2020年06月19日

「独立要件説」ここにあり(令和元年(行ケ)10118「アレルギー性眼疾患事件」差戻審判決 進歩性 顕著な効果)


「アレルギー性眼疾患」事件の差戻審(令和元年(行ケ)10118;令和2年6月17日判決)の判決文が公開された。

本件最判(平成30年(行ヒ)69)の大寄調査官解説に関する一昨日の投稿において私は、「独立要件説論者はいなかった?」などと書いてしまったが、申し訳ございません。 いらっしゃいました、知財高裁に。

今回の判決で知財高裁(第2部 森義之裁判長)は次のように判示した。

[令和元年(行ケ)10118;判決文PDF 48ページ]
上記のとおり,前訴判決は,本件各発明について,その発明の構成に至る動機付けがあると判断しているところ,発明の構成に至る動機付けがある場合であっても,優先日当時,当該発明の効果が,当該発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものである場合には,当該発明は,当業者が容易に発明をすることができたとは認められないから,前訴判決は,このような予測できない顕著な効果があるかどうかまで判断したものではなく,この点には,前訴判決の拘束力(行政事件訴訟法33条1項)は及ばないものと解される。

上に引用したとおり、知財高裁は、「・・・,発明の構成に至る動機付けがある場合であっても,優先日当時,当該発明の効果が,当該発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものである場合には,当該発明は,当業者が容易に発明をすることができたとは認められないから,・・・」と説示して判断を行っている。 つまり効果が顕著なら進歩性ありだと言っているのだから、この説示は「独立要件説」の考え方そのものだ。 (もっとも高石秀樹先生などは、「容易に発明をすることができたとは認められない」というフレーズが入っていることをもって、これを「二次的考慮説」だと認定するのかも知れないが・・・(高石先生の解説の「シュープレス用ベルト事件」の項、および私の2019年10月9日の投稿なども参照)。)

そして裁判所は、これを “前提” にして顕著な効果を判断し、顕著な効果があることをもって進歩性を肯定している。

しかし、この前提がなぜ正しいのかについては、判決文において特に説明はされていない。

ひるがえって本件最判(平成30年(行ヒ)69)はどうか。 これについては前回の投稿でも話題にしたが、最判は、顕著な効果の判断の仕方について判示し、顕著な効果を判断させるために本件を知財高裁に差戻した。 わざわざそのような判決を行ったということは、「顕著な効果があれば進歩性あり」なのだろうと見えるのは確かだ。 しかし実際のところ最判は、「発明の構成が容易でも、顕著な効果があれば容易想到ではない」とは一言も言っていない。 単に判決文の冒頭で「顕著な効果を有するか否かが争われている。」と認定した上で、その判断の仕方について説示しただけだ。

そして前回の投稿でも見たとおり、最判について解説した大寄調査官解説では、「二次的考慮説」と「独立要件説」が紹介された上で、「二次的考慮説」について脚注9で「容易想到性を肯定する方向の事情と総合考慮する見解によれば、予測できない顕著な効果がある場合であっても、必ず進歩性が肯定されることにはならない。」と論じ、「独立要件説」に関しても、「予測できない顕著な効果があればそれだけで進歩性が肯定されるという考え方と 10)、両者を総合的に考慮して、発明の非容易性(進歩性)を判断する考え方とがある 11)。」と論じている。

つまり大寄解説は、「二次的考慮説」については「予測できない顕著な効果がある場合であっても、必ず進歩性が肯定されることにはならない。」と説示し、「独立要件説」についても、予測できない顕著な効果があればそれだけで進歩性が肯定されるという考え方と、そうではない考え方(総合考慮により結論を出す考え方)とがあると説示しているわけだ。

そうすると、「顕著な効果があれば進歩性あり」という考え方は、「独立要件説」の中でも、総合考慮を行わない方の考え方(大寄解説の脚注10の考え方)のみということになる。

そして前回の投稿でも書いたが、大寄解説は、

[大寄解説の112ページ左]
・・・、本判決が前提とする予測できない顕著な効果についての上記判断方法は、二次的考慮説または独立要件説のいずれの立場からも説明可能と思われる 20)。

[大寄解説の113ページ右]
本決は、独立要件説または二次的考慮説のいずれかの立場を前提としたものではなく

と論じている。 つまり大寄解説は、最判は別に「顕著な効果があれば進歩性ありという立場じゃないですよ」と言っているわけだ。 ところが今回の差戻審は、「・・・顕著なものである場合には,当該発明は,当業者が容易に発明をすることができたとは認められないから,・・・」と決め打ちし、これを “前提” にして判断を進めた。 (田中先生は昨日のツイートで、この知財高裁の考え方を「真正(?)独立要件説」と呼んでいる。)

この「真正独立要件説」が29条2項の法解釈として正しいのかどうか、そこが大問題だろう。 大寄解説が言う「総合考慮」を必要とする説は誤りなのか? 「真正独立要件説」という単純な判断規範で法の趣旨が実現できるのか、そこが検証されるべきだと思う。

なお知財高裁が「真正独立要件説」の考え方を採るのはこれは初めてではなく、むしろ普通かも知れない。 よく知られているのが「シュープレス用ベルト事件」判決(平成24(行ケ)10004)で、知財高裁は次のように判示している。

平成24(行ケ)10004(H24.11.13判決;芝田俊文裁判長)]
ETHACURE30を使用することを動機付けられることがあるとしても,本件発明1が,ベルトの外周面を構成するポリウレタンにクラックが発生することを防止できるという,当業者といえども予測することができない顕著な効果を奏するものであることに照らせば,本件発明1は,当業者が容易に想到するものであるとはいえず,進歩性があると認められるから,これを無効とすることはできない。

昨年8月27日の投稿で書いた通り、知財高裁前所長の清水節先生は、特許判例百選第5版(有斐閣 2019)においてこの判決を取り上げて比較的好意的に解説している。

昨年10月2日の投稿で取り上げた「光学活性ピペリジン誘導体事件」(平成24年(行ケ)10206;H25.7.24判決;設樂隆一裁判長)でも、知財高裁は、「顕著な効果を有するのであれば,本件特許発明1の進歩性を肯定することができるというべきであるから」と判示してラセミ体の一方に進歩性を肯定した。

また2018年6月22日の投稿で取り上げた玉井論文に引用されている以下の判決もある。

平成27年(行ケ)10054(H28.3.30判決;清水節裁判長)]
本件発明の構成が,公知技術である引用発明に他の公知技術や周知技術等を適用することにより容易に想到できるものであるとしても,本件発明の有する効果が,当該引用発明等の有する効果と比較して,当業者が技術常識に基づいて従来の技術水準を参酌した上で予測することができる範囲を超えた顕著なものである場合は,本件発明がその限度で従来の公知技術から想到できない有利な効果を開示したものであるから,当業者がそのような本件発明を想到することは困難であるといえる。したがって,引用発明と比較した本件発明の有利な効果が,当業者の技術水準から予測される範囲を超えた顕著なものと認められる場合は,本件発明の容易想到性が否定され,その結果,進歩性が肯定されるべきである。

平成28年(行ケ)10005(H29.1.18;設樂隆一裁判長)]
特許出願に係る発明の構成が,公知技術である引用発明に他の公知技術,周知技術等を適用することによって容易に想到することができる場合であっても,上記発明の有する効果が,当該引用発明等の有する効果と比較して,当業者が技術常識に基づいて従来の技術水準を参酌した上で予測することができる範囲を超えた顕著なものであるときは,上記発明はその限度で従来の公知技術等から想到できない有利な効果を開示したといえるから,当業者は上記発明を容易に想到することができないものとして,上記発明については,特許を受けることができると解するのが相当である。

このように、「真正独立要件説」は知財高裁では最近はわりと普通なのだ。 だから「真正独立要件説」が不適切だと思うのなら、こういう方々が言っていることに反対しなくてはならないわけで、ハードルは結構高いかも知れない。

ともかく、「(真正)独立要件説」はまだまだ健在と思われるので、この問題はまだまだ終わりそうにない。

*   *   *

本件発明の効果が高用量(高濃度)に至るまで用量依存的に上昇したことについて

さて、余談にはなるが、ここで、本件発明の「顕著な効果」と主張されているヒト肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制作用(ヒト肥満細胞安定化作用)について若干コメントしておきたい。

今回の判決文でも被告(特許権者)側は、ヒスタミン遊離抑制作用について、本件化合物が2000μMという高濃度まで濃度依存的な活性増加を示したことを進歩性のポイントとして強調している。

ところで、少し前に公開されたAIPPI の3月号には、本件発明に関して特許庁上席審査官の柴田先生が出された論文(柴田和雄, AIPPI Vol.65, No.3, 2020, 228-248)が掲載されている。 その論文の最後に柴田先生が追記として、「遅まきながら脱稿後に,本件特許に対応する欧州特許出願の実際の審査経過を確認した。」と書かれていて、本件の対応欧州出願の審査において、進歩性の証拠として出願人が提出した学術文献(Brockman et al., Acta Ophthalmol Scand Suppl. 2000;(230):10-5)について触れられていた。 それで、私も遅まきながらその論文を見てみたのだけれど、結構「へー」というような内容だった。 本件発明以前に知られていた抗ヒスタミンであるケトチフェンは、本件化合物(オロパタジン)と同様に高い抗ヒスタミン作用を有するのみならず、肥満細胞からのヒスタミン遊離を抑制する作用(肥満細胞安定化作用)も有しているが、ケトチフェンの場合、濃度を上昇させていくにしたがって、初めのうちはその作用も上昇していくのに、さらにケトチフェン濃度を上昇させると、作用が低下するという現象が起こる(bi-phasic effect)。 それに対して本件化合物であるオロパタジンはそういう現象は起こらず、高濃度でも作用は低下しない。 上記のBrockmanらの論文はその原因を探ったもので、ケトチフェンとオロパタジンが生体膜に及ぼす透過性の変化に着目した。 その結果、ケトチフェンは生体膜の内圧を上昇させる作用が非常に強いのに対し、オロパタジンはあまり上昇させないということが判明したそうだ(下図)。

[Brockman et al., Fig.2]
Brockman_fig2.jpg

特に、ウシ赤血球を用いて薬剤の効果を調べたところ、ケトチフェンは2.5mM(=2500μM)以上になると、赤血球を溶血(hemolysis)させるほどの内圧上昇を引き起こすのに対し、オロパタジンはそういうことはなかった(下図)。

[Brockman et al., Fig.4]
Brockman_fig4.jpg

すなわち、ケトチフェンが持つヒスタミン遊離抑制作用(肥満細胞安定化作用)が、高濃度において失われてしまう原因は、細胞の内圧が異常に高まることで起きており、オロパタジンはそこまで内圧を高めないことを示唆したわけだ。 オロパタジンが高濃度でも安定して活性を示すのは、こういうことだったんだね。

この結果を見ると確かに、オロパタジンはケトチフェンにはない優れた特性があるということになるし、オロパタジンが医薬として製品化されたらいいなという気分にはなるね。 柴田論文によると、欧州ではこれが提出されてすんなり特許になったようだ。 被告(特許権者)もこうした知見を踏まえているからこそ、今回の訴訟において、高濃度でも破綻せずに用量依存的に作用が上昇するということを、本件発明の進歩性のポイントとして強調しているのだろう。

まあ、別に私は今回の差戻審の判決を受けて敗戦処理をしようとしているわけではない(笑)。 柴田先生の論文を読んで、なるほどと思ったことを書いているだけ。 Brockman論文の知見は、本件出願の後に判明した知見であって、本件発明の貢献とは言えないし、本件明細書に掲載されている「表1」から顕著な効果を読み取れるかというと、まあ疑問はあるだろうと思う。 そしてそもそも、「顕著な効果」が進歩性肯定の独立要件なのか、ということが問題なのだ。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月17日

独立要件説論者はいなかった?(大寄麻代最高裁調査官解説「ヒト結膜肥満細胞安定化剤事件」LT No.87, 106-113, 2020)


今回話題にする論文は、公開から時間が経って、その間に事態は動いて、既に時期に遅れたという感じになってしまったが、進歩性の顕著な効果について判示された「アレルギー性眼疾患事件」(ヒト結膜肥満細胞安定化剤事件)の最判(平成30年(行ヒ)69)に関して、前号のLaw & Technology誌に大寄麻代最高裁調査官による調査官解説が掲載されているので、これについて書いてみたい(Law & Technology No.87, 106-113, 2020)。

「アレルギー性眼疾患事件」は、効果の「存在」は容易想到であったという判断が前訴判決(平成25(行ケ)10058)において確定している場合に、その効果の顕著性により進歩性が認められるのかが争われている事件であって、原審の知財高裁の判決(平成29(行ケ)10003)では、顕著な効果とは言えないと判断されて進歩性が否定されたが、本件最判は、その判断について「法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ない。」と説示し、「本件各発明についての予測できない顕著な効果の有無等につき更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。」として原判決を破棄し、本件を知財高裁に差し戻したのだった。

この最判の説示からすれば、差戻審において「予測できない顕著な効果の有無」を判断することを最高裁が求めているのは明らかだろう。 「予測できない顕著な効果がある」と判断することを暗に求めているとまで感じるかどうかは人によるかも知れないが、差戻審において「予測できない顕著な効果がある」と判断されれば、進歩性は肯定されることになると思うのが普通だろう。 そして「予測できない顕著な効果があれば進歩性あり」というのは「独立要件説」の考え方なのだから、最高裁は「独立要件説」を支持した、あるいは、「独立要件説」に親和的だと考えるのは自然であり、実際、高石秀樹先生(パテント Vol.73 No.1 43-63 2020)や飯島歩先生(イノベンティア・リーガル・アップデート,2019/9/16)などはそのように論じているわけだ。

私は、そもそも「独立要件説」に反対だし、本件は「独立要件説」が採れない可能性が想定される案件、すなわち、「顕著な効果」を考えるまでもなく進歩性を否定することがあり得る案件だと思うから、最判があたかも「予測できない顕著な効果があれば進歩性あり」と読めるような判決をしたことは不適切だと思っており、それについて過去の投稿で書いてきたし、今回の最判を、「予測できない顕著な効果があれば進歩性あり」という判示だと解釈するべきではないとも主張してきた(2019年10月09日の投稿『「二次的考慮説」は生き残れるか』等を参照)。

しかしそれは、どちらかというと苦しい主張だった。 というのも、上記のとおり最判は、「予測できない顕著な効果があれば進歩性あり」という立場に立っているように見えるからだ。 だって、そうでないのなら、どうしてわざわざ予測できない顕著な効果の有無等につき更に審理を尽くさせるために本件を原審に差し戻したりする? 最高裁が予測できない顕著な効果の有無につき審理を尽くさせるために本件を原審に差し戻した以上、差戻審の審理の結果、予測できない顕著な効果が認められれば、それは進歩性ありということになるのだろうと大半の人は考えるだろう。

*   *   *

1.大寄解説のインパクト

ところが、今回の大寄調査官解説は、これを大逆転するものだ。

[LT No.87, 106-113, 2020(以降「大寄解説」)の109-110ページ]
 対象発明について予測できない顕著な効果があることは、一般的に、進歩性を肯定する方向に勘酌すべき事情として考慮されているが、その理論的な位置づけについての学説は、大別して、二次的考慮説と独立要件説とがあり7)、裁判例も分かれている状況にある。
 二次的考慮説は、発明の進歩性とは、あくまで発明の「構成」を容易に想到し得ない場合をいうとの判断枠組みの下で、発明の効果を二次的(副次的)な考慮要素として嗣酌する見解である8)。この見解によれば、主引用発明に副引用発明等を適用して対象発明に至る動機づけ等があり、(一見)発明の構成自体が容易に想到されるといえる場合であっても、予測できない顕著な効果がある場合にはこれを反対方向の事情として考慮することにより、やはり当該構成を想到することには困難性があったと解し得ることになる 9)。

脚注9) 容易想到性を肯定する方向の事情と総合考慮する見解によれば、予測できない顕著な効果がある場合であっても、必ず進歩性が肯定されることにはならない。

 一方、独立要件説は、発明の構成自体を容易に想到することができる場合であっても、予測できない顕著な効果があることを理由として、発明の進歩性が肯定され得ると解する見解である。この見解には、さらに、構成の容易想到性にかかわらず、予測できない顕著な効果があればそれだけで進歩性が肯定されるという考え方と 10)、両者を総合的に考慮して、発明の非容易性(進歩性)を判断する考え方とがある 11)。

脚注11) 長沢幸男「進歩性の認定(4)−顕著な作用効果」特許判例百選〔第3版〕40頁等。構成と効果の容易想到性を総合的に考慮した「発明」の容易想到性を判断するという考え方(宮崎賢司「有利な効果の参酌について」竹田稔先生傘寿記念『知財立国の発展へ』715頁等)もこの見解に含まれると思われる。

 このように「予測できない顕著な効果」の理論的な位置づけについては議論があり、本件においては、本件審決および原判決がいずれの立場に立つものかは明らかではないが12)、本件審決が、本件各発明の予測できない顕著な効果を参酌して本件各発明は容易に発明できたものとはいえないと判断したため、当該効果の有無が争点となった。

上に引用したとおり大寄解説は、進歩性の効果の勘酌には二次的考慮説と独立要件説とがあるとした上で、二次的考慮説については、脚注9で「容易想到性を肯定する方向の事情と総合考慮する見解によれば、予測できない顕著な効果がある場合であっても、必ず進歩性が肯定されることにはならない。」と論じている。そして独立要件説についても、「予測できない顕著な効果があればそれだけで進歩性が肯定されるという考え方と 10)、両者を総合的に考慮して、発明の非容易性(進歩性)を判断する考え方とがある 11)。」と記載されているから、後者の考え方(脚注11の考え方)は、「予測できない顕著な効果があればそれだけで進歩性が肯定される」わけではないということだろう。 つまり大寄解説は、「二次的考慮説」は予測できない顕著な効果があっても必ず進歩性が肯定されることにはならない考え方だ論じ、それだけでなく、「独立要件説」も、そのような考え方があると論じているのだ。 その上で大寄解説は、

[大寄解説の112ページ左]
・・・、本判決が前提とする予測できない顕著な効果についての上記判断方法は、二次的考慮説または独立要件説のいずれの立場からも説明可能と思われる 20)。

[大寄解説の113ページ右]
本決は、独立要件説または二次的考慮説のいずれかの立場を前提としたものではなく

と論じている。 つまり大寄解説は本件最判を、「予測できない顕著な効果があれば進歩性あり」というものとは捉えていない。 むしろ大寄解説は、最判が「予測できない顕著な効果があれば進歩性あり」という立場だという見方を明確に否定しているということになるだろう。 上述のとおり、これまで最判を見た人たちは、最高裁が「予測できない顕著な効果」を再審理させるために差し戻した以上、「予測できない顕著な効果」があれば進歩性は肯定されることになるのだろうと考えてきたと思われるが、今回の大寄解説は、それを否定したことになる。 差戻審で仮に「予測できない顕著な効果」を肯定する場合でも、結論としてはなお進歩性を否定する判決を行うことは可能だというのが大寄解説の立場だということになるだろう。

今年の2月13日に愛知靖之先生の論文を取り上げた際の投稿にも書いたとおり、差戻審において「予測できない顕著な効果」を肯定した上で進歩性を否定する判決を行うことができるという可能性に触れているのは、これまで田中先生(「特許法の八衢」の2019年9月1日の投稿)や愛知先生(NBL 1160号, 8-15, 2019の15頁, 脚注12)などごく限られた論者だけだった。 今回の大寄解説は、そうした限られた論者しか論じていなかった可能性を調査官解説としてサポートするものであって、「今回の最判は独立要件説を支持した」という言論の勢いを止める絶大な力を発揮するものと言えそうだ。

それと関係があるのかは知らないが、これまで「予測できない顕著な効果があれば進歩性あり」という独立要件説の立場であるようにも見えた玉井克哉先生(3月20日ツイート)や森田裕先生(3月20日ツイート)が、大寄解説の公開後(というより大寄解説に関する田中先生のブログ記事公開直後)に相次いで「自分は別に独立要件説じゃない」という趣旨のツイートをされている。 ちなみに、時期的に考えて因果関係はなさそうだが、大寄解説の脚注10で「予測できない顕著な効果があれば進歩性あり」という考え方に近い人として引用されている特許庁の岡田吉美先生も、最近出された論文(特許研究 第69号35-58(2020))の中で、「二次的考慮説を全否定はしていない」ということを強調されている。

ということで、今回の大寄解説は、「予測できない顕著な効果があれば進歩性あり」という独立要件説論者は「実はいなかった」ことを明らかにさせるほどのインパクトを持つものだと言えるかも知れない。

*   *   *

2.「非予測性」と「顕著性」に観点を分ける意義はあるのか?

今回の最判で最高裁は、

[平成30年(行ヒ)69 判決文より]
このような事情の下では,本件化合物と同等の効果を有する本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということから直ちに,当業者が本件各発明の効果の程度を予測することができたということはできず,また,本件各発明の効果が化合物の医薬用途に係るものであることをも考慮すると,本件化合物と同等の効果を有する化合物ではあるが構造を異にする本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということのみをもって,本件各発明の効果の程度が,本件各発明の構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであることを否定することもできないというべきである。

と説示し、

[同]
そうすると,原審は,結局のところ,本件各発明の効果,取り分けその程度が,予測できない顕著なものであるかについて,優先日当時本件各発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができなかったものか否か,当該構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであるか否かという観点から十分に検討することなく,・・・

と説示した。 上記の説示は、効果の判断には、何やら「当業者が予測することができなかったものか否か」という観点と、「当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであるか否か」という観点があり、進歩性の判断において効果を斟酌する際には、この2つの観点を考えなければならないと言っているように見える。

今回の大寄解説では、これについて以下のように解説している。

[大寄解説の111ページ左]
・・・、当該効果の有無については、「当業者が予測することができなかったものか否か」(非予測性)と「予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであるか否か」(顕著性)との双方の観点から検討すべきとしたものである。

[大寄解説の112ページ左]
上記@ (非予測性)について、上記判断方法の下では、本件化合物と同等の効果を有する本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということだけでは足りず、これによって当業者が本件各発明の効果の程度を予測することができたと評価し得る事情ないしこれを推認し得る事情等があるか否かが問題とされるべきものと思われる。 上記A (顕著性)について、そのうち、「本件各発明の効果が化合物の医薬用途に係るものであることをも考慮すると」と述べられている部分は、本件各発明が医薬用途発明であるという事案に鑑み、特にそのような分野においては、化合物が同種の効果を奏する場合であっても、化合物の具体的な構成ごとに副作用、製造方法、個々の人体への適応性等が異なり得ることからすれば、化合物Xが高い薬効Aを有するという用途発明がされた場合に、当時、別の化合物Yが同じ程度の高い薬効Aを有することが知られていたからといって、当該化合物Xの上記用途発明の効果の顕著性が直ちに否定されると解することは、実質的にみても相当ではないとの視点をうかがわせるものといえよう。

しかし気になるのは、「非予測性」と「顕著性」は何が違うのかということだ。 「非予測性」について最判は、「当業者が本件各発明の効果の程度を予測することができた」(か否か)、「本件各発明の効果,取り分けその程度が,・・・,優先日当時本件各発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができなかったものか否か」と説示しており、「顕著性」については「本件各発明の効果の程度が,本件各発明の構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものである」(か否か)、「本件各発明の効果,取り分けその程度が,・・・,当該構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであるか否か」と説示している。 この最判の説示を見る限り、「非予測性」も「顕著性」も効果の「程度」を問題にしていることは共通しており、前者は「予測することができたか否か」、後者は「予測することができた範囲を超える顕著なものであるか否か」という点だけが異なっているように見える。つまり違いは、「範囲を超える顕著なものである」という文言の有無だけという感じだ。 しかしその違いは、それこそ「程度」だけであって、二つの軸を持つものではなく、同じ軸に属する観点なのではないか? 言葉の意味を考えても、「予測できない」ことと「予測できる範囲を超える」こととは同じだろう。 そうすると、例えば、効果の程度が「予測することができた範囲を超える顕著なもの」(顕著性あり)である場合に、その効果の程度が「予測することはできなかった」(非予測性あり)のは文理上明らかではないか? そうであれば、「顕著性」を満たす場合は、「非予測性」は必ず満たされることになり、「顕著性」の判断のみで足りることになる。 つまり、最判の説示を読む限り、「非予測性」の要件は不要ではないかと思われるのだ。 その場合、「非予測性」は、単に「予測できないというだけでは足りないよ」ということを確認的に言いたいだけの無用な要件ということになるだろう。

そういう理解でよいのかどうかについては、大寄解説を読んでも明確には解説されていないように思う。 今回の最判や大寄解説のように「非予測性」と「顕著性」がどちらも効果の「程度」の問題だと捉える限り、上述のとおり「顕著性」だけを判断すれば足りることになってしまうので、わざわざ二つの観点を提示することに意義がないのではないかというのが私の素直な感想だ。

「非予測性」と「顕著性」については、上述の岡田先生の論文(特許研究 第69号35-58(2020))でも話題にされているので、岡田論文を見る機会があれば、そのときにもう一度考えてみたい。

*   *   *

3.効果が予測できない(予測性の低い技術分野)なら常に進歩性肯定か?

顕著な効果について原審(平成29(行ケ)10003)では、他の既知の抗ヒスタミン剤(いわゆる「他の化合物」)で高いヒスタミン遊離抑制作用を持つものが複数知られていたことを根拠に、本件化合物(オロパタジン)の効果は顕著とは言えない旨を判示した。 しかし今回の最判はこれを批判し、他の化合物は「いずれも本件化合物とは構造の異なる」ものだとか、引例には「本件化合物がヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制作用を有するか否か及び同作用を有する場合にどの程度の効果を示すのかについての記載はない。」だとか、「本件化合物と同等の効果を有する化合物ではあるが構造を異にする本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということのみをもって,本件各発明の効果の程度が,本件各発明の構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであることを否定することもできない」、「他の各化合物の効果の程度をもって本件化合物の効果の程度を推認できるとする事情等は何ら認定していない」などと説示し、「原審は,・・・,本件各発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができなかったものか否か,当該構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであるか否かという観点から十分に検討することなく,・・・本件化合物と同等の効果を有する本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということのみから直ちに,本件各発明の効果が予測できない顕著なものであることを否定して本件審決を取り消したものとみるほかなく,・・・」と原審を批判した。

確かに、問題とすべきは「本件発明の効果」が予想外か否かであるので、本件化合物の活性が他の化合物の活性よりも高くないからといって、直ちに効果の顕著性が否定できるものではないだろう。 例えば、本件化合物の活性がゼロだと予測されたところ、実際はゼロではなく他の化合物と同程度の活性を示したら、それは「予想外に顕著」と言ってよいかも知れないし、逆に、本件化合物には他の化合物の100倍の高い活性があることが確実視されていたのに、実際に調べたら2倍だったというのなら、他の化合物より活性が高くても「予想外に顕著」とは言えないかも知れない。 したがって、他の化合物よりも効果が高いか低いかということのみから直ちに判断するのは不適切であり、あくまで「本件化合物の効果として」予想外なのか否かが量られなければならないとは思う。

しかし、バイオテクノロジーや医薬などの予測性の低い分野では、本件化合物の効果がどれくらいであるかは、実際に実験をやってみなければ分からないことが多い。 本件にしても、本件化合物がヒト結膜肥満細胞のアッセイ系でどれほどのヒスタミン放出抑制作用を示すかは、実験をやってみなければ分からなかったのではないか? その場合に、「非予測性」や「顕著性」はどうやって判断すればよいというのだろうか? これは昨年8月30日の投稿(「構造を異にする先行化合物と比較することは許されないのか?」)でも書いた問題だ。

「本件化合物の効果として」の効果を検討しなければならないというのは、「姿勢」というか、「心構え」としてはそうではあるけれど、それを硬直的に求めるのは正しくないと思う。 抗ヒスタミン剤は、抗ヒスタミン作用だけでなく、肥満細胞からのヒスタミン放出を抑制する活性も示すことがあるのはよく知られていた。そして、既知の抗ヒスタミン剤で、比較的高いヒスタミン遊離抑制作用を示すものも知られていた。 そのような場合、たとえ本件化合物が実際どれほどの活性を示すかは実験をやってみなければ予測がつかないとしても、当業者は、他の抗ヒスタミン剤と同程度のヒスタミン遊離抑制作用を示すかも知れないなぁ、と期待しながら実験する動機付けは持ち得たというべきで、そうした動機付けをもって、「予想外の顕著な効果」を否定するに足りると考えるべきだろうと思う。

この点は、最判でも大寄解説でも触れられていないように思う。 むしろ「医薬用途発明」の場合は効果が高くなくてもいいのだということが示唆されている(大寄解説の112ページ)。 しかしそのような考え方のもと、抗ヒスタミン剤としてすでに既知の薬剤について、容易に発見できるであろう薬効に特許を与えるとすれば、抗ヒスタミン剤として医薬開発を進めようとする先行者の利益を不当に害してしまう危険があるだろう。 これについては、高林論文を取り上げた際に書いた(1月28日の投稿の「先行者の保護」という箇所を参照)。

私は、「ピリミジン誘導体事件」(平成28(行ケ)10182、10184)においては、進歩性が認められるための効果は高くなくてもよいと思う(Sotoku 10号の脚注36も参照)。 しかしそれは、化合物自体が容易想到とは言えないからだ。 本件の場合のように、本件化合物自体が知られていたのみならず、ヒト肥満細胞に対するヒスタミン遊離抑制作用が存在することは容易想到だと判断されており、その活性について測定する動機付けが既に存在していたのではないかと疑われる場合は状況が異なる。 本件のようなケースに「医薬用途発明だから効果は低くてもよい」という考え方を適用して特許を付与することが、特許法の趣旨に沿っていると言えるのかには疑問がある。

*   *   *

さて、田中先生が昨日ツイートされているとおり、本件差戻審(令和元年(行ケ)10118)は、今日、判決が言い渡される。

判決によっては今回の投稿は結構恥ずかしいものになるかも知れないが、果してどうなるか。

納得性の高い判決が出ることを祈ろう。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする