2018年10月31日

@ 進歩性拒絶の引例に引用発明適格性など必要か? A 発明の効果の検討は不要か? 「ピリミジン誘導体事件」平成30年4月13日大合議判決(平成28年(行ケ)10182;平成28年(行ケ)10184)(Sotoku 通号10号)


Sotoku 通号10号 1-30 (2018) (published online on 31-10-2018)

タイトル: 特許法第29条第2項(非容易想到性規定)に基づいて進歩性を否定するための引例中の発明は、いわゆる「引用発明」であること(引用発明適格性)が求められるのか、そして、発明の構成に至る動機付けさえ否定されれば、発明の効果を考えるまでもなく進歩性は肯定できるのか:「ピリミジン誘導体事件」平成30年4月13日知財高裁大合議判決(平成28年(行ケ)10182,10184)

著者:  想特 一三 (Sotoku Ichizo)


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今回の大合議判決(平成28(行ケ)10182、10184)における争点の1つは「進歩性」だ。

原告(無効審判請求人)が提示した主引例(甲1)(特表平3-501613)には以下の化合物が記載されており、この化合物が高いHMG-CoA還元酵素阻害活性(コレステロールの生合成阻害作用)を有することも知られていた。

[甲1の実施例1b の化合物]
20180424_kou1_1.png

これに対して本件発明においてもっとも重要な化合物であるロスバスタチン(商品名 クレストールR)は以下のような化合物で、実質的な違いは丸を付けた部分(判決文の「相違点1−i」に対応する)で、上の化合物では窒素(N)にメチル基(-CH3)が2つ付いている(すなわち -N(CH3)2 ) のに対して、下の化合物ではメチル基の1つがメチルスルホニル基(-SO2CH3) に変わっている(すなわち -N(CH3)(SO2CH3) )。

[本件発明の化合物]
20180424_honken1.png

さらに、原告は副引例(甲2)を提出した。 そこには、やはりHMG-CoA還元酵素阻害活性を持ち、構造的にも類似した化合物について記載されており、以下に示すように、本件発明の化合物とそこそこ近い化合物も合成されている。

[甲2の実施例23に記載の化合物]
20180424_kou2-3.png

そして甲2には、より一般化された化学式が記載され、置換基として多数の選択肢も列挙されているが、その中には、上の丸で示した「R3」のところが -N R4 R5 の構造をとっていてもよいことが記載されており、「R4 及び R5 は同一もしくは相異なるものであり,メチル,エチル,プロピル,・・・,メチルスルホニル,・・・ を表わす」との記載があることから、上のロスバスタチンと同様に、窒素にメチル基とメチルスルホニル基が結合している構造 -N(CH3)(SO2CH3) も、考え得る組み合わせとしては含まれていた。

この場合に、本件特許発明に進歩性はあるのかが問題となった。

今回の判決に関しては、4月に感想をいったんはブログに公開したのだけれど、まだ考えが足らない気がしたのでもう少し考えて論文の形式で書いてみることにした。 そうこうしているうちに判決の解説論文である「知財高裁詳報」(Law and Technology 80号 88-97 (2018) )が公開され、また、退官した清水節先生の講演会に出席した人を通して判決に関して清水先生がどう考えているのかについて情報なども知ることになり、判決に対する理解は少しは深まったと思う。 特に、4月の段階では私は、「進歩性なしで拒絶する場合に副引例を使うことはそもそも必須ではないのだから、副引例の発明に引用発明適格性を求めている大合議判決が間違っているのは明らか」だと考えていた。 しかしその後、主引例だけを使い副引例を使わずに進歩性を否定する場合は別論だと清水先生が考えていることを知って、「なるほど」と思った。 それについては本稿の「9.」節で書いた。

10月に入り、もういい加減、論文を公開しなければと考えていたところ、同志社大の井関涼子先生の論文(特許研究 No.66, 60-75 (2018))が公開された。 今回の大合議判決に対する評釈はこれまでにもいくつか出ているが、井関先生の論文は、大合議判決の判旨をかなりはっきりと批判的に論じた論文として注目される。 井関先生の論文については、本稿の最後の脚注で触れた。

北大の田村善之先生も、そのうちウエスト・ロー・ジャパンの判例コラムでこの判決の進歩性の判断に対する評釈を公開しそうだ。 田村先生は、この夏、北大のサマーセミナーに清水先生を招いたし、批判的には書きにくいのではないかと少し心配だが、どういう内容になるのだろうか。。

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さて、本稿で検討したのは以下の2点。

 1.進歩性の判断において引例に「引用発明が記載されていること」(すなわち引用発明適格性)は必要なのか。

 2.本件発明の構成を選択する「動機付けがない」(あるいは本件発明の構成にかかる選択肢を抽出できない)というだけで進歩性は肯定できるのか。

上記の2点について、今回の大合議判決はいずれも肯定しているが、私はいずれも否定する。

上記の「1.」の引用発明適格性の問題については、例えば「逆転洗濯機」事件(平成22年(行ケ)1029)のように、洗濯機に関する主引例の発明に、船舶等のプロペラに関する副引例を組み合わせて進歩性を否定するような主張であれば「そういう文献を引例にするな。」(←「引用発明適格性」の一種?)と言いたくなる気持ちは分かるのだけれど、両者を結び付ける示唆のようなものがあればまた話も変わってくるわけで、結局は動機付けの問題なのではないかなぁ、と私は思っている。 詳しくは本稿の「1.」節〜「8.」節を参照。

上記の「2.」について、本稿に書いたことをもとに、以下に書いてみたい。

本件特許が出願された当時、コレステロール合成抑制薬としては「メビノリン」がすでに海外で商品化されていた。 そして本件の主引例である「甲1」には、上記の甲1の実施例1bの化合物と「メビノリン」について、HMG-CoA還元酵素阻害活性や生体内におけるコレステロールの生合成阻害作用を比較する実験が行われている。

[甲1 の「試験A」および「試験B」の結果より](甲1 11〜12ページ)

HMG-CoA還元酵素阻害活性(IC50:50%阻害濃度)
 実施例1b の化合物 IC50=0.026μM
 メビノリン IC50=0.352μM

生体内コレステロール生合成阻害作用(ED50:50%阻害投与量)
 実施例1b の化合物 ED50=0.028mg/kg
 メビノリン ED50=0.41mg/kg

上記の数字は、同じ効果を達成するために必要な薬剤の量を表しているから、数字が低いほど活性が高いことを示している。 つまり、甲1の実施例1bの化合物は、HMG-CoA還元酵素阻害活性としては既存薬であるメビノリンの13.5倍(0.352÷0.026)、生体内コレステロール生合成阻害作用としては14.6倍(0.41÷0.028)の活性を持つことが分かる。 それだけ高い活性を持つ化合物が、本件特許の出願前に既に知られていたわけだ。

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さて、大合議判決は、以下のように説示して本件発明の進歩性を肯定した。

[判決文PDF 116ページ]
・・・,甲1発明の化合物のピリミジン環の2位のジメチルアミノ基を「- N(CH3)(SO2R')」に置き換えることの動機付けがあったとはいえないのであって,甲1発明において相違点(1−@)に係る構成を採用することの動機付けがあったとはいえない。

つまり大合議判決は、上に示した甲1の化合物の赤い丸の部分を本件発明の化合物の赤い丸のように「置き換えることの動機付けがあったとはいえない」ということを理由に進歩性を肯定した。

そして原告(無効審判請求人)は、本件発明の化合物は、甲1の化合物に比べて顕著に高い活性を持つとは認められないので、進歩性は認められるべきではないと主張したが、これに対して大合議は以下のように説示した。

[判決文PDF 116-117ページ]
・・・,進歩性については,既に判示したとおり,甲2に相違点(1−@)に係る構成が記載されておらず,また,・・・,相違点(1−@)の構成を採用する動機付けがあったとはいえないことから,容易に発明をすることができたとはいえないと判断されるのであって,原告らが主張するような基準を設定して判断しているものではない・・・,・・・。

つまり大合議判決は、活性など関係がないという立場を示した。 「相違点(1−i)」の構成(本件発明の化合物における上の赤い丸で示した構造)を採用する動機付けがあったとはいえないということだけで進歩性は肯定されるのであって、活性が高い必要などない(活性がある必要さえない)という立場を示したのだ。

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一方、「サポート要件」に関して原告は、本件発明の化合物は、甲1の化合物を超える活性を持つとは認められないのでサポート要件を満たさない旨を主張したが、これついては大合議は以下のように説示した。

[判決文PDF 119ページ]
 以上を考え合わせると,本件発明の課題が,上記の既に開発されているHMG-CoA還元酵素阻害剤を超えるHMG-CoA還元酵素阻害剤を提供することにあるとまではいうことはできない。
 ウ したがって,本件発明の課題は,コレステロールの生成を抑制する医薬品となり得る程度に優れたHMG-CoA還元酵素阻害活性を有する化合物,及びその化合物を有効成分として含むHMG-CoA還元酵素阻害剤を提供することであるというべきである。

[判決文PDF 119-120ページ]
・・・,本件明細書・・・には,・・・,メビノリンナトリウムのHMG-CoA還元酵素阻害活性を100としたときに,化合物(Ia−1)のHMG-CoA還元酵素阻害活性が442であることが記載されている。

[判決文PDF 121ページ]
 そうすると,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件発明1の化合物が,コレステロールの生成を抑制する医薬品となり得る程度に優れたHMG-CoA還元酵素阻害活性を有すること,すなわち,本件発明の課題を解決できることを当業者が理解することができる程度に記載されているということができる。

