2016年12月19日

オキサリプラチン地裁判決後の特許延長問題論説A(井関涼子,特許研究 PATENT STUDIES 62:16-30,2016)


特許延長問題の最近の論説について、12月7日の投稿で取り上げた神戸大前田健准教授の論説に続き、今回は、同志社大の井関涼子教授の論説を取り上げる。

2.井関涼子 「特許権の存続期間延長登録出願の拒絶要件と延長特許権の効力範囲」 特許研究 PATENT STUDIES No.62, 16-30, 2016-09

延長制度に関する井関氏の考え方は、11月19日の投稿でも書いた通り、延長された特許権の効力範囲に関する傍論も含めて、基本的に大合議判決 (平成25年(行ケ)10195〜10198) に賛成するものであり、延長された特許権の効力が非常に狭い範囲にしか及ばないことを許容するという立場だった。 したがって、12月7日の投稿で取り上げた前田氏や、北大の田村氏の考え方とは対立することになる。

前田氏が、昨年の論説 (神戸法学雑誌 2016) においてかなり具体的に井関氏の考えを否定したこともあり、今回の井関氏の論説は、前田説や田村説を批判するためにかなりのページ数が使われている。 したがって、論説を読む限り、前田説・田村説に対する対立姿勢が顕著な印象を受けるが、論説の最後まで読むと、それなりの範囲には権利を及ぼしてよいと考えているようでもある (後述)。

井関氏の考え方の特徴は、特許権者が医薬品の承認を受けるために、医薬品を実施 (製造・販売) することができない期間があった場合に、特許権者は 「実施することができない」 という不利益を受けるので、この “自分が実施することができない” という不利益を回復させることが特許権の延長制度の趣旨だと理解した上で、“自分が実施することができない” という不利益を忠実に回復させることが制度としては妥当なのであり、それ以上に広い範囲にまで延長された特許権 (特に、他者に対する排他的権利) を及ぼす必要はないと考えているところにある。

そして、そのように考えることを正当化する理由として、特許権者が医薬品の承認を受けようとする間も、その医薬品を他者が実施することを禁止する権利 (すなわち特許権が持つ権利のうち、差止めや損害賠償などを行う 「排他的な権利」) を行使することはいささかも妨げられていなかったことを井関氏は強調しており、また、排他的権利がいささかも妨げられていないのに特許期間を延長しなければならないのは、日本の特許権が排他権ではなく “専用権” であるからだと井関氏は考えている。

井関氏は、2009年の論説 (同志社法学, 60巻6号 83-113, 2009) のときからそうだった。 例えば 同志社法学 (2009) において井関氏は以下のように述べている。

[井関涼子, 同志社法学, 60巻6号 83-113, 2009 の97ページ]
特許権の存続期間延長制度は、特許権の本質を如何に考えるかにより、解釈が相違する場面であると思われる。 薬事法上の製造承認を得るまでの間は特許発明の実施が妨げられるとはいうものの、その間も他人の実施は変わりなく排除できる。 すなわち、特許権の排他的効力は些かも侵食されてはいない。 したがって、侵食された特許期間を回復するというのは、自ら独占的に実施できる効力が侵食されたために、これを回復するということに他ならないのであり、このような考え方に立って存続期間延長制度を立法している我が国は、特許権の効力を専用権であると考えていると解される

[同 105ページ]
・・・、米国特許法では、特許権は排他的効力を有するにすぎず、これを超えて、特許権者自らが特許発明を実施できる権能を積極的に付与するものではないと解されているから、法的意味において特許権の排他的効力は侵食されていないのであり、・・・、その立法趣旨は、「失われた特許期間の回復」 ではあり得ず、特許権者が事実上被った不利益の補填にすぎない。 すなわち、特許権者が特許発明を実施できなかったことは、米国特許法においては法的意味を持たないという、日本法との相違に留意しなければならない。

そして今回の論説においても井関氏は次のように論じている。

[井関涼子, PATENT STUDIES 62:16-30,2016 の17ページ]
・・・,存続期間延長制度と特許権の本質との関係について,2件の最判とその原審知財高判等に一貫して,判例は,特許権の効力について専用権説 (特許発明を独占的に実施しうる効力を認める考え方) に立っていると解される。 上記2件の知財高判は,「特許権者の被る不利益の内容として,特許権の全ての効力のうち,特許発明を実施できなかったという点にのみ着目したものであるといえる」と述べることからも,このことは明らかである。

[同 19ページ]
・・・,延長登録制度の場面では,専用権説に立たざるを得ないのであって,・・・

[同 26ページ]
市場競合性ということであれば,たとえば改良発明は,基本発明に対して,・・・,市場競合性があるといえようが,そのような別発明についてまで,延長後の特許権の効力を及ぼしてよいとは思われない。 なぜなら,改良発明等の実施を禁止する特許権の効力は,政令で定める処分を待つ間もいささかも損なわれてはいないのであって,そのような広い範囲についてまで特許権を延長する必要はないからである。

[同 27ページ]
2つの最高裁判決の各原審である知財高判が制度趣旨として,「特許権者の被る不利益の内容として,特許権の全ての効力のうち,特許発明を実施できなかったという点にのみ着目したものである」「特許発明を実施する意思及び能力があってもなお,特許発明を実施することができなかった特許権者に対して,・・・,特許発明を実施することができなかった不利益の解消を図る」と述べている部分は,特に重要である。 本制度は,通常の特許権のように特許発明をその技術的思想において保護しようとするものではなく,特許権者が「実施する意思及び能力」があった,すなわち,製造等の承認申請をした医薬品について,その実施ができなかったことを回復するものであるから,延長期間においては,当該医薬品の独占的な実施が保証されることが必要であるが,それで十分である

『特許権者が医薬品の製造販売承認を受けようとする間も、その医薬品が他人が実施することを禁じる “排他的権利” はいささかも妨げられていない』 という考え方は、井関氏に限ったことではない。 上の引用文中で判決が引用されている通り、大合議判決 「平成25年(行ケ)10195〜10198」 でも、『このような期間においても,特許権者が「業として特許発明の実施をする権利」を専有していることに変わりはなく,特許権者の許諾を受けずに特許発明を実施する第三者の行為について,当該第三者に対して,差止めや損害賠償を請求することが妨げられるものではない』 と判示されており、「平成10年(行ケ)361〜364」 でも 『・・・、第三者による実施を許さないとの限度では権利を享受できることは、いうまでもないことである。』 と判示されている。 また、Sotoku 通号1号 の脚注3でも書いた通り、常岡孝好氏 (行政判例研究, 78(8), 127-138, 2002)、土肥一史氏 (AIPPI, 51(11), 690-694, 2006)、中道徹氏 (横浜弁護士会 専門実務研究, No.6, 124-135, 2012) などが同趣旨の説明を論説の中で行っており、最近でも東崎賢治氏 (知財研フォーラム 2016 Summer, Vol.106, 31-41 の36ページ) の論説で、同趣旨のことが記載されている部分がある。

また、オキサリプラチン地裁判決 (平成27年(ワ)12414;平成28年3月30日判決) においても、『このような期間においても,特許権者が「業として特許発明の実施をする権利」を専有していることに変わりはなく,特許権者の許諾を受けずに特許発明を実施する第三者の行為について,当該第三者に対して,差止めや損害賠償を請求することが妨げられるものではない』 という大合議判決が行った説示がそのまま繰り返されている。 また、北大の田村善之氏も 「・・・処分によって特許発明の実施をすることができなかった時期にあっても,特許権が存在していた以上,その禁止権の保護があったことは自明であるにも関わらず,・・・」(AIPPI vol.60(3) 206-236, 2015 の226ページ) と論じ、排他する権利は侵食されていないことを認めた上で論理構成を行っており、神戸大の前田健氏も基本的には同様だ。

しかし、例えば田村氏の場合は、排他的権利は侵食されていないことは受け入れつつも、『 「禁止権+(排他権の庇護の下での)実施(・・・)という二本柱が備わって初めて保護が万全となると法は考えている』 (AIPPI vol.60(3) 206-236, 2015 の226ページ) という “二本柱理論” を打ち立てることによって、排他的権利が侵食されていないことは、結果的に、どうでもよいことにされている 😖。 しかし田村氏の場合、そうした独自の “二本柱理論” を持ち込んでしまったことが、侵食された権利を侵食された期間だけ回復させるということを軽視することにつながってしまい、12月7日の投稿でも書いた通り、特許権者に有利過ぎる権利行使を容認する考え方になってしまっているように思う。 一方で井関氏の場合は、排他的権利は侵食されていないというところを重視する結果、排他権を行使させることに消極的であるところに特徴がある。

この問題については、私はこれまでに何回も書いているし、9月15日の投稿の「(2−3) 公知申請や臨床試験を他人がやった場合でも延長できる制度にすることはありうる」 でも書いたが、「医薬品の承認を受けようとする間も、排他権はいささかも妨げられていなかった」 ということがそもそも間違っており、医薬品の承認を受けようとする間は、その医薬品に関しては、特許権の排他的効力を行使することも妨げられていたと思っている。 特許権者がある医薬品の承認を受けようとする間、その医薬品に対する排他権を行使できる余地はあったか? もしその医薬品を他者が販売できたのであれば、排他権を行使することは可能であっただろう。 しかしその期間、その医薬品を他者が販売する余地はなかった。 なぜなら、その医薬品は承認を受けようとしていたのであり、承認されるまでの間は誰も実施できないからだ。 だから、「もしその医薬品を他者が販売できたのであれば」 という前提は成り立たないのであって、その医薬品に対する排他権を行使する余地もなかった (すなわち排他的権利を行使することも妨げられていた) と考えるのが正しいと私は思う。 もちろん、承認を受けないまま、未承認の医薬品を (薬機法に違反して) 販売することはできたであろうが、それは特許権者も同じであって、特許権者は医薬品を承認を受けようとする間も、未承認の医薬品を販売することはできた。 したがって、未承認の医薬品を販売するという実施行為については、承認を受ける間も特許期間はなんら侵食されていないのであって、延長される必要はないし、延長された特許権の効力も当然及ばないのだ。 延長されるのは、あくまで承認医薬品の実施行為に関する特許権であって、その実施については、特許権者が承認を受けようとする間、排他権を行使する余地がなかった以上、排他的権利も含めて延長されることに理由はある。 したがって、特許権が “排他権” であろうが、“専用権” であろうが、そんなことは関係がない。 医薬品の承認を受けようとする期間は、その承認医薬品に関する特許権のすべての権利行使は妨げられていたのだから、すべての権利が延長されてよい。

特許権者が医薬品の承認を受けようとしたのでなく、他人が医薬品の承認を受けようとした場合でも同じ。 他人が承認を受けようとしていた医薬品は、他人が承認を受けようとする間、実施することはできなかったし、実施する余地がなかった以上、それに対して特許権の排他的効力を行使する余地もなかった。 排他できていたからといって、特許権の排他的権利を行使できたとは言えないのだ。 だから、たとえ承認を受けたのが他人であっても、その医薬品について、他人が承認を受けるためにかかった期間と同じだけ特許を延長する理由はある。 例えば、仮に特許権者が5年かかって医薬品の承認を受けて、特許を5年延長したとして、そのデータ保護期間中に、他人が独自にがんばって臨床試験を行って、4年で承認を受けた場合は、その他人の医薬品に対する延長期間は4年にするのが (理論的には) 正しいと思う (Sotoku 通号1号 の14ページ右段)。 ただしそれでは特許権者が不利益を受けてしまうから、「特許権者が5年かかったのなら5年で揃えましょう」 というのはいいと思うし、また、お互いの利害を考えながらそうやって調節していくことは延長制度において必要なのだろうとも思うが、それは後で話題にする 「代替性」 に関わる話であって、特許権の存続期間の侵食とはまた別の話だ。

*     *     *

さてジェネリック医薬品に対する権利行使はどう理由づければよいか? 

ジェネリック医薬品とは、特許権者の先行医薬品に依拠して簡易に承認を受けるものだ。 もし先行医薬品がなければ、独自に臨床試験を行って承認を受けなければならないところを、例えば特許権者が行った臨床試験を流用して時間と金を節約するものだと言える。 それはいわば、特許権者が自分の特許権の存続期間を侵食させながら受けた先行医薬品の承認を利用して “時間をワープした” と言えるだろう。 そうであれば、そういうジェネリック医薬品に対しては、ワープした時間だけ特許権の存続期間を延長するのが妥当だと言えるのではないか。 つまりジェネリック医薬品に対して効力を及ぼす特許権は、その承認において依拠したとみなせる先行医薬品の延長された期間と同じ長さだけ延長するのが妥当だと思う。 それを言い換えて、特許権者の先行医薬品の承認で延長した特許権の効力が、そのジェネリック医薬品にも及ぶと表現したとしても、言い方の違いに過ぎず、結果的には同じことだが。。

つまり、特許権者が医薬品の承認を受けたときにだけ特許権の存続期間が侵食されるのではなく、他人が承認を受けた時にも特許権の存続期間は侵食されるのであり、特許権者であろうが他人であろうが、医薬品の承認を受けるたびに、その医薬品にのみ効力が及ぶ特許権を、侵食されたとみなすべき期間だけ延長するというのが、侵食されたものを忠実に回復させるためのもっとも論理的な考え方だと思うのだ。 そのように考えた場合、延長された特許権の効力は、その医薬品にしか及ばないのであり、効力に “幅” はない。 しかし現実には、ジェネリック医薬品メーカーが承認を受けるたびに延長手続を行うわけにもいかないから、本当は 「ジェネリック医薬品にのみ効力が及ぶ特許権を、それが依拠した特許権者の先行医薬品の延長された期間と同じ長さだけ延長する」 というのが理屈としては正しいのではあるが、「特許権者の先行医薬品で延長された特許権の効力が、それに依拠して承認されたジェネリック医薬品にも及ぶ」 とみなすことにして制度を運用するのが現実的であろうし、それが実際の延長制度だということになる。

まあ、このように私は井関氏の考えが間違っていると思っているけれど、ひょっとしたら私の方が間違っているかも知れないし、私も井関氏も両方間違っていることだってあり得るだろう。 私も間違ったことはたくさん言っていて、過去に自分が書いたものを読み返すと間違っていると思うことはあるし、今言っていることも、実はときどき自信がなくなる。。 正しいことばかり言えるわけでもなく、かつ、時々間違ったことに気が付いて考え方が修正されて行くのだから、半年、1年と経てば、考え方が変わっているとしてもしょうがないでしょう。 だから井関氏も、裁判所も、「排他的権利はいささかも侵食されていない」 というのが本当に正しいのかを再度考えてもらって、もしそっちが間違っていると思うのなら、考えを修正してちょうだいねと思う。

*     *     *

ところで、井関氏は論文の最後でオキサリプラチン事件について触れている。 オキサリプラチン事件判決 (平成27年(ワ)12414) において東京地裁 (嶋末コート) は、原告側の延長された特許権の効力は、被告のジェネリック医薬品には及ばないと判断したが、この判決について井関氏は、次のように評している。

[井関涼子, PATENT STUDIES 62:16-30,2016 の28ページ]
この東京地裁判決は,均等物・実質同一物の判断に均等論を用いず,発明の性質に応じつつも,具体的に明確な基準により認めようとしていると解され,妥当であると考える

ちなみに被告のジェネリック医薬品は、原告側の先行医薬品とよく似た医薬品であって、有効成分や効能・効果、用法・用量は同じだが、ジェネリック医薬品には、有効成分以外の成分として、有効成分の分解を抑制する作用を有することを被告が見出した “グリセリン” が添加されている点が先行医薬品とは異なり、これにより、両者の医薬品の 「成分」 はすべてが同一とは言えないものになっている。 大合議判決は傍論において、延長された特許権の効力は、『成分(有効成分に限らない)、効能、効果、用法、用量』 が同一の医薬品、およびその均等物・実質的同一物に及ぶと説示していた。 それを文字通りに捉えれば、「成分」 が同一とは言えない本件のジェネリック医薬品には延長された特許権の効力は及ばないこともあり得るということになり、事実、上記の東京地裁は 「及ばない」 と判断し、井関氏は、この地裁判決を妥当だと評価したわけだ。 ところが、同じページで井関氏は、次のように論じている。

[同28ページ]
延長後の特許権の効力は,出願理由処分の対象となった医薬品を独占的に実施できることが保証される範囲に及び,かつ,それ以上には及ばないことが必要であるところ,医薬品の独占を損なう場面とは,医師が処方した特許権のある医薬品に代えて,後発医薬品が調剤される場合であろう。 「医師の処方薬に代えて後発医薬品を調剤できる場合」 は,厚生労働省保険局医療課長等通知 「処方せんに記載された医薬品の後発医薬品への変更について」 として示されている。 後発医薬品に変更できる場合は,このように厚労省通知で明確にされているとすれば,これに依ることが,明確でよいのではないだろうか。 具体的には,たとえばOD錠は,処方薬に代えて後発医薬品を調剤できる場合とされているため,実質同一物といえるであろう。

つまり井関氏は、医師が処方した医薬品に代えて変更調剤が可能な後発医薬品については、延長された特許権の効力を及ぼしてよいと考えているようなのだ。 しかし、オキサリプラチン事件の被告製品である 『オキサリプラチン点滴静注「トーワ」』 は、原告側製品である 『エルプラット点滴静注液』 から変更調剤は可能なのではないか・・・? ジェネリック医薬品メーカーがジェネリック医薬品を販売する場合、基本的には変更調剤可能なようにジェネリック医薬品を販売するはずで、もし井関氏のように変更調剤可能な医薬品に権利を及ぼしていいというのなら、実用的には十分広い範囲に権利行使を認めることになるだろう。 権利行使を否定した東京地裁判決「平成27年(ワ)12414」を妥当だと言いながら、変更調剤可能な医薬品には権利を及ぼせと言うのは、意味がよく分からない。。 それとも井関氏の上記の説明は、「東京地裁の判決が実質同一物の判断に均等論を用いなかった」 というところが評価できると言っているだけで、非侵害とした東京地裁の結論そのものは賛成できないと言うことなのだろうか? あるいは井関氏の上記の説明は、権利行使できるのは、医師が先発品を指定して処方箋を書いたのに変更調剤されてジェネリック医薬品が使われた場合だけで、医師が最初から処方箋にジェネリック医薬品を指定して記載した場合や、医薬品の一般名で処方した場合は、権利行使を否定するという意味なのだろうか??? (まさかね。。) 論文の最後になって、井関氏が何を考えているのかよく分からなくなってしまった 😖。

(2017/7/3 追加) [井関涼子, 法律時報 Vol.89, No.8, 10-15 (2017) の14ページ脚注20 で井関先生は、上記の点について捕捉されていて、それによれば、特許研究 (2016) の28ページで後発薬に対して延長された特許権の効力を広く及ぼしてよいようなことを書いたのは、有効成分の物質特許を念頭において書いたもので、製剤特許の場合は、たとえ後発薬として承認を受けたものでも、有効成分以外の成分の付加等で、周知慣用とは言えない新たな効果を奏したような後発薬には、延長された特許権の効力は及ばないと考えているようだ。]

なお、今回の論説で井関氏は、以下のようにも論じている。

[井関涼子, PATENT STUDIES 62:16-30,2016 の26ページ]
・・・,たとえば改良発明は,基本発明に対して,改良というプラスアルファがある分,優位に立つことは明らかであって,市場競合性があるといえようが,そのような別発明についてまで,延長後の特許権の効力を及ぼしてよいとは思われない。

そういう観点で言えば、被告製品の 「グリセリン入りのオキサリプラチン」 は、被告が特許 (特許第5314790号) を取得できたほど画期的な製品であって、“改良発明” であることは明らかであるのだが・・・。 9月15日の投稿でも書いた通り、被告製品が原告製品に対して進歩性があるか否か、あるいは、被告が努力して新たな付加価値を生み出したか否かということ自体は、権利行使を認めるか否かの判断に直接影響を与えるものではないと私は思っている。 重要なのは、被告が原告の特許発明を利用しているのか (すなわち特許発明の技術的範囲に含まれるのか) という観点と、被告が原告側の先行医薬品の製造販売承認を利用しているのか (すなわち先行医薬品に依拠して承認を受けたのか) という観点であって、被告がいくら努力して画期的な付加価値を付けようが、それが上記の観点には影響を及ぼさないのであれば、特許侵害をまぬがれる理由にはならないのだ。 もっとも本件特許の場合、オキサリプラチンを単に注射用水に溶かしただけのような物がクレームされている特許であるから、そもそもこの発明には特許性があるのか、あるいは、そのような特許が、オキサリプラチンと水以外の成分を含む溶液に広く権利行使できる特許であるのかについては、大いに疑問があることについては5月10日の投稿 「医薬品独占の延命特許の無効審判と裁判」 でも書いた通りなので、被告製品にグリセリンが入っていることは、原告の特許発明の技術的範囲に含まれるのか否か (特許法70条) の判断については大いに影響を及ぼし得るのだろうが、被告製品が原告側製品の後発薬として製造販売承認を受けている以上、グリセリンを入れることがいくら画期的であろうが、延長された特許権の効力範囲 (68条の2) の判断において影響を及ぼすものではないと思う。

このように、延長された特許権の効力に関しては、井関氏の言う 「変更調剤可能か否か」 や、 「“改良というプラスアルファがある” か否か」 といったことは関係なくて、「先発医薬品の承認に依拠して承認を受けたのか否か」 で判断するべきであり、その方が、承認を受けるにあたって “時間をワープした” という観点からしても延長制度と論理的に整合性がとれると思う。

もちろん、それだけだと、本件オキサリプラチン事件の場合は “延長された特許権の権利行使を認める” という結論になってしまうことになるが、権利行使できるのか否かはそれだけで決まるものではなく、前々回の投稿や9月15日の投稿でも説明した通り、そもそも “延長の可否” や “延長の期間” は、特許権者が代替性のある先行医薬品を実施していたのか否かが考慮されて決められるべきものであるし、また上述の通り、延長とは関係のない問題として、この特許に無効理由はないのか、水以外の添加物を含む溶液に広く権利行使できるような特許であるのか、などの問題もかかわってくるので、そういったことを考慮しない限り、被告製品に権利行使できるのか否かを判断することはできないのである。

ちなみに本件オキサリプラチン事件の場合、延長された特許権の効力を考えるまでもなく、そもそも被告製品は原告の特許発明の技術的範囲 (特許法70条) に含まれないのではないかという点については、東崎賢治氏も上記の論説 (知財研フォーラム 2016 Summer, Vol.106, 31-41 の41ページ) において、「本判決は ・・・ 判断をスキップしたが、・・・ 判断をしていたとすれば、対象物件は特許発明の技術的範囲に属さず、非侵害とされた可能性があるように思われる。」 と論じており、平野和宏氏 (知財ぷりずむ, Vol.14, No.167, 2016-08, 56-72 の68ページ) も、「・・・、本判決は、そもそも本件発明は有効成分以外の成分を含まない製剤に関する発明であると解していることが窺われ、・・・、そもそも被告製品は本件発明の技術的範囲に属するものではなかったのではないかと考えられるものである。」 と論じている。 その点は私も同感で、11月21の投稿でも書いた通り、今回の事件は、本件特許の技術的範囲にそもそも入らないか、あるいはこの特許はそもそも新規性・進歩性がないので無効とされるべきものであるという理由で特許権行使を否定する判決を行うことができたのだから、延長問題に触れずに判決を行ってもよかったのではないかと思う (とは言っても、本件に関しては、特許性を肯定した特許庁の審決を支持する知財高裁判決 平成22年(行ケ)10122 および 平成27(行ケ)10105 が存在しているから、地裁としてはそういう判決はやりづらかったのかもしれないが)。 むしろ延長問題に立ち入ってしまうと、原告側製品の後発薬として簡易に製造販売承認を受けているのに 68条の2 の観点で権利行使を否定するのはどう見てもおかしく、そうかといって67条の3第1項1号の観点で延長を否定するのも最高裁判決が邪魔になってむずかしいので、それでも権利行使を否定する結論を導こうとすると、どうしても無理をした理由付けで結論を導かざるを得なくなってしまうだろう (東京地裁の平成27年(ワ)12414判決や平成27年(ワ)12415判決がそうであったように)。 だから、来年1月の大合議判決においても、延長の許否の判断や効力範囲について、現在の特許法の条文や最高裁判決に沿いながら適切な規範を示すことは至難の業だろうと思うし、無理な理由付けでおかしな判示をすることになるのではないかと心配だ。 「特許法の条文や最高裁判決がそもそもおかしい」 というところまで踏み込んで説示してくれるのなら大いに歓迎なのだが(笑)。

なお今回の大合議が、延長問題について判示するために組まれたのではなく、単に過去の上記2件の知財高裁判決 (平成22年(行ケ)10122 および 平成27(行ケ)10105) を再評価するために組まれたものであるのなら、それはそれで評価できる。 5月10日の投稿で書いた通り、特に平成27(行ケ)10105判決の説示については、特許権者側に有利な説示を行い過ぎている点で私は不満があるし、そうした説示が特許権者の強気な訴訟行為を後押ししてしまったことは否定できないのだろうから。

*     *     *

さて、上述の通り、“延長の可否” や “延長の期間” は、特許権者が代替性のある先行医薬品を実施していたのか否かが考慮されて決められるべきものであると私は思っており、神戸大の前田健氏も昨年の論説 (神戸法学雑誌 65(1) 1-44, 2015) においてはこれに近いことを論じていることは12月7日の投稿でも書いたが、こういった考え方について井関氏は、今回の論説において以下のように批判している。

[井関涼子, PATENT STUDIES 62:16-30,2016 の18ページ]
・・・ 外延が柔軟に広がる可能性があり,予測可能性,法的安定性が損なわれるおそれがあると思われる。

[同18ページ]
市場競合性という概念は,その程度としてどこまでを含めるかによって,いくらでも広がる可能性があり,市場競合性のみで判断するのであれば,恣意的にならざるを得ないことが懸念される。

しかし、それは単に決め方の問題であって、例えば “市場競合性” の物としての範囲を、「有効成分と効能・効果が同一の範囲」 と解してしまえば、外延は明確になるし、予測性も担保される。 したがって、“市場競合性” という言葉自体が曖昧に見えることは、“市場競合性” を加味して延長を判断することを否定する理由にはならないだろう。

また井関氏は今回の論説で、“市場競合性” の範囲を、例えば 「有効成分と効能・効果が同一の範囲」 と解する可能性に関して、『・・・,なぜ68条の2 の「物」を有効成分,「用途」を効能・効果と解するのか,根拠は述べられていない。』(27ページ) とも指摘している。 私の場合、延長された特許権の効力を “市場競合性” のある範囲に及ぼせと言っているのではなく、“市場競合性” がある範囲においては、延長期間の終期をそろえるべきだと言っているだけだから、68条の2 は必ずしも関係がないし、また、延長された特許権の効力が広がるわけではないから、必ずしも特許権者が有利になるものではないが、「有効成分と効能・効果が同一の範囲」 を基準にすることに関して条文上の明確な根拠がないという批判は確かにその通りかも知れない。 しかしできない理由を並べ立てるのは簡単なのであって、もし何らかの形で “市場競合性” を加味することが重要だという点で同意できるのなら、条文からそれを読み込む努力をすればよいのだし、それがどうしてもできないのなら、立法的に解決すればよいだけの話だ。 要するに、“市場競合性” を加味することが重要だという点に同意できるのか否か、というところがミソなのであって、井関氏は今のところ、同意できないということなのだろう。 しかし、井関氏が同意していないのは、“市場競合性” を加味しないで延長制度を運用したら、どういう不都合が起きるのかということを、井関氏がまだちゃんと考えていないからだと思うのだ。

なお、上記の平野和宏氏の論説についても一言だけ感想を書くと、平野氏は論説の中で、井関氏が、いったん延長された部分が、それより長く再延長されるような制度運用とすることに対して批判的であることに対し、逆に井関氏を批判して、『「一旦延長登録されてその効力が及ぶ範囲に、重ねて延長登録され、この後の登録の方が延長期間が長い場合」 が生じることがあるとしても、後発医薬品メーカーの利益が不当に害されるとまでは言えないと思料される・・・』 (知財ぷりずむ, Vol.14, No.167, 2016-08, 56-72 の70ページ) と述べている。 しかしその段落の文脈で判断する限り、平野氏が考慮しているのは “予測可能性を担保する” という観点だけだ。 しかし考慮すべき観点は 「予測可能性」 だけではない。 特許権者が先行医薬品を独占販売しながら代替性のある後行医薬品の承認を受け、その期間だけ特許を再延長した場合に、現実に特許権者や後発者が受ける利益・不利益がどうなるのかをぜひ考えてみてほしい。 それを考慮してもなお、“不当に害されるとまでは言えない” と言えるのか?

つまり、重複延長を批判しつつも、延長された特許権の効力範囲を狭くすれば問題は解決できると思っているように見える井関氏も、重複延長を認めることにあまり疑問を持っていないように見える平野氏も、どちらも代替性のある後行医薬品を特許権者が開発して再延長した場合に何が起こるのかを考えずに議論しているから、それぞれの考えがどちらも不適切であることに気づけないのだと思う。 ちなみに私も Sotoku 通号1号を書いていたころはそうだった。

“市場競合性” を考慮せずに延長制度を運用したらどうなるか? 例えば、特許権者が先行医薬品の承認を受けたら、その承認にかかった期間だけその医薬品に効力が及ぶ特許権を延長することができ、特許権者が、市場競合性のある後行医薬品の承認を受けたら、その承認にかかった期間だけその後行医薬品に効力が及ぶ特許権を延長することができるとして、それが延長制度の趣旨に合致していると本当に言えるのだろうか?  そういうやり方で、特許権者が承認を受けるために被った不利益が、忠実に回復できる制度になると言えるのだろうか?

過去に私が書いてきたことの繰り返しにはなる部分は多いけれど、今書いている Sotoku 通号7号において、それを今一度、確認してみたいと思う。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック