2015年02月26日

H21(行ヒ)324〜326最高裁判決は先発者に過剰な利益を与えうる(特許期間の延長要件3)


 前回の投稿に引き続き、「本来拒絶すべき延長を認めてしまう」 懸念について考える。

 2011年 (平成23年) 4月28日、特許権の存続期間の延長登録出願を認める要件に関して、最高裁は以下の判示を行った。

 最高裁判決 平成21年(行ヒ)326 より (下線追加)
 先行医薬品が延長登録出願に係る特許権のいずれの請求項に係る特許発明の技術的範囲にも属しないときは,先行処分がされていることを根拠として,当該特許権の特許発明の実施に後行処分を受けることが必要であったとは認められないということはできないというべきである。

 現在の特許庁の審査基準や、昨年5月30日に出された知財高裁大合議判決 (平成25年(行ケ)10195 〜 10198) は、すべてこの最高裁判決に従っている。 したがって、もしこの最高裁判決が延長制度の趣旨からして妥当ではないということになれば、特許庁の現在の審査基準や大合議判決の妥当性も崩れることになるだろう。

 でも、この最高裁判決の妥当性を否定する事例はむしろ普通にありますよね。

仮想事例
 Aは 「化合物a」 の特許権を保有している。 化合物aは、ある疾患に対してすぐれた治療効果を発揮することが見出された化合物であり、Aはその医薬品を独占的に製造販売していた。 この疾患に対する選択薬としては、すでに高いシェアを有していたAにとって、「化合物a」 を含む医薬に関する独占状態を 「長く維持する」 ことが至上命題だった。

 Aは化合物aをさまざまな担体と混合して薬効のテストを繰り返し、化合物aを担体bと混合することで、薬効の持続時間を大幅に延長することが可能であることを見出して新しい特許を取得した。 この新しい医薬品の販売を開始すれば、今自分たちが販売している医薬品を服用している患者たちは皆新しい医薬品に飛びつくことになるだろう。 これで化合物aの特許権が満了しても、後発品におびえる必要はなくなった。 新しい特許権で新しい医薬品を守ることで、化合物aを含む医薬品の独占状態を事実上維持する道が開けたのだ。

 しかしAは、新しい医薬品の承認を急いで受けようとは思わなかった。 先ほども言った通り、今自分たちが販売している医薬品はすでに高いシェアを有していたから、新しい医薬品を販売しても自分が販売している従来の医薬品から新しい医薬品にシェアが移るだけで、トータルで見た売上の大幅な増加は見込めないからだ。 それよりも、Aは特許期間の延長制度を利用して、独占期間の最大限の延長を図ろうと考えた。

 Aは、敢えて5年の期間を費やして新しい医薬品の臨床試験を実施した。 その間は当然新しい医薬品は販売できないが、その間も従来の医薬品を販売できるのだから、新しい医薬品を販売できないことは、Aにとって大きな痛手ではなかった。 そして臨床試験の終了後、この新しい医薬品について承認を得て、その承認に基づいて、化合物aと担体bの組み合わせに関する特許権の存続期間を最大期間である5年間延長するために延長登録出願を行った。 それまで販売していた従来の医薬品は担体bを含まないから、化合物aと担体bの組み合わせに関する特許権の範囲に従来の医薬品は含まれない。 したがって、これは最高裁判決が判示した条件である 「先行医薬品が延長登録出願に係る特許権のいずれの請求項に係る特許発明の技術的範囲にも属しないとき」 に該当するので、延長は当然のように認められた。 このようにして、Aは特許期間を5年間延長することに成功した。

 従来の医薬品を独占的に販売していたAにとって、新しい医薬品の承認に要した5年の間、その医薬品を販売できなかったことにより被った損害は限られている。 しかし延長された5年間に新しい医薬品を独占的に販売することにより、Aはより大きな利益を手にすることになるだろう。


 さて、これでも最高裁判決の判断基準は、特許期間の延長制度の趣旨に合致していると言えるだろうか?

 上記の例は話を極端にするために、必要以上に長い期間 (5年) を使って臨床試験を行ったことにしているが、そこは問題の本質ではなく、最短の時間で臨床試験を行ったのならよいということでもない。 Aは新医薬品を販売できない分、従来医薬品をより多く販売できていたというところが問題なのだ。 そこを不問にして 「実施できない期間は丸々損害でした〜」 というのは語弊があるよね、ということだ。

 化合物aと担体bとの組み合わせが顕著な効果を発揮することをAが発見して新しい特許を取ったことは別に責められることではないし、もしその組み合わせが従来医薬品を凌駕するほどの価値があるのなら、その従来医薬品は市場価値をほとんど失い、たとえ従来医薬品を保護している特許が切れたとしても、化合物aと担体bとの組み合わせに関する新しい特許が存続する限り、化合物aを含む医薬品を事実上Aが独占的に販売できる状態が続くことは許容されることかも知れない。 しかしそれはともかく、その特許を延長制度を利用して、新しい医薬品の承認を受けようとした期間を丸々延長してくれというのは延長制度の趣旨を逸脱しているだろう。 なぜなら、Aはその間も化合物aを含む古い医薬品を独占的に販売して利益を得ていたのだから、新しい医薬品を販売できなかったことで被った不利益は、新しい医薬品が市場に出ていない状態 (患者は古い医薬品を使用するしかない状態) で古い医薬品を販売して得た利益で埋め合わされていた部分があるわけだ。 特許を延長させて欲しいのなら、その分の利益を返しなさいよということだ。 それもせずに、この期間を丸々延長することを認めてくれというのは都合がよすぎる。

 もしこれに同意できるのなら、この延長を認めてしまう最高裁判決は、延長制度の趣旨から見て妥当ではないということにも同意できるということになるはずだ。 ひいては、現在の特許庁の審査基準も、昨年の大合議判決 (平成25(行ケ)10195〜平成25(行ケ)10198) も、すべて妥当ではないということになりますな。

 この事例で言いたいことは、特許の延長は、「処分を受けることが必要であつた」(特許法67条の3第1項1号の要件) ということだけで認めてよいものではないということだ。 延長が認められるためには、「その特許発明を実施できなかったことで、その特許権者が代わりの利益を得ていなかった」 ということも要求されるべきだ。 先行医薬品が特許の技術的範囲内ではないからといってそれが保障されるものではない。 最高裁判決は、そこを不問にして延長を認めてしまう点で妥当性に欠けている。

 3回の投稿で見てきた通り、特許庁の審査基準や裁判所が示す判断基準は、前々回の投稿のように 「延長を認めるべきなのに拒絶してしまう場合」 が起こったり、前回の投稿や今回のように 「延長を認めるべきではないのに認めてしまう場合」 が起こることが分かった。
 前々回のケースは、延長の可否を判断するにあたって 「先行医薬品を誰が実施しているか」 という観点が欠落していることが原因であり、前回のケースや今回のケースも結局は同様で、「その特許発明を実施できなかったことで、その特許権者が代わりの利益を得ていなかったか」 という観点が欠落していることが原因だ。 つまり、「その特許発明を実施できなかったことで、“その特許権者が” 代わりの利益を得ていなかったか 」 ということこそが延長の可否を決めるときに必要な観点なのだ。

 もちろん、これまで書いてきたことは延長制度はどうあるべきかということであって、「特許法の条文から何が導けるか」 ということではない。 条文が悪いのなら変えればよいし、変えるべきだ。 現在の特許法67条の3第1項1号は、はっきり言って役に立たない。 なぜなら何回も言っている通り、全ての医薬品は承認が必要なのだから、あらゆる医薬品において、その特許発明を実施するためには承認を受けることは必要なのであり、その間、特許権の存続期間の侵食は起きる。 すなわち、あらゆる医薬品の承認は特許法67条の3第1項1号の拒絶要件には該当しない。 だから特許法67条の3第1項1号は、そもそも意味がないのだ。 それを立法 (1987年) から 30 年近くも意味ありげに解釈し続けている我々は皆、ないものをあるかのように振る舞っている “裸の王様” のようだ。

 前回の投稿でも書いた通り、私は去年の秋までは、医薬品の承認を受けようとする期間中に特許権の侵食があったか否かという原理的な部分のみを考えていたから、すべての医薬品は承認が必要であって、実施できなかった期間がある以上、すべての承認で特許は延長されてよいはずだと考えていた。 昨年秋に出した Sotoku 1号 も、それを前提として書いたようなものだ。 しかし特許権者がすでに代わりとなるような先行医薬品を販売している場合、特許権者は 「 (新しい医薬品が市場に出てこない状態で) より多く先行医薬品を販売する」 という利益を受けているのだから、新しい医薬品の特許権の侵食を単に回復させたのでは、代わりとなる先行医薬品をより多く販売することで得た利益の分だけ特許権者は得をすることになる。 それを不問にして延長を認めることは公平の原則に反している。

 以上の通り、特許の延長を認めるか否かは、承認を受ける必要があったか否かとか、特許権の侵食が起きたか否かという観点で決められるものではない。 医薬品を販売するためには必ず承認を受けることが必要であり、その間に必ず特許権の侵食が起きる以上、そのような観点で判断することはできないからだ。 特許の延長を認めるか否かは、それとは違う観点、すなわち 「特許権者に公平を欠く利益を与えない」 という公平の原則の観点で決められるべきものなのだ。

 では、ここまでのことをまた論文にして Sotoku 2-3 号を出そう。 ^ ^


posted by Ichizo Sotoku at 08:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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