[判決文PDF 121-122ページ]
 ア (ア) 原告らは,・・・,本件出願当時,既に複数のHMG-CoA還元酵素阻害剤が医薬品として上市されており,メビノリンナトリウムより強いHMG-CoA還元酵素阻害活性を示す化合物も公知であったから,「コレステロールの生合成を抑制する医薬品となり得る程度」という程度では,技術常識に比較してレベルが低く不適切である旨主張する。
 しかし,・・・,本件発明の課題が,既に開発されているHMG-CoA還元酵素阻害剤を超えるHMG-CoA還元酵素阻害活性を有する化合物又は薬剤を提供することであるということはできない。

上記の通り大合議判決は、既存薬であるメビノリンのHMG-CoA還元酵素阻害活性を100としたときに,本件発明の化合物の活性は442(すなわち4.4倍)であることが明細書に記載されているとした上で、「コレステロールの生成を抑制する医薬品となり得る程度に優れたHMG-CoA還元酵素阻害活性を有する化合物」であればサポート要件は満たされるのだと説示した。 この説示からすれば、既存薬であるメビノリンと同様またはそれ以上(4倍程度?)の活性があればよいということになるだろう。

以上をまとめると、進歩性に関しては、主引例(甲1)の化合物を改変した構成について引例に示唆がない限りは進歩性は否定されず、たとえ改変したことで活性が失われても進歩性は否定されない。 サポート要件に関しては、既存薬であるメビノリンと同様またはそれ以上の活性があればよいということになる。

ところで上記の通り、主引例(甲1)の化合物は、そもそもメビノリンの14〜15倍の活性があるわけだ。 そうすると、甲1の化合物をでたらめに改変して、たとえ活性が1/3に低下してしまったとしても、まだメビノリンの5倍くらいは高いのだから、サポート要件は十分に満たされることになる。 そして上述のとおり、そのでたらめな改変を具体的な技術的思想として抽出できる副引例がないかぎり進歩性も否定できないわけだから、特許が取れるということになってしまう。

特許制度ってそういう制度だったっけ?

このように今回の大合議判決は、公知技術の「改悪発明」でさえ喜んで特許にしますと言っているような判決だ。 判決を行った裁判官の方々はおそらくそういうつもりではなかったのかも知れないが、判決文を読むかぎり、そう読めてしまう。 これをそのまま認めてしまってよいのだろうか?

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今回の特許発明には進歩性があるという最終結論には私は賛成だけれど、進歩性の判断手法に関しては、今回の大合議判決は問題のある判決だと思う。 この判決後、批判的な論文が出るのを待っていたけれど、最初に書いた通り、井関先生が出してくれた。 田村先生やその他の先生方にも、ぜひこの判決の問題点を論じて欲しい。

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最後に、今回の論文では、清水先生が退官後に行った講演やセミナーの内容も多少盛り込んだけれど、これについては否定的に考える人もいるかも知れない。 私も書いていいかどうか多少迷ったけれど、基本的には進歩性の考え方の学術的な話であって、別に隠しておく意義に乏しいと思われることや、先にも言った通り、副引例を使わない場合の進歩性の考え方を清水先生が私見として明らかにしたことは、今回の大合議判決の説示が、進歩性の考え方全体の中の一部に過ぎないことを理解するためにも重要だと思うので書くことにした。 つまり、「副引例を使わずに技術常識を適用する場合は動機付け不要」、「顕著な効果がある場合は進歩性あり」という清水先生の考え方があるからこそ、今回の大合議判決の説示も、実務上はうまく回るのだろうなと理解できるわけで、もしそれがなければ、今回の大合議判決の説示は「おかしな判決だなぁ」としか捉えられないと思う。 そういう意味では、今回に限らず、知財判決に関わる判事さんには、自分たちの考え方をもっと積極的に公表してほしいと思うし、それによる学術分野への貢献は、判決文しか検討対象にできない場合に比べてとても大きなものになると思う。

さて、清水先生は、早稲田で文字通り「先生」になるのだと思うけれど、学生になった人たちは、単に清水先生の講義を聞くだけじゃなくて、おかしいと思うところは、「清水先生、ここはおかしいんじゃないですか?」ってちゃんと突っ込んで欲しいんだよね。 それも1回や2回じゃなくてしつこくね。 そして、できれば清水先生と学生が一緒になって、新しい考え方を作り出してくれればいいと思う。

ということで、清水先生がいつの日か、進歩性について新たな「清水説」を説く論文を出すのを期待したい。


[2018/11/19 追伸]
ウエストロー・ジャパンの判例コラムで田村先生の判例評論「第153号 進歩性要件の判断の基礎となる引例適格性について」が公開された。 田村先生には二度と引用されないんじゃないかという気もしていたけれど、そうではなくてよかった。😀

しかも内容も、私にとっては予想を超えるものだった。 上で、「田村先生は、この夏、北大のサマーセミナーに清水先生を招いたし、批判的には書きにくいのではないかと少し心配・・・」と書いたけれど、失礼な話でした。 学問に対する田村先生の姿勢がうかがえるね。

田村先生の「4 評釈」の「4)」と「5)」はとても共感できる。 「6)」も、言っていることは、まあ、その通りだと思う。 「7)」については、多分、私は異論があるけれど、もうちょっと考えてみたい。



posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月11日

高林龍先生 均等論判例評釈 (判例評論 716;判例時報 2377)(平成28年(受)1242;平成29年3月24日判決)


高林龍先生の『標準特許法 第6版』(有斐閣 2017)が出版された直後の昨年の12月20日の投稿でも話題にしたとおり、「出願時同効材」に対する均等論の適用について高林先生は比較的慎重な立場だと(少なくとも一般には)みなされていたから、「出願時同効材」に対する均等論の適用を積極的に認めたように見える知財高裁大合議判決「平成27年(ネ)10014;2016年3月25日判決」や最高裁判決「平成28年(受)1242;2017年3月24日」を高林先生がどう評するのかに関心が持たれるわけだ。 そして昨年の12月20日の投稿で書いたとおり、最高裁判決の後に出版された高林先生の『標準特許法 第6版』では、自説である「融通性のある文言解釈論」は変更せず、最高裁判決の内容が「但し書き」で追加された。 しかし、それがどういうことなのか『標準特許法 第6版』では詳しくは論じられていないから、高林先生は最高裁判決やその原審である大合議判決に賛成なのか、反対なのか、また、高林先生は自説を変えるのか、変えるつもりはないのかがよく分からなかった。

しかし先日、判例時報 No.2377(平成30年10月1日号)が発行され、付属の「判例評論 No.716」に、最判に対する高林先生の評論が掲載された。

読んだ感想は・・・・。。 私は、高林先生が判決に対して批判的に書いてくれることを期待していたので少しがっかりしてしまった。 高林先生には、最高裁判決を批判するという選択肢はそもそもないんですかね。。。 ともかく、今回の論文で高林先生がこの判決をどう評しているのか、以下に見て行きたいと思う。


1.
最高裁判決には、判決文に下線が引いてあるところが2つあって、一つ目が以下の判示だ。

平成28年(受)1242、下線部1]
出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,対象製品等に係る構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかった場合であっても,それだけでは,対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情が存するとはいえないというべきである。

今回の評論における高林先生の立場は、最高裁の上記の判示は、出願時同効材をクレームに記載しなかったという「一事」をもって第5要件により均等を否定するのは妥当ではないという、いわば当たり前のことを判示したものに過ぎないというものだ。 そして、出願時同効材をクレームに記載しなかったという「一事」をもって第5要件により均等を否定すべきだと主張していた者など、そもそもほとんどいなかったし、もちろん高林先生自身もそのようなことは言っていなかったので、自説を否定するものではないどころか、自説に沿うものである旨を論じている(判例評論716の24ページ 第1段目〜第3段目)。

高林論文の原文を引用すれば、以下のとおり。

[判例評論716の24ページ 第3段目](強調は私が入れた)
したがって、本判決の判旨一は、ボールスプライン事件最三判後の学説や下級審判決の多数が一致して採用していた、出願時同効材であることの一事をもって第五要件にいう「特段の事情」がある場合に該当するものではないとの前提要件を確認したものにすぎないものであって、穏当な判旨ということができる(22)。

高林先生の言うとおり、出願時同効材であることの「一事」をもって第5要件で均等を否定することを論じている論者などほとんどいなかったし、高林先生自身もそんなことは言っていなかったことは、私が1月に出した Sotoku 9号 の「6.」節〜「7.」節でも書いた。 だから高林論文の上のような言い方は間違いではないだろう。 でも気になるのは、上に引用したとおり、最後に「脚注22」が付けられていることで、そこには以下のとおり記載されている。

[判例評論716の29ページ 脚注22]
田中判解二〇五頁は判旨一について「学説や実務の大方の支持を受け、国際的な潮流にも沿った原審の判断を、最高裁としてもオーソライズする意義があった」と述べている。

田中判解の上記の記載を引用しているということは、高林先生は「私もそう思うし、田中判解もそう言っている」というスタンスであるように見える。 しかし、高林先生は当然ご存じのとおり、田中判解(田中孝一, 法曹時報 Vol.69, No. 12 (2017) )では、出願時同効材であることの「一事」をもって第5要件で均等を否定すべきだとする「A説」と、それを否定する「B説」という学説の対立を紹介し、「A説」に親和性がある論説として高林先生の論説を挙げ、学説や実務の大方の支持を受けている学説として「B説」を挙げているんですよ。 つまり、学説や実務の大方の支持を受けていたのは「B説」であって、高林説に親和性があるとされた「A説」ではない。 田中判解のこの部分を、「穏当な判旨ということができる(22)」のように、まるで高林説をサポートするものであるかのように引用するってのは、ちょっと違和感があるのですけれど。。 まあ、高林先生や三村量一先生を「A説」に分類している田中判解がおかしいということは Sotoku 9号の「11.」節(24〜26ページ)でも詳しく書いたし、今回の高林論文を読むかぎり高林先生も私と同じように考えているようではあるけれど、田中判解は高林説を「A説」だとみなす分類に基づいたうえで否定的に論じ、「B説」の方を「学説・・・の大方の支持を受け」と評しているんですからね。 それを自説に沿うものとして取り入れようなんて。。

とはいえ、田中先生も、高林先生が論じていることをどれだけ知った上であの判解を書いたのかはよく分からないので、田中先生も今なら「高林先生もB説ですね。」って言ってくれるかも知れないけれど。


2.
最高裁判決の2つ目の下線部が以下の判示だ。

平成28年(受)1242、下線部2]
出願人が,特許出願時に,特許請求の範囲に記載された構成中の対象製品等と異なる部分につき,対象製品等に係る構成を容易に想到することができたにもかかわらず,これを特許請求の範囲に記載しなかった場合において,客観的,外形的にみて,対象製品等に係る構成が特許請求の範囲に記載された構成を代替すると認識しながらあえて特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたといえるときには,対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情が存するというべきである。

これに対する高林先生の見解は、この下線部2は単なる「例示」であって、そりゃ、「認識しながらあえて特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたといえる」のなら均等を否定すべきであろうから、当たり前のことを言っただけというもの。

高林論文の原文を引用すれば、以下のとおり。

[判例評論716の25-26ページ] (強調は私が入れた)
・・・ 判旨二は結局、・・・ 、・・・、特許権者の側においていったん特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか、または外形的にそのように解されるような行動をとったと認められる場面として、出願人の行動が客観的、外形的なものであることが際立って明確であるひとつの場面を示したものであって、それ以上でもそれ以下でもないといえる(28)。

ここでも、文章の最後に脚注(脚注28)が付けられ、そこで田中判解について触れられている。 具体的には以下のとおり。

[判例評論716の29ページ 脚注28]
田中判解二〇七頁も、「本判決の定立した規範は、そのようなラインの内側に入ってこなくても、均等の主張が許されない特段の事情が存する事例があり得ることを否定してはいない。本判決は、その設定した上記場面において、均等の主張が許されない特段の事情が存する場合を全て示したわけではないことには留意が必要であると思われる。」としている。

このように高林論文では、田中判解も高林先生の考えと同じであると思わせるような書きぶりなのだ。 確かに、最高裁判決のこの判示部分だけを文字通りに受け取れば、高林先生のような解釈ができるかも知れない。 そして高林先生のように解釈する場合は、この判示はほとんど当たり前のことを言っただけであって、そうであれば、この判示は高林先生の考え方とも整合するということになるだろう。 なおこの問題について、Sotoku 9号では以下のように書いている。

Sotoku 9号,20ページ]
 「もっとも」で始まるこの段落の説示には、二通りの解釈が可能かも知れない。 一つ目の解釈は、この段落は出願時同効材の均等論の適用を第5要件で否定すべき一つの例を示したに過ぎないという解釈である。 すなわち、「もっとも」の段落で例示されている場合(すなわち明細書等に記載されているなど、出願人が出願時に置換可能と認識していたものと客観的・外形的にみて認められる場合)であれば、さすがに出願時同効材に対する均等論の適用は第5要件により否定されるが、それは例示に過ぎず、出願時同効材に対する均等論の適用が第5要件で否定される場合は他にもある(すなわち、当業者であれば当然気づいてクレームしてしかるべきものであったような場合は第5要件の「特段の事情」に該当するとみなして均等成立を否定しうる)という解釈である。 この解釈の場合、たとえ出願時同効材が明細書等に記載されておらず、出願人が出願時に置換可能と認識していたものと客観的・外形的にみて認められるとは言えないとしても、それだけで第5要件はクリアできず、出願時同効材をクレームしなかった出願人の帰責性をさらに検討しなければ均等論の適用は認められないことになる。
 二つ目の解釈は、「もっとも」の段落の説示こそが、出願時同効材に対する第5要件の判断基準だという解釈であり、出願時同効材が明細書等に記載されておらず、出願人が出願時に置換可能と認識していたものと客観的・外形的にみて認められるとは言えない場合は、基本的に第5要件はクリアできるという解釈である。

Sotoku 9号,22ページの脚注60]
 なお調査官解説において田中は、「もっとも,本判決の定立した規範は,そのようなラインの内側に入ってこなくても,均等の主張が許されない特段の事情が存する事例があり得ることを否定してはいない。本判決は,その設定した上記場面において,均等の主張が許されない特段の事情が存する場合を全て示したわけではないことには留意が必要であると思われる。」(下線追加)と指摘し、本稿の一つ前の脚注(脚注59)で触れた設樂の指摘を引用している(田中孝一, 法曹時報 Vol.69, No. 12 (2017) 3847-3878 の3867ページ)。 しかしながら、第5要件にいう「特段の事情」を肯定できる事情がまだありうるのであれば、本件においてもそれが検討された上で「特段の事情」の該当性が判断されるべきところ、本文中でも指摘した通り、最高裁は本件に関して、「・・・認識しながらあえて本件特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたという事情があるとはうかがわれない」という一点だけを確認し、それ以外の要素を考慮することなく「特段の事情」の該当性を否定しているのだから、最高裁が判示した基準は単なる“例示”ではなく、これさえ言えれば基本的に「特段の事情」の該当性を否定できる十分条件だと解するのが判決の素直な読み方であろう。 したがって、たとえ他に考慮する要素がありうるとしても、そうした考慮が必要となる事例は、設樂が示唆する通り、例外的なケースに限られると解されるだろう。 実際、上で引用した田中の解説論文に掲載されている参考図(3878ページ)でも、そうした事例(著しい過誤や個別的事情がある場合)は小さな円で示されているに過ぎない(なお田中孝一, 「年報知的財産法2017-2018」 (高林龍, 三村量一, 上野達弘 編) 日本評論社 (2017) 14-24 の19ページに掲載されている参考図も同様)。

上に引用したとおり、調査官解説において田中先生は「全て示したわけではない」と言っているのであって、高林先生の「際立って明確であるひとつの場面を示したもの」という表現とはかなりの温度差がありますよね?

私は、この下線部2は単なる「例示」というよりは十分条件に近いものだと最高裁は考えて判決をしたのだろうと解しているわけだが、こういう判決の読み方に関して高林先生は以下のように批判している。

[判例評論716 の 26ページ,1〜2段](強調は私が入れた)
この本判決の判断の経緯(29)からか、本判決を、特許請求の範囲に記載されていない出願時同効材について、出願人において、これが特許請求の範囲に記載された構成と代替しうるものであることを明細書等で開示していたのに、あえて特許請求の範囲の記載から落とした場合でなければ、第五要件にいう特段の事情に該当して均等侵害の主張が排斥されることはないとしたものであると理解する立場(30)があるようである。 このような理解は、特段の事情に該当する場合を例示した判旨二を、それ以外の場合であれば特段の事情には該当しないと反対解釈するものであって、判旨二の射程を理解するうえでも、看過することはできない

上の引用中の「脚注30」には小島喜一郎先生の意見などが触れられている。 小島先生は出願時同効材に対する均等論の適用を否定的に考えている先生で、どちらかというと高林先生の側にいる学者とみなされていると思われるが、高林論文では、あえて小島先生の意見を「看過することはできない」と厳しく批判することで、高林説と最高裁判決が同じ側にいることを強調するような論じ方となっている。 しかし、判決文の下線部だけを切り取って論じる高林論文のような批評があるべき判例批評ということでもないんじゃないかなぁ。 それに、最高裁自身が「・・・認識しながらあえて本件特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたという事情があるとはうかがわれない。」「原審の判断は,これと同旨をいうものとして是認することができる。」と説示し、反対解釈を使って原審の判断を是認するような言い方をしているのに、高林論文ではそれを批判もせずに看過しているじゃないの。。

結局、今回の最高裁判決に対する高林先生の解釈は、判決文の下線部1については、出願時同効材をクレームに記載しなかったという「一事」をもって第5要件により均等を否定するのは妥当ではないという当たり前のことを判示したものに過ぎず、判決文の下線部2については、出願時同効材を認識しながらあえてクレームに記載しなかった旨を表示していたといえる場合はさすがに第5要件により均等を否定すべきだという、これまた当たり前のことを判示したものに過ぎないというものだ。 もしそうだとすれば、この最高裁判決はほとんどの人がそう思っている当たり前のことを確認しただけの判決だったということになるだろうね。


3.
今回の高林論文では、2006年に塚原コートが行った「椅子式エアーマッサージ機事件」判決(平成17年(ネ)10047;平成18年9月25日判決)についても論じられている。 この判決は、出願時同効材に対する均等侵害を肯定した先駆的判決だ。 この判決で裁判所は、均等の第5要件の判断規範に関して、「・・・ 意識的に除外されたというには,特許権者が,出願手続において,当該対象製品に係る構成が特許請求の範囲に含まれないことを自認し,あるいは補正や訂正により当該構成を特許請求の範囲から除外するなど,当該対象製品に係る構成を明確に認識し,これを特許請求の範囲から除外したと外形的に評価し得る行動がとられていることを要すると解すべき」と説示した。 「明確に認識し,これを特許請求の範囲から除外したと外形的に評価し得る行動がとられていることを要すると解すべき」という表現は、今回のマキサカルシトール事件の最判における「認識しながらあえて特許請求の範囲に記載しなかった旨を表示していたといえるとき」という表現や、その原審(平成27年(ネ)10014)が判示した「認識していたものと客観的,外形的にみて認められるとき」という表現ともよく似ており、「椅子式エアーマッサージ機事件」における判示が今回の判決に影響を与えた可能性が示唆されるだろう。 塚原先生は退官後、「知財高裁における均等侵害論のルネッサンス」(塚原朋一, 知財管理, Vol. 61, No. 12 (2011) 1777-1787)という論文も書いており、そこでは均等侵害を認めることについてかなり積極的なことも書かれている。 この「椅子式エアーマッサージ機事件」判決が示した第5要件に関する規範は、少なくとも高林先生の考え方とは真逆と言えるほど違うのではないかと私は感じるのだが、今回の論文で高林先生は、エアーマッサージ機事件の判示は、第5要件の「意識的除外などの特段の事情」の1つに過ぎない「意識的除外」の該当性に関する規範を説示したに過ぎず、「特段の事情」の該当性に関する規範を示したものではないのだから高林説を否定するものではない旨を論じている。 具体的には以下のとおり。

[判例評論716 の 25ページ,1段目](強調は私が入れた)
ボールスプライン事件最三判の判示した第五要件は、「意識的に除外されたものであるなどの特段の事情もないこと」であるから、最終的な要件は「特段の事情」のないことであり、・・・、「特段の事情」とは、「意識的に除外した」など、「特許権者の側においていったん特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか、または外形的にそのように解されるような行動をとったこと」をいうものと理解される(25)。

[判例評論716 の 29ページ,脚注25](強調は私が入れた)
すなわち、ボールスプライン事件最三判の判示によるならば、・・・、意識的に除外した場合以外にも特許権者の側においていったん特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか、または外形的にそのように解されるような行動をとった場合も特段の事情が認められることになる。 そうであるならば、結局、・・・(エアーマッサージ事件)は、「意識的に除外されたというのは」特許権者が出願手続において「意識的に除外したと客観的に評価される行動をとった場合のこと」をいうと、循環論法的判示をしつつ、意識的除外について客観的と評価できる行動を求めたにすぎないものといえる。 しかし、第五要件は出願人・特許権者の意識を問うものではなく、外形的にそのように解される行動をとったことを要件とするもので・・・、・・・、・・・あることから、前記東京高判(ママ)の判示は当然のことを述べたにすぎず、それ以上でもそれ以下でもない。

確かに、エアーマッサージ機事件で裁判所は、「意識的に除外されたというには・・・」と説示しただけで、「特段の事情にあたるというには・・・」と説示したわけではないから、「意識的に除外されたわけではないが特段の事情にあたる場合」については、裁判所は何も説示していないと解する余地はある。 これについては Sotoku 9号でも書いた。

Sotoku 9号,脚注10]
・・・、均等論の第5要件に関して最高裁は、「・・・ 意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないとき」(下線追加)と判示した。 すなわち、第5要件で均等論の適用が否定される場面には、「意識的除外」だけでなく、それ以外の特段の事情もあり得ると解する余地がある。 これに対し、エアーマッサージ機事件において被疑侵害者は、本稿の本文中に引用した通り、被疑侵害者の実施態様は「意識的に除外された」と主張し、知財高裁も、それに応じて「意識的に除外されたというには,・・・」 と判示した。 やや言葉遊び的ではあるが、エアーマッサージ機事件において知財高裁が第5要件について説示した判断基準は、「特段の事情」の中の「意識的除外」に該当すると判断するための基準であって、意識的除外以外の「特段の事情」(例えば、クレームしておくべきであったのにクレームされていない場合であって、出願人の帰責性を問えるような場合)に該当すると判断するための基準については別論だと考えていたと解釈することは不可能ではない。 エアーマッサージ機事件の判示をそう捉えるのなら、弁論主義のもと裁判所は、出願人は(クレームすべきであったのにクレームし忘れたとは言えても)、意識的に除外したわけではないという、単に当たり前に近いことを言っただけの判示だと捉えることは可能かも知れない。 しかし一般には、この判決はそう受け取られてはいないだろう。

結局のところ、今回の高林論文は、マキサカルシトール事件の最高裁判決やエアーマッサージ機事件の知財高裁判決は「当然のことを判示しただけ」で、「それ以上でもそれ以下でもなく」、判決の射程は極めて狭いと捉えることで自説とも整合性のある判決だと解釈しているということになるだろう。 しかし判決文や調査官解説を読むかぎり、私は、今回の大合議判決や最高裁判決で判決を行った裁判官やそれに関与した調査官は、少なくとも判決を行った時点ではもっと広く出願時同効材の均等を認めてもいいと思っていたと解されると思うし、そういう判決文や解説を書いたこと自体を批評の対象とすることもまた有意義なことだ(つまり、判決の射程に対する批評はともかく)と思うから、Sotoku 9号では判決に関して高林論文の立場とは逆の解釈をしながらそれを批判した。 これはSotoku 9号を公開したときの最後にも書いたとおり、初めから高林先生のような立場は採りたくないから。 プロダクト・バイ・プロセス(PBP)クレームの最高裁判決のときのように、ほとんどの人が「あの最高裁判決はおかしい」と思っている状況であるのならいいかも知れないけれど、今回はそうではないのに判決の射程を狭く解釈して「当然のことを判示しただけ」などと論じても、同床異夢の促進にしかならない気がする。

でもまあね、逆に言えば、今回の判決はおかしいとみんなが納得するようになったあかつきには、高林論文のように、判決の射程を狭く解釈してこの判決を無効化することは必要になるかも知れないし、そういう意味では、今回の高林論文も「気が付けば高林説」という高林マジックの種をまいた論文だと捉えることも可能かも知れない。

*     *     *

Sotoku 9号を書いているときから私が期待しているのは、高林先生と設樂先生がこの問題で和解することだ。 もし「別に対立していない」というのなら、そのことを明らかにすることだ。 これまで見てきたとおり、今回の高林論文では、マキサカルシトール事件の最高裁判決や田中判解については、高林説に沿っているという論調で書かれており、エアーマッサージ機事件の判決でさえ高林説と整合性があるという論調で論じられているが、今回の最高裁判決の原審である大合議判決(平成27年(ネ)10014)や、大合議判決の際に裁判長を務めた設樂先生が書いた論文(設樂隆一,日本工業所有権法学会年報 38号,有斐閣 2015,251-271)に関しては、高林論文では詳しく論じられておらず、自説に沿うものだとも書かれていない。 まぁ、さすがにそれは書けなかったんだと思うが。。

田中判解では、出願時同効材の均等を一切認めない説(A説)と、それを否定する説(B説)という分類分けをして、A説に高林先生を分類したわけだが、元はといえば、こういう分類を行ったのは設樂先生だ(日本工業所有権法学会年報 38号 の 264ページ)。 そして大合議判決においてそれを否定した(ように見える)。 こうした経緯からは、高林先生と設樂先生は真っ向から対立しているようにも見える。 しかし高林先生自身も今回の論文で書いているとおり、高林先生はもとから出願時同効材の均等を一切認めないという立場ではないので、そもそもそこにボタンの掛け違いがあるように思う。

2014年の日本工業所有権法学会は「均等論,覚醒か死か」というテーマだったが、それを踏まえているのだろう、今回の論文で高林先生は「結局、本判決によって均等論は覚醒したということはできず」(27ページの3段目)と書いている。 これとは対照的に、設樂先生の方は退官後の講演で、当時の学会での出来事に関し、「均等論は死んだのかと訊かれたんで、『いや死んでない』と言ったんです。」みたいなことを言ってたの(笑)。 高林先生の方は「覚醒していない」と言い、設樂先生の方は「いや死んでない」と言う。 これを見ても二人の立場は正反対だ。 しかし考えてみれば、高林先生は「覚醒していない」と言っただけで「死んだ」とは言ってない(むしろ今回の論文の最後では「定着し続ける」と書いている)し、設樂先生も「死んでない」と言っただけで「覚醒だ」とは言ってない。 だから二人は合意できる余地はあるはずだし、それどころか、特許制度に関する二人の考え方は実は結構近いのではないかと私は思っている。

例えばPBPクレームの解釈に関しても、高林先生と設樂先生はほとんど同じと言っていいほど立場が一致していることは、昨年の4月11日の投稿「プロダクト・バイ・プロセス・クレームの均等論適用解釈論(設樂・高林・田村論文)」で書いた。 そして今回の均等論の問題にしても、Sotoku 9号の「12.」節で書いたとおり、大合議判決は「第5要件」の判断に関しては高林説を否定したようにみせつつ、「第1要件」の判断に関してはまさに高林説(融通性のある文言解釈)を採用したようなものだ。 だから出願時同効材の均等論の問題に関しても二人の考え方は実際にはかなり近いのではないか? しかし、少なくとも表向きはそうなっていないし、世間もそうは思っていない。 そこで、二人でこの問題について話し合うなりして、合意に達してもらって、「出願時同効材の均等論に関して、実は私たちはそう違わない考えですよ。」ということを世間が分かるように公表すればいいと思う。 そうすれば、なかなか面白いサプライズが起こせるし、学術的にもこの問題は前進できるだろう。

ということで、この問題に関して、いつの日か、そういうサプライズが起こることを期待しておこう。 ^^


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする