2016年05月10日

医薬品独占の延命特許の無効審判と裁判(オキサリプラチン製剤パラメータ特許)


昨年11月に出された医薬品特許延長の最高裁判決 (平成26(行ヒ)356) により、医薬品の承認を受けて特許の存続期間を延長できる機会が大幅に増加したことから、延長された特許権の効力範囲がどうなるのかについて注目 (というより懸念) が集まっていたところ、3月30日、東京地裁で判決があった (平成27年(ワ)12414; 裁判長 嶋末和秀)。 しかし今回の特許に関しては、延長制度の問題よりも、そもそもこの特許は何なのかという問題の方が大きいようだ。 そこで延長制度の問題はとりあえず措き、このオキサリプラチン製剤特許の特許性に関するこれまでの無効審判、および裁判について考えた。

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公開されている情報によれば、オキサリプラチンは名古屋市立大学教授喜谷喜徳らにより1975年に合成された白金錯体化合物であって、当時、抗癌性も見いだされていた。 その後、スイスに拠点を置くバイオ医薬品会社に引き継がれて臨床開発が続けられ、1996年にフランスで医薬品として承認、日本では2005年に承認された。 物質特許は1996年 (平成8年) に既に満了しており、残っているのは製法特許や製剤特許のみ。 今回問題となった特許 (特許3547755) は製剤特許であり、請求項1は以下のようになっている。 (なお、“オキサリプラティヌム” と “オキサリプラチン” は同じもの。)

[特許3547755 請求項1]
【請求項1】
濃度が 1 ないし 5 mg/ml で pH が 4.5 ないし 6 のオキサリプラティヌムの水溶液からなり、医薬的に許容される期間の貯蔵後、製剤中のオキサリプラティヌム含量が当初含量の少なくとも95%であり、該水溶液が澄明、無色、沈殿不含有のままである、腸管外経路投与用のオキサリプラティヌムの医薬的に安定な製剤。

請求項1には長い文章が記載されているものの、後半部分の記載は、この製剤が持つべき効果や性質のようなものが主に記載されているだけで、物質としては 「濃度が 1〜5 mg/ml で pH が 4.5〜6 のオキサリプラティヌムの水溶液」 ということになる (もちろん、そのような水溶液の中で、もし請求項の後半部に記載されている効果や性質を満たさないものがあれば、それらはクレームの範囲には含まれない)。 そして実施例で行われている実験は、オキサリプラチンを水 (注射用水) に溶かしてバイアルに充填して保存する実験。

明細書には、次のように記載されている。

[特許3547755 明細書より]
 現在、オキサリプラティヌムは、投与直前再構成用および5%ぶどう糖溶液希釈用の凍結乾燥物として、注射用水または等張性5%ぶどう糖溶液と共にバイアルに入れて、前臨床および臨床試験用に入手でき、投与は注入により静脈内に行われる。
 しかし、このような投与形態は、比較的複雑で高価につく製造方法 (凍結乾燥) および熟練と注意の双方を要する再構成手段の使用を意味する。 さらに、実際上、このような方法は、溶液を突発的に再構成するとき間違いが起こる危険性があることが判明した; 事実、凍結乾燥物から注射用医薬製剤を再構成するときまたは液剤を希釈するときに、0.9%NaCl溶液を使用するのはごく一般的である。 オキサリプラティヌムの凍結乾燥形態の場合にこの溶液を誤って使用すると、有効成分に極めて有害であり、それはNaClで沈殿 (ジクロロ-dach-白金誘導体) を生じ、上記製品の急速な分解を引き起こす。
 それ故、製品の誤用のあらゆる危険性を避け、上記の操作を必要とせずに使用できるオキサリプラティヌム製剤を医療従事者または看護婦が入手できるようにするため、直ぐ使用でき、さらに、使用前には、承認された基準に従って許容可能な期間医薬的に安定なままであり、凍結乾燥より容易且つ安価に製造でき、再構成した凍結乾燥物と同等な化学的純度 (異性化の不存在) および治療活性を示す、オキサリプラティヌム注射液を得るための研究が行われた。 これが、この発明の目的である。
 この発明者は、この目的が、全く驚くべきことに、また予想されないことに、・・・、有効成分の濃度とpHがそれぞれ充分限定された範囲内にあり、有効成分が酸性またはアルカリ性薬剤、緩衝剤もしくはその他の添加剤を含まないオキサリプラティヌム水溶液を用いることにより、達成できることを示すことができた。
この製剤は他の成分を含まず、・・・。

つまり、出願当時はオキサリプラチンは 「凍結乾燥品」 として入手でき、使用時に現場で 「注射用水」 や 「5%ブドウ糖溶液」 に溶解して用いられているが、溶かすのに手間がかかったり、間違って NaCl を含む生理食塩水などで溶解すると急速に分解するため、あらかじめ溶かした状態で提供できるようにしたというのがこの発明のようで、「有効成分が酸性またはアルカリ性薬剤、緩衝剤もしくはその他の添加剤を含まない」 水溶液を用いることにより、この発明の目的が達成できたことが記載されている。

実施例には、製剤の製造方法は記載されているが、使用したオキサリプラチンについては、「例えばタナカ株式会社の特許方法により得られる製品のような、発熱物質無含有製品で医薬用品質の、光学的純品(>99.9%)を使用するのが好ましい」 と書いてあるだけで、実際にそれを使ったのかは分からない。 また、水については 「注射用水」 とのみ記載されている。 バイアルに充填し、室温または40℃で 13週間保管した後の pH は、15サンプルを測定した結果 5.29〜5.65 であったことが記載されている。 これは13週経過後の pH と思われ、製剤を調製した当初の pH がこれと変わらないのかはやや疑問があるが、実施例には 「pHは安定なままであった」 と記載されている。 そしてこのようにして製造した水溶製剤は、50℃で3か月以上貯蔵した後においても、オキサリプラチンは安定であり、すべての溶液は澄明、無色で、肉眼で見える固体粒子を含まず、光学的にも高純度のままであったことが記載されている。

つまり、実施例を見る限り、オキサリプラチンを注射用水に溶かしただけで、pH は請求項1に記載されている範囲となり、そうしてできた水溶液は、請求項1に記載されている安定性や性状などの特性を持っているように見える。 なお上記の通り、明細書には 「タナカ株式会社の特許方法により得られる製品のような・・・」 と記載されているが、オキサリプラチンの光学的純品については、田中貴金属工業(株)による特許出願 (特開平06-211883) が既に公開されていた。 また、オキサリプラチンの溶解度は 7.9 mg/ml であるとされているので、請求項1の 「1〜5 mg/ml」 というのは、オキサリプラチン水溶液製剤の実用的な濃度範囲を広範囲に網羅するものとなっている。

高純度オキサリプラチンを注射用水に溶かして作製した15サンプルの pH が 5.29〜5.65 であったとして、高純度オキサリプラチンと注射用水が、共に公知である場合に、オキサリプラチンを注射用水に 1〜5 mg/ml で溶かして pH が 4.5〜6 になった水溶液という物に、果たして特許性があるのだろうか?

この特許に対しては無効審判が3回起こされている (無効2009-800029、無効2010-800191、無効2014-800083)。 そして3回とも、特許を維持する審決が出されている。 これらの審決を行った特許庁の審判合議体は審決において、特許権者側が提出した文献 (米国特許 6,673,805号 および 米国特許出願 2006/0063833)(いずれも本特許の出願後の文献) に、オキサリプラチンを 2 mg/ml で溶かしたところ pH がそれぞれ 6.7 および 6.6 であったことが記載されていることを挙げ、「オキサリプラチン(オキサリプラティヌム)の2mg/mlの水溶液といっても、調製条件の違いによって種々のpHの値を取るものがある。」(無効2009-800029)、「そうすると、オキサリプラティヌムの水溶液の各調製条件によっては、pHが異なることも想定される」(無効2010-800191) と指摘し、このことを、請求項1に新規性や進歩性がある理由の1つにしている。 また審決取消訴訟 (平成22(行ケ)10122) においても裁判所は、これらの文献を根拠の1つにして進歩性を肯定した。

しかし・・・、もし高純度のオキサリプラチンを単に注射用水に 1〜5 mg/ml で溶かしただけでは pH 4.5〜6 になるとは限らないというのであれば、実施例において pH 5.29〜5.65 になったものは何らかの成分や不純物の働きで pH 5.29〜5.65 になったのだろうということになるだろうし、そうした成分や不純物が、実施例で調製したオキサリプラチン溶液の安定性に寄与している可能性が否定できなくなる。 つまり、実施例の水溶液に含まれているそうした成分や不純物を含まない、単に pH を合わせただけの水溶液では、請求項1の後半部に記載されている効果や性質を示さない可能性がある。 明細書には、実施例で作製された、そのような特別な成分や不純物を含むかも知れない薬剤や水を取得する方法は記載されていないのだから、どうやって実施例に示されている水溶液を再現すればよいのかが分からず、記載要件違反 (36条6項1号違反、36条4項1号違反) ということになるのではないか? 逆に、高純度のオキサリプラチンを 1〜5 mg/ml となるように注射用水に溶かせば大抵の場合に請求項1の条件が満たされるというのなら、請求項1に記載の発明は、既知の高純度のオキサリプラチンの単なる水溶液ということになって進歩性が疑わしくなる。 そもそも pH によって化合物の安定性が変わりうるのは容易に想定できることに過ぎず、最適な pH の範囲を決めることは設計事項とも言えるのではないか。 詭弁を許さない限りは、記載要件違反か、進歩性なしか、どちらかの拒絶理由に該当する可能性が高く、いずれにしろ特許性を肯定するのは難しいはずであるのだが・・・。

これにやや関連して審判合議体は、「・・・、オキサリプラティヌムの純度、水質等が、オキサリプラティヌムの水溶液の濃度とpHとに関係することは、既に述べたとおりであるから、オキサリプラティヌムの水溶液の濃度及びpHを限定していることは、オキサリプラティヌムの純度、水質等を実質的に特定していることになるともいえる。」 と説示している (無効2010-800191)。 しかし、この指摘は因果関係を逆転させた議論だ。 もしオキサリプラチンに含まれる 「不純物および水質」 などの組成をすべて特定すれば、オキサリプラチンの水溶液の 「濃度および pH」 は1つに決まるだろう。 しかしオキサリプラチンの水溶液の 「濃度および pH」 を特定しても、オキサリプラチンに含まれる 「不純物および水質」 は何も決まらない。 審判合議体の説示は、「関係」 という言葉を 「特定」 という言葉に入れ替えることで、あたかも濃度と pH を限定すれば組成が特定されるかのような印象を与えようとしているに過ぎない。 またこの合議体は、審決取消請求事件(平成22年(行ケ)10122) を挙げ、裁判所が 「本件発明1の限定された数値範囲において・・・作用効果が示されていると解することができる。」 と判示していることを指摘している。 そもそも私はその判決を支持しないが、その判示は、数値範囲に臨界的な意義はないと主張した原告に対して、クレームが特定する pH の範囲において効果が奏され、その範囲外では奏されないという 「結果」 が認められることを指摘したに過ぎず、pH がその範囲にあれば効果が奏されることを認めたものではない。

本件は、最初の無効審判 (無効2009-800029) では記載要件違反を請求人が主張しておらず、それを審決取消訴訟 (平成22(行ケ)10122) に進めた結果、敗訴した。 この審決や判決が障害となる中、続く2件の無効審判 (無効2010-800191、無効2014-800083) でも請求不成立の流れを変えることはできず、むしろ請求人の思惑とは裏腹に、特許を強化するような展開となってしまっている。

上記の通り、この請求項には 「濃度が 1 ないし 5 mg/ml で pH が 4.5 ないし 6 のオキサリプラティヌムの水溶液からなり・・・」 と記載されている。 このような組成物のクレームにおける 「からなり」 という用語は、通常、「それ以外のものは含みません」 というニュアンスを出すために使われる用語であるのだが、これについて3回目の無効審判の請求人が、「からなり」 は多義的で不明確だと主張した (無効2014-800083)。 しかしそれを言われてしまうと、既に成立している他の特許の中にも、「からなり」 という用語が使われている組成物発明の特許は存在している可能性があるだろうから、それらの特許には、すべて無効理由があることになりかねない。 そのような判断はできないと思うなら、審判合議体は請求人の主張を否定するしかない。 そして審判合議体は、クレームの組成物に不純物や溶存酸素が含まれていることが明らかだと指摘して、本件明細書には、「本件特許発明1〜9に係る製剤であってオキサリプラティヌム及び水以外の成分を含む製剤が開示されていると認められる」 と説示した (無効2014-800083)。

そして、これを審決取消訴訟に進めた結果、悲惨なことに裁判所から次のように説示されてしまう。

[平成27(行ケ)10105; 平成28年3月9日](裁判所の説示)
・・・,「(A)からなる」 という場合には,Aを必須の構成要素とすることは明確であるものの,それ以上に,Aのみで構成され,他の成分を含まないものか,Aのほかに他の成分を許容するか否かについて規定するものではなく・・・
・・・,「Aからなる」 とは,Aを必須の構成要素とするものである以上に,他の成分については規定しておらず,単に 「Aを含む」 ものがその技術範囲に含まれると理解することになるものと解され,・・・
・・・,本件発明1の 「オキサリプラティヌム水溶液」 に他の成分を含んではならないことを示す記載はなく,他の構成要素を含有することが排除されているとまではいえない。
 したがって,当業者は,本件発明1は,「濃度が1ないし5mg/mlでpHが4.5ないし6のオキサリプラティヌムの水溶液」を必須の構成要素とすることだけが特定された製剤であって,該製剤に他の構成要素が含まれることが排除されてはおらず,・・・

「からなる」 の意味について原告が無理に突き詰めようとしたのだから、原告の主張に対して否定的な説示になるのはある程度はしかたがないとしても、上記のように説示されてしまっては、まるで 「からなる」 は、「含む」 と差がないかのような印象を受けてしまう。 今後この判決は、「からなる」 で組成物特許を取得した特許権者に便利に利用されることになるのではないか。

上記の通り裁判所は、「Aからなる」 という表現について、『・・・他の成分を含まないものか,Aのほかに他の成分を許容するか否かについて規定するものではなく』、『・・・,「Aからなる」 とは,Aを必須の構成要素とするものである以上に,他の成分については規定しておらず,』、『単に 「Aを含む」 ものがその技術範囲に含まれると理解することになる』 と説示した。 不活性な物質を添加したり、無関係な物質が含まれているというだけで直ちにクレームの範囲から外れるとは言えない以上、「からなる」 は、他の物質が含まれていることを完全に排除するものではないということは正しいだろう。 しかし私は、裁判所の説示は間違っていると思う。

上述の通り、「からなる」 という言葉は、「それ以外は含まない」 というニュアンスを与える言葉であって、それがどの程度のニュアンスなのかはともかく、そういったニュアンスを感じさせない 「含む」 とは意味が違う。 すなわち、他の成分が含まれるか否かに関して、「からなる」 と 「含む」 の意味は同一ではない。 そうすると、「からなる」 という言葉は、他の成分を許容するかについて 「含む」 とは違う何らかの規定を与えているのは明らかで、「規定していない」 と言い切る裁判所の理解は正しくないからだ。

裁判所は、「からなり」 は他の成分を含むか否かについて規定しておらず、他の成分が含まれることは排除されていないと言いながら、サポート要件に関しては、他の成分を含むか否かについて規定していないのだから、「・・・,有効成分濃度とpHが本件発明1の限定範囲内にあり,オキサリプラティヌムと水とを構成要素とするオキサリプラティヌム水溶液により,課題が解決することが示されていれば,サポート要件として欠けるところはない。」 と言う。 しかし、その説示はおかしいのではないか? 実際は上述の通り、「からなる」 という言葉は、他の成分を許容するかについて 「含む」 とは違う、それなりに厳しい規定を与えているのであり、だからこそ、実施例が水に溶かした実験しか行っていなくてもサポート要件が満たされると理解しなければ論理的な整合性が取れない。


この特許発明は、オキサリプラチンの濃度 (1〜5 mg/ml) や、pH (pH 4.5〜6) というパラメータが数値範囲で特定されている、いわゆる 「パラメータ発明」 だと言える。 そしてこの出願人が明細書において、「・・・全く驚くべきことに、また予想されないことに、・・・、有効成分の濃度とpHがそれぞれ充分限定された範囲内にあり・・・」 と記載しているように、パラメータ発明は、一見すると狭い範囲に限定されているように見える。 しかし実際には、上述の通り、オキサリプラチンの溶解度は 7.9 mg/ml であるので、1〜5 mg/ml は驚くべき広範囲とも言え、また、オキサリプラチンが安定な pH の範囲が 4.5〜6 付近である場合、pH の限定は、実用上の大半の範囲を網羅する。 つまり、オキサリプラチン製剤の後発医薬品を販売しようとする後発メーカーを強力に妨害することができるのだ。

このように、パラメータ発明の特許は、実用的な範囲を巧みに網羅することで実質的な独占を達成することを許してしまう懸念がある点が今までにも問題視されてきた (小野信夫, パテント 50(3) 99 (1997); 久保山隆, パテント 50(1) 6-15 (1997) の 9頁; 藤井淳, パテント 51(8) 41-57 (1998) の 55頁; 岡田吉美, 特許研究 No.41(3) 28-56 (2006) の30頁他)。 そして医薬品を少しでも長く独占したい製薬メーカーは、このような特許を取得することを目指しているのであり、医薬品のライフ・サイクル・マネージメント (LCM) における “正しい” 特許戦略となってしまっているところがある。 そのような問題意識があれば、本件のようなパラメータ特許をおいそれと許容することはできないはずだ。

裁判所 (平成27(行ケ)10105) は、オキサリプラチンが酸や緩衝剤に対して不安定であることを示す証拠を原告が提出したことに対し、「・・・,原告が酸や緩衝材に対してオキサリプラティヌムが不安定であることを示すとして提出する甲2及び16は,本件出願日以降に公刊された文献であり,本件出願時における技術常識を裏付けるものではなく,・・・」 と言う。 しかし、これらの知見が出願後のものだというのであれば、本件の出願時には、オキサリプラチンが酸や緩衝剤に不安定であることさえ気づかれていないほど、オキサリプラチンの溶液中の安定性に関する知見は乏しかったということになる。 それでもなお、酸や緩衝剤などの “他の成分” を許容するか否かについてなんら規定されていない安定なオキサリプラチン水溶液を作ることに関して広くサポート要件が満たされる理由はあるのか? 「無知の不知」はサポート要件をサポートしない。 裁判所の説示は結局、原告の主張を否定するだけで、都合の悪いところは見て見ぬふりをする点でバランスを欠いている。

裁判所はまた、『原告の主張するように,「酸性またはアルカリ性薬剤,緩衝剤もしくはその他の添加剤を含む」場合に課題を解決しないことが当業者にとって技術常識であるならば,当業者は,本件発明で規定されているもの以外にそれらを選択しないだけのことであり,本件発明で規定されている構成要素によって課題が解決できなくなるわけではないのだから,原告の主張は失当である。』 とも説示する。 この説示は、単に原告の主張の揚げ足を取っているだけではないか? こうした 「売り言葉に買い言葉」 のような判決は、問題の本質からかえって目をそらせることにしかならず、上述の 「からなる」 に関する一面的な説示とも相まって、組成物特許の不適正な取得や権利行使を助長する。 もし 「含む」 ものに権利行使したいのであれば、出願人は 「含む」 と書いて正々堂々と特許審査を受けるべきで、特許庁も、裁判所も、それを逆方向に誘導するようなことはしないで欲しい。


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この特許権者が所有しているもう一つのオキサリプラチン製剤特許も、似たような状況となっている (特許4430229)。 この特許の請求項1は以下の通り。

[特許4430229 の請求項1 (平成26年12月2日付の訂正請求後のもの)]
【請求項1】
オキサリプラチン、有効安定化量の緩衝剤および製薬上許容可能な担体を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物であって、製薬上許容可能な担体が水であり、緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり、
1)緩衝剤の量が、以下の:
 (a)5x10−5 M 〜1x10−2 M 、
 (b)5x10−5 M 〜5x10−3 M 、
 (c)5x10−5 M 〜2x10−3 M 、
 (d)1x10−4 M 〜2x10−3 M 、または
 (e)1x10−4 M 〜5x10−4 M
の範囲のモル濃度である、pHが3〜4.5の範囲の組成物、あるいは
2)緩衝剤の量が、5x10−5 M 〜1x10−4 Mの範囲のモル濃度である、組成物。

これもパラメータ発明となっており、オキサリプラチンとシュウ酸を含む溶液の発明であって、シュウ酸の濃度やpHの範囲が特定されている。

実施例においては、オキサリプラチンの水溶液に様々な濃度のシュウ酸ナトリウムやシュウ酸が加えられた。

[特許4430229 の実施例より]
JP4430229B2-table1a_.png JP4430229B2-table1b_.png

上記の 表1A の 「シュウ酸ナトリウム」 については、「シュウ酸ナトリウム(134.00mg)を計量ボート中で計量して、スコットボトル中に移す・・・。」 と記載されている (明細書の段落【0048】)。 また 表1B の 「シュウ酸量」 は、以下の通り、シュウ酸二水和物の添加量であることが記載されている。

[特許4430229 の実施例より]
JP4430229B2-0042.png
(「付加された」と記載されているが、対応する国際公開公報 WO9943355 には、「* Oxalic acid is added as the dihydrate; the weights shown here are of oxalic acid dihydrate added.」 と記載されている。)

そして、これらの水溶液を加温処理して、生成したオキサリプラチンの分解産物 (ジアクオDACHプラチンやジアクオDACHプラチン二量体など) の量が測定されている。 下の表4や5に示されている通り、シュウ酸ナトリウムやシュウ酸の添加量に応じて、オキサリプラチンの分解産物が減少する傾向にあることが読みとれる。

[特許4430229 の実施例より]
JP4430229B2-table4.png

JP4430229B2-table5.png
JP4430229B2-table5-2.png

また実施例には 「比較例」 として、シュウ酸ナトリウムやシュウ酸を添加しなかったサンプルの実験結果が示されており(表8)、その場合のオキサリプラチンの分解産物は上記の結果に比べて多いことが示されている。

[特許4430229 の実施例より]
JP4430229B2-table8_.png

この特許の請求項1は、このような実施例を伴って記載されているもので、上で引用した通り、「オキサリプラチン、有効安定化量の緩衝剤および製薬上許容可能な担体を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物であって、製薬上許容可能な担体が水であり、緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり、・・・」 という表現で特許されている。 実施例の実験では、シュウ酸ナトリウムやシュウ酸が 「添加」 されているのだが、請求項1には 「添加」 という言葉は使われておらず、「包含する」 と書いてあるところが重要となる。

さて、上の表でも測定されている通り、オキサリプラチンは分解するとジアクオDACHプラチンやジアクオDACHプラチン二量体を生成する。 そして、本件の明細書にはまったく記載されていないというところがミソなのだが、オキサリプラチンが分解してジアクオDACHプラチンやジアクオDACHプラチン二量体を生成する際には、同時にシュウ酸が生成する。 もちろん、このことは出願前から知られていた。

DiaquoDACHPt_2.png

そうすると、オキサリプラチンの溶液をただ保管しているだけで、オキサリプラチンの分解によりシュウ酸が生成し、その濃度が、この特許の請求項1に規定されている範囲に達することがありうることになる。 この場合、発生したシュウ酸は単なる分解産物であって、“緩衝剤” として加えたわけでもなければ、オキサリプラチンの安定性を向上させるために生成させたわけでもないが、このような溶液は、請求項1の範囲に含まれるのだろうか?

この特許については、無効審判の審決 (無効2014-800121;平成27年7月14日) と、侵害差止訴訟の判決 (平成27年(ワ)12416;平成28年3月3日) が公開されているが、いずれも特許権者側に有利な判断が下されている。 無効審判では、訂正請求によりクレームは当初より狭くなったものの、侵害差止訴訟では、シュウ酸を入れたわけでもなく、単にオキサリプラチンの分解によりシュウ酸が発生しただけと思われる後発医薬品について、侵害だという判決が下された。

あらためて請求項1を見ると、次のようになっている。

[特許4430229 の請求項1]
【請求項1】
オキサリプラチン、有効安定化量の緩衝剤および製薬上許容可能な担体を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物であって、製薬上許容可能な担体が水であり、緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり、
1)緩衝剤の量が、以下の・・・
 (以下省略)


(1) オキサリプラチンの分解でシュウ酸が自然発生する場合はクレームの範囲に含まれるのか

請求項1の発明の特許性に関して問題にできそうなところはいくつかあるだろうが、例えば請求項の 「緩衝剤」 という用途的な言葉。 「緩衝剤」 とは、緩衝させる剤であるから、そのような目的に用いる物であれば 「緩衝剤」 に該当し、そのような目的に用いない物は 「緩衝剤」 には当たらないと解釈することは可能だろう。 請求項1には、「緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり・・・」 と記載されているが、これは緩衝剤が、物としてはシュウ酸やそのアルカリ金属塩であることが規定されているだけで、溶液中にシュウ酸を規定濃度で含んで緩衝作用を発揮していれば必ず請求項1に該当するというものではなく、あくまで 「緩衝剤」 として包含されているとみなせることが必要だと解釈するのである。 なお、「包含する」 と記載されているから、「添加する」 場合だけでなく、緩衝剤としてシュウ酸を発生させることを意図してシュウ酸の前駆物質を添加した場合などもクレームの範囲に含まれるのだろう。 したがって、シュウ酸を 「添加したか否か」 がポイントなのではなく、「緩衝剤」 として包含されているとみなせるか否かがポイントということになる。

但し、無効審判 (無効2014-800121) において特許庁の審判合議体は、オキサリプラチンを注射用水に溶かしただけの水溶液を加温保存した結果、オキサリプラチンが分解してシュウ酸が生成したようなもの (審決において 「引用発明A」 や 「引用発明B」 と認定されているもの) に関して、『引用発明Aの 「シュウ酸」 は本件訂正発明1における 「緩衝剤」 に相当し、・・・』、『引用発明Bの 「シュウ酸」 は本件訂正発明10における 「緩衝剤」 に相当し、・・・』 と指摘しており、単なる分解産物 (不純物) として存在しているだけのシュウ酸も 「緩衝剤」 だという立場に立っているように見える。 また裁判所 (平成27(ワ)12416) も、『・・・,水溶液中の不純物の生成の防止等に効果があれば「緩衝剤」に当たるということができる。』 と判示している。

請求項1に記載されている 「緩衝剤」 は “用途限定物” なのか “用途限定のない物” なのか。 この問題は、考えようによってどちらにでも解釈は可能で、言葉の意味だけを考えて答えを出すものではないかも知れない。 要するに、この特許はどういう発明を基にして成立した特許なのかによるのではないか。 オキサリプラチンの水溶液を調製し、シュウ酸を入れたわけでも、シュウ酸発生剤を (シュウ酸発生剤として) 入れたわけでもなく、オキサリプラチンの水溶液をただ保管しているうちに、オキサリプラチンの分解により自然にシュウ酸が生成した場合に、そのシュウ酸は 「緩衝剤」 なのかどうか?  そのシュウ酸は、発生させたかったのか? 違うだろう。 そのシュウ酸は、オキサリプラチンの分解に伴って生じたものであって、できれば発生させなくなかった。 発生させなくて済むものなら、今でも発生させたくないはず (なぜなら、シュウ酸分子の元となったオキサリプラチン分子は分解してしまうのだから)。 そのシュウ酸は、溶液中に包含させることが意図されているものでもなければ、包含してありがたいものでもない。 そうすると、分解により生成しただけのシュウ酸は 「緩衝剤」 という言葉に該当するとはみなせないのではないか。

ちなみに、「緩衝剤」 を用途限定物だとみなし、分解により生成しただけのシュウ酸は、クレームで言う 「緩衝剤」 には該当しないという解釈は、どちらかといえば特許権者を助けるための解釈だ。 なぜなら、分解により生成しただけのシュウ酸が 「緩衝剤」 に該当するというのなら、次に述べる通り、このクレームには進歩性がない可能性が高いと思われるからだ。


(2) オキサリプラチンの分解でシュウ酸が自然発生する場合までを包含する発明に進歩性はあるのか

オキサリプラチンにシュウ酸を添加して分解を抑制することが容易だったのか否かに関して、無効審判 (無効2014-800121) の請求人は、ルシャトリエの原理から容易だと主張した。 これについて特許庁の審決は否定的だったが、興味深いことに、侵害差止訴訟の判決 (平成27年(ワ)12416) で裁判所は、「・・・,オキサリプラチンを水に溶解するとその一部がジアクオDACHプラチンとシュウ酸に解離して化学平衡の状態になり,不純物であるジアクオDACHプラチンの更なる生成が妨げられるというのであるから(乙8),・・・ (なお,化学平衡となることが本件特許の優先日前に周知であったとしても,新規性欠如等の無効理由が生じ得ることは格別,・・・」 と説示した。 この説示は新規性・進歩性の判断において行われたものではなかったので、「格別」 と言われただけで、それ以上の説示はなかったが、新規性や進歩性の判断であれば、ルシャトリエの原理により本件発明の特許性を否定することもまんざらではないと裁判所は考えているように (も) 見える。 もちろん、これもまた裁判所による単なる揚げ足取りなのかも知れない。

なお、肝心の進歩性の判断について裁判所は、腰が抜けるような説示をしている。 つまり、この発明に進歩性がないという被告 (被疑侵害者) の主張は、緩衝剤を添加することを 「前提」 にしており、緩衝剤を添加していない場合、すなわち、単にオキサリプラチンの分解でシュウ酸が生成したような水溶液までも包含する請求項1の発明に進歩性がないことについては、被告がそれを主張していないことを理由に、実質的な判断を示すことなく被告の主張を退けてしまった。 判決文の被告の主張 (「3.(2)イ 「乙1発明に基づく進歩性欠如」) を読む限り確かにそのように主張しているようにも読めるが、被告の主張の趣旨は、「緩衝剤」 を添加する場合についてこの特許発明を考えると、「緩衝剤」 を添加するという点が従来技術と相違することになるが、たとえそれを前提としても、進歩性がないというものである。 そうすると、それを前提としない場合も同じ理由で進歩性はないという意味が込められているとみなすことはできるし、被告も当然そのつもりだっただろう。

*     *     *

それはともかく、私が 「オキサリプラチンの分解でシュウ酸が自然発生する場合までを包含する発明」 に進歩性がない可能性が高いと思う理由は、本件の明細書中には、 「オキサリプラチンの分解でシュウ酸が自然発生した溶液」 に、従来からは予測できない顕著な効果があることが示されていないからだ。 上に示した通り、本件の実施例では、一定濃度で最初からシュウ酸をオキサリプラチン溶液に添加した場合に、添加しなかった場合よりもオキサリプラチンの分解が抑制されたことは示されているが、オキサリプラチン溶液の保管中に分解により生成したシュウ酸が、従来に比べて有利な効果があることは示されていない。 実施例の 「表8」 には 「比較例」 として、シュウ酸を添加しなかったサンプルの実験結果が示されており、その溶液中にはオキサリプラチンの分解により生成したシュウ酸が含まれていると推定されるが、訴訟 (平成27年(ワ)12416) において被疑侵害者も指摘している通り、この実験が従来技術に比べて、何か予測できないような有利な効果を発揮することが示されているわけではない。 そもそもこの 「比較例」 は、従来技術で作製される溶液である。

「オキサリプラチンの分解でシュウ酸が自然発生した結果、請求項1で規定されているシュウ酸濃度の範囲に含まれるに至った水溶液」 というものに 「新規性」 がないのかはともかく、その溶液は、オキサリプラチンを水に溶かしただけのものであり、従来技術から容易に製造できるものだと言える。 そして、そうした溶液に、予測できない顕著な効果があることがこの明細書に示されていない以上、そうした水溶液に進歩性は認められないということになるのではないか。 そして、そういう水溶液が請求項1に包含されるというのなら、請求項1には進歩性がないということになる。

これに関して特許権者は訴訟 (平成27(ワ)12416) において、「オキサリプラチンを水に溶解した際に自然に解離して生成されるシュウ酸であっても,添加したシュウ酸であっても,不純物の生成を防止する等の効果は変わらない」 と主張している。 しかし、もしオキサリプラチンが自然分解したものと効果が変わらないというのであれば、それはまさに、従来技術を実施した結果発揮される効果と変わらないということになるのだが?

なお、侵害差止訴訟 (平成27(ワ)12416) において被告が提出した 「追試実験」 について裁判所は、「・・・,被告のいう追試は,乙1の1公報を正確に再現したものとみることはできないから,これらが正確な追試であることを前提とする被告の上記主張@は採用することができない。」 と言っている。 この説示も先ほどと同じように、ことさら被告の主張の 「前提」 だけに注目し、実質的な判断をしないものだ。 しかし、追試実験が、先行技術の実施例に記載されている現物の正確な再現であるか否かという争点は、被告が 「前提」 にしたというよりは、原告が意図的に 「前提」 に仕立て上げたものではないのか?

先行技術に開示されている発明は、先行技術に実施例として開示されている “現物そのもの” に限られるものではない。 もし、当時の試薬と成分組成が細部まで完全に一致しているものにのみ新規性がなく、それが証明できない限り新規性欠如の主張が排斥できるのだとすれば、今の特許庁における審査運用は変更しなければならないだろう。 新規性がないことの証拠となる引用発明は、その当時実在した必要はない。 先行技術に技術的思想の創作 (すなわち発明) が開示されていて、それが 「物の発明については、刊行物の記載及び本願の出願時の技術常識に基づいて、当業者がその物を作れ」、「方法の発明については、刊行物の記載及び本願の出願時の技術常識に基づいて、当業者がその方法を使用できる」(審査基準 第III部 第2章 第3節 3.1.1(1)) ことが明らかであるように刊行物に記載されていれば、たとえ現物が存在していなくても関係はないというのが今の審査運用であるし、そう考えるのが妥当だろう。 オキサリプラチンを水に溶かすという技術思想が刊行物に記載されており、それが当時の技術常識に基づいて当業者がその物を作れると言えるのであれば、少なくともそのようにして作製される代表的なものには新規性はないのであって、乙1で実際に作られた溶液だけが新規性がないかのような考え方は誤りである。 また新規性だけでなく、進歩性まで考えれば、オキサリプラチンを水や緩衝液に溶かしただけの溶液には、よほどのことがない限り、特許性を認めることはできないと考えられるのではないか。

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例えば、オキサリプラチンを水などに溶かした水溶製剤を製造したとする。 作った瞬間は、シュウ酸は含まれていない。 しかし、時間と共にオキサリプラチンは自然に分解して、シュウ酸が生成されていく (下図)。

oxaliplatin_sol1_1.png

なお、オキサリプラチンを溶かす 「水」 は必ずしも純水に限定されない。 単なる注射用水であってもよいし、そこに周知の緩衝剤 (たとえばリン酸) を添加したものであってもよいかも知れない。 リン酸は、生理食塩水にも使われる安全性の高い周知の緩衝剤であるから、そういった水溶液は、この特許の出願前に容易に製造できるものであって、その水溶液を保管して得られる水溶液もまた、この特許の出願前に容易に製造できたと言えるだろう。

さて、特許権者が主張するように、本件の特許が、「オキサリプラチンの分解でシュウ酸が自然発生した結果、シュウ酸濃度が請求項1で規定されている範囲に達した水溶液」 までもがクレームの範囲に包含される特許だとすると、オキサリプラチンの自然分解により生成した分解物に含まれるシュウ酸の濃度がその範囲に達したものがもしあれば、それは請求項1の発明に該当するということになる (下図の太線の部分)。

oxaliplatin_sol2_1_.png

特許権者の立場に立って考えれば、オキサリプラチン水溶液中の分解物が、オキサリプラチンの濃度に応じて単純に蓄積していくのではなく、蓄積速度が徐々に鈍っていく場合、その溶液には、「分解物の蓄積速度が徐々に鈍っていくという驚くべき効果」 があるということになるのかも知れないが、可逆反応でそうなるのは当たり前である。 そもそも、既知の水溶液について、分解物の蓄積がどのように進行するのかなどは調べればすぐに分かることであり、徐々に鈍ることが見出されたからといって驚くに当たらない。 こんなものに進歩性があるなどというのは、それこそ技術常識に反するのではないか。

自然分解に任せるのではなく、オキサリプラチンの分解産物 (シュウ酸を含む) を積極的に 「添加する」 場合でも同じことだ。 例えば、ある濃度のオキサリプラチン水溶液と、それより高い濃度のオキサリプラチンの水溶液を作り、これらの水溶液中のオキサリプラチンの分解の時間経過を測定したら、以下のようになっていたとする。


oxaliplatin_2sol.png

そして、下図の @ の時点で、この水溶液に、「オキサリプラチン水溶液由来の分解産物 (シュウ酸を含む)」 を添加するとする。 分解産物を添加するだけなので、オキサリプラチンの量は変わらない。 そして、添加した結果、分解産物の濃度が A と同じになったとする。 すると、この水溶液中のオキサリプラチンの分解速度はどのように変化するだろうか? 

tautologypatent04.png

A と同じになったのだから、A と同じ時間経過をたどるに決まっている。 つまり @ のグラフに A のグラフを継ぎ足した感じとなる (下図)。

tautologypatent05.png

このときに、A のグラフが @ のグラフよりも傾きが緩やかなら、オキサリプラチンの分解速度は緩やかになるから、「分解産物 (シュウ酸を含む) を添加することで、オキサリプラチンの分解は抑制され、安定性は増した」 ということになるだろう。 しかしそのようなことは、オキサリプラチンの各濃度の水溶液の分解曲線のグラフさえあれば、当たり前に分かることであって、そんなものにいちいち特許を与えるのはおかしい。 つまり、請求項1の発明を 「添加する」 ものに限定して解釈したとしても、添加する 「緩衝剤」 に 「オキサリプラチンの分解産物の丸ごと (シュウ酸を含む)」 が包含されるというのなら、その発明にはなお進歩性がないことになるだろう。

なお上に示したグラフは適当に描いたもので、実際のオキサリプラチン水溶液の分解曲線がどうなるかは、私は実験したわけではないから知らない。 しかし、オキサリプラチンの水溶液中の分解曲線を決めることなど造作もないことなのだし、それがどのような結果となるのであれ、よほどのことがない限り、その結果からすぐに導き出せることに進歩性が認められるべきではない。 分解が徐々に鈍ってきたり、高濃度の水溶液の方が分解が緩やかになるのであれば、分解産物には分解を緩やかにする効果 (可逆反応なら当たり前であろう) があるから、分解を抑制するために分解産物を使えるということが確認され、そうでなければ、使えないということが確認されるだけのことだ。

特許庁の審判合議体は、オキサリプラチンの分解にルシャトリエの原理が適用できるか否かが証明されていないと指摘している (無効2014-800121)。 しかしオキサリプラチンの分解産物により分解が抑制されるのか否かは、上記の通り、水溶液の分解曲線を決定すれば直ちに分かることなのであり、この分解反応にルシャトリエの原理が適用できるか否かを証明する必要はそもそもない。 つまりルシャトリエの原理を適用できることが出願前に知られていたかなど、進歩性否定に必要な 「前提」 ではない。

こうしたことを考えれば、オキサリプラチンの分解産物の丸ごとではなく、分解産物の1つの成分だけ (例えばシュウ酸だけ) を添加してオキサリプラチンの分解が抑制されるかを試してみることも俄然容易に思えてくる。

有用化合物のお手軽な市場独占方法

1. 有用化合物 X に、その分解産物の1つ(複数でもよい)である Y を添加し、X の分解が抑制されるか否かを測定する。

2. 抑制が確認されたら、本件特許の請求項1を真似て、「化合物 X、および薬剤包含する組成物であって、前記薬剤が Y であり、前記薬剤の濃度が△△〜◇◇である、組成物。」 という特許を取得する。 なお、必要に応じて pH や他のパラメータでさらに限定してもよい。

3. 特許庁および裁判所のこれまでの説示によれば、この特許により、Y を添加した場合に限られず、化合物 X が分解して自然に Y が蓄積したものまでも特許侵害にすることが可能となる。

(注)新規性を確保するために、「△△」 の値は、既知の X 含有組成物が潜在的に含んでいる Y の濃度よりも少し高めに設定する。 また明細書中には、Y が X の分解産物であることは記載しないようにする。 また Y に既知の用途 (例えば緩衝剤) がある場合は、他の緩衝剤では X の分解抑制に効果がないことを示す実験データを付けることで、“Y には他の緩衝剤にはない驚くべき効果があった” ということにできる。

このような独占戦略に特許制度が利用されてよいのかをよく考えるべきだ。

ともかく、「オキサリプラチンの分解産物の丸ごとを使う場合」 については、上記 (1) で説明した通り、そもそもシュウ酸を 「緩衝剤」 として用いているとはみなせないので請求項1の発明には該当しないものとみなすか、さもなければ、(2) で説明した通り、この特許は進歩性がないので無効だとみなすか、少なくともどちらかである可能性が高いだろう。 いずれにしろ、単なるオキサリプラチンの水溶製剤を製造販売することを、この特許で抑えることはできないということになる。

*     *     *

このように、オキサリプラチン製剤に関する2件の特許は、それぞれ特許性に問題を抱えているように見える。 それにもかかわらずこれらの特許は、数々の無効審判や裁判によっても、なぜか後発医薬品を強力に抑えるものとして安定に存続し続けている。 それはなぜなのか?

例えば2つ目の特許について見ると、先にも引用した通り、「表4」 および 「表5」 は以下のように記載されている。

[特許4430229 の実施例より]
JP4430229_Table4pw.png
JP4430229_Table5p.png

赤で囲った欄には、「表4」 においては添加した 「シュウ酸ナトリウム」 のモル濃度が、「表5」 においては添加した 「シュウ酸」 のモル濃度が記載されており、表には示されていないものの、サンプル中には、これらのシュウ酸以外にも、オキサリプラチンの分解により生成したシュウ酸がさらに含まれているはずであることは自然に理解できるだろう。

ところがこの特許の無効審判 (無効2014-800121) において特許庁の審判合議体は、『表4及び表5の「シュウ酸モル濃度」が、オキサリプラチン溶液組成物の調製時における「オキサリプラチン溶液組成物に現に含まれる全ての緩衝剤の量」に相当するシュウ酸のモル濃度を示、・・・すことも明らかである』 という、信じがたい解釈を説示した。 つまり、実施例で行われているのは、シュウ酸を 「添加」 した実験だけだという無効審判請求人の主張を排斥するために、「表4」 や 「表5」 に示されているモル濃度は、添加したシュウ酸ナトリウムやシュウ酸のモル濃度ではなく、調製時の溶液中に含まれている (オキサリプラチンの分解物由来のシュウ酸までを含む) シュウ酸全量のモル濃度だと強弁して特許権者を擁護した。 それがいかに無理のある解釈であるのかを合議体が分かっていなかったはずはなく、故意性があるのは明らかだろう。

よく 「法的安定性」 などと言われる。 一度特許になったものが、無効審判や訴訟で簡単にひっくり返ってしまうのは、「法的安定性」 を失するので不適当だ、などと言われる。 しかしおかしな特許がいったん成立すると、無効審判を起こされても、特許庁は強引な理屈を使ってでも特許を維持する側にまわり、裁判所もそれを放置してしまうのだとすれば、そのようにして実現される 「安定性」 とは一体何なのだろう? あるべき 「安定性」 とは、たとえ出願人がパラメータ発明を巧みにクレームしてきたとしても、不当に広い特許を取らせないように適正な審査を行うことであり、たとえ無効審判請求人が、多少おかしな理屈で無効を請求してきたとしても、その趣旨を理解して審理することであり、裁判所も、揚げ足取りをするだけでなく、問題の本質を捉えた説示を行うことではないか?

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このような状況の中、冒頭で述べた嶋末判事の裁判所が出した直近の判決 (平成27年(ワ)12414;平成28年3月30日) は、特許権者に一方的に有利なこれまでの流れにあって、それとは違う判断を示した初めての判決となった。 しかしそれがこの問題の転機となるかは分からない。 医薬品の延長問題も大事だが、一度行った判断について、時として絶望的なほどに守り抜こうとするかにみえる審判や裁判もまた大きな問題なのだ。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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