判決文に添付したやつじゃん」と思ったことだろう。


3−5.前訴判決を“逆なで”するかのような本件審決の説示

既に述べた通り、本件判決は、本件審判(無効2011-800018;平成28年12月1日審決)の審決取消訴訟だが、この審判は前訴判決の確定後に再開されたものだから、前訴判決の拘束力が及ぶ。 それは本件審判でも十分に意識されていて、審決では以下のように説示されている。

[無効2011-800018 平成28年12月1日審決より]
(2)拘束力
 特許無効審判事件についての審決取消訴訟において、審決取消しの判決が確定した場合、審判官は特許法第181条第5項の規定に従い、当該審判事件について更に審理、審決をするが、審決取消訴訟は行政事件訴訟法の適用を受ける。よって、再度の審理、審決には、行政事件訴訟法第33条第1項の規定により、前審決を取消した判決の拘束力が及び、この拘束力は、判決主文が導き出せるのに必要な事実認定及び法律判断にわたるものである。
 当該拘束力について検討すると、前審決を取消した判決で判示された、本件特許の優先日当時の技術常識の認定(上記(1−1))、及び、甲1及び甲4に接した当業者は、甲1記載のアレルギー結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤を「ヒト結膜肥満細胞安定化剤」の用途に適用することを容易に想到することができたとする判断(上記(1−2))については、 前審決を取消した判決の拘束力が生ずるものというべきである。

ちなみに前訴判決では、以下のように説示されていた。

[前訴判決(平成25年(行ケ)10058)判決文]
(PDF 88ページ)
(イ) そして,本件特許の優先日当時,ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において,当該薬剤における肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどの各種の化学伝達物質(ケミカルメディエーター)に対する拮抗作用とそれらの化学伝達物質の肥満細胞からの遊離抑制作用の二つの作用を確認することが一般的に行われていたことは,前期(3)イ(ア)認定のとおりであるから,当業者は,甲1記載のKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みるに際し,KW-4679が上記二つの作用を有するかどうかの確認を当然に検討するものといえる。

(PDF 91ページ)
 以上によれば,甲1及び甲4に接した当業者は,甲1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる動機付けがあり,その適用を試みる際に,KW-4679が,ヒト結膜の肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどに対する拮抗作用を有することを確認するとともに,ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有することを確認する動機付けがあるというべきであるから,KW-4679についてヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(「ヒト結膜肥満細胞安定化」作用)を有することを確認し,「ヒト結膜肥満安定化剤」の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められる。
 したがって,本件訂正発明1及び2における「ヒト結膜肥満細胞安定化」という発明特定事項は,甲1及び甲4に記載のものからは動機付けられたものとはいえないとして,甲1を主引例とする進歩性欠如の原告主張の無効理由2は理由がないとした本件審決の判断は,誤りである。

つまり前訴判決では、「ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するかどうかを確認するのは当然だ」と言っているわけだ。これに対して本件審決は、上に引用したとおり、この判決の拘束力が及ぶのは『・・・、甲1及び甲4に接した当業者は、甲1記載のアレルギー結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤を「ヒト結膜肥満細胞安定化剤」の用途に適用することを容易に想到することができたとする判断』だと解した。 そして、本件審判において無効審判請求人が、甲1と甲4に基づいて進歩性を否定する主張を行ったことに対しては、審決は次のように説示した。

[無効2011-800018 平成28年12月1日審決より]
(2−3−4)本件訂正発明1による効果の顕著性

 上記「(2−3−2)」で指摘したように、当業者は、甲1(甲2の1及び甲2の2を参酌)及び甲4の記載を根拠として、化合物Aによる「ヒト結膜肥満細胞」に対する安定化効果(ヒスタミン放出阻害率)の程度を具体的に予測することはできない。
 本件訂正明細書の表1(摘記(iii))には、化合物Aによる「ヒト結膜肥満細胞」に対するヒスタミン放出阻害率は、2000μMという高用量(高濃度)に至るまで用量依存的に上昇し、ヒスタミン放出阻害率の最大値(2000μMで92.6%)は、対照薬物であるクロモリンナトリウムやネドクロミルナトリウムによる最大値(それぞれ10.6%、28.2%)と比較して著しく高い値であることが示されている
 甲1にはKW-4679(化合物AのZ体の塩酸塩)がモルモットの結膜肥満細胞を安定化する作用を有しないことが記載されているにもかかわらず、化合物Aが「ヒト結膜肥満細胞」に対してこのように非常に高いヒスタミン放出阻害率を有することは、当業者が予測し得ない格別顕著な効果であるといえる。
 ・・・。
 そうすると、甲39で示された「AL-4943A(化合物Aのシス異性体)は、最大値のヒスタミン放出阻害率を奏する濃度の範囲が非常に広い」という実験結果は、本件訂正明細書に記載の、化合物Aが「医薬品としての高い有用性」を有することに整合しており、しかも、当業者が予測し得ない格別顕著な効果であるといえる。
 以上のように、化合物Aは「ヒト結膜肥満細胞」に対して優れた安定化効果(高いヒスタミン放出阻害率)を有すること、また、AL-4943A(化合物Aのシス異性体)は最大値のヒスタミン放出阻害率を奏する濃度の範囲が非常に広いことは、いずれも甲1(甲2の1及び甲2の2を参酌)、甲4及び本件優先日当時の技術常識から当業者が予測し得ない格別顕著な効果であり、進歩性を判断するにあたり、甲1発明と比較した有利な効果として参酌すべきものである。
・・・。
 したがって、本件訂正発明1及び2はいずれも、甲1(甲2の1及び甲2の2を参酌)、甲4及び本件優先日当時の技術常識からみて当業者が容易に発明できたものとはいえないのであるから、請求人が主張する無効理由2(甲1を主引例とする進歩性)は、理由がない。

上記の説示にも私は異論はある。 「3−2.」で説明した通り、「表1」には、この実験系において有意な「ヒスタミン遊離抑制作用」が見られない既存薬(クロモリン等)との比較しか示されておらず、その効果を持つであろうケトチフェンなどの既存薬との比較は示されていないのだから、この表1の結果をもって本件審決が「著しく高い値であることが示されている」などと評するのは少し白々しくみえる。 また、本件審決が「甲1にはKW-4679(・・・)がモルモットの結膜肥満細胞を安定化する作用を有しないことが記載されているにもかかわらず」と評し、KW-4679(本件発明の化合物)に「(ヒト肥満細胞に対する)ヒスタミン遊離抑制作用」があることがさも予想外であるかのように認定している点については、前訴(平成25年(行ケ)10058の判決文 PDF90ページ)において裁判所が「・・・,甲1に,モルモットの動物結膜炎モデルにおける実験においてKW-4679がヒスタミン遊離抑制作用を有さなかったことが記載されていることは,KW-4679がヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するかどうかを確認する動機付けを否定する事由にはならない」と説示していることに加え、前訴判決文(PDF 50ページ)に甲1の記載が長文で引用されている通り、実際のところ甲1には「・・・結膜からのヒスタミン遊離に対する各薬物の効果を検討したところ,・・・. ・・・ ketotifenおよびKW-4679は無効であった.」 と記載されており、ヒト肥満細胞に対する「ヒスタミン遊離抑制作用」を有することが知られているケトチフェンにさえ、モルモットの細胞では「ヒスタミン遊離抑制作用」が検出できなかったことが記載されているのだから、甲1のこの記載を見た当業者は、甲1の実験は、あるはずの「(ヒト肥満細胞に対する)ヒスタミン遊離抑制作用」が検出できない実験系あるいは実験条件で実験が行われていると理解するはずで、この結果をもって、KW-4679には「(ヒト肥満細胞に対する)ヒスタミン遊離抑制作用」がないと予測することはないように思われる。

しかし、それにも増して問題だと思うのは、無効審判請求人が甲3と甲4に基づいて進歩性を否定する主張を行ったことに対して審決が行った以下の説示だ。(なお甲3には本件発明の化合物 (オロパタジン) を概念的に包含する化合物を抗アレルギー用途で眼科用に使用することが記載されており、甲4には本件発明の化合物 (オロパタジン) に高い抗炎症作用があることが記載されている。)

[無効2011-800018 平成28年12月1日審決より]
ウ.相違点2について
 請求人は、「甲4に接した当業者であれば、オロパタジンがヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離を抑制する効果を有することを期待」する旨を主張するが、上記「2.無効理由2」の「(2−3−2)甲1及び甲4に記載の、化合物Aによる効果」で指摘したように、甲4の記載に接した当業者が、甲4の「化合物番号20」の化合物(本件訂正発明1の化合物)がヒト結膜肥満細胞を安定化する作用を有すると予測することはできないのであるから、甲4の記載を根拠として、甲3発明を相違点2の「眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤」とすることが容易であるとはいえない
 なお、上記「2.無効理由2」の「(2−3−2)甲1及び甲4に記載の、化合物Aによる効果」で指摘したように、甲1の記載に接した当業者が、甲1のKW-4679(本件訂正発明1の化合物のZ体、甲2の1及び甲2の2を参酌)がヒト結膜肥満細胞を安定化する作用を有すると予測することはできないのであるから、 甲1の記載を根拠として、甲3発明を相違点2の「眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤」とすることが容易であるとはいえない
 仮に、甲4及び甲1(甲2の1及び甲2の2を参酌)の記載を参酌して、甲3のマーカッシュ形式の式(I)で示される化合物あるいはそれらの塩の中から、化合物Aを選択して用いて「ヒト結膜肥満細胞安定化剤」という用途に適用するに至る動機付けが否定されないとしても、上記「第2 無効理由2(甲1を主引例とする進歩性について)」で検討したように、本件訂正発明1及び2により奏される効果は、甲3、甲1(甲2の1及び甲2の2を参酌)、甲4及び本件優先日当時の技術常識から当業者が予測できない格別顕著な効果であって、進歩性を判断するにあたり、甲3発明と比較した有利な効果として参酌すべきものである。

問題は上の引用の前半部分だ。 審決は、『(本件訂正発明1の化合物)がヒト結膜肥満細胞を安定化する作用を有すると予測することはできないのであるから、・・・、「眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤」とすることが容易であるとはいえない』、『甲1のKW-4679(本件訂正発明1の化合物のZ体、・・・)がヒト結膜肥満細胞を安定化する作用を有すると予測することはできないのであるから、甲1の記載を根拠として、・・・「眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤」とすることが容易であるとはいえない。』と説示した。 つまり審決は、甲1のKW-4679(本件発明の化合物)がヒト結膜肥満細胞の安定化作用(ヒスタミン遊離抑制作用)を有すると予測することはできないのであるから、効果の顕著性を考慮するまでもなく、「眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤」という発明は容易想到ではないと説示したのだ。 前訴判決では、ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するかどうかを確認する動機付けはあったと説示されていたにもかかわらずだ。

つまりこの審決は、前訴判決の拘束力は、甲1と甲4に基づく容易想到性の判断にしか及ばないと解し、甲3と甲4に基づく判断においては、本件発明の化合物に本件効果(ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用)が存在することだけをもって、効果の顕著性を考慮するまでもなく進歩性を肯定したことになる。 こんな理屈は成り立つのだろうか?

前訴判決がどう判示していたのか改めて見てみる。

[前訴判決(平成25年(行ケ)10058)判決文]
(PDF 88ページ)
そして,前期(3)イ(イ)認定のとおり、本件特許の優先日当時,アレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において,ヒトのアレルギー性結膜炎に類似するモデルとしてラット,モルモットの動物結膜炎モデルが作製され,点眼効果等の薬剤の効果判定に用いられていたこと,本件特許の優先日当時販売されていたヒトにおける抗アレルギー点眼剤の添付文書(「薬効・薬理」欄)には,各有効成分がラット,モルモットの動物結膜炎モデルにおいて結膜炎抑制作用を示したことや,ラットの腹腔肥満細胞等からのヒスタミン等の化学伝達物質の遊離抑制作用を示したことが記載されていたことからすると,甲1に接した当業者は,甲1には,KW-4679が「ヒト」の結膜肥満細胞に対してどのように作用するかについての記載はないものの,甲1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる動機付けがあるものと認められる。

(PDF 90-91ページ)
しかしながら,上記のとおり,本件特許の優先日当時,ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において,当該薬剤における肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどの各種の化学伝達物質(ケミカルメディエーター)に対する拮抗作用とそれらの化学伝達物質の肥満細胞からの遊離抑制作用の二つの作用を確認することが一般的に行われており,甲1記載のKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みるに際し,当業者は,KW-4679が上記二つの作用を有するかどうかの確認を当然に検討するものといえること,さらには前記(3)ウ(ア)認定のとおり,本件特許の優先日当時,薬剤による肥満細胞に対するヒスタミン遊離抑制作用は,肥満細胞の種又は組織が異なれば異なる場合があり,ある動物種のある組織の肥満細胞の実験結果から他の動物種の他の組織における肥満細胞の実験結果を必ずしも予測することができないというのが技術常識であったことに鑑みると,甲1に,モルモットの動物結膜炎モデルにおける実験においてKW-4679がヒスタミン遊離抑制作用を有さなかったことが記載されていることは,KW-4679がヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するかどうかを確認する動機付けを否定する事由にはならないものと認められる。

(PDF 92ページ)
しかしながら、前記ア(イ)認定のとおり,本件特許の優先日当時,ヒトのアレルギー性結膜炎を抑制する薬剤の研究及び開発において,当該薬剤における肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどの各種の化学伝達物質(ケミカルメディエーター)に対する拮抗作用とそれらの化学伝達物質の肥満細胞からの遊離抑制作用の二つの作用を確認することが一般的に行われており,甲1記載のKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みるに際し,当業者は,KW-4679が上記二つの作用を有するかどうかの確認を当然に検討するものといえる ・・・

上の引用で裁判所が「前記(3)」と言っているのは、判決文の「第4 当裁判所の判断」の「(3) 本件特許の優先日当時の技術常識について」(判決文PDF 58〜87ページ)の判示、つまり「技術常識の認定」に関する判示を指している。 すなわち、ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有するかどうかを確認する動機付けはあったという前訴判決の裁判所の説示は「当時の技術常識」に基づく認定なのであり、さらに裁判所は、モルモットではヒスタミン遊離抑制作用を示さなかったことが「甲1」に記載されているとしても、ヒト細胞において確認することの動機付けを否定するものではないと説示したものだ。 裁判所による「当時の技術常識」の判断は、判決の結論を導くために必要な認定判断であるから、判決の拘束力を有すると考えられるところ、引例が「甲1と甲4」の組み合わせから「甲3と甲4」の組み合わせに変わることにより、「甲3」に阻害要因が記載されているなどの特段の事情が認められるのならともかく、そうでないのに前訴判決の「当時の技術常識」の判断をないがしろにした審理・審決を行うことは、判決の拘束力に反するものと言えるだろう。

しかも、「顕著な効果」を考慮しない場合の本件発明(つまり「ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制」という効果が「ある」ということだけを考慮し、その「程度」は考慮せずに認定した本件発明)に進歩性がないことは、「甲1と甲4」に基づく判断によって前訴判決で既に確定している。

ちなみに、進歩性がないことが確定した発明について、再開された審判が再度、別の引例を用いて進歩性を審理することについて、知財高裁は以下のように説示したことがある。

平成17(行ケ)10857「工具保持具」平成19年5月30日判決;飯村敏明裁判長]
ところで,本件についてこれを見ると,・・・ 無効審判請求に対して「本件審判の請求は成り立たない」との判断をした第1次審決について,前判決は,・・・ 当業者が容易に想到できないとした第1次審決の判断には誤りがある(容易に想到することができる)と判示して,同審決を取り消した。 そうすると,本件においては,再度審理を開始した審判手続において,前判決の拘束力に従った判断をすることにより,迅速な解決を図ることができたはずであり,当事者に対しても,前判決の拘束力から離れた主張,立証をすることを禁じる指揮をすることもできたはずである。 しかるに,再度の審判手続及び審決においては,拘束力の生じた前判決が基礎とした本件発明と引用例との対比とは,全く異なる引用例に基づいた対比についての審理を実施し,これに基づく判断をすることとなった。 このような審判及び審決のあり方は,行政事件訴訟法33条1項が設けられた趣旨に反するものであり,速やかな紛争解決を妨げるものであるといえよう

そして玉井先生ご自身、これについて以下のように評している。

[玉井克哉 パテント Vol.62(5) 73-95 (2009) の87ページ左欄]
・・・,無効事由というのは一つでもあれば特許が無効になるのですから,取消判決の拘束力で確定したはずの無効事由以外に無効事由があるかどうかを審理するというのは,たしかにまったく無駄です

そうすると、今回の本件審決は、(1)特段の事情もないのに前訴判決の「当時の技術常識」の認定をないがしろにした審理を行ったこと、および、(2)前訴で進歩性がないと判断された発明(効果の顕著性を考慮しない発明)について進歩性の有無を再度審理したこと、という二重の意味で、判決の拘束力に関する規定の趣旨に反していると考えることができるのではないか。 上の「工具保持具」事件とは違い、今回の審決の判断は「顕著な効果」を認めて進歩性を肯定する前座としての判断だから、(2)については責めることはできないかも知れないが、(1)については責めるべき理由はあるように思う。

この審決を見て、知財高裁が怒ったとしても無理はないと私は思うし、今回の判決において、この審決に対して何らかの苦言を述べようと裁判所が思ったとしても当然だと思う。

だから本来であれば裁判所は、審決のこの部分に対して苦言を述べればよかったと思う。 すなわち、同じ化合物(本件発明の化合物)の同じ効果(ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用)であって、甲3に阻害要因が記載されているわけでもないのに、甲3と甲4に基づく判断においては、効果の顕著性を考慮するまでもなく進歩性があると本件審決が判断したことに対し、前訴判決における技術常識の判断を無視するものであり問題だとでも指摘すればよかった。 しかし、まあ、実際には裁判所は判決文にある通りの付言を行い、玉井先生の批判を受けることになってしまった。

*   *   *

以上の通り、今回の玉井論文では「本件に固有な特別の事情」はない旨が指摘されているので、「本件に固有な特別の事情」について思ったことを書いてみた。 確かに一般論としては、効果の「程度」について、無効を訴えた当事者が主張しておらず、裁判所によって判断もされていないときに、それを別訴で争うことは認められるべきだとは思うので、玉井論文のその部分はもっともでしょうね。。 それでも私は、本件における上記の事情を考えると、効果の「有無」と「顕著性」は、どんな事案でも常に同時に主張立証しなければならないと高部コートが本気で考えてあのような「付言」を行ったというよりは、もう少し違った見方をする方がよいのではないかと思うので、今回の判決の「付言」に関しては、「審決に頭にきて筆がすべった説」を唱えておきます(笑)。

ちなみに、この審決を行った特許庁の審判合議体で審判長を務めた審判官は、私が2016年5月10日の投稿で話題にした「オキサリプラチン事件」(特許4430229)の無効審判(無効2014-800121)でも審判長を務めており、特許を維持する審決を行っている(詳しくは2016年5月10日の投稿の「・・・信じがたい解釈を説示した」という部分を参照)。

*   *   *

4.本件発明の化合物の「ヒスタミン遊離抑制作用」は治療的に高い意義はあるのか

本件発明の化合物において見出された「ヒスタミン遊離抑制作用」が、実際のアレルギー性眼疾患の治療効果に果たしてどの程度貢献するものなのかについては、判決文を見る限り、本件訴訟においては特に争われていないようだ。 しかし本件審判(無効2011-800018;平成28年12月1日審決)では争点となっている。 その中で無効審判請求人が証拠として提示したのが、上でも取り上げたPMDAの審査報告書だ。

今回の判決文(判決文PDF 24ページ)だけを読んでいると、抗アレルギー薬には、「ヒスタミン拮抗作用」によって薬効を発揮するものと、「ヒスタミン遊離抑制作用」によって薬効を発揮するものがあり、本件発明の化合物には後者の作用、すなわち優れた「ヒスタミン遊離抑制作用」があり、その作用によって抗アレルギー薬としての本薬の薬効が発揮されるかのような印象を受けるかも知れない。 しかし実際には、本件発明の化合物には非常に強い「ヒスタミン拮抗作用」がある。

[パタノール®点眼液0.1% PMDA審査報告書 10ページ]
 本薬のヒスタミン受容体サブタイプに対する選択性を・・・ヒスタミンH1、H2及びH3受容体に対する・・・選択的リガンド・・・との競合効果により検討された。 本薬のH1受容体に対するKi値は41.1±6.0 nMであり、H2及びH3受容体に対するKi値はそれぞれ43.4±6.3μM及び17.2±0.7μMであった。 ・・・。
 選択的リガンドの結合を50%以上阻害した場合を対象とした受容体へ結合活性を有する基準とした場合、本薬(10-9、10-7及び10-5 M)は・・・ 10-7 MによりH1受容体・・・に結合活性が認められた。 ・・・。 また、本薬の代謝物であるN-オキシド体の10-5 MはH1受容体に結合活性を示し、N-デスメチル体は10-7 MでH1受容体、・・・に結合活性が認められた。
 以上より、本薬及び本薬の代謝物はH1受容体に選択的に結合することが示された。 ・・・。

すなわち、本件発明の化合物は、ヒスタミン H1受容体に数十〜100nMという低濃度でリガンドと拮抗的に結合し、「ヒスタミン拮抗作用」を発揮することが示されている。 これに対して、本件の進歩性で問題になっている「ヒスタミン遊離抑制作用」について、PMDAの報告書では、先にも引用した通り、以下のように記載されている。

[パタノール®点眼液0.1% PMDA審査報告書 10ページ]
 抗ヒトIgE抗体によるヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン・・・遊離に及ぼす影響が検討された。 本薬はヒスタミン・・・遊離を濃度依存的に阻害し、IC50は・・・559±277μM・・・であった。 ・・・。 なお対照薬として用いたケトチフェンは濃度依存的にヒスタミン遊離を抑制し、IC50は22.9μMであった・・・。 また、本薬の主な代謝物であるN-オキシド体は濃度依存的にヒスタミン遊離量を抑制し、IC50は3.07 mMであった。
・・・。
 以上より、本薬は in vitro においてヒスタミンに対する拮抗作用を示し、その約1万倍の高濃度を要するが肥満細胞からのヒスタミンを含む生理活性物質の遊離を抑制することが示された。

つまり、本件発明の化合物は、確かに「ヒスタミン遊離抑制作用」を有してはいるものの、「ヒスタミン拮抗作用」に関しては数十〜100nMという低濃度で作用を発揮するのに対し、「ヒスタミン遊離抑制作用」は、その約1万倍の高濃度である数百μM レベルで投与しなければ作用を発揮できないことが記載されている。

そしてPMDAの報告書は以下のように記載している。

[パタノール®点眼液0.1% PMDA審査報告書 12-13ページ]
 機構は、本薬の薬理試験における薬効発現濃度と臨床濃度との関係について説明するように求め、申請者は以下のように回答した。
 白色ウサギに本薬0.15%を単回点限した結果(・・・)、主な作用組織である角膜及び結膜ではいずれも最初の測定時点である点限30分後に最大濃度を示し、それぞれ1.85及び0.40μg/gであった。それらはin vitro試験における4.94及び1.06μM に相当し、ヒト結膜肥満細胞からヒスタミン遊離を抑制する濃度に達していなかった。 更に、臨床使用製剤は0.1%溶液であり、臨床では1日4回点限されるが各々の組織からの消失半減期は約2時間で、組織内の濃度上昇はほとんど期待できない。したがって、in vitro試験とウサギの眼組織内濃度のデータから本薬がヒスタミンだけでなく、他の生理活性物質遊離阻害作用を有することは示せなかった。 一方、アレルギー性結膜炎患者に本薬0.1%を1日2回5日間点眼することにより、結膜への抗原チャレンジ後の涙液中ヒスタミン濃度は有意に減少した(・・・)。 臨床製剤の本薬の濃度は約 2.6 mMであり、点眼直後では結膜部分はヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制作用のIC50(0.56 mM)より高濃度の本薬に暴露されることが生理活性物質遊離抑制作用の発現に影響した可能性が考えられる。 また、類薬であるケトチフェンにおいてもヒスタミンH1受容体拮抗作用濃度に対し、ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制作用濃度に本薬と同様に乖離が認められている。 したがって、本薬は肥満細胞からの生理活性物質遊離抑制作用とヒスタミン受容体拮抗作用の2つの作用機序を有すると考えられた。
 機構は、本薬の肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制濃度は、本薬のヒスタミン拮抗濃度の約1万倍の高濃度を必要とすること及びin vivoにおける抗原によるモルモット結膜における血管透過性亢進抑制も本薬の抗ヒスタミン作用で説明が可能であることから、本薬の臨床における有効性発現に関与している可能性は低いと考えられる。 しかし、点眼直後では本薬が結膜の肥満細胞に高濃度で到達する可能性が否定できず、ヒト眼部における本薬のヒスタミン遊離抑制作用が認められていること、及び類薬であるケトチフェン点眼薬の薬理作用に肥満細胞からの生理活性物質遊離抑制作用が認められていることから、本薬を点眼した時、結膜肥満細胞のヒスタミンをはじめとする生理活性物質の遊離を抑制するとの申請者の回答を了承した。

上に引用した報告書の通りPMDAは、本薬がヒトの臨床においても「ヒスタミンの遊離を抑制する」ということを了承はしている。 その根拠としてPMDAは、点眼液の薬剤濃度が約2.6 mMであることから、点眼直後では本薬が結膜の肥満細胞に高濃度で到達する可能性が否定できないこと、ヒト眼部における本薬のヒスタミン遊離抑制作用が認められていること、そして、既存薬であるケトチフェンに「ヒスタミン遊離抑制作用」が認められることを根拠としている。 しかし、ケトチフェンからの類推については、「3−2.」の最後に指摘した通り、ケトチフェンの「ヒスタミン遊離抑制作用」は、本薬の1/24の濃度でも発揮されることに注意が必要だろう。 1/24の濃度でも効くケトチフェンで「ヒスタミン遊離抑制作用」が発揮されるからといって、本薬でも同様に発揮されることは明らかとは言えないのだから。 また、本薬においてヒト眼部(すなわちインビボ)におけるヒスタミン遊離抑制作用が認められているという指摘については、「3−2.」で上述した通り、甲20等によれば、インビトロにおけるヒスタミン遊離抑制作用が認められない他の既存薬でも、インビボにおいては「ヒスタミン遊離抑制作用」は認められているのだから、本薬においてインビボにおける「ヒスタミン遊離抑制作用」が認められるからといって、それが本件明細書の表1に示されているインビトロの効果を反映したものであることが明らかとは言えないようにも思われる。 そしてなにより、本薬の「ヒスタミン遊離抑制作用」の作用濃度は、「ヒスタミン拮抗作用」の作用濃度の約一万倍も高いのであって、PMDA自身が、「本薬の臨床における有効性発現に関与している可能性は低いと考えられる」としているわけだ。

これらを考えると、本件発明の化合物に「(インビトロにおける用量依存性の)ヒスタミン遊離抑制作用」が認められたという本件明細書に開示されている効果が、ヒトのアレルギー性眼疾患への臨床適用を対象としている本件発明にとってどれほど「顕著な効果」だといえるのかについては、よく考える必要があるように思う。

ちなみに、本件の審決を読む限り、無効審判請求人は本件審判において同趣旨のことを主張したと想像される。 これに対して本件審決(無効2011-800018;平成28年12月1日審決)で審判合議体は、『結局、「本薬(・・・)を点眼した時、結膜肥満細胞のヒスタミンをはじめとする生理活性物質の遊離を抑制するとの申請者の回答を了承した。」という結論に達しているのであるから、甲26の記載をもとに化合物A(オロパタジン)は「臨床試験では、小さなヒスタミン遊離抑制効果しか認められなかった」としている請求人の主張には根拠がない。』と説示して無効審判請求人の主張を一蹴した。 しかし実際は上に引用した通りであって、「回答を了承した」というのは、「ヒスタミン遊離抑制作用」が臨床においても発揮されていることを了承したに留まり、臨床における薬効に関しての機構(PMDA)の見解は「本薬の臨床における有効性発現に関与している可能性は低いと考えられる」というものなのだから、本薬が持つ「ヒスタミン拮抗作用」に比べれば、「ヒスタミン遊離抑制作用」の臨床上の意義は非常に小さいというのが、機構の報告書からは示唆されると言えるのではないか。

なお、ここで述べたことは、「ヒスタミン遊離抑制作用」という用途発明に限定されている本件発明の特許権が、果たして本薬の後発薬を抑えるに足るものなのかという問題にも関連するだろう。 この特許が後発薬に権利行使できるものなのかという点については、篠原勝美先生(元知財高裁所長)が最近出した論文でも、「・・・、特許クレーム文言(ヒト結膜肥満細胞安定化剤)が添付文書記載の「効能・効果」(アレルギー性結膜炎)をカバーするかという論点もあり、包含関係説によれば、パテントリンケージの発動にはそもそも無理があったとも考えられる。」と述べて、この特許を理由に薬事当局が後発薬の承認を見送ったことについて批判されている(Law and Technology No. 80, 2018, 29-35の33ページ左)。

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ということで、多少この特許にネガティブなことを強調して書いたかも知れないが、私は別に本件特許が早くなくなればよいと思っているわけではない。 コストとリスクをかけて臨床試験を行って薬を市場投入している以上、その薬が成功した場合にはそれなりのリターンが期待できなければならないとは思う。 また、特許があるからコストをかけて市場投入しているのに、今回のように突然特許がなくなってしまうのは困るという気持ちも分からなくはない。 しかし「2.」でも書いた通り、医薬品開発にリスクとコストがかかるのは特許がなくても同じなのであって、そうしたリスクとコストに対して適切なリターンの機会が保障されることは、特許の有無にかかわらず要請されることのように思う。 したがって、この種の問題に関しては、私は特許制度で解決を目指すよりも、薬事制度(つまりデータ保護期間に類するような参入規制)で解決することを目指す方がよいのではないかと思っており、そうした対応が十分にとられている限り、特許制度がそれを超えて保護を与える必要もないはずだと思っているけれど、どうでしょうかね。

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本件は、上告受理申立が行われているようで、玉井論文は、「判決の拘束力」に関する知財高裁の説示に反対であるのみならず、本件発明の効果を顕著とみなして「進歩性」を認めるべきだという立場でもあるから、論文の結びは「上告審の適切な判断が期待される次第である」となっている。 しかし私は、今回の知財高裁の説示は、上記の「3−1.」〜「3−5.」の事情を考えれば一定の理解はできると思うし、また一般論としても、「1.」や「2.」で書いた通り、顕著な効果があれば容易なものにも進歩性を認めなければならないのかという問題、特に今回のケースのように、その効果を調べることになるのは当然だと言えるような場合でも、その効果が顕著なら進歩性を認めなければならないのかという問題については、まだ学者や実務家の間で議論する余地は相当残っており、最高裁の一声で決めるべき事柄でもないと思うから、私は、本件については最高裁は介入せず、長い目で見守って頂くことを期待している。

[2018/06/25 篠原先生の論文(L&T No.80, 2018/7, 29-35)について一言追加。]

[2019/09/08 本件判決の拘束力に関する論説としては、上に挙げた玉井先生の論文の他、飯島歩先生の論文(知財管理68巻 9号 (2018) 1275-1288)、宍戸充先生の論文(特許ニュース 14705号 (2018年6月8日) 1 -11)、および興津征雄先生の判例研究『特許審決取消判決の拘束力の範囲論文』(知的財産法政策学研究 第53号(2019年3月)211-252)。

「ヒスタミン遊離抑制作用」に関する用途発明に限定された本件特許が、後発薬を抑えられるものであるのか、という点については、上に挙げた篠原先生の論文の他、gemedicines氏の投稿『オロパタジン塩酸塩点眼液(パタノールR点眼液0.1%) 』(2019年9月7日)も参照]



posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする