2017年07月31日

医薬品特許延長制度の正統派解釈は正当か(井関涼子先生法律時報論文)


延長された特許権の効力が及ぶ範囲に関する知財高裁大合議判決(オキサリプラチン事件:平成28(ネ)10046;平成29年1月20日判決)を受けて、同志社大教授の井関涼子先生の新しい論文が出た。

井関 涼子
特許権存続期間延長登録制度の在り方
−「オキサリプラチン」事件知財高裁大合議判決をふまえて −

(特集 ライフサイエンスと知的財産)
法律時報 89(8) (通号 1114) 2017-07 p.10-15

井関 涼子
延長登録を受けた特許権の効力 ―― 研究者の視点から
ジュリスト 2017年8月号 (No.1509) p.46-52

2つの論文は1カ月くらいしか間をおかずに出たものだから、ジュリスト8月号の方は法律時報7月号とほとんど内容は同じだろうと思って読んだらかなり違った。 ジュリストの方は法律時報の続編と言う感じで、主に井関先生とは違う考え方を論じている人たち (前回紹介した田村先生・高林先生や私の説、大野聖二弁護士の論説など) に対する批評のために紙面が割かれている。

ということで、当初はジュリストが出たら法律時報の分と一緒に書こうと思っていたのだけれど、ちょっと一緒には書きづらいので、ジュリストの方は置いておいて、今回は法律時報の論文について書くことにする (というか、それしかできていないだけだけど ^ ^)。

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井関先生を “正統派” と呼んでいいかどうかは少し分からないところもあるけれど、井関先生は、2009年の論説 (同志社法学, 60巻6号 (通号331) 83-113, 2009) を初めとして、これまでに医薬品特許の延長問題に関して多数の論文を書いており、延長問題に関して大きな裁判があれば必ず論説が出るこの問題の第一人者だ。 そして井関先生の言っていることは、裁判所の立場にかなり近い。 特に、延長された特許権の効力範囲を “特許の種類や対象” に応じて判断することを指向している点、すなわち、有効成分の物質特許の場合は、延長された特許権の効力範囲は広く、製剤特許のような場合は狭いと考える点で、井関先生と大合議判決は一致している。 そこで、井関先生の論文をネタにしつつ、“特許の種類や対象” に応じて延長された特許権の効力範囲を判断するという考え方に対して、今一度、自分の考えを書いてみる。

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1.延長された特許権の効力範囲の決定はあくまで特許発明の観点であるべきで、医薬品の観点を持ち込むべきではないのか

オキサリプラチン事件 (平成28(ネ)10046) において特許権者側は、特許権者の先発医薬品と相手側の後発薬との実質的同一性を判断する場合に問題とすべきは、『・・・,先発医薬品が処分を受けるために特許発明の実施ができなかったことにより得られた成果に全面的に依拠して,安全性の確保等法令で定めた試験等を自ら行うことなく,承認を得ているかどうかである。』 と主張した。

そもそも、「実質的同一」 なる概念を持ち出さなければ制度がうまく働かないということ自体、今の日本の延長制度の条文には欠陥があることを示していると私は思うが、それはともかく、上記の特許権者の主張に対して大合議判決は、相手側の後発薬が、特許権者の先発医薬品の承認に 承認を得ているという点に焦点を当てることはなく、『・・・,政令処分において定められた「成分,分量,用法,用量,効能及び効果」によって特定された「物」と対象製品との技術的特徴及び作用効果の同一性を比較検討して,当業者の技術常識を踏まえてこれを判断すべきであり,これを離れて,医薬品としての有効成分や治療効果(有効性,安定性)のみからこれを論じるべきものではない。』 と説示した。 1月23日に投稿した通り、特許権者は有効成分や有効性,安定性 “のみから” 判断すべきだと主張しているわけではないので、大合議のこの説示は、特許権者の主張や後発医薬品の承認制度を曲解するものだと私は思っているけれど、大合議のこの指摘について井関先生は次のように書いている。

[法律時報 89(8), 14ページ右段]
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つまり、延長された特許権の効力を判断するにあたって 「医薬品自体の基準」 を使うべきではなく、あくまで 「特許発明の観点」 であるべきだと言っているわけだ。 しかし、そもそも68条の2は 『政令で定める処分の対象となつた物(その処分においてその物の使用される特定の用途が定められている場合にあつては,当該用途に使用されるその物)』 についての当該特許発明の実施に延長された特許権の効力が及ぶ旨を規定しているのであって、“政令で定める処分の対象となつた物” とは、医薬品の 「成分,分量,用法,用量,効能及び効果・・・」 という厚労省の承認において用いられた 「医薬品自体の基準」 で特定されるものであるから、延長された特許権の効力を判断するにあたっては、「医薬品自体の基準」 は必ず取り込む必要がある。

また本件の特許権者は、延長された特許権の効力が及ぶのは特許法70条1項にいう 「特許発明の技術的範囲」 に含まれるものだけであることは当然の前提としているから、延長された特許権の効力範囲を主張するにあたっても、特許権者は 「特許発明の観点」 を取り入れていることは明らかだ。 つまり、延長された特許権の効力が及ぶ範囲を決めるにあたって、知財高裁大合議も 「医薬品自体の基準」 を取り入れているのだし、特許権者も 「特許発明の観点」 を取り入れている。 延長された特許権の効力が及ぶ範囲を決めるにあたって 「特許発明の観点」 と 「医薬品自体の基準」 の両方の観点が必要なのは明らかで、「あくまでも“特許発明の観点”であるべき」 という井関先生の考え方を貫徹することはそもそも不可能だ。

井関先生としては、「政令で定める処分の対象となった物」 (つまり特許権者の医薬品) を特定するためには 「医薬品自体の基準」 を使うとしても、その実質的同一性の判断は 「特許発明の観点」 だけでやるべきだということなのかも知れないが、それが正しいという根拠は明らかではないというべきではないか。 ちなみに大合議判決は、剤型が異なるために投与経路等が違ってしまう医薬品同士の実質的同一性の判断に関しては、「疾病の類似性など医学的な観点からの考察が重要であると解される」 と説示しているが、そうではない場合の実質的同一性の判断になぜ医学的な観点からの考察が不要だと言えるのか、その明確な理由は示されていないと思う。

井関先生はさらに以下のように述べている。

[法律時報 89(8), 12ページ左段〜右段]
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[法律時報 89(8), 13ページ]
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つまり井関先生は、延長された特許権の効力範囲の解釈における特許権者の医薬品との実質的同一性の広がりの判断は、「特許発明の技術的範囲と同様に判断することになろう」、「特許発明の技術的範囲の解釈と同じである」 と述べている。

井関先生は以前から、延長された特許権の効力範囲を判断する時にボールスプライン事件において最高裁が判示した均等論の基準を用いるべきではないと論じていた。 そして今回の法律時報の論文でも脚注12において、延長された特許権の効力範囲を判断するにあたって田村先生が均等論を根拠にしようとしていたとして、田村先生を批判している。 それなのに井関先生は上記の通り、特許権者の承認医薬品との実質的同一性の広がりの解釈は、「特許発明の技術的範囲と同様に判断することになろう」、「特許発明の技術的範囲の解釈と同じである」 と論じているのだ。 しかし、“特許発明の技術的範囲の解釈” と同じだというのなら、その解釈手法は均等論と何が違うというのだろうか?? ちなみに東京地裁の東海林コートが行った判決 (平成27(ワ)12415) では、「政令処分対象物についての特許発明」 なるものに対して均等論を適用して68条の2を解釈しているが、これはまさに実質的同一性の広がりに関して、“特許発明の技術的範囲の解釈” と同じ解釈手法を採ったものだ。 田中孝一 最高裁調査官(当時)も似たような発想を採っていて、処分の対象となった医薬品の構成を 「1つの有機的結合」 として捉えて均等論を適用することを論じている (田中孝一, 裁判実務シリーズ2 特許訴訟の実務 第2版, 部眞規子編 (2017) 399-424 の 422ページ)。 「政令処分対象物についての特許発明」 とか、「有機的結合」 というのは、どんな結論でも導き出すことができる、ほとんどマジックワードのようなものだと思うが、均等論の適用を否定している井関先生が、結局のところこれと何が違うのかがよく分からない。

田村先生の場合、延長された特許権の効力は 「市場競合性のある範囲」 に拡大させることを以前から論じているが、確かに田村先生の2015年論文 (AIPPI (2015) Vol.60, No.3, 206-236 の 228ページ) を見る限り、そのように拡大させる理由は、技術思想に対するフリーライドを防止するという意味で、根源的には均等論と同根だと捉えていたように感じられる。 しかし田村先生の結論は、延長された特許権の効力は 「市場競合性のある範囲」 に及ぼせというものであり、それは結局のところ医薬品という観点だけで決まる範囲であって、特許発明という観点とはまるで関係のないものとなっているのだから、延長された特許権の効力の範囲の広がりを均等論で解釈したとみなすことはできないだろう。 だから6月20日の投稿で私は田村先生の考え方について、「特許権者の “特許発明の種類や対象” を一顧だにしていない」 と書いた。

それに対して井関先生の場合は、特許権者の医薬品との実質的同一性の広がりを判断する場合に均等論を用いてはならない旨を一貫して論じているにもかかわらず、その判断基準は 「あくまでも特許発明という観点であるべき」、「特許発明の技術的範囲と同様に判断することになろう」、「特許発明の技術的範囲の解釈と同じである」 と論じているのだから、おかしなものだと感じてしまう。

同様の批判は知財高裁大合議判決にも当てはまる。 例えば Law and Technology No.76 (2017) 88-97 には、この大合議判決の詳報が掲載されている。 その中で著者は、「・・・、法68条の2の場面でも均等論の適用があるかどうかが問題になっていた(・・・。・・・ 平成27年(ワ)第12415号 ・・・ は適用肯定説に立つ)が、本判決は、明確にこれを否定したものである。」 と解説しているにもかかわらず、実質的同一性の判断に関して 「・・・、一部均等論と似たような検討を行うべき部分も存するように思われる。」(96頁右段)、「・・・ 作用効果の同一性に関しては、・・・、今後の事例の集積を待つしかないが、・・・均等の第2要件におけるそれと特段異ならないと解される。」(94頁右段) と解説している。 このように解説されてしまうのも、知財高裁大合議判決は均等論の適用を否定しながら、結局は均等論と何が違うのかよく分からないということを表しているのだと思う。 実質的同一性の広がりを “特許発明という観点” で解釈しようとする限り、均等論と何が違うのかが分からなくなるのは当然だろう。

実質的同一性の広がりを具体的にどのように判断するのかについて井関先生は、上にも引用した通り、大合議判決にならって 「技術的特徴及び作用効果の同一性」 で判断するのだと論じ、『「生物学的同等性」という ・・・ 用語を使用せず内容を明確化』 したと大合議判決をポジティブに評価している (以下に引用)。

[法律時報 89(8), 12ページ左段〜右段]
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しかし 「技術的特徴及び作用効果の同一性」 という基準は明確なのだろうか?

例えば後発者の医薬品が、特許権者の特許発明の技術的範囲 (70条1項の範囲) に含まれており、かつ生物学的同等性に基づき、特許権者の医薬品の後発薬として承認されたものであるとする。 特許発明の技術的範囲に含まれる以上、後発者の医薬品は、特許権者の特許発明と技術的特徴や作用効果が同一であると言うことはできるだろうし、生物学的同等性に基づき特許権者の医薬品の後発薬として承認された以上、特許権者の医薬品と、成分、分量、効能・効果、用法・用量等が同等であると言えるものであるはずだから、特許権者の医薬品と後発者の医薬品の 「技術的特徴や作用効果」 は高度に一致していると言えるだろう。 それでもなお 「技術的特徴及び作用効果」 が異なると判断するのであれば、一体、どのような基準で判断するというのか? 特許発明の技術的範囲に含まれ、かつ、医薬品としても、新たに臨床試験を行うことが不要とされるほど特許権者の先発医薬品と同等だとみなされているにもかかわらず、なお 「技術的特徴や作用効果」 が同一ではないと判断するとなれば、特許権者と医薬品と後発者の医薬品との間に存在する、さほど重要ではない付加価値的な違いを針小棒大に取り上げることになるのだろうが、その判断は、まさに裁判官の胸先三寸で決まる曖昧なものとなるのではないか。

例えば 「製剤特許」 において実質的同一性の広がりを判断する場合について、井関先生は以下のように論じている。

[法律時報 89(8), 15ページ]
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井関先生は 『生物学的同等性はあっても、特許にかかる製剤技術とは技術的特徴が異なる物が“あるから”』 と述べている。 しかしこの論文にも、ジュリスト8月号にも、具体的にどのような物があるのかについて、オキサリプラチン事件以外については何も記載されていない。 しかしオキサリプラチン事件における被疑侵害者の後発薬は、そもそも特許権者の特許発明の技術的範囲に含まれておらず、68条の2に関して実質同一であろうがなかろうが侵害は否定される (すなわち実質同一を判断する必要がない) ものであるのだから、こんなものは例のうちに入らないだろう。

大合議判決に対して1月23日に投稿した時にも書いたが、もし 「ある」 と思うのならはっきりと示すべきだろう。 すなわち、後発者の医薬品が、特許権者の特許発明の技術的範囲 (70条1項の範囲) に含まれており、かつ、生物学的同等性に基づき特許権者の医薬品の後発薬として承認されたものであり、かつ、特許権者が製剤特許を延長する根拠とした医薬品の承認を受けるにあたって、代替性のある先行医薬品をすでに独占販売して市場から利益を受けていたわけでもないときに、それでも後発者の医薬品に対して延長された特許権の効力を及ぼすべきではない場合があるというのなら、それがどういう場合なのか具体的に示すべきだと思う。

同じ批判は大合議判決に対しても当てはまる。 大合議判決は、「・・・ 実質同一は,当該特許発明の内容に基づき,その内容との関連で,・・・ 技術的特徴及び作用効果の同一性を比較検討して,当業者の技術常識を踏まえてこれを判断すべき」 と説示している。 すなわち後発者の医薬品が、特許権者の特許発明の技術的範囲 (70条1項の範囲) に含まれており、かつ生物学的同等性に基づき、特許権者の医薬品の後発薬として承認されたにもかかわらず、技術的特徴や作用効果が同一ではないと判断されるのはどういう時なのか、その肝心なところは 「技術常識」 に丸投げしているに等しい。

なお、Law and Technology No.76 の知財高裁詳報には、1つの具体例として、特許権者の先発医薬品が錠剤であるのに対し、後発者の後発医薬品が液剤であって、後発薬は “即効性” を有する場合が示唆されている (以下に引用)。

[知財高裁詳報 L&T No.76 (2017) 88-97 の 94ページ]
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しかし、薬剤の吸収性が有意に異なるというのなら、それはもはや後発薬としては承認されないということになるだろうし、後発薬として承認される程度の違いしかないのであれば、即効性が高まると言っても、特許権者の医薬品と同等と言える範囲の違いだということになるだろう。 それを 「後発薬として承認される程度の違いであるのか」 といった観点や 「医学的な観点」 ではなく、「特許発明の観点」 で “技術常識” を踏まえて独自に判断するということに、どれほどの客観性や明確性があるというのだろうか?

どのような後発薬を権利行使の範囲から除外するのかに関連して井関先生は、次のような論じ方をしている。

[法律時報 89(8), 15ページ]
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こうした論じ方からは、後発医薬品の開発に加えられた技術の困難性が、延長した特許権の効力が及ばないことを正当化する根拠であることを示唆しているように感じられる。 とすると、後発者が困難な付加的効果を奏する後発薬を開発した場合は、権利行使を免除してもよいと考えているのだろうか?

「努力して付加価値を付けた人には、特許発明をフリーライドすることを許す」 という価値観を安易に特許制度に持ち込むと、特許制度がおかしなことになってしまうと私は思っていて、それについては2016年の9月15日の投稿や、12月19日の投稿でも書いた。 特許制度とは、基本的に、特許権者の発明を利用する限りは侵害とする制度であって、利用者がどんなに付加価値を付けようが、そんなことは関係がない。 それなのに特許制度がすこし壁にぶつかると、被疑侵害者が付加価値を付けた場合は権利行使を免除するという考え方がすぐに生まれてきてしまう。

とはいえ、現在の延長制度においてこうした考え方が生まれてきてしまうことについては、致し方ない事情もあると思っている。 その事情とは、現在の延長制度の運用には重大な欠陥があって、その欠陥を補うためには、「付加価値を付け人は侵害にしない」というおかしな理由をつけてでも侵害を否定しなければ衡平の理念にもとることになってしまうことだ。 そして現在の延長制度の欠陥とは、前から言っている通り、先の2つの最高裁判決 (パシーフカプセル事件判決とアバスチン事件判決) によって、現在の制度運用では、既に先発医薬品を販売して市場から独占的に利益を受けているにもかかわらず、同じ市場をターゲットとする後行医薬品の承認を受けて、例えば製剤特許について、その承認にかかった期間と同じ期間だけ特許を延長することができるようになってしまったということだ。

製薬メーカーが医薬品を開発するときは、多くの場合、その医薬品の有効成分に関する物質特許を持っている。 そして、その製薬メーカーが製剤特許を取得して、その製剤特許を使って新しい製剤 (新型製剤) の承認を受けようとするときは、多くの場合、同じ市場をターゲットとする先行医薬品を既に独占販売しており、新型製剤の承認を受ける間にも、同じ市場から利益を受けている。 その場合、「新型製剤の承認を受けようとする間、新型製剤を販売することができず、利益を上げられなかった」 という不利益は、同じ市場をターゲットとする先行医薬品を販売することによりかなりの部分は補われていたのであって、新型製剤の承認に長い時間がかかったとしても、その期間だけ特許を延長しては特許権者を過剰に利することになるのだ。

これとほぼ同じ問題は6月20日の投稿で説明した。 6月20日の投稿では、同じ特許を2回延長した場合について説明したが、2回目の延長が別特許 (製剤特許) の延長であったとしても同じことが起きる。 すなわち、先行医薬品を販売しつつ、同じ市場をターゲットとする新型製剤を開発して医薬品の承認を受け、その間の不利益は先行医薬品を販売することにより補われていたにもかかわらず製剤特許を延長し、その後、先行医薬品から新型製剤に需要が移り替わることによって、事実上の市場の独占期間を先延ばしにすることができてしまうのが今の日本の延長制度なのだ。

そして、これを阻止するためには、製剤特許の延長した特許権の効力を無力化する必要がある。 そのために、製剤特許の延長した特許権の効力範囲は狭いと解釈する必要が生じ、それを実現するために、「付加価値を付けた後発薬は、延長した特許権の効力範囲には入らない」 という理屈が必要になってしまうのだ。

しかし問題の根源は、「特許権者が新型製剤の医薬品の承認を受ける間にも同じ市場をターゲットする先行医薬品を販売して利益を得ていた」 という点にあるのであって、延長しようとする特許が 「有効成分の物質特許」 であるか 「製剤特許」 であるかということは関係がない。 「有効成分の物質特許の場合は延長した特許権の効力範囲は広く、製剤特許の場合は延長した特許権の効力範囲は狭い」 などという考え方は、上述した現在の延長制度の欠陥を補うための “弥縫策” としては意味があるとしても、延長制度の在り方を根本から論じる理論としては誤りというべきだ。

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それを確かめるために、「製剤特許」 の延長について、前回の投稿と同様、延長制度の目的に沿って考えてみる。

ある特許権者が、ある製剤特許を持っていたとする。 そして、既に他社が医薬品として使っている有効成分 (他社の特許は既に切れた物) について、その製剤技術を適用し、既存の医薬品とは異なる用法・用量で使うための新型製剤を開発し、5年をかけて臨床試験を行って承認を受けたとする。 その特許権者は、その有効成分の医薬品はこれまで販売しておらず、同じ市場をターゲットとする他の医薬品も販売していなかったとする。

上述の通り、この新型製剤の承認を受けるためには5年を要したが、もし承認に全く時間がかからず、すぐに承認されていれば、特許権者はすぐに新型製剤の販売を開始することができる(下図)。 この場合、当然ながら特許権者は、承認に時間がかかることによる不利益を負わない。

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また、この場合、たとえジェネリック医薬品メーカーが、この新型製剤のジェネリック医薬品を販売したいと思っても、当然ながら、特許権者の製剤特許の技術的範囲 (すなわち70条1項の範囲) にある医薬品は、特許期間 (出願から20年) が満了するまでは販売することはできない。 仮に特許期間の満了まであと9年残っているとすれば、9年間はジェネリック医薬品は出てこない。 たとえ後発者が、どんなに多大な開発努力を投じて、どんなに画期的な付加的効果を奏するジェネリック医薬品を開発したとしても、そのジェネリック医薬品が特許権者の製剤特許の技術的範囲 (すなわち70条1項の範囲) にある限りは販売することはできない。 つまり、後発者が努力して付加価値を付けるなどということは、特許権の権利行使を免れる理由にはならない。

さて、実際には承認に5年を要したので、特許権者が新型製剤を販売できるのは5年遅れることになる(下図)。

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そうすると、承認が得られるころには、本来の特許期間満了まであと4年しか残っていないことになる。 但し特許権者は、承認を受けた新型製剤に基づいて特許を5年延長できるので、本来の特許期間が満了しても、5年は延長された特許権が存続する。 しかし、もし特許が “製剤特許” の場合に、延長された特許権の効力について、“特許発明の観点” で、“技術的特徴及び作用効果” の同一性が “技術常識” に基づいて判断される結果、後発者が開発努力を投じて付加的効果を奏するジェネリック医薬品を開発した場合は権利行使を免れることができるのだとすれば、そうしたジェネリック医薬品に市場を奪われることになり、特許権者は承認に5年を要したことにより被った不利益を回復できないことになってしまう。 これで侵食された期間が回復されたと言えるのだろうか? しかも、どういった付加的効果なら延長された特許権の効力が及ばないと判断されるのかはいたって不明確だ。

延長制度の目的とは、承認に時間を要したことにより侵食された期間を回復させることにあるのだから、延長制度が目指すべきは、承認に時間がかからなかったら手にできたはずの利益を受けられる期間を回復させてあげることだろう。 だとすれば、後発者が付加価値を付けた場合は延長された特許権の効力を及ぼすことを免除しようなどという発想が出てくるのはおかしいのであり、承認を受けるのに5年を要することに起因して失ったもの、すなわち、特許権者の製剤特許の技術的範囲 (すなわち70条1項の範囲) にある限り、どんなに付加価値を付けようが、後発者は後発医薬品を販売できないという制約下で、特許権者の医薬品を独占販売できるという状態を回復させてあげるのが正しい(下図)。

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そのためには、特許権者の医薬品と同じ市場をターゲットとする第三者の医薬品については、それが特許権者の特許発明の技術的範囲に含まれる限りは、基本的に排除しなければならないのは当然だろう。 このようにして、延長された特許権の効力範囲を 「市場競合性のある範囲」 に設定するという 「田村説」 の合理性を説明することができる。

特許権者の医薬品と 「市場競合性のある範囲」 という、一見すると広すぎる範囲に特許権の効力を及ぼしてよい理論的な根拠は、特許発明の技術的範囲に含まれるあらゆる医薬品は、それが厚労省に承認された正規の医薬品である限り、必然的に、一定期間、その特許権の存続期間を侵食するので、「侵食された特許権の存続期間を回復する」 という観点で考える限りは、侵食された期間だけその特許を延長する理由があるからだ。 あらゆる医薬品は、厚労省の承認を受けなければ製造販売することはできない。 そのためには、臨床試験などを行うか、あるいは既に使用されている正規医薬品と同等な医薬品だとみなされなければならない。 例えば特許権者の先発医薬品の承認には頼らずに、第三者が独自に臨床試験を行って承認を受けようとする場合、その医薬品が、特許権者の特許発明の技術的範囲に含まれ、かつ特許権者の医薬品と同じ市場をターゲットとするものであるなら、特許権者の先発医薬品が承認を受けるために行ったのと同等の臨床試験を行わなければならないだろうから、第三者が独自に承認を受けるためには、特許権者の医薬品の承認に要したのとほぼ同等の期間が必要となるだろう。 そしてその間は、その第三者の(承認済みの正規な)医薬品は誰も製造販売することはできないのだから、その(承認済みの正規な)医薬品という特許発明の実施(すなわち承認済み医薬品の製造販売)は国の規制により妨げられていたと言えるし、実施される可能性がない以上、第三者の(承認済みの正規な)医薬品という特許発明の実施に対して特許権者が排他的権利を行使できる余地もなかった。 すなわち、第三者の(承認済みの正規な)医薬品という特許発明に関する特許権の存続期間はその期間だけ侵食されたのだから、その期間だけ延長してよい理論的な根拠はある。 また第三者が独自に臨床試験を行うのではなく、特許権者の先発医薬品の承認に依拠して後発薬として承認を受ける場合は、特許権者の先発医薬品の承認に依拠している以上、特許権者の先発医薬品の承認に要した期間は、その(承認済みの正規な)後発薬は誰も製造販売することはできなかったことは明らかであるから、その(承認済みの正規な)後発薬という特許発明の実施は、その期間、国の規制により妨げられていたと言えるし、誰も実施できない以上、(承認済みの正規な)後発薬という特許発明の実施に対して特許権者が排他的権利を行使できる余地もなかった。 すなわち、その後発薬という特許発明に関する特許権の存続期間はその期間は侵食されたのだから、特許権者の先発医薬品の承認に要した期間だけ延長してよい理論的な根拠はある。 このように、あらゆる正規医薬品は、厚労省の承認を受けなければ製造販売することはできない以上、その医薬品が特許発明の技術的範囲に含まれる限り、その特許の特許期間を侵食するのであり、その期間を回復させるために延長してよい理論的根拠はある。 延長された特許権の効力を特許権者の医薬品と 「市場競合性のある範囲」 に及ぼすというのは、本来であれば市場競合性はなくても、特許発明の技術的範囲に含まれる限り、あらゆる正規医薬品に対する特許期間は延長される根拠はあるところ、特許権者に対して目に見える損害を及ぼさない範囲 (すなわち特許権者の医薬品と市場競合性のない範囲) については第三者の実施を早めに許容しているだけだと理解することができる。 つまり、延長された特許権の効力を特許権者の医薬品と 「市場競合性のある範囲」 に及ぼすというのは、広すぎるのではなく、むしろ狭くしたと言えるものだ。

但し、第三者が独自に臨床試験を行った場合、第三者がその医薬品の承認を受けるために要した期間と、特許権者が先発医薬品の承認を受けるために要した期間は完全に同じになるとは限らないので、特に、第三者がその医薬品の承認を受けるために要した期間の方が短かった場合に、特許権者が先発医薬品の承認を受けるために要した期間だけ販売が阻止されるのは不当ではないかという疑問が生じるであろうし、その疑問はもっともだろう。 後発者が独自に臨床試験を行うのではなく、特許権者の医薬品との生物学的同等性に基づいて承認を受けるなど、特許権者の医薬品の承認に依拠して承認を受けた場合は、その問題は生じないから、特許権者の医薬品の承認に基づいて延長した期間だけ特許権の効力を及ぼすことに大きな問題はないだろう。

いずれにしろ、上記の例の場合に、特許の種類が “製剤特許” だからといって、延長された特許権の効力範囲を狭く解釈しなければならない理由は全くない。 特許が “製剤特許” だから延長された特許権の効力範囲は狭くしなければならないと感じるのは “錯覚” であって、製剤特許を延長する場合は、特許権者は既に代替性のある先行医薬品を販売して市場から利益を受けていることが多いからそう感じるだけだ。

このように、延長した特許権の効力範囲を決めるときに求められる観点は、特許権者の医薬品との市場競合性、あるいは特許権者の医薬品の承認に依拠して承認を受けたのか、という “医薬品の観点” であって、特許の種類や対象が物質特許か製剤特許かなどという “特許発明の観点” ではない。

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2.「連動」させるだけで妥当性が確保できるのか

“一度延長したら再延長を認めない範囲” と “延長された特許権の効力範囲” とを一致させる考え方が “連動論” だ。 連動論については6月20日の投稿でも話題にしたが、今回の論文で井関先生は、連動論について次のように論じている。

[法律時報 89(8), 15ページ]
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私は連動論の問題を、いわば “二重利得” の問題だと捉えている。 神戸大の前田健先生の2015年論文 (神戸法学雑誌 65(1) 1-44, 2015) も同様だろう。 それに対して井関先生はこの問題を “二重特許” の問題だと捉え、39条1項が二重特許を禁止していることに言及しつつ、以下のように論じている。

[法律時報 89(8), 14ページ]
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このように井関先生は、あくまで “予測可能性” や “明確性” の観点から連動論を支持しているのだ。 上に引用した通り井関先生は、「特許権者と第三者との利害調整」 とまで書いているのに、“二重利得” という利害問題に焦点を当てることはなく、文章の締めくくりは 「不透明になることは避けるべきである」 となっていて、“明確性” の問題にされてしまっている。

しかし、井関先生の説明はよく分からない。 今回の法律時報の論文の脚注18において井関先生は、田村先生が 「一度に一挙に・・・延長されようが、何度かに分かれて細切れに延長されようが、後発者は当初から覚悟しておけ」 (田村善之, WLJ判例コラム63号 (2016) 1-16の15ページ) と言って連動論を否定していることに対して、「後発品メーカーは ・・・ 予測できることが理由である」 と言って “予測可能性” の観点で反論しているのだが、これがなぜ理由になるのか私には分からない。 大体、井関先生自身が脚注17において、「クレームが重複しない39条の場合と、同一クレーム内における重複である68条の2の場合を同列に論ずることはできないと考える。」 と言っているわけで、そうだとすれば、39条が二重特許を禁止しているからといって、68条の2において二重延長を禁止することを正当化する根拠にはならないということになるのではないか?

この問題は、“予測可能性” や “明確性” の問題ではなくて、特許権者・第三者に不公平な利益・不利益を与えないという “衡平の理念” の問題だ。 そして、連動させたところでこの問題を解決することはできず、同一の市場をターゲットとする特許権者の複数の医薬品に対して異なる延長期間を設定することをやめる必要があることは前回の投稿で説明した。

井関先生が特許権者と第三者との本当の利害調整の問題に焦点を当てず、あくまで “予測可能性” や “明確性” の問題として論じているのは、本当の利害調整の問題を持ち出すと、井関説がうまく行かなくなる可能性を井関先生自身が認識しているからだろう。 実際、ジュリスト8月号では、以下のようにそのことに言及している。

[ジュリスト8月号 (No.1509), 51ページ]
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井関先生の前の論文 (特許研究 PATENT STUDIES, No.62, 16-30 (2016)) でもそうだったが、今回の論文も全体にわたって “予測可能性” や “明確性” の論点が強調されているのは、井関説では本当の利害調整を行うことができない場面が生じるという自覚の裏返しではないかと感じてしまう。

[法律時報 89(8), 15ページ (今回の論文の締めくくりの文章)]
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井関説では、特許の種類が “製剤特許” だというだけで延長された特許権の効力範囲が狭く解釈される結果、特許権者が同じ市場から利益を受けていない状態で製剤特許を延長した場合は、医薬品の承認を受けるにあたって特許権者が被った不利益を十分に回復できない制度となってしまうおそれが高いし、逆に、特許権者が市場から利益を受けつつ、同じ市場をターゲットとする後行医薬品の承認を、より長い時間をかけて受けて特許を延長した場合は、特許権者に過剰な利益を与えてしまうおそれがある。 それに、今回の投稿の前半で説明した通り、実質同一の広がりを “技術常識” に頼りつつ “特許発明の観点” に基づいて判断するというのは、結局のところどう判断するのかが明確ではなく、たとえ “予測可能性” や “明確性” という観点でも、井関説や大合議判決が優れているとは思わない。 特許権者が複数の延長期間を容易に設定できるようになってしまった現行の制度運用下で、できる限り妥当性を確保するための “弥縫策” としては、井関説や大合議判決のような考え方は致し方ない面があるとは思うが、それを論じて終わりにするのでは、問題の根本的な解決に近づくことはできないのではないか。 とはいえ、ジュリスト8月号を読む限り、井関先生は排他的効力の権利期間は侵食されていないとまだ思っているようだから、そこが変わらない限りは井関先生と意見が一致することを期待するのは難しいかも知れない。

*     *     *

なお井関先生は今回の法律時報の論文の最初で、日本で延長制度が導入された当初の考え方に触れ、その当時は 「有効成分と効能・効果」 が同一の範囲で最初の承認でのみ延長が認められ、延長された特許権の効力も同じ範囲に及ぶという 「連動論」 が採用されていたことに言及している(10ページ)。

確かに、延長制度の導入当初から約20年にわたって、特許庁や裁判所は 「連動論」を支持し、制度も始めのうちは比較的うまく運用されていたように見える。 しかし、その考え方が比較的うまく行っていたのは、「有効成分と効能・効果が同一の範囲」 というものが、「市場競合性のある範囲」 を比較的うまく近似するものであったから、同じ市場をターゲットとする特許権者の複数の医薬品に対して異なる延長期間が設定されるという事態が防がれていたということが重要なのであり、「連動」 させればうまく行くというものではない。

特許権者が、市場競合性のある範囲において複数の延長期間を設定できないようにするために、こうした範囲を新たに設定することが、今の延長制度には求められているのだと思う。 そのためには、延長された特許権の効力を判断する段階ではなく、“延長登録の段階” で、そうした範囲を判断する必要がある。 すなわち、“延長登録の段階” において、現在の延長制度には重大な問題が未解決のまま残っているのであり、「平成27年最判によって、延長登録要件に関する論争には一応の解決を見た」(11ページ) と捉えることはできない。

では、その範囲はどのように設定されるのか。 1つ目の観点は “物の観点” であり、特許権者の先発医薬品と “同じ市場とみなす範囲”(市場競合性があるとみなす範囲) を設定することが必要だ。 上述の通り、昔は “有効成分と効能・効果が同一の範囲” が採用されており、その範囲は、“同じ市場とみなす範囲” としてもそれなりに機能していたと思われる。 私はもっと広げた方がよいと思うが、具体的にどうするかはともかく、この範囲を設定することにさほどの抵抗感は感じないのではないか。

2つ目の観点は “者の観点” だ。 ある特許権者が先発医薬品を独占的に販売して市場を独占していたとして、その特許権者が、同じ市場をターゲットとする新型製剤について承認を受けた場合は、新たな延長期間を設定することは阻止しなければならないものの、新型製剤の承認を受けた者が、その特許権者とは利害関係のない第三者であった場合は、その第三者が持つ製剤特許は延長できるようにしなければならない。 つまり、“市場を独占していた者とみなす範囲” を設定する必要がある。

そして、“同じ市場とみなす範囲” と “市場を独占していた者とみなす範囲” が重なる部分においては、複数の延長期間を設定することを認めず、それ以外の部分においては、新たな延長を可能とする。 これにより、“有効成分と効能・効果が同一の範囲” で一律に判断していた結果、たとえ先行医薬品を実施していたのが他人であっても自分の特許を延長することができなかった昔の制度の欠陥を是正することができる。 すなわち “者の観点” は延長の機会を広げるために必要なものであって、特許権者の利益となるものだ。

このように、延長登録の段階では、“同じ市場とみなす範囲” と “市場を独占していた者とみなす範囲” が重なる範囲が、複数の延長期間が設定されることを阻止する範囲として機能する。 そして、延長された特許権を行使する段階では、“同じ市場とみなす範囲” が、権利行使できる範囲として機能する (もちろん、特許発明の技術的範囲の範囲内で)。 したがって、両者の範囲は同じとは言えないものの、どちらも “同じ市場とみなす範囲” を用いることが共通しているという意味では、連動しているとも言える。 それにより、特許権者が後行医薬品の承認で延長期間を引き延ばすことにより二重利得を得ることはできなくなると共に、特許権者の先発医薬品と競合する後発薬が早期に出回ることで特許権者が不利益を被ることもなくなり、特許権者と第三者との間で衡平が図られることになる。

最後に、私は、市場競合性のある範囲では特許権者の複数の医薬品の承認で延長された特許権の終期を揃えるべきだと思っているだけで、延長させるなと思っているわけではない。 したがって、延長の許否だけを判示している直近の2つの最高裁判決 (パシーフカプセル事件とアバスチン事件) は、そうした制度を実現するための障害とはならないかも知れず、むしろ障害となるのは、延長期間について判断を示した平成11年判決 (平成10年(行ヒ)43;平成11年10月22日) の方かも知れない。

もちろん、前回の最後にも書いた通り、私は特許登録前に臨床試験を開始した場合でも延長されるべきだと考えているから、それを実現するためには法改正を避けて通ることはできないかも知れない。 しかしいずれにしろ、延長制度がどうあるべきかについてもっと議論が行われ、考え方が集約していくことになれば、たとえ最判や条文が障害になるとしても、乗り越えられないものではなくなるはずだ。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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