2019年08月30日

予測できない顕著な効果を否定できない限り進歩性を否定することはできないのか(「アレルギー性眼疾患」事件最高裁判決,平成30(行ヒ)69,令和元年8月27日判決)


この事件については、原審の知財高裁判決(平成29(行ケ)10003; 平成29年11月21日判決;部眞規子裁判長)に対して玉井克哉先生が出された論文(自治研究 94(6) 136-150 (2018))を読んだことをきっかけに、昨年(2018年)の6月22日の投稿で感想を書いたことがあった。 そして本件が上告されていることについては、その投稿の最後で書いたように、「顕著な効果があれば容易なものにも進歩性を認めなければならないのかという問題、特に今回のケースのように、その効果を調べることになるのは当然だと言えるような場合でも、その効果が顕著なら進歩性を認めなければならないのかという問題については、まだ学者や実務家の間で議論する余地は相当残っており、最高裁の一声で決めるべき事柄でもないと思うから、私は、本件については最高裁は介入せず、長い目で見守って頂くことを期待している。」 というのが私の気持ちだった。

ところが本件は最高裁に受理されて口頭弁論が開かれることになってしまい、玉井先生が「少し、わくわくする」とツイートしていらっしゃった。

そして8月27日、原判決を破棄して知財高裁に差し戻す判決が出て、玉井先生も「拙稿と意見が一致」とツイートしているとおり、「玉井先生おめでとうございます」という感じになってしまった。 少なくとも破棄差し戻しと言う結果やその他のいくつかの点では 。

今回の判決に関して玉井先生は、上記のツイートで「合理的なルールの形成をお手伝いするのが法学の役割の一つなので、少し仕事をしたかな、という気がする。」とおっしゃっている。 しかし、判決の拘束力の問題について判示したのならともかく、今回の判決で最高裁は「顕著な効果」について判示したわけで、特に「顕著な効果」と進歩性の関係については、何が「合理的」なのかはまだまだ議論は尽くされていないと私は思う。 だからこの問題について最高裁が早々と口を出すとすれば、それはアカデミアの機能や役割を最高裁が妨害することになると思う。 もし今回の判決がそういうものであるのなら、今回の判決は批判されるべきものだと私は思うし、逆にそういうものではないとするのなら、今回の判決の射程は、そうした論点に影響を及ぼさないほど「狭い」と理解すべきだろうと思う。

そういうことも考えながら、今回の最高裁判決で私が感じたことを書いてみたい。

*      *      *


(1)最判の核心部分

今回の最判の核心部分は、何と言ってもここだろう。

[平成30年(行ヒ)69 判決より]
・・・本件各発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができなかったものか否か,当該構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであるか否かという観点から十分に検討することなく,・・・

これについては、Sotoku 10号で私も次のように書いている。

Sotoku 10号の脚注36]
・・・本件発明の構成)が出願日当時にどのような効果があると予測されていたかが検討され,その予測された効果と比較して本件発明の現実の効果」(速見禎, 知財管理, Vol.67, No.5 (2017) 732-745の739ページ右欄)が高いことが重要なのであり、引用発明の効果に対する高低が重要なのではない(この点、清水元判事も退官後の講演において同旨の発言をしている)。

速水先生の論文を引いたから「予測されていた」と過去形になってしまっているけれど、別に出願当時に予測されていたという事実が必要なわけではなく、出願当時に予測される本件発明の効果と比べて実際の効果がどうだったのかが重要なわけだ。

例えば有害な塩素系フロンを代替できる冷媒ガスを開発していて、塩素を含まない新規な炭環系化合物を開発したとする。 それで、当時の炭環系化合物としては最高の冷媒性能を示したので「顕著な効果」だと主張したところ、審査官や裁判官から「塩素系フロンでは既に達成できていた効果だから顕著な効果とは言えない」と言われたら誰だって頭にくるでしょう? つまり、比較対象として相応しい先行化合物が存在するのに、それとは違う化合物においてその効果が達成されていた、ということをもって「顕著な効果」を否定するのはおかしいということだ。 なぜそうなのかと言えば、効果の顕著性を考える場合は、まずは「本件発明が持っているだろうと予測できる効果」を予測しなければ「予測を超えるか否か」を決めようがないからで、そのためには、なるべく本件発明の構成と近い先行発明を持ってきて、その効果から類推される本件発明の効果に比べて、実際の効果はどうだったのかが検討されるべきなのだ。

したがって、私は上記の最判の判示には同意できる。 ちなみに第一線でご活躍中の高名実務家の高橋先生は本件について、「いろいろと言いたいことはあるけど、何を言っても関係者や判断者が良く思わないだろうから、(後略)」とツイートしつつも、この点については、「効果の顕著性は特定の構成との関係で判断すべき、という抽象的規範には異論はないよね」とツイートされているし、同じく高名実務家の岩永先生もブログで、「・・・,同様の作用効果を有する違う系列の物が知られているからという理由だけでは,顕著で有利な効果の否定はできない,ってことでしょうか。」と書かれている。

上記の判示は、今回の最判の主文の結論に導くために必要十分な判示だと思うから、私は、これが最判の射程だと捉えたい。


(2)構造を異にする先行化合物と比較することは許されないのか?

しかし、上記の考えもあまりに硬直的に考えてしまっては妥当性を欠くことになる。 例えば今回の最判で裁判所は、上記の核心部分の説示に至る前に、以下のようなことを説示している。

[平成30年(行ヒ)69 判決より]
 ・・・他の各化合物は,本件化合物と同種の効果であるヒスタミン遊離抑制効果を有するものの,いずれも本件化合物とは構造の異なる化合物であって,引用発明1に係るものではなく,引用例2との関連もうかがわれない。そして,引用例1及び引用例2には,本件化合物がヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制作用を有するか否か及び同作用を有する場合にどの程度の効果を示すのかについての記載はない。このような事情の下では,本件化合物と同等の効果を有する本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということから直ちに,当業者が本件各発明の効果の程度を予測することができたということはできず,また,本件各発明の効果が化合物の医薬用途に係るものであることをも考慮すると,本件化合物と同等の効果を有する化合物ではあるが構造を異にする本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということのみをもって,本件各発明の効果の程度が,本件各発明の構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであることを否定することもできないというべきである。
 しかるに,原審は,本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということ以外に考慮すべきとする諸事情の具体的な内容を明らかにしておらず,その他,本件他の各化合物の効果の程度をもって本件化合物の効果の程度を推認できるとする事情等は何ら認定していない。

最高裁の上記の説示を形式的に理解してしまうと、本件と全く同じ化合物の効果が引例に示されているか、その効果が高いことが高い確度をもって推認できない限り、本件化合物の効果は常に「予測できない」ということになりかねない。 しかし出願前に、この程度の活性を持つ化合物はたくさん知られていたという事実がもしあるのなら、たとえ構造的に異なる本件化合物においてそれが分かったからといって別に驚くにあたらないと評することはありうるだろう。 つまり、顕著な効果を否定するにあたって、本件化合物やそれと構造的に近い化合物において活性が知られていること(あるいは高い確度をもって推認できること)が必須というわけではないと思う。 構造こそ違えど、他の構造を持つ抗ヒスタミン化合物が、それなりに高いヒスタミン遊離抑制作用も持っていることがあることが知られていたのなら、抗ヒスタミン化合物である本件化合物についても、その程度のヒスタミン遊離抑制作用をもっているのではないかと期待することは当業者が抱く合理的な期待の範囲内であって、驚くに値しないという考えることもできるということだ。 むしろ、原審の判断に違和感を感じるのは、インビボとインビトロの違いを全く無視して効果を比較しているところで、その点は6月22日の投稿でも指摘したとおり。


(3)構造を異にする化合物との比較で「顕著な効果」を否定することは許されないというのなら、構造を異にする化合物との比較で「顕著な効果」を肯定することも許されないはず(宮崎賢司先生の言う相同性理論)

最高裁は、「本件化合物と同等の効果を有する化合物ではあるが構造を異にする・・・他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということのみをもって,本件各発明の効果の程度が,本件各発明の構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであることを否定することもできないというべきである。」と言いながら、「(3) 本件各発明に係る効果」のところで、以下のように説示している。

[平成30年(行ヒ)69 判決より]
(3) 本件各発明に係る効果
 本件特許の特許出願に係る明細書(以下「本件明細書」という。)に接した当業者が認識する本件各発明に係る本件化合物のヒスタミン遊離抑制効果は,本件明細書記載の実験(ヒト結膜肥満細胞を培養した細胞集団に薬剤を投じて同細胞からのヒスタミン遊離抑制率を測定する実験)において,本件化合物(シス異性体)のヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制率が,30μMから2000μMまでの濃度範囲内において濃度の増加とともに上昇し,1000μMでは66.7%という高いヒスタミン遊離抑制効果を示し,その2倍の濃度である2000μMでも92.6%という高率を維持していたというものであり,これに対して,抗アレルギー薬として知られるクロモグリク酸二ナトリウム及びネドクロミルナトリウムが,2000μMまでの濃度範囲でヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離を有意に阻害することができなかったというものである

本件発明の効果に関する上記の最高裁の説示を読むと、「クロモグリク酸二ナトリウムやネドクロミルナトリウムなどの先行化合物はヒスタミン遊離抑制作用を示さなかったのに対し、本件化合物は活性を示したのだから、これは予想外の顕著な効果だな」などと思ってしまうかも知れない。 しかし、クロモグリク酸二ナトリウムやネドクロミルナトリウムは、それこそ本件化合物とは「構造を異にする」化合物だ。 もし最高裁が、本件化合物とは構造を異にする化合物が同等の効果を発揮することが知られていたということのみをもって「顕著な効果」を否定することは許されないというのなら、本件化合物とは構造を異にするクロモグリク酸二ナトリウムやネドクロミルナトリウムが本件化合物と同等のヒスタミン遊離抑制作用を示さなかったということのみをもって本件発明の効果を「顕著な効果」と認定することも許されないというべきだろう。 これは宮崎賢司先生が最近書いた論文で指摘している「相同性理論」(二枚舌禁止など)(tokugikon no. 293)みたいなものだ。

要するに、効果を比較するのに相応しい先行化合物は何かということを考え、そういう化合物があるのなら、それと比較すべきということだ。 そして本件化合物と比較すべき先行化合物としてふさわしい化合物の代表例は、本件の医薬品承認にあたって厚労省所管の機構(PMDA)が出した報告書でもそうなっているとおり「ケトチフェン」ではないか? そしてPMDAの報告書によれば、本件化合物が持つヒスタミン遊離抑制作用は、ケトチフェンの24分の1でしかない(2018年6月22日の投稿の「3−2.効果に顕著性がないという判断は、まったく不当とまでは言えない」を参照)。 これが正しいのだとすれば、本件化合物が示したヒスタミン遊離抑制作用が予想外の顕著な効果であるのかという点については疑問が生じるだろう。 また、この出願の明細書作成者は、なぜヒスタミン遊離抑制作用を示さない先行化合物との比較実験だけを明細書に記載し、ケトチフェンとは比較しなかったのか、という疑問も生じるところだ。 まあ当時の事情は知らないが。


(4)医薬用途発明であることは、進歩性のハードルを下げる理由となるのか?

なお、発明の効果が「顕著な効果」と言えるか否かの判断について、今回の最判には、「・・・,また,本件各発明の効果が化合物の医薬用途に係るものであることをも考慮すると,・・・,本件各発明の効果の程度が,・・・顕著なものであることを否定することもできないというべきである。」と説示している箇所があり、これについて高石先生は射程範囲が問題となる旨をツイートされている。

この説示を見て思い出すのは、冒頭で紹介した玉井論文だ。 昨年の6月22日の投稿でも書いた通り、進歩性を認めるべき「顕著な効果」に関連し、玉井先生はその論文の中で、「医薬品分野においては、他の分野とは異なり、既存発明と同程度の効果を発揮するに過ぎない技術的創作であっても、原則として有意味な実用的効果を有する、と考えるべきである。」、「・・・既存医薬品と同程度の効能を有する医薬品を創出する発明は、医薬品分野における多様性をもたらすものとして、効果顕著性ありとすべきである。」 と論じていた (玉井克哉, 自治研究 94(6) 136-150 (2018) 141ページ)。 今回の最判が、進歩性を肯定するに足る「顕著な効果」を否定できないという文脈の中で「医薬用途に係るものであることをも考慮すると」と説示していることからして、最高裁は、医薬用途発明に関しては、低い効果であっても「顕著な効果」だとみなされるということを前提として説示を行っている可能性は考えられるだろう。 あるいは、今回の最判における玉井論文の影響を示唆するものと考えることもできるかも知れない。

しかし、これについては先の投稿でも書いた通り私は批判的で、医薬分野についてだけ、類似品を増やすことを「特許制度として」特別にサポートする理由などそもそもないと思うし、現在の特許法が立法を経ずしてそれができる理由もないと思う。 ちなみに医薬品の特許延長制度は一見すると医薬発明を特別に厚く保護しているように見えるが、実際には、医薬品の製造販売承認を受けるにあたって国の規制により定型的に生じる特許期間の侵食をそのまま回復させているだけであって、医薬発明を特別に厚く保護しているわけではない。 その辺は同志社大の井関涼子先生がずっと指摘されているとおりだろう。

もし本件発明が、本件化合物を初めて作り出した発明であったり、本件化合物の抗ヒスタミン活性を初めて見出した発明であるのなら、私も喜んでその発明の進歩性をサポートするだろう。 たとえ既存の抗ヒスタミン剤と活性が変わらない、あるいは既存薬よりも若干活性が低下したものであったとしても、もし本件化合物が新たな構造を持つ新規化合物を提供した発明であるのなら、喜んでその進歩性をサポートするだろう。 しかし残念ながら、本件発明はそのような発明ではない。 この化合物は本件出願前に抗ヒスタミン剤として既に知られており、結膜炎の動物モデルにおいて治療効果も確認されていたものだ。 この化合物をヒト細胞に添加し、既存の抗ヒスタミン化合物が持っていることも多い「ヒスタミン遊離抑制作用」を検証していくのは実験の自然な流れとも言える。 そのような実験を行った者に対し、医薬分野だからといってわずかな進歩でも特許を与えてしまっては特許制度を歪めてしまうことになる。

それに、わずかな効果を基に医薬用途発明の出願を行う者が、その医薬品を製品として開発して上市してくれる者である保障はまったくない。 わずかな進歩しかない医薬用途発明の特許を濫立させることによって、医薬産業が発展するとも、より多くの医薬品が上市されるとも期待することはできないのではないか。

そうした医薬品に対する保護は、医薬品を実際に開発し、手間と金のかかる治験を経て上市してくれた者に与えることこそ相応しい。 そうすると、6月22日の投稿でも書いた通り、この問題は特許制度として扱うよりも、薬事制度として適切な保護を行うようにする方が合理的だと思う。

[2019/8/30 追記]
但し、後述の(7)で、進歩性判断における「意味づけ」について触れるけれど、その部分で発明分野に応じた違いは事実上考慮されるのかな、という気もする。 私は効果の顕著性はあくまで技術的な観点で考えたくて、産業政策的に進歩性のレベルを上下させべきだという発想はないのだけれど、例えば「これだけの効果の違いでも、新薬として売りにできるほど違いだから顕著な効果だ」というような判断は、私としてはあり得る気がしており、果してこれが技術的な観点なのか、産業政策的な観点も含まれているのかは、確かによく分からないところがある。



(5)進歩性なしという結果から逆算して「顕著な効果」を否定する裁判所の実務が論理的な隙を生むことになる(という可能性)

これは想像でしかないけれど、もし裁判所が、「この発明には顕著な効果がないから進歩性を否定しよう」と考えているのではなく、「この発明には進歩性がないから顕著な効果を否定しよう」と考えて判決文を書いているのだとすれば、そういう裁判所の実務こそが、顕著な効果を否定する論理構成を捻じ曲げ、ひいては上級審で否定されてしまう原因になるのだと言いたい。

裁判所の実務が本当はどうなのかという点については、実際に判決を行った(行っている)裁判官が明らかにしない限り表には出てこないだろうが、判決文を読む限り、そういうことを疑わせる事例はあるという気がする。

「シュープレス用ベルト事件」に関して前回の投稿で書いたとおり、この問題に関連して元知財高裁所長の清水先生は、顕著な効果があれば容易なものでも進歩性を認めるという考え方(独立要件説)について、「多くの裁判例の立場である」、「他の多くの裁判例と同様に」と論じている。 確かに多くの判決はそうなっているのかも知れない。 しかしそれは単に、多くの判決文の「体裁」がそうなっているというだけであって、特に進歩性を否定する判決をする場合に、「この発明には顕著な効果がないから進歩性を否定しよう」と考えているのではなく、「この発明には進歩性がないから顕著な効果を否定しよう」と考えて判決文をそういう体裁にしているという可能性は否定できないのではないかと思う。

仮に後者のような考え方、すなわち、「この発明には進歩性がないから顕著な効果を否定しよう」と考える場合、判決文においては「顕著な効果なし」という結果ありきで「顕著な効果」を否定することになるから、どうしても論理付けが強引になってしまだろううし、論理的に破綻してしまうことも多くなるだろう。

但し、仮にそういうことがあるとしても、裁判所だけを責めるわけにはいかないかも知れない。 なぜなら、「顕著な効果があれば進歩性あり」という「独立要件説」的な考え方はなかなか強固な通説であって、田村先生も最近の論文で「独立要件説的な説示の影響力を物語る」と書いている(パテント8月号 2019, Vol.72 No.9, 5-12の脚注20)。 裁判所としても、そういう通説に反するような判決文は書きにくいだろうから、進歩性を否定する場合は、必ず「顕著な効果」も否定しておこうという気分になってしまうこともあるのではないだろうか(まぁ、全部想像ね)。

そういう気持ちから脱して、たとえ「顕著な効果」があっても進歩性を否定するときは否定するのだという判決文を書いてもらうには、裁判官に、それだけの勇気と、ある程度の勝算を持ってもらう必要があるわけで、私はそういう勇気や勝算を与えるのがアカデミアの役割だと思うし、そういう意味で、「顕著な効果」があっても進歩性を否定すべき場合はあるのだと論じる田村先生には大いに期待しており、また、そう論じる論者がもっと多く出てこなければならないと思っている。(もちろん、パブリック・ドメイン・アプローチの重要性を説く𠮷田先生にも期待している)

ちなみに欧州特許庁では、予想外の顕著な効果があっても進歩性を否定すべき場合があることを明示的に定めており、発明に至る道が一本道である場合は、それによる効果は単なる「bonus effect」とみなして進歩性を否定するということになっている(EPO審査基準 Part G, Chapter VII, 10.2)。 これは、本当に「一本道」である場合に限られず、選択肢が複数であったとしても、その数が限られており、それらの選択肢は近いうちに試されることになるだろうと認定できる場合も同様だろう。 日本でも、立法によらずにこうした考え方を採ることは可能だろうし、審査基準としても、こうした考え方を明記しておくことを考えた方がよいのではないかと思う。


(6)最判は「独立要件説」を支持したのか

今回の判決文で最判は、「本件特許に係る発明の進歩性の有無に関し,当該発明が予測できない顕著な効果を有するか否かが争われている。」と述べるだけで、「顕著な効果があれば進歩性あり」とは判示していないから、「独立要件説」の立場をとっているとまでは言えないと解したい。(なおツイートには、独立説を採ったと評価できるとするもの(高石先生)や、そうとも言い切れないとするもの(田中先生)などがある。) (田中先生のブログの記事(『最高裁は効果の独立要件説を採ったのか? 日本 最高裁 進歩性(非自明性) 』(8月31日)、『最三小判令和元年8月27日(平成30年(行ヒ)第69号)後の差戻審についての覚書』(9月1日))も参照。)

本件において予測できない顕著な効果を有するか否かが争われていることを見た最高裁は、今回の最判で、「顕著な効果を判断するなら、ちゃんと判断しろ」と言ったまでであって、「顕著な効果があれば進歩性あり」と言ったわけでもなければ、「本件の進歩性の判断において、顕著な効果を判断する必要がある」と言ったわけでもないし、本件が、「顕著な効果があれば進歩性が認められる案件であるのか否か」については最高裁は関知しないし責任も負っていない(と思いたい)。

そもそも特許法29条2項は、「容易に発明をすることができたときは、その発明については、・・・、特許を受けることができない。」と定めている。 そうすると、容易に発明をすることができたにもかかわらず、予想外の「顕著な効果」があったことをもって進歩性を肯定するとすれば、29条2項に反することになるのは明らかだろう。 今回の判決で裁判所は、顕著な効果を否定した原審の判断について「・・・,法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ない。」と判示しているが、それを言うならそもそも29条2項の判断(容易に発明をすることができたか否か、の判断)において、「顕著な効果」が進歩性肯定に働く要因として常に作用できると考えることは、法令の解釈適用としてできるものではないはずだとも思う。

もし「発明の効果」によって進歩性が肯定される場合があるとすれば、それは「容易に発明をすることができた」(29条2項)という判断に影響を及ぼすような効果がある場合に限られるべきだろう。 それは、一体どのような場合なのだろうか?


(7)「顕著な効果」を否定できない限り進歩性を否定できないという呪縛から逃れよ

「顕著な効果」によって「容易に発明をすることができた」(29条2項)ことを否定できるような場合とは、具体的には、以下のような場合だろう。

顕著な効果により進歩性が認められる場合の例

ある発明者は、コレステロール生成阻害剤として既に知られているピリミジン環を有する既知化合物(化合物A)を改変することを考えた。 改変とは具体的には、化合物Aの一部の置換基を、他の置換基に取り換えることであるが、「他の置換基」に取り換えるといっても、誰も知らない新たな置換基に取り換えるわけではなく、周知な置換基(フェニル基とか、ベンジル基とか、そういうもの)に取り換えるだけだ。 また、そういった置換基に置換した化合物を製造する手法自体は周知技術であり、容易だ。 但し、化合物Aのどの置換基を、どの他の置換基に置換するかには様々な組み合わせがあり、その組み合わせの数は「2000万通り」は下らない。 改変により活性が低下したり、喪失することもあるだろうし、上昇することもあるだろう。 しかし一般的には、でたらめに改変すれば活性は低下することが多いのは技術常識であろう。 そしてこの発明者が、化合物Aのピリミジン環の2位という部位についている置換基に含まれるメチル基をメチルスルホニル基に置換したところ、同等以上の活性を持つ化合物Bが得られ、ベンジル基に置換したところ活性が1/3に低下した化合物C(でたらめに改変すればこのくらいに低下するだろうという程度に活性が低下した化合物)が得られた。

これは「ピリミジン誘導体事件」に基づく例で、私がSotoku 10号に書いたものだ。 上記の「化合物A」とは引用発明の化合物、「化合物B」はピリミジン誘導体事件の本件発明の化合物であり、「化合物C」は私がでたらめに作った化合物だ。 このうち、「化合物B」には進歩性は認められるべきだが、「化合物C」には進歩性は認められるべきではないと私は思う。 「化合物C」はでたらめに作っただけだからね。 「化合物B」も「化合物C」も、2000万通りの組み合わせの中の一つであって、それらを選択する動機付けは特にない点では一致している。 それなのに、なぜ「化合物B」にだけ進歩性が認められ、「化合物C」には進歩性が認められないのだろうか? それは、「化合物B」には(進歩性を認めるに足る)「顕著な効果」があると認められ、「化合物C」にはそれがないからだ。

「化合物C」は、考えられる2000万通りの改変の組み合わせの中の一つで改変したら、「任意に改変すればこのくらいに低下するだろう」という程度に活性が低下した化合物が得られたというもので、「顕著な効果」は認められない。 それに対して「化合物B」は、「化合物A」と同等以上の活性を示したというのだから、「任意に改変すればこのくらいに低下するだろう」という予測を上回る活性を示したと言えるだろう。 つまり、「本件各発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができなかったもの」、「当該構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なもの」と言いうる効果だ。 そして、その効果があることにより、「化合物B」という発明は、「確かに、2000万通りの選択肢の中からそういう化合物を選び出すのは 『容易に発明をすることができた』とは言えないよね」と評することができるから、「顕著な効果」によって「容易に発明をすることができた」(29条2項)ことを否定できるような場合となるのだ。

このように、「顕著な効果」により進歩性が認められるためには、その前提として、本件発明の構成に到達にするまでには道は一本ではなく、たとえ一つ一つの道を歩くことは容易であるとしても、「本件発明の構成」に至る道を当業者が選び出すことはそうそうすぐに起こることではないだろうという事情が必要なのだ。 「顕著な効果」とは、そういう場合において、「なるほど “当たり” を引き当てたね」とみなせるほどの効果のことを言い、その場合に限って「顕著な効果」は進歩性を認める理由となるべきだと思う。 したがって、そもそも選択肢が一つしかなく、その構成が試されるのは時間の問題であった場合は、「顕著な効果」により進歩性が認められるための前提を欠いており、顕著な効果があっても進歩性は認めるべきではない。

ちなみに、「化合物C」の進歩性はどのように否定されるかというと、確かに多数の選択肢の中から「化合物C」を選び出すことはそうそうありそうにないという意味では容易に到達できるとは言えないが、「化合物C」の効果は、他の選択肢をでたらめに選択した場合と同等の効果しか発揮しない以上、「化合物C」という発明は、「でたらめに選択した発明の一つ」に過ぎないと評されるのであり、「でたらめに選択した発明の一つ」を発明することは容易だと解される以上、「容易に発明をすることができた」(29条2項)ことになり、進歩性は否定される。

上記のとおり、「発明の効果」を考慮することによる進歩性の判断は、ある種の「意味づけ」を伴う(Sotoku 10号の脚注38や、2019年4月24日の投稿の最後の部分を参照)。 つまり、「化合物C」は「でたらめに選択した発明の一つ」という意味づけがなされることにより容易だと判断されるのに対し、「化合物B」は「でたらめに選択した発明の一つ」とは思えない程度の効果(これを「顕著な効果」という)があることにより、「でたらめに選択した発明の一つ」という意味づけが回避され、進歩性が肯定される。 したがって、私はこれを「意味づけ要件」(あるいは「進歩性の第2要件」)と呼んでいる。

以上に説明した、私が思う「あるべき進歩性の判断手順」をまとめると以下のようになる。

[あるべき進歩性の判断手順]
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但し、上に示した考え方は、実務家の間で一般に理解されている「顕著な効果」の考え方とは異なっているだろう。 実務家の間で一般に理解されている「顕著な効果」の考え方は、以下のようなものだ。

[森田裕, 日本知財学会誌 Vol.16, No.1, 2019 31-40 の 図1]
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すなわち、まず進歩性判断の第1段階で、「発明の構成」が容易想到であるか否かが判断される。そして、「発明の構成」が容易ではない場合、進歩性は直ちに肯定される。 そして「発明の構成」が容易ではない場合でも、進歩性判断の第2段階で「発明の効果」が検討され、その効果が「顕著な効果」である場合は進歩性が肯定される。 このように、通説的な理解では、「顕著な効果」は「発明の構成」が容易な場合の救済策として位置づけられており、いわば進歩性肯定のダブルチャンスが用意されているというのが通説と言えるだろう。

通説的な理解(下図)でも、私の考え方(上図)でも、「発明の効果」が検討されるのは第2段階においてである。

「発明の構成」が画期的に新しいもの(複数の選択肢の中から選んだだけというものではないもの)である場合は、通説的な理解(下図)と私の考え方(上図)とで違いは生じない。 なぜなら、「発明の構成」が画期的に新しいということ自体が、「でたらめ・ありきたり」ではないことを推認させるから、効果の「大きさ」を考慮するまでもなく第1要件も第2要件(意味づけ要件)もクリアできるからだ。 通説的な理解(下図)と私の考え方(上図)で違いとで違いが生じるのは、複数の選択肢の中からでたらめに選んだだけの発明(上記の「化合物C」のような発明)に進歩性を認めるか否かという場面と、発明に到達することが一本道(時間の問題)であった場合でも効果が高ければ進歩性を認めるのか否かという場面であり、通説的な理解では、どちらの場合も進歩性を認めてしまうのかも知れないが、私の考え方では進歩性は否定されることになる。

「ピリミジン誘導体事件」判決では、膨大な選択肢がある場合は、それだけをもって進歩性は肯定され、効果の検討は不要とされた。 これは通説的な理解(下図)に沿うものであるが、そのような考え方では、上記の「化合物C」のようなでたらめ発明の進歩性を否定することができない点で不都合があり、私はそのことをSotoku 10号で指摘した。 そして今回の「アレルギー眼疾患事件」は、それが調べられるのは時間の問題になっていたとも思われる発明の効果が「顕著」であった場合に、進歩性は肯定されるのかが問われている。 容易なものでも効果が顕著であれば進歩性を認める通説的な理解(下図)に基づくのであれば、進歩性は肯定されうるのかも知れない。 しかしそのような考え方を採ったのでは、特許制度は「容易ではない」発明を保護する制度というよりも、目ざとい人々によって発明が独占される制度となってしまうのではないか。

ちなみに、上に引用した通説的な進歩性の考え方の図を作成した気鋭の若手実務家の森田先生は、次のようにツイートされている。

[6月14日ツイート]
特許って最高の発明を保護する制度じゃなくて、最低の発明保護に適した制度。皆が次の日に思いつくようなことを出願しておけば20年独占できるわけです。(後略)

これを受けて高橋先生は、やや自嘲気味に、次のようにツイートされている。

[7月29日(1)]
特許は、皆が次の日に思いつくことを権利化して他人の事業を邪魔することを可能にする制度だ、しかも同業他社の製品が明らかになってから補正とか分割をするという合法的な嫌がらせ手段が多数備えられている、ってことに疑問を抱かなくなってからが一人前の実務家だよ。

[7月29日(2)]
ライセンス料をしっかり稼げている特許発明で感動的な大発明はかなり少なくて、たいていは、中身のないくっだらねぇ発明だなぁ、公知例とほとんどおんなじじゃん、特許技術だけでギリ権利化しただけ、みたいなのがガンガン金を稼いでいる。これは特許制度の常識だと思うが。

[7月29日(3)]
特許制度っていうのは一部の頭のいいひとがすごく濫用している制度だよね。それによる社会的損失は甚大。制度維持の人的物的コストも半端ない。しかし、先行技術開発に対する投資保護ぐらいの機能は一応あるし、諸外国も特許制度があるので、廃止するという決断は無理。

(なおこれらの先生方はひどいことを言っているのではない。むしろ、よくぞおっしゃって下さいましたというようなことをツイートしているだけなので念のため。 また、これらのツイートは本事件との関係でされたものではない。)

私も特許制度を廃止しろとは思わない。 しかし、放っておいても近々誰かがその効果を発見するだろうと評されるような発明は、そもそも「顕著な効果」により進歩性が認められるための前提を欠いているのであり、効果の顕著性を判断するまでもなく、進歩性は否定されるべきだと考えるのが妥当だと思うのだが、どうだろうか。

*     *     *

以上のとおり、「ピリミジン誘導体事件」と「アレルギー性眼疾患事件」(本事件)は、「発明の効果」に関する通説的な理解に潜む不都合を露わにさせる好例を提供していると思う。 これを機に、進歩性の判断における「顕著な効果」がどのように位置づけられるのかについて、通説に疑問を持つ人が増えてくれることを期待したい。


[2019/8/30 追記・削除などいくつか実施。。 ]

[2019/9/03 (6)に田中先生のブログのリンクを追記。 ]


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月27日

「顕著な効果」の用途限定権利行使論?「シュープレス用ベルト事件」判決解説(清水節先生,特許判例百選第5版 有斐閣 2019)


清水節先生(前知財高裁所長)が進歩性の顕著な効果に関して「独立要件説」を支持しているであろうことは、2018年6月22日の投稿や、Sotoku 10号 の脚注28でも書いたけれど、今月発行された『特許判例百選 第5版』(別冊ジュリスト 244,小泉直樹,田村善之/編,有斐閣)では、「シュープレス用ベルト事件」(平成24年(行ケ)10004)判決(平成24年11月13日判決)の解説において清水先生が、まさに進歩性の「顕著な効果」の考え方に関して、「顕著な効果の独立要件説」という副題を付けて解説してくれている! 私にとって、清水先生はこの問題を一番解説してほしい人の一人だから、今回の判例百選の解説はとても興味深く読んだ。 といっても、2ページしかないし、あくまで判例解説であって自説を長々と説く場ではないから、情報量は多くないけれど。

私が「独立要件説」に否定的であることはSotoku 10号の脚注38、39でも書いたし、前田先生の論文に対する2019年4月24日の投稿や、田村先生の論文に対する2019年5月30日の投稿でも書いた。 但し、そこに書いたとおり、私は前田先生が解説するような「二次的考慮説」にも批判的で、むしろ「二次的考慮説」は、ある種の欺瞞(すなわち、顕著な効果がなければ “動機付けがある”、“容易想到” だとみなすものを、「顕著な効果」がある場合は一転して “困難だった” とか、 “動機付けがない” とか、 “容易想到ではない” と思うことにするという欺瞞)の上に成り立っているという点で、「独立要件説」よりもたちが悪いかも知れないとさえ思っている。 だから私は、「独立要件説」も、通説的な「二次的考慮説」も、どちらも支持していないのだ。

それについては2019年4月24日の投稿に書いたからいいとして、今回の解説で清水先生は、特にどちらの説を支持しているとは書いていないものの、独立要件説について「従前からの審決(・・・)や多くの裁判所の立場である」と解説している。 そして「シュープレス用ベルト事件」判決に関しても、「他の多くの裁判例と同様に、独立要件説的に理解するのが自然であろう」と解説している。

まあ、こういう書きぶりからして、清水先生は今でも「独立要件説」を支持しているのだろう。

ところで、今回の清水先生の解説には、最後にちょっと驚きのことが書かれている(以下に引用)。

[清水節「進歩性(5)」特許判例百選 第5版 有斐閣 2019 140-141 の141ページ (強調は私が入れた)]
 ・・・,本判決は,本件発明1が,・・・従来から使用されていた硬化剤(ETHACURE300)をシュープレス用ベルトに用いたことにより,・・・クラック発生の防止という予測することができない顕著な効果を奏することを理由に進歩性を認めたものである。したがって,いわゆる用途発明の議論と同様に,従前から当業者が使用していた当該硬化剤をシュープレス用ベルトの製造等に用いたことに対して,本件発明1はどのように権利行使ができるのかが問題となる。 具体的には,・・・当該硬化剤を用いたシュープレス用ベルトを製造等した者は,効果の主張と関わりなく全て特許権侵害となるのか,それともクラック発生の防止という効果を主張した場合に特許権侵害となるのか等の問題が生じ(中山信弘『特許法〔第3版〕』[2016] 139頁参照),今後検討すべき課題となろう。

つまり清水先生は、本件の特許権は、「クラック発生の防止」という用途発明を実施したとみなせる場合にしか権利行使できないという可能性に言及し、これが「今後検討すべき課題となろう」と言っているのだ。 「クラック発生の防止という効果を発揮した場合に」ではなく、「クラック発生の防止という効果を主張した場合に」というのだから、「クラック発生の防止」という効果さえ謳わなければ、たとえ本件発明と構造的に同一のシュープレス用ベルト(結果的にはクラック発生の防止という効果は発揮される)を製造販売しても権利侵害にならないという可能性を示唆しているのだろう。 そうすると、「顕著な効果」や「予想外の効果」を主張して「物質特許」を取ると、その効果を発揮させる「ため」という「用途」にしか権利行使できない「用途特許」になってしまう(ことがある)ということになるのだが、そんなことはあり得るのだろうか? もしそうなら、この特許はとても無力化されることになるね。 ちなみに、清水解説に引用されている中山先生の「特許法 第3版」139頁は、別にそういうことが書かれているわけではなくて、単に「用途発明」はその用途にしか権利行使できないということが書かれているだけだ。

本件特許(特許3698984)の請求項1は、以下のようになっている。

【請求項1】
 補強基材と熱硬化性ポリウレタンとが一体化してなり,前記補強基材が前記ポリウレタン中に埋設され,
 外周面および内周面が前記ポリウレタンで構成されたシュープレス用ベルトにおいて,
 外周面を構成するポリウレタンは,末端にイソシアネート基を有するウレタンプレポリマーと,ジメチルチオトルエンジアミンを含有する硬化剤と,を含む組成物から形成されている,
 シュープレス用ベルト。

つまり、「クラック発生の防止」という用途限定はないし、「クラック発生が防止される」という特性すら記載されていない。 にもかかわらず、「クラック発生の防止」という効果さえ謳わなければ、このシュープレス用ベルトを製造販売しても権利侵害にならないという考え方は、どういう理屈で導き出せるのだろうか。

但し、本件には特殊な事情があって、判決文によれば、係争中に特許権者(原告)は、本件発明は「シュープレス用ベルトの外周面を構成するポリウレタンにクラックが発生するのを防止することを目的」としているのだと主張し、本件発明は以下のように認定されるべきだとまで主張している。

[判決文 原告の主張より]
本件発明1
 補強基材と熱硬化性ポリウレタンとが一体化してなり,前記補強基材が前記ポリウレタン中に埋設され
,  外周面および内周面が前記ポリウレタンで構成されたシュープレス用ベルトに関して,
 シュープレス用ベルトの外周面を構成するポリウレタンにクラックが発生するのを防止することを目的として
 外周面を構成するポリウレタンは,末端にイソシアネート基を有するウレタンプレポリマーと,ジメチルチオトルエンジアミンを含有する硬化剤とを含む組成物から形成されている,
 シュープレス用ベルト。

そして上記の下線部は引用発明との相違点であり、原審審決はそれを看過しているとまで主張している。 まぁ、そこまで言われると、じゃあ、クラック発生防止を目的としていない場合は本件発明には含まれないのだなという気にはなるかも知れない。。

但し、本判決において裁判所は、そうした特許権者の主張を一蹴した上で進歩性を肯定しているから、特許権者が上記のように主張したことが権利行使制限の理由になるとまではいえないように思う。 それに清水先生自身、今回の解説において、上記のとおり「本判決は,本件発明1が,・・・クラック発生の防止という予測することができない顕著な効果を奏することを理由に進歩性を認めたものである。したがって,・・・」というように解説しており、「原告は本件発明がクラック発生の防止を目的とする旨を主張している。したがって,・・・」と解説しているわけではないから、清水先生としては、係争中に特許権者が上記のような主張をしたことが権利行使制限の原因だと考えているわけではなく、あくまで「顕著な効果を奏することを理由に進歩性を認めた」場合の話をしているのだと一応は理解できるだろう。

しかし・・・、清水先生は何故こんなことを書いたのだろう? ひょっとして、独立要件説をそのまま採ったのでは、特許権者に有利すぎるからバランスが悪いと思っているのかな? だとすれば私にとっては歓迎すべき方向ではあるけれど。。

まぁ私としては、たとえ「クラック発生の防止」という効果が予想外であって、その場合に「クラック発生の防止」という用途に限定された「用途発明」の進歩性の有無を考えるとしても、当業者が本件の発明の構成に到達することが時間の問題であったのなら、クラック発生の防止効果が発見されるのも間近であったと言え、進歩性は否定すべきだと思うけどね。。

ということで、私は今回の清水先生の解説を読んで、清水先生は「独立要件説」をもろ手を挙げて支持しているわけではないかも知れない、ということが分かった点で、一条の光が見えたような気がした。 まだ道は長いかも知れないけれど、いつか清水先生が、「独立要件説」を捨てる日が来ることを期待しよう。^^

*      *      *

ちなみに、「シュープレスベルト事件」の進歩性の考え方に関しては、つい最近、田村先生も論文を書いてくれている(田村善之, パテント8月号 2019, Vol.72 No.9, 5-12)。 田村先生は、過去に本件の進歩性の判示を否定的に論じており(パテント Vol69, No.5(別冊15) 2016, 1-12)、そのことについては2018年6月22日の投稿でも書いたけれど、その後も田村先生の考え方が変わっていないのか、ちょっと心配だった。 でもうれしいことに今回の論文で田村先生は、「・・・,動機づけがあることが示されている以上,たまたまとはいえクラックの発生が抑制されることが発見されるのは間近であったといえ,それが予測しがたい顕著な効果であるからといって,あえて特許を与える必要はないように思われる (20)。」と論じており、今でも考え方は変わっていないみたいだ。 私もこの点は田村先生の言うとおりだと思う。

ただし、田村論文(上記のパテント8月号)の脚注20でも指摘されているとおり、本件発明で用いられた硬化剤(ETHACURE300)がシュープレスベルトの製造に使用されることが、本当に時間の問題であったのか、ということについては、若干疑問の余地はあるかも知れない。 判決文を読む限り、ETHACURE300以外にも、使えそうな硬化剤はそれなりに多数存在していたようだから、シュープレスベルトの製造においてETHACURE300に辿り着くことが時間の問題だったとまでは言えないかも知れない。 そうすると、本判決の結論(進歩性ありという結論)自体は批判に値しないということになるから、この事件を、「進歩性を肯定すべきでない発明について、独立要件説に基づいて進歩性を肯定した不当な判決」とまではいえないことになる。 それもあって私は Sotoku 10号(の脚注39)でこの問題を取り上げるときに、この案件を取り上げる代わりに、不当であることがより強く感じられる「芝草品質の改良方法」事件(平成25年(行ケ)10255;平成26年9月24日判決)の方を取り上げたんだ。

まあそれはともかく、田村論文(の脚注20)で田村先生が指摘しているとおり、本判決の論理構成自体は、「ETHACURE300の選択の困難性を論じるまでもなく(・・・),・・・顕著な効果があるがゆえをもって,進歩性が肯定されるという独立要件説的な論法を用いている」のだし、その点は今回の清水先生の解説でも「独立要件説的に理解するのが自然であろう(田村・前掲9頁,反対,前田・前掲36頁)。」と指摘されているし、私もそう思うから、その点で、私は本判決に批判的だ。

なお、上記のとおり清水解説には「反対,前田・前掲36頁」と書いてあって、前田先生は本判決は「二次的考慮説」に拠っていると考えていることが示唆されており、その前田論文(L&T 82, 2019)にはさらに高石先生の論文(パテント別冊15, 2016)が引用され、高石先生も前田先生と同じ見解であることが示唆されているけれど、前田先生のような本判決の見方(二次的考慮説的な見方)は、冒頭で述べたとおり、顕著な効果があることをもって「容易想到ではない」と結論する欺瞞的な論理付けを受け入れる(あるいは問題視しない)ことによって成り立っているわけで、実質的には「独立要件説」と変わるところはないのだからね、というのが私の理解だ。

5月30日の投稿でも言った通り、そうした欺瞞的立場を採らず、本判決を「独立要件説的」だと解説する清水先生の方が、潔いし分かりやすいと思う。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする