2016年12月07日

オキサリプラチン地裁判決後の特許延長問題論説@(前田健,民商法雑誌 152(2)160-182,2016)


平成27年11月17日の最高裁判決 「平成26年(行ヒ)356」 により、延長を認めるか否か (特許法67条の3第1項1号) に関する問題は一応の最終決着を見たことから、残る問題は、延長された特許権の効力の範囲 (特許法68条の2) の解釈の問題だと一般に言われているところ、平成28年3月30日に判決言渡が行われたオキサリプラチン地裁判決 「平成27年(ワ)12414」(東京地裁民事第29部、嶋末裁判長) は、最高裁判決の後に、延長された特許権の効力範囲について初めて判断を示した判決として注目されている。 この地裁判決について私は、少し批判的な感想を9月15日に既に投稿している。 そこで説明した通り、「延長の可否の問題は最終決着したので、あとは効力の問題だ」 という認識そのものが間違いであり、「延長期間」 の決め方を現行の運用から変えなければ、この問題は解決しないと私は思っている。

それはともかくとして、上記の東京地裁判決に触れつつ、医薬品特許の延長問題について論じた学者の論説が、今年の秋に2つ公開されているので、これについて感想を書いてみたい。

いずれの論説も今年の9月くらいに公開されたもので、著者 (前田健氏、井関涼子氏) は過去にも延長問題について複数の論説を書いている。 特に井関氏 (同志社大教授) の2009年の論説 (同志社法学, 60巻6号83頁, 2009) は延長問題を広範に考察したものだった。 その後も、特許延長問題について大きな判決が出るたびに井関氏は論説を発表しているし、今でも学界における延長問題の第一人者だと言えるのではないか。 前田氏については、私は昨年11月19日の投稿「最高裁判決平成26年(行ヒ)356号で医薬品特許権延長問題はふりだしに戻る」 でも書いた通り、2015年に前田氏が公開した論説 (神戸法学雑誌 65(1) 1-44, 2015) は、最近の学者の論説の中ではもっとも評価できると思っていた。

その両氏が、最高裁判決 (平成26年(行ヒ)356) を踏まえつつ、3月30日のオキサリプラチン判決についてもコメントしながら書いたのが、今回紹介する2つの論説なのだが・・・。

*    *    *

1.前田健 「先行する製造販売承認と存続期間延長登録要件」 民商法雑誌 152, 2, 160-182, 2016-09

私がこの論説を読んで感じたのは、昨年公開された神戸法学雑誌 (2015) の論説と比べると、私の中の前田氏の評価はむしろ下がってしまったということ。 神戸法学雑誌 (2015) で私が評価していたのは、11月19日の投稿でも書いた通り、特許権者が既に先行医薬品を独占販売している場合に、改変医薬品の承認を受けて新たな期間の延長が認められるか否かは、先行医薬品と改変医薬品が 「高い代替性」 があるのか否かできまるべきだと論じていたこと。 例えば、神戸法学雑誌 (2015) で前田氏は以下のように書いていた。

[前田健, 神戸法学雑誌 65(1) 1-44, 2015 の22ページ]
・・・先行処分に基づく延長によって市場支配が可能な範囲に属する医薬品について別の後行処分を受けたとする。 しかし、・・・、その市場は先行処分に基づく延長で過不足なくすでに回復されていたと考えることになる。 そのときに、再度延長を認めて延長期間が延びたとすると、発明者と利用者のバランスの回復が終了した点について、発明者の側に利益の天秤を再度傾けることになってしまうといえる。 このようなときには、延長登録制度の趣旨からすれば、二度目の延長は認めるべきではない。

[同 23-24ページ]
(後行処分) に基づく延長が認められるとすると、後発医薬品メーカーは、特許権の存続期間が満了するまでの間、あらゆる範囲で最大5年間の延長がおこりうる可能性を覚悟しなければならなくなる。 ・・・。 ・・・製造販売をしてよいのかは、ぎりぎりまで予測することができない。 この点は、特許権者と後発医薬品メーカーのバランスを考えたときに、特許権者側に大きく天秤を傾ける効果が生じてしまう点には注意を払う必要があるだろう。 ・・・。 満了するまでそれが予測できないことは、その分特許権が延長するに等しい効果を持つといえるのである。

[同 24ページ]
 このような二重の利益を防止すべきという観点からすると、・・・、すでに先行処分を受けて特許発明を実施することができるようになった結果として市場を支配することが期待できる範囲については、発明の利用を独占できる地位がすでに回復されているので、発明の利用を独占できる地位を回復させるために再び処分を受ける必要がないので、延長を認める必要がない・・・。
 ここでいう市場を支配することが期待できる範囲とは、先行処分の対象となった医薬品と市場における高い代替性を有する範囲のことである。

[同 25ページ]
・・・、処分の対象となった医薬品と市場における高い代替性を有する医薬品を「同種の医薬品」と呼ぶとすると、・・・。 ・・・、後行処分と同種の医薬品についての先行処分を受けていた場合には、後行処分に基づいた延長登録は、後行処分を受けることがその特許発明の実施に必要であったとは認められないので、延長を受けることができない。

その代わりに前田氏は、初めて医薬品の承認を受けて延長した場合の効力範囲は、その医薬品と市場における高い代替性を有する医薬品に広く及ぶことにして、バランスを取ろうとしていた。 具体的には、神戸法学雑誌 (2015) で前田氏は以下のように書いていた。

[同 25ページ]
・・・、先行処分のある場合に延長を認めない範囲と、先行処分による延長の効力の範囲との関係をどう考えるかについても言及しておきたい。 ・・・。
 二重の利益の防止を考える立場に立つときは、両者は基本的に一致すると考えることになる。 先行処分によりすでに利益が回復されていたとみなせる「市場支配を期待できた範囲」とは先行処分により延長された特許権の排他的効力が及ぶ「市場における高い代替性」が認められる範囲と基本的に一致すると考えることになるからである。

これだけを見れば、前田氏の昨年の論説は非常に評価できるものだった。 しかし、この考え方には大きな障害があった。 それが、「パシーフカプセル30mg事件」 の最高裁判決 (平成21年(行ヒ)326;平成23年4月28日) であり、その判決で最高裁が、後行医薬品を含み、先行医薬品を含まない特許に関しては、延長を認めなければならない旨を判示していることだ。 したがって、たとえ後行医薬品が、先行医薬品と市場における高い代替性を持っていたとしても、後行医薬品を含み、先行医薬品を含まない特許に関しては、延長をみとめなければ最高裁判決と齟齬が生じてしまうのだ。

私はこの問題については、最高裁判決 「平成21年(行ヒ)326」 の説示こそが不適切なのだと考えているのだが、前田氏の昨年の論説においては、この最高裁の判示について、「・・・延長の可否の問題とは切り離して考えた方がよいと考えられる。」(神戸法学雑誌(2015) の13ページ脚注22) などと言って考えることを避けており、前田氏の昨年の論説に関しては、この点が不満であることは11月19日の投稿でも書いた通り。

それで、今回新しく公開された前田氏の論説では、この点がどう考察されているかに注目して読んだのだが、残念なことに、最高裁判決 「平成21年(行ヒ)326」 を批判するどころか、逆方向に行ってしまった。

今回の論説で前田氏は、神戸法学雑誌 (2015) で自らが提唱していた考え方について、やや自己批判的に次のように論じている。

[前田健, 民商法雑誌 152, 2, 160-182, 2016-09 の170ページ]
 この考え方は、一定の範囲では一度しか延長を認めないことが望ましく、・・・、それを理論化しようと試みるものである。 しかし、これには解釈論の範疇を超えるものとの批判もあるだろう。 また、政策論としても、・・・、延長登録の要件と延長された効力の範囲は分離して、延長は効力範囲に重複があっても認めるという理解もありうる。 延長が何度もなされることが望ましくないとしても、それを効力範囲と連動させる形で規制する必要はないという批判はありえよう (22)。

ここで、「(22)」 というのは北大の田村善之氏の論説 (Westlaw japan 判例コラム第63号) のことを指しており、田村氏のこの論説については、今年1月7日の投稿でも紹介したが、前田氏の昨年の論説 (神戸法学雑誌 2016) を批判的に取り上げ、代替性のある先行医薬品を販売できていた場合に後行医薬品の延長を認めるべきではないとする前田氏の説明について、「後行処分に関しては・・・、実施できない期間があったのであるから、その期間については、・・・・、後行処分に関して・・・延長を不当とする理由はない」 と論じている (田村善之, Westlaw japan 判例コラム63 の脚注22)。

しかし田村氏のこの考え方は妥当ではないのだ。 なぜなら、後行医薬品の処分を受けようとして実施できなかった間、特許権者は、代替性のある先行医薬品を独占販売していたからだ。 もし後行医薬品を早く販売できていたら、代替性のある先行医薬品の販売量はシェアを奪われて落ち込んでいたであろうに (あるいは販売を取りやめてさえいたかも知れないであろうに)、後行医薬品の処分に時間を要したことにより、先行医薬品をその分、多く販売できていた。 つまり特許権者は、後行医薬品を実施できなかった期間に、後行医薬品を実施できなかったという不利益を受けていただけでなく、先行医薬品を多く販売できていたという利益を受けていた。 先行医薬品を多く販売することにより手にした利益を返還させることもせずに、後行医薬品を実施できなかったという不利益をただ回復させるのでは、特許権者を過剰に利することになるのであり、バランスを失する。 先行医薬品を多く販売して手にした利益を返還しない以上は、後行医薬品の処分による新たな延長期間の設定は制限されなければならないのであって、この点について田村氏は考慮していない。

なお、田村氏が延長問題をどう考えているのかについては、11月19日の投稿でも書いたが、延長を認めるか否か (特許法67条の3第1項1号) については、大合議判決 (平成25年(行ケ)10195〜10198) と同様に何でも延長を認めることを許容する一方で、延長された特許権の効力 (68条の2) は 「市場において競合可能な範囲」 という広い範囲に及ぼすべきだというもので、とても受け入れることはできない説となっている。 批判されるべきは、前田説ではなく田村説の方だ。

ところが前田氏は今回の論説で、田村氏による前田説批判をはね返すことをせず、むしろ上に引用したように、「・・・批判はありえよう (22)」 などと言って、田村説に寄り添ってしまっている。

今回の論説で前田氏は、延長された特許権の効力の範囲については、昨年の論説と同様、次のように論じている。

[前田健, 民商法雑誌 152, 2, 160-182, 2016-09 の180ページ]
・・・、延長された特許権の効力は、処分対象医薬品そのものについても実施のみならず、それを市場において同等な医薬品についての実施にも及ぶを考える。 処分対象医薬品と同等な医薬品とは、特許発明の技術的範囲に属し、かつ、それを市場における高い代替性を有し競争関係にある医薬品のことである。

それだけ広い範囲にわたって延長された特許権の効力を及ぼそうというのであれば、特許権者が不当な二重利益を奪取することがないように、特許権者が既に先行医薬品の処分で延長を行っている場合には、後行処分による延長に対しては、それなりに厳しい制限を特許権者に課すべきであるにもかかわらず、今回の前田氏の論説では、

[前田健, 民商法雑誌 152, 2, 160-182, 2016-09 の180ページ]
別々の処分の対象となった医薬品のそれぞれについて市場が重なり合う部分があるにしても、・・・、最高裁は、それについて調整を行う必要はないとする立場をとったのだと理解することができる。

などと論じ、最高裁判決 「平成26年(行ヒ)356」 に責任を押し付ける感じになってしまった。 確かに最高裁判決 「平成26年(行ヒ)356」 は、“医薬品の成分,分量,用法,用量,効能及び効果” のいずれかが異なれば延長を認めてよいと解釈できる判示となっており、もしそうであれば、事実上、承認を受けるたびに延長できるようになる。 しかし、だからといって、それにより引き起こされる弊害について最高裁が 「調整を行う必要はないとする立場をとった」 なとどなぜ言ってしまえるのか!?

ところで、最高裁判決 「平成26年(行ヒ)356」 では、『もっとも,前記のとおりの特許権の存続期間の延長登録の制度目的からすると,延長登録出願に係る特許の種類や対象に照らして,医薬品としての実質的同一性に直接関わることとならない審査事項についてまで両処分を比較することは,当該医薬品についての特許発明の実施を妨げるとはいい難いような審査事項についてまで両処分を比較して,特許権の存続期間の延長登録を認めることとなりかねず,相当とはいえない。』 と説示しており、医薬品の承認をうけて特許を延長しようとする場合に、延長しようとする特許の “種類や対象” によって、延長を拒絶したり認めたりという違いが生じることがあり得るかのような雰囲気をかもし出している。 前田氏はこの点に注目し、

[前田健, 民商法雑誌 152, 2, 160-182, 2016-09 の175ページ]
・・・想像をたくましくするなら、細分化された延長が繰り返されることは望ましくないとの判断を盛り込むこともありえなくはない。

と論じており、上記の最高裁の説示を根拠に、延長を細分化しないために2度目の延長を拒絶する何らかの規範を盛り込む可能性を捨て去ってはいないようだ。 しかし最高裁のこの曖昧な説示はかなり無責任ではないか。 特許の “種類や対象” というのは、結局のところ、クレームの 「発明特定事項」 によって規定されているものであるから、もし特許の “種類や対象” で延長の可否を決めるのが妥当だというのなら、「発明特定事項」 によって延長の可否を決めていた旧審査基準でもよかったじゃないかということになる。 最高裁は旧審査基準を否定しておきながら、特許の “種類や対象” を持ち出すというのは一体どういうことなのか? 私は、そういう観点で問題を解決することはできないと思うが、そうではないと最高裁が考えているのなら、もっとはっきりした見通しを示すべきで、見通しがないのなら、思わせぶりなことを言うべきではない。 オキサリプラチン事件 (平成27年(ワ)12414) の東京地裁判決で嶋末コートが、物質特許の場合は延長された特許権の効力を広く、製剤特許の場合は狭くすると説示したのは、最高裁判決が特許の “種類や対象” で調整することを示唆していることを受けたのかも知れないが、私には、最高裁判決のいい加減な説示に振り回されているように見えてしまう。

なお、オキサリプラチン事件 (平成27年(ワ)12414) における “延長された特許権の効力範囲” の説示に関して、前田氏は今回の論説で、次のように判決を批判している。

[前田健, 民商法雑誌 152, 2, 160-182, 2016-09 の181ページ]
同判決は、・・・、市場の観点から効力範囲を判断すべきと考える立場からは賛成しかねる。 同判決は、・・・ ごく狭い範囲にしか効力を認めていない。 市場において代替性を有し競合する製品なら、・・・、効力が及ぶとして問題なかったと考える。

しかし、特許権者が二重の利益を受けることを防ぐという視点があるのなら、この特許権者が、この医薬品 (溶液製剤) の承認を受けようとする間にも、同じ有効成分からなる凍結乾燥製剤を販売できていた部分 (具体的には手術不能の大腸癌に対する適用) があるのか否かについて検討する必要があるはずなのに、前田氏の今回の論説は、それについては言及すらされていない。

結局、最高裁判決を批判もせず、かつ延長された特許権の効力は広く認めるべきだと論じている今回の前田氏の論説は、田村説に近づいてしまった。

私は前田氏に一番期待していただけに、今回の前田氏の論説は少し残念。 前田氏がこうなってしまった原因は、昨年の論説 (神戸法学雑誌 (2015)) では前田氏は、特許権者が既に市場代替性のある先行医薬品を販売していた場合は、後行医薬品による延長を “認めるべきではない” と論じていたのに対して、昨年11月17日の最高裁判決 「平成26年(行ヒ)356」 が、医薬品の成分,分量,用法,用量,効能及び効果のいずれかでも違えば認めるべきだと判示してしまったことにより、前田氏のような考え方を取りづらくなってしまったことにあるのだろう。 しかし、そういう判示になるであろうこと (というより、“なるべき” であること) は、最高裁判決 「平成21年(行ヒ)326)」 が出た段階ですでに予測できたわけで、そのことは Sotoku 通号5号の6-7ページで説明した。 したがって、今回の最高裁判決 (平成26年(行ヒ)356) のような結論にならざるを得ないことを予測した上で、「平成21年(行ヒ)326」 をもっと批判的に論じなければならなかったのに、無批判に受け入れてしまっているところに、前田氏の考え方が私の考え方とは異なってしまう根本的な原因があるのだと思う。

ところで今回の前田氏の論説には、“政策判断”、“政策的判断” という言葉が頻出する。 つまり何度も延長を認めるのではなく、ある程度広い範囲に延長された特許権の効力を及ぼす代わりに、その範囲については2度目の延長は認めないことにするのは “政策的判断” だというのだ。 そしてこの論説を読んでいると、“政策的判断” という言葉は、前田氏が神戸法学雑誌 (2015) で採っていた考え方はしょせん “政策的判断” であり、延長制度の条文から導けるものではなかったという “あきらめの弁” として使われているように見えるのだ。 しかし、前田氏が神戸法学雑誌 (2015) で採っていた考え方のもっとも重要な点は 「二重利得の防止」 なのであり、これは “政策的判断” などという軽いものではなく、“公平の観点” や “社会的正義”、あるいは “特許法の法目的” から求められることであって、延長制度の具体的条文 (67条の3第1項1号) よりも優越する要請だと言えるのではないか。

神戸法学雑誌 (2015) で採っていた考え方をあきらめることなく、ぜひ 「二重利得の防止」 という観点でもう一度見直してほしい。

(つづく)

posted by Ichizo Sotoku at 08:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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