2017年04月11日

プロダクト・バイ・プロセス・クレームの均等論適用解釈論(設樂・高林・田村論文)


今回は、プロダクト・バイ・プロセス・クレーム (PBPクレーム) の解釈に関して、大物論客3人が書いた最近の論文について書いてみたい。 いずれの論文も、平成27年6月5日に出された最高裁判決 (平成24(受)1204, 平成24(受)2658) から1年余り経った昨年の秋に公開されたもので、直ぐに感想を書こうと思っていたのに、春になってしまった。。

1. 設樂隆一 「PBP最高裁判決と実務上の諸問題」 Law & Technology No.73 (2016)

2. 高林龍 「プロダクト・バイ・プロセス・クレームの今後の展望」 知的財産法研究の輪 (渋谷達紀教授追悼論文集) 発明推進協会 (2016) (内容は 判例時報 (2293) p.169-177, 2016 とほぼ同じ)

3. 田村善之 「判例研究 プロダクト・バイ・プロセス・クレームの許容性と技術的範囲:行為規範と評価規範の役割分担という視点から ― プラバスタチンナトリウム事件最高裁判決の検討― 」 知的財産法政策学研究 第48号 (2016)

昨年11月21の投稿で、特許制度の問題には、しばしば理論的な正解があり、プロダクト・バイ・プロセス・クレームを 「物同一説」 で解釈することを判示した最高裁判決 (平成24年(受)1204、平成24年(受)2658) は、判断を誤ったというようなことを書いた。

「物同一説」とは、PBPクレームの物は、クレーム中に記載されている製造方法で作られる物と「同一の構造・特性」を持つ物を意味すると捉える考え方だ。 多くの人は、特許審査においてはPBPクレームは 「物同一説」 で解釈されて審査されているのだから、権利行使においても基本的には 「物同一説」 でPBPクレームを解釈するのが当然だと思っているのだろうし、私もこの問題について考え始める前は漠然とそう思っていた。 しかし、それは間違いだ。 なぜなら、特許審査において、PBPクレームは 「物同一説」 で解釈されていないからだ。

これについては、Sotoku 通号6号 で詳しく書いた(下の引用を参照)。

Sotoku 通号6号, 25-26ページ ]
ところでPBPクレームに関して特許庁の審査基準には「請求項中に製造方法によって生産物を特定しようとする記載がある場合は、審査官は、その記載を、最終的に得られた生産物自体を意味しているものと解釈する。」(平成27年9月改訂審査基準第III部第2章第4節5.1)と記載されており、一般にはこれは「物同一説」だと理解されている。 しかしよく考えて見れば、特許庁は「物同一説」に基づく審査を行っていると言えるのかは微妙である。 ・・・、「物同一説」とは、その製造方法で作られる物と「同一の構造・特性」を持つあらゆる物を意味すると捉える考え方である。 しかし審査時に物の構造が解明されていない場合、その製造方法で作られる物と「同一の構造」を持つ物が先行技術に存在しないのかを構造に基づいて調べることは不可能である。 つまり審査官は、その製造方法で作られる物と「同一の構造」を持つ物が先行技術に存在しないのかを構造に基づいて審査していない

Sotoku 通号6号, 脚注81 ]
理屈から言うと、特許審査において本当に「物同一説」を貫徹したいのなら、物の構造が解明されていない発明については、物の構造が解明されるまで審査を止め、物の構造が解明されたら審査を再開し、構造に基づく先行技術調査を行った上で特許にする必要があるのではないか。 そういう審査を行っていない以上、特許庁が採っているPBPクレームの解釈は、純粋な「物同一説」とは言えない。

例えば、「円盤A を台座B にボルトとナットで固定する工程により製造された物。」 というような単純なクレームであれば、製造された物がどういう構造なのかは分かるから、特許審査においても、同じ構造の物が出願前に存在しなかったのかを調査して審査することができるだろう。 しかし、例えば 「微生物A を〇〇条件で培養し、粉砕後、〇〇カラムを通して〇〇分画を採取し、次に〇〇カラムを通して ・・・・、で得られる分子量約〇〇の化合物。」 というクレームであって、明細書には、化合物の構造が記載されておらず、審査時にも構造はまだ解明されていない場合、審査官は、PBPクレームの化合物がどういう構造なのか分からない。 だから、同じ物が出願前に存在しなかったのかを構造に基づいて調査して審査することは不可能だ。 この場合、PBPクレームはどう解釈されて審査されるかというと、「製造方法で特定される (構造が未知の) 物 (であってその製造方法で製造されたものによらない物)」 と解釈されて審査されることになる。 そして 「同じ物は出願前にはなさそうだな」 と判断されれば特許になるだろうが、本当に同じ構造の物が出願前に知られていないのかは、構造が分からない以上、審査しようがないのだから、審査されていないのだ。 そういう場合のPBPクレームの解釈を 「物同一説」(PBPクレームに記載されている製法で作られる物と構造が同一の物) だと言うのは誤りであって、あくまで 「製造方法で特定される (構造が未知の) 物 (であってその製造方法で製造されたものによらない物)」 と解釈されたとみなされなければならない。

Sotoku 通号6号, 脚注83 ]
「物同一説」論者は、要旨認定の場面と権利行使の場面におけるクレーム解釈を基本的に一致させるべきだと論じている。 また、最高裁判決(平成24年(受)1204;平成24年(受)2658)の補足意見において千葉勝美裁判官も「・・・発明の要旨認定・・・と,・・・特許発明の技術的範囲を確定する・・・。・・・,両場面におけるPBPクレームの解釈,処理の基本的な枠組みが異なることは不合理であるから,これを統一的に捉えるべきであり,このことは我が国の特許法制上当然のことであって,多数意見は,この見解を前提に」していると述べている(下線追加)。 しかし、もしそう思うのなら逆に「物同一説」は採り得ないだろう。 つまり、要旨認定において「製法で特定される(構造が未知の)物であって、“製法”にも“由来”にも限定されない物」と解釈されたものを、事後的に構造が解明されたからといって、その構造に置き換えてクレームを解釈することは、解釈を変更していることになってしまう。 一般に理解されている(特許庁が採っている)「物同一説」とは、構造が解明されていない場合は、「製法で特定される物であって“製法”にも“由来”にも限定されない物」だと解釈し、構造が解明されている場合は、「構造で特定される物」だと解釈するものであるが、そういう解釈は、そもそも「1つの解釈」とは言えず、場合分けして「2つの解釈のうちどちらか1つ」を用いるものである。 要旨認定において用いた解釈を、権利行使の場面においてもそのまま用いるのが筋というものだろう。

構造が解明されていないものがPBPクレームになっている場合、そのPBPクレームの物は、「製法で特定される物」 としか解釈しようがない。 出願後に構造が解明されたとしても、その構造に置き換えてクレームを文言解釈するのは誤りであって、文言解釈としては、あくまで 「製法で特定される物」 と解釈し続けることが必要で、その製法で作ったわけではない物に対して権利行使できるのか否かは、文言侵害ではなく 「均等論」 の問題ということになる。

前置きが長くなってしまったが、要するに、権利行使の場面において PBPクレームを 「物同一説」 で解釈するというのは間違いであり、権利行使の場面における PBPクレームの正しい解釈は、「PBPクレーム中の製法で特定される物」+「均等論」 なのだ。 そしてこの分野で強い影響力を持つ知財高裁前所長の設樂隆一氏、早大教授の高林龍氏、北大教授の田村善之氏の3人が、この点をどう考えているのかというのが今回の関心だ。

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1. 設樂隆一 「PBP最高裁判決と実務上の諸問題」 Law & Technology No.73 (2016)

「物同一説」 はPBPクレームの解釈としては間違いであり、均等論を適用して解釈すべきだという点を論じてくれそうな人として、私がもっとも期待しているのが設樂氏だ。 なぜなら、設樂氏こそ、2013年に書いた論文において、この点をはっきりと打ち出して論じた人だからだ。 ところが、最高裁判決が 「物同一説」 を判示して以降、残念なことに 「物同一説」 に対する設樂氏の批判的論調は、次第にトーンダウンしているように見える。 今回の L&T の論説でも、論じられているのは、もっぱら最高裁が判示した 「不可能・非実際的事情」 の有無による明確性要件の判断基準の問題についてであって、「物同一説」 自体の問題ではない。 まあ、設樂氏は、これまで知財高裁所長という責任の重い立場であったし、最高裁判決の混乱がようやく収まってきたときに、さらに混乱を招くようなことは言いたくないというタイミングの問題もあったのかも知れない。 だから、私は設樂氏にまだ希望を持っているけれど、あまりにトーンダウンしてしまうと、ひょっとして設樂氏は物同一説賛成派に鞍替えしてしまったのではないかと心配になってしまう。 ただ今回の L&T の論文では、かろうじて論文の一番最後に、以下のように記載されていた。

[設樂隆一, L & T, No.73 (2016) 46ページ]
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「クレームと同じ製造方法により製造される物が、PBPクレームの技術的範囲に属することは異論がなく、それ以上にどこまで広がって解釈すべきか、今後の事例の集積を待って議論することになろう。」 と記載されている。 ここで 「クレームと同じ製造方法により製造される物」 というのは、いわゆる 「製法限定説」 でクレームを解釈した物を指している。 そして設樂氏は、それ以上にどこまで広がるかは今後の問題だと指摘しているのだから、これは暗に 「物同一説」 に対する疑問や当惑を表明していると見ることもできるだろう。

この論文の最後に 「脚注21」 として引用されている設樂論文こそ、設樂氏が 「物同一説」 を否定して、「製法特定物説」 によりPBPクレームを文言解釈することを提唱し、均等論を積極的に適用することによって、適切なバランスを実現することを論じた論文だ (設樂隆一, 知的財産権 法理と提言, 牧野利秋先生傘寿記念論文集 (中山信弘ほか編) 青林書院 (2013) 279-301)。 その2013年論文において設樂氏は以下のように論じている。

[設樂隆一, 牧野利秋先生傘寿記念論文集 (2013) 279-301 の 290ページ]
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[設樂隆一, 牧野利秋先生傘寿記念論文集 (2013) 279-301 の 296ページ]
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[設樂隆一, 牧野利秋先生傘寿記念論文集 (2013) 279-301 の 298ページ]
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設樂氏は、PBPクレームの文言解釈は、「製法により特定される物であって、その製法で作られた物によらない物」 だと解釈するのが正しい旨を論じており、その解釈のことを設樂氏は 「製法特定物説」 と名付けた。 「物同一説」 との違いは、物の構造が後日判明した場合、「物同一説」 では、その構造に置き換えてPBPクレームを解釈し、そのPBPクレームの物は、その構造の物だとみなすことになるのに対し、「製法特定物説」 では、たとえ物の構造が後日判明しても、その構造に置き換えてクレームを文言解釈するのではなく、クレームの文言解釈としては、あくまで 「製法により特定される物」 なのであって、構造に置き換えて解釈できるかは均等論の問題だとするものだ。

「製法特定物説」 と 「製法限定説」 との違いは、「製法限定説」 は、PBPクレーム中の製法で作られたという由来を持つ物に限定して解釈されるのに対し、「製法特定物説」 は、PBPクレーム中の製法は、物を特定するために記載されているにすぎず、その製法で作られた物によらないと解釈する点にある。

PBPクレームに均等論を適用する場合、「製法限定説」 では、PBPクレーム中の製法の記載は発明の本質的部分だとみなされる結果、異なる製法で製造された物は、均等の第1要件により均等が否定されてしまう可能性がある。 設樂氏は、そういうことが起きないように 「製法特定物説」 という別の名前を付けて、PBPクレームのあるべき文言解釈は 「製法限定説」 とは違うのだということをはっきりさせたわけだ。

私は、設樂氏の言っていることが正しいと思ったので、Sotoku 通号6号 でもブログでも、2013年論文で設樂氏が用いた 「製法特定物説」 という言葉を積極的に使っている。

なお設樂氏は 2013年論文で、特許庁の審査においてはPBPクレームは 「物同一説」 で解釈されていることを前提に、PBPクレームの要旨認定は 「物同一説」 で解釈すべきだと論じている (2013年論文の290ページ)。 しかしながら、特許庁の審査は 「物同一説」 ではないことは冒頭に述べた通りで、特許庁の審査において用いられているPBPクレームの解釈は、実は 「製法特定物説」 だという方が正確である。 したがって、PBPクレームの文言解釈は、要旨認定の場面であろうが、技術的範囲の確定の場面であろうが、「製法特定物説」 で統一的に解釈するのが正しいというべきだろう。

このように、2013年論文で設樂氏は画期的なことを論じていたのに、今回の論文では、最後に2013年論文が引用されているだけで、何か物足りない論文になってしまった。 設樂氏の言っていたことは正しいのだし、定年退官で比較的自由な立場になったのだろうから、(今は大変なときかも知れないけれど)、これからはもっと積極的に 「製法特定物説」 を前面に打ち出してほしい。

*   *   *

このように、私は設樂氏に期待しているのだけれど、昨年12月9日に小田原で開催された 「日中韓特許庁シンポジウム」 のパネルディスカッションにおいて、ちょっと衝撃的なことが起こった。 そのシンポジウムで設樂氏は、「物同一説」 に対して疑問を呈するどころか、「私はもともと “物同一説” で考えるべきだと言っています・・・。」 と発言し、さらに、「理想的なのは、侵害訴訟がおきて、出願から10年後、15年後に技術が進歩して、構造・・・分かっていれば、その段階で侵害訴訟もうまくできるかも知れません・・・」 などと言って、PBPクレームの物の構造が出願後に判明した場合には 「物同一説」 で権利行使させることに問題はないかのような意見を述べたのだ。💢

まぁ、「私はもともと “物同一説” で考えるべきだと言っています」 というのは、発明の要旨認定の場面に限っては、確かに設樂氏はそのように論じていたから間違いではないし、「構造が分かっていれば」 というのも、「解明された構造が、周知に近いレベルにまで知れ渡っていれば」 という意味に捉えれば、2013年論文で設楽氏が論じていた内容と矛盾するものではないけれど、あのような発言をされてしまうと、設樂氏が今でも2013年論文と同じ考えを持ち続けているのか、ちょっと疑わしくなってくる。

ひょっとして、設楽氏は本当に 「物同一説」 賛成論者に鞍替えしてしまったのか・・・?

いや、私は設樂氏を信じてます (笑)。

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2. 高林龍 「プロダクト・バイ・プロセス・クレームの今後の展望」 知的財産法研究の輪 (渋谷達紀教授追悼論文集) 発明推進協会 (2016)

最高裁は、通常の “物のクレーム” としてクレームできるのにPBPクレームとして記載されているクレームを 「不可能・非実際的事情」 がないPBPクレームと呼び、そういうクレームは “明確性要件違反” で拒絶し、特許も無効にすることを判示して日本中を混乱におとしいれた。 しかし、そういうクレームを “明確性要件違反” で拒絶するべきだと最高裁判決より前に論じた人がいた。

それが高林氏なのだ (牧野利秋先生傘寿記念論文集 (2013) 311ページ)。

まぁ、同様のことは影山光太郎氏も論じていて (知財ぷりずむ, Vol.11 NOs. 128, 131, 134)、高林氏は特許になったものは無効にするのではなく製法限定で解釈するべきだと論じていたのに対して、影山氏は無効だと論じていた点では、影山氏の方が最高裁判決に近いのだけれど、そこはともかく、最高裁判決の前に 「明確性要件」 という視点でこの問題を論じ、最高裁判決に影響を与えたと目される論者として、判決後に高林氏は注目を集めた。 そして今回の論説も、その問題を中心に論じられている。 今回の論文の中で、一番かっこいいのが以下の部分だろう。

[知的財産法研究の輪(渋谷達紀教授追悼論文集)発明推進協会 (2016) 117-135 の 118ページ]
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学者の責任として」 というところがなんともかっこいい。

さて、不真正PBPクレームの明確性要件の問題は、とりあえず棚に上げて、今回は、PBPクレームを 「物同一説」 で解釈することの是非について高林氏がどう考えているかという点について見て行く。

実はこの点で高林氏は、設樂氏と並んで期待できる人だ。 なぜなら高林氏は、最高裁判決が出る前、すなわち設樂氏の2013年論文と同じ論文集において、「物同一説」 を採るのではなく、「製法限定説」 を採用しつつ、「均等論」 を柔軟に活用することにより権利範囲を拡大することを論じていたからだ (牧野利秋先生傘寿記念論文集 (2013) 302-320)。 具体的には、2013年論文の316ページの脚注30において高林氏は、真正PBPクレームにおいて 「製法限定説」 を採った場合、出願後に構造が判明しているのであれば 「均等論」 で権利範囲を拡大できることを示唆しており、その場合、PBPクレーム中の製法は 「発明の本質的部分とはいえない」 ことを明言し、さらに第2要件や第3要件についても柔軟に考えて広く権利行使させることを示唆していた (下記)。

[高林龍, 牧野利秋先生傘寿記念論文集 (2013) 302-320 の 316ページ]
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Sotoku 通号6号の27ページで書いたように私は、PBPクレームにおいて物の構造が出願後に判明した場合の均等論は、通常の製造方法クレームに対する均等論とは違った柔軟な考え方が可能だと考えている。 それはなぜなのかと言えば、PBPクレームは 「製法特定物説」 で解釈することが妥当であるからで、その場合、発明の要旨認定においては、PBPクレーム中の製法の記載は物を特定するために記載されているに過ぎず、その製法で作ったのか否かはどうでもよいと考えるのと同様に、侵害場面における均等論の考え方においても、相手側 (被疑侵害者側) の製法は、PBPクレームの製法の記載で特定される “物” の実施に該当するとみなせるのか否かという観点で考慮されることはあるとしても、その限度を超えて製法の違いが均等の成否に影響を及ぼすものではないからだと私は理解している。 上記の論文からは、高林氏もそう思っているとまでは言えないかも知れないけれど、上の引用文中の 「通常・・・とは異なった柔軟性の下で」 という言い方は、高林氏が結論としては近い考えを持っているのではないかと期待させるものだ。

但し、高林氏の2013年論文を読んだときに感じた一抹の不安は、高林氏は 「物同一説」 に対して消極的ではあるものの、あまり批判していないことだった。 そしてその不安は、以下に具体的に見ていく通り、今回の論文で大きくなってしまう。。

*   *   *

PBPクレームを 「物同一説」 で解釈することの是非について、今回の論文で高林氏がどう考えているかを見てみると、次の通りだ。

[知的財産法研究の輪(渋谷達紀教授追悼論文集)発明推進協会 (2016) 117-135 の 122-123ページ]
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上記の通り高林氏は、「物同一説」 について、「物としての発明内容の開示が十分に行われているといえるのかには疑問があり」 と論じ、真正PBPクレーム (不可能・非実際的事情があるPBPクレーム) を 「物同一説」 で解釈することについては今でもはっきりと消極的な立場を表明しているものの、たとえ 「物同一説」 を採用するとしても、構造を特定することが困難なPBPクレームは、侵害訴訟においても、被疑侵害物との同一性を構造に基づいて判断することは困難であるはずであるから、結局は、「その製法で製造したか否か」 という視点で判断するしかないと論じ、「物同一説」 で判断するのか、それとも 「製法限定説 (+均等論)」 で判断するのかは、侵害・非侵害の判断に影響を及ぼさない、すなわち、「言葉の相違でしかない」 のだと論じている。

論文後半でも高林氏は、不可能・非実際的事情があるPBPクレームを認めることについて次のように論じている。

[知的財産法研究の輪(渋谷達紀教授追悼論文集)発明推進協会 (2016) 117-135 の 127ページ]
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つまり高林氏は、不可能・非実際的事情があるPBPクレームは、構造が分からない以上、侵害訴訟の場面においても、構造に基づいて権利行使されるおそれはほとんどないのであり、また、不可能・非実際的事情があるPBPクレームが特許になる場面というのは、ノーベル賞を取ったiPS細胞のように、極めて特殊な場面に限られるのだから、大目に見てやっていいだろうという感じで論じているのだ。

高林氏が上で引用した記載の後半部分で論じている 「不可能・非実際的事情があるPBPクレームが特許になる場面というのは、ノーベル賞級の発明だけ」 みたいな部分については、一昨年の12月25日の投稿でも書いた通り、単なる 「芳香器」 みたいな発明でも不可能・非実際的事情を認めるということを特許庁は発表しているのだから、認識がちょっと違うのではないかと思うし、また、前半で論じている 「不可能・非実際的事情があるPBPクレームは、構造が分からない以上、侵害訴訟の場面においても、構造に基づいて権利行使されるおそれはない」 という感じの部分については、まあ、滅多に起こらないだろうということは私も認めるけれど、物によっては、後日構造が完全に解明されることはあり得るわけで、構造が解明される前に、第三者が独自に同じ物を見いだして販売していたということも起こりえないわけじゃない。

実際の事件として起こる可能性があるのかと言われると、確かに、ほとんどないかも知れないから、不可能・非実際的事情があるPBPクレームについては 「物同一説」 で特許制度を運用しても現実には不都合は起きないかも知れないけれど、高林氏は、「言葉の相違でしかない」 などと言って高をくくっているように見えるのが、私には少し不満なのだ。

ちなみに、上記の小田原のシンポジウムのパネルディスカッションでも高林氏は、不可能・非実際的事情があるPBPクレームの物については、製法が違えば物の同一性を立証するのは 「限りなく難しい」、立証できるのは細胞をクローニングで複製したような特殊なケースだけ、だから、「物同一説」 という “美しい理念型” もありかな・・・、みたいな安心しきった発言をしていた。

それでも、上で引用した高林氏の論じ方からは、不可能・非実際的事情があるPBPクレームについて、高林氏は本当は 「物同一説」 には反対であり、正しいのは、「製法限定説+均等」 だと考えていることが分かるだろう。 そして上述の通り、PBPクレームの物の構造が、出願後に解明されることはあり得ないわけじゃない。 その場合は、「物同一説」 を採るか、「製法限定説+均等論」 を採るかによって、“言葉の問題” では済まされない違いが生じうるのだから、高林氏もぜひ、“学者の責任” として、「物同一説」 では広すぎるのだということをはっきりと論じ続けて欲しい。 そうすれば、高林氏の本当の考え方が、設樂氏が2013年論文 (牧野傘寿記念) で論じた 「製法特定物説+均等論」 という考え方に非常に近いことが、よりはっきりとするだろう。

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3. 田村善之 「判例研究 プロダクト・バイ・プロセス・クレームの許容性と技術的範囲:行為規範と評価規範の役割分担という視点から ― プラバスタチンナトリウム事件最高裁判決の検討― 」 知的財産法政策学研究 第48号 (2016)

上で取り上げた設樂氏や高林氏が、最高裁判決前にもPBPクレームの問題について論文を書いているのに対し、田村氏は、最高裁判決が出るまでは、PBPクレームの解釈問題についてまとまった論文を書いたことがなかったのではないか (テーマ配分の問題?)。 しかし田村氏は、最高裁判決後に、Westlaw Japan の 判例コラム第54号 でいち早く評釈を出した。 そして、その約1年後に出されたのが、今回紹介する 知的財産法政策学研究 48号 だ。 その内容は、判例コラム第54号で書いた内容に考察を追加する形となっており、追加された部分に、今回紹介する均等論の適用に関する記載がある。

[田村善之, 知的財産法政策学研究 第48号 (2016) 289-328 の 308ページ ]
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このように田村氏は、「・・・ 物同一性説を採用する必要はなく、(真正か不真正かに関わらず)・・・、均等論として処理することで適切な保護を図ることができるように思われる」 とはっきり論じた!

そして、仮に 「物同一説」 を採用した場合、PBPクレームの物と同じ構造の物に対しては権利行使が認められることになるが、PBPクレームの物の構造と、被疑侵害物の構造が同一であることは、裁判のときに明らかになればよいのかという問題に関して、田村氏は次のように論じている。

[田村善之, 知的財産法政策学研究 第48号 (2016) 289-328 の 327ページ 脚注77]
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つまり田村氏は、PBPクレームの物の構造が解明される前に、被疑侵害者がまったく偶然に同じ物を製造し、PBPクレームの物と同じものであるとはつゆ知らずに販売していた時にまで特許権の行使を認めるのではなく、均等論の第3要件 (置換容易性) の判断と同様、PBPクレームの物と被疑侵害物が同じ物であることが、侵害開始時に容易に分かる状態となっていることを要件とすることに好意的なのだ。

同じ問題は、Sotoku 通号6号 の22〜24ページでも説明したけれど、PBPクレームの物の構造がいつまでに明らかになっていなければならないのかという問題を考えれば、「物同一説」 は実は不合理であり、均等論的な判断を介さなければ、PBPクレームの権利行使を認めるか否かについて適切な判断を行うことはできないことが理解できるだろう。

私はここまで田村氏の論文を読んで、田村氏も、設樂氏や高林氏と同じ結論に達したんだな〜、と思った。 ところが、論文の一番最後になって、田村氏は変なことを言うのだ。。

[田村善之, 知的財産法政策学研究 第48号 (2016) 289-328 の 328ページ ]
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最判を根拠にして議論が飛躍しているような気がする。

田村氏は、この論文において、権利行使場面におけるPBPクレームの解釈は、「物同一説」 では広すぎであり、「製法限定説+均等論」 によって権利行使を適切に制限することが妥当だという結論に自ら達したわけですよね。 そうであるなら、最高裁判決は 「物同一説」 を判示してしまったけれど、実はそれは不適切であり、あるべき解釈は均等論を適用した解釈であるのだから、できるだけそれに沿うように最高裁判決を解釈していくべきだと論ずるのが本当でしょう? 『自分は “製法限定説+均等論” だと思うが、最高裁は “物同一説” を判示したから、最高裁に従えばよいであろう。』 みたいに結論するのなら、田村氏がこの論文で均等論の重要性を論じたのは一体何のためなのかということになるじゃない。

なお、田村氏は 「製法限定説+均等論」 を前提にして考察を行っているけれど、設楽氏や高林氏の論文のところで言った通り、PBPクレームのあるべき文言解釈は、「製法限定説」 ではなく 「製法特定物説」 であるから、権利行使の場面におけるあるべき解釈は、「製法限定説+均等論」 ではなく 「製法特定物説+均等論」 なのだ。 そして均等論の適用についても柔軟に考えることで、「製法特定物説+均等論」 の広がりを、あるべき範囲にまで拡大していくことは可能ではないかと思う。 論文の309ページで田村氏は、「製法限定説+均等論」 に基づいてPBPクレームを権利行使しようとしても、もし均等の第3要件 (置換容易性) において、PBPクレームの製法を相手側の製法に置換することの容易性が要件として求められてしまうのなら、均等を成立させるのは事実上不可能だろうと北大の吉田広志氏が論じていることについてコメントしている。 Sotoku 通号6号 の脚注112に書いた通り、私は均等の第3要件は不完全な要件だと思っている。 この要件は、本来は、「第三者の予測可能性」 を担保するためにあるのだろう。 しかしこの要件があるために、「努力して付加価値を付けたか否かで均等や実質同一を判断しよう」 という価値観が特許制度の中に持ち込まれ、フリーライドしているとみなせるのか否かという観点が置き去りにされてしまうという弊害が、PBPクレームに限らず生じうると思っている (9月15日の投稿で書いた通り、均等論だけでなく、医薬品の延長制度にまで・・・)。 まあ均等論そのものの問題はとりあえず置いておいて、出願後に構造が解明された場合のPBPクレームの問題に限定して解決策を探すとすれば、上記の高林氏の論文のところでも言った通り、PBPクレームに均等論を適用するにあたっては、(PBPクレームの) “という発明” に均等論を適用するのが正しく、PBPクレームに記載されている “製法” は、物の発明の把握を超えて均等の判断に影響を与えるものではないと考えることで、少なくとも、PBPクレームの物の構造を出願後に出願人が解明して周知にしたような場合については、相手側の製法が容易であるか否かに関わらず均等侵害を認める道は開けるのではないかと思う (一筋縄ではいかないかも知れないけれど・・・)。 田村氏は上の引用文中で、「製法限定説とほとんど変わりがないのであれば、何のための判決なのか分からない」 といったことを述べているけれど、最高裁判決は間違っているのだから、間違った判決をどこまで尊重すべきかがそもそも問われるべきだし、PBPクレームの文言解釈として製法特定物説を採用し、製法特定物説の均等はどのように広がるのかを考えることで、PBPクレームの理論的な解釈論が展開できるはず。 だから田村氏には、安易に 「作用効果説」 に走るのではなく、あくまで均等論の問題として考察して行ってほしいなと思う。

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ということで、最高裁が 「物同一説」 を判示してしまったために、3人ともやや自分たちの考えを論じにくくなってしまった感じはあるけれど、基本的には、三氏とも 「物同一説」 は広すぎて不適切だと考えており、「製法で特定される物」 というクレーム解釈に均等論的な考え方を適用して判断することが、権利行使場面におけるPBPクレームの解釈として妥当なのだと考えていることがうかがえるだろう。

そして、理屈から考えてもそれは正しい。 なぜなら、冒頭で書いた通り、そもそも特許審査において特許庁が採っているPBPクレームの解釈は、「物同一説」 ではなく、「製法特定物説」 であるからであり、最高裁判決において千葉勝美裁判長が補足意見の中でくしくも述べた通り、特許審査で用いたクレーム解釈と、権利行使場面におけるクレーム解釈は、“統一的に捉えるべき” であるのが “当然のこと” である以上、権利行使場面において安易に 「物同一説」 を採ることは許されないからだ。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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