2017年08月18日

医薬品の承認を受ける間も特許権の排他的効力は行使しうるのか(井関涼子先生論稿ジュリスト8月号)


井関 涼子
延長登録を受けた特許権の効力 ―― 研究者の視点から
ジュリスト 2017年8月号 (No.1509) p.46-52

前回に引き続き、今回はジュリスト8月号の井関先生の論文について見て行こうと思う。

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ジュリストの中で井関先生は、延長登録制度に対する学説を以下のように分類している。

(1) 市場競合を延長登録要件および延長特許権の効力のメルクマールとする説 (田村説(、前田説))

(2) 政令処分を受ける必要から実施できなかった医薬品の独占的実施の回復を基本に据える考え方 (井関説、大合議判決の立場)

(3) 延長された特許権の効力は、先発医薬品の成果に依拠している範囲に及ぶとする考え方 (オキサリプラチン事件の特許権者やその訴訟代理人(大野聖二弁護士)の立場、高林説)

そして、(1)の説は特許権者の利益確保に力点があり、(2)の説は特許法の制度趣旨に沿った安定に重きを置き、(3)の説は不公正な競争の抑止にポイントがあると論じている(下に引用)。

[ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の 48ページ]
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そして論文では、上の(1)〜(3)を順に検討し、井関先生の自説である(2)が妥当であるという結論を示唆する展開になっている。 そこで、私から見た場合、(1)〜(3)の考え方がどういうものであるのかを書いてみたい。

まず、少し気になるのは、(2)の考え方が重視していると井関先生が言う「特許法の制度趣旨」という言葉が何を意味しているのかが、分かりにくいということだ。 この論文には、「特許法の制度趣旨」という言葉が2回登場し(47頁、48頁)、それ以外にも、「特許法の中に導入された延長登録制度」(51頁)、「特許法全体の趣旨」(52頁)、「特許法と整合する解釈のあり方」(52頁)、「特許法の中に,その制度趣旨と調和する形で延長登録制度を設けた」(52頁)という言い方が登場する。 このような言い方がされるときの「特許法の制度趣旨」とは、「特許法の法目的」(特許法1条)を初めとする特許制度本来の目的や法構造のようなものを指しているのだろうか、それとも、現行の特許法(特に現行の67条の3、68条の2)を指しているのだろうか?

「特許法全体の趣旨」(52頁)や、「特許法の中に,その制度趣旨と調和する形で延長登録制度を設けた」(52頁)という表現は、延長に関する現行の特許法条文に限らないものを指しているのは明らかだから前者だと思われ、そのことからして、「特許法の制度趣旨」(47頁、48頁)や「特許法と整合する解釈のあり方」(52頁)という表現も前者を示唆したいのだと思われるので、そのように解釈して話を進めよう。 そうすると、上記の(2)(井関説)は、現行の特許法に限らないそもそもの特許制度の観点で安定性に優れており、上記の(1)や(3)は、それに劣ると井関先生は考えているのだろう。

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(1)市場競合性をメルクマールとする説

今回の論文において井関先生は、この「(1)」の説として「田村説」(田村善之, 知的財産法政策学研究 Vol.49 (2017) 389-452) を主に想定して議論している。 6月20日の投稿や前回の投稿で説明した通り、私は田村説そのものには同意できないが、「市場競合性をメルクマールとする」という部分については同意できる。 すなわち私が考えている延長制度は、同じ市場をターゲットとするとみなす医薬品については最初の承認で延長期間を確定させ、後行医薬品の承認を受けても新たな延長期間の設定を認めない代わりに、そのような市場をターゲットとする第三者の医薬品については、それが特許発明の技術的範囲に含まれる限りは、延長された特許権の効力を及ぼそうというものだ。 神戸大の前田先生の2015年論文(神戸法学雑誌 65(1) 2015-06, p.1-44)も同様だろう。 そこで、その観点から今回の井関先生の論考について考えてみたい。


(1−1)「予見可能性」について

市場競合性をメルクマールとする説に対する井関先生の批判は、市場競合性の範囲が一義的に定まらないということだ。

[ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の 48ページ]
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上に引用した井関先生の指摘は、先行医薬品に対して後行医薬品が新たな市場(新たな需要)を開拓した“部分”があれば、全体としては市場が重なっていても延長を認めるべきだと田村先生が論じていることに対する批判も含まれているから、必ずしも私が考えているような考え方(競合するとみなされないことを新たな延長を許容する条件とする考え方)に対する批判ではないが、市場競合性をメルクマールとする考え方一般に対する批判としても成り立ちうる。

この問題については、前から言っている通り、市場競合性の範囲をいちいち事案ごとに決めるのではなく、例えば、「有効成分と効能・効果が同一の範囲」を市場競合性がある範囲と“みなす”と決めてしまえば明確になるのだから、解決できない問題ではない。 ちなみに、米国の延長制度でも欧州の延長制度でも、「有効成分が同一の範囲」というものは、延長の単位となる範囲を規定するものとして機能しているとは言えるのではないか。 私はもう少し広げておく方がいいと思っており、例えば先行医薬品に含まれている有効成分と同じ化合物ではなくても、同じ患者群をターゲットとする先行医薬品を独占実施していたのなら、再延長はできない代わりに、延長された特許権の効力は第三者のそうした医薬品にも及ぶ(もちろん、特許発明の技術的範囲内で)ようにしておく方がよいと思っている。 それを審査基準として決めるのか、法改正で決めるのか、細かいところは裁判例に任せるのかなどについては、別途考えられるべきであろうが、“市場競合性”という明確な指標に基づいて決めるわけだから、井関先生や大合議判決が指向している“実質同一”という言葉を使って範囲を決めるよりもむしろ決めやすいのではないか。

しかし、このような考え方について井関先生は、次のように批判している。

[ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の 49ページ]
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上に引用した通り、市場競合性をメルクマールとする考え方について井関先生は、「現行の特許法の規定に根拠を求めるのは困難であろう」と論じて批判しているが、それについては後で考えるとして、引用の真ん中あたりで井関先生は、市場競合性をメルクマールとする制度設計に対して、「特許権者の不利益を過不足なく救済するという目的のみを考えるのであれば・・・」と論じて批判している。

この論文には、市場競合性をメルクマールとする考え方に対して、“のみ”という言葉を使って批判する場面は以下にも見られる。

[ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の 51ページ]
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[ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の 52ページ]
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これは、否定したい説を“のみ”という言葉を使って認定した上で批判する論法だが、この論法はあちこちで見かける(自分も使っているかも知れない^^)。 例えば今回の大合議判決(平成28(ネ)10046;平成29年1月20日判決)でも裁判所は、「・・・,一審原告の主張は,・・・,いわば医薬品としての有効成分や治療効果のみに着目して延長された特許権の効力範囲を論ずるものであり,・・・,採用することはできないというべきである。」と説示し、特許権者(一審原告)があたかも有効成分や治療効果“のみ”に着目して主張を行っているかのような認定を行ったことは、前回の投稿や1月23日の投稿でも指摘した。

市場競合性を区切りとする考え方が、当事者間の利害調整“のみ”を目的としている考え方だというのなら間違いだ。 例えば私が Sotoku 5号7号 等で書いた考え方は、特許権の存続期間はどのような時に侵食されるのかを考え、侵食された特許期間をどうすれば合理的かつ公平に回復できるのかを考える中でたどり着いたものであって、当事者間の利害調整ありきの中で生まれたものではないし、「特許権の存続期間の侵食の回復」という趣旨からも外れるものではないと思っている(それについては次節の「(2)」で詳述)。 また法的安定性や予見性の観点でも、上述のように「市場競合とみなす範囲」を決めてしまえば、その範囲は明確になるし、延長期間も最初の延長によって確定するのだから、それにまさる予見性・安定性はないだろう。

したがって、市場競合性を区切りとする考え方が、利害調整“のみ”を考えたものだといった批判や、予見可能性がないといった批判は、必ずしも当てはまらないと思う。 むしろ前回投稿した通り、「実質同一」の範囲を特許発明の内容と技術常識によって決めるという考え方も、かなり予見性に乏しい。


(1−2)現行条文から考えなければならないのかについて

先ほど触れた通り、49ページにおいて井関先生は、市場競合性を区切りとする考え方に対して、「現行特許法の規定に根拠を求めることは困難であろう。」、「現行の特許制度を超えるものであるといえる。」と指摘している。

確かに、私が言っている考え方は現在の特許法の条文から導き出したものではないから、現在の条文に当てはめることができるのかどうかは保障しない。 だから井関先生の批判はもっともかも知れない。 しかしこの考え方は、日本の延長制度が発足した当初の考え方(すなわち、有効成分と効能効果が同一の範囲では一度しか延長を認めず、その範囲の延長期間は最初の延長で確定するという考え方)にかなり近く、大きな違いは、先行医薬品で市場を独占していたのが他人であれば延長を認める点だけである。 延長制度が発足した当時の考え方が特許法の条文に当てはめることができるものとして長年用いられてきた(あるいはむしろ逆に、延長制度発足当時の考え方を条文化したのが現行の条文である)というのなら、私が言っているような考え方も、現行法に当てはめることが不可能だとは言えないのではないか?

また、今回の投稿で最初に言ったことと関連するが、「現行の特許法」や「現行の特許制度」を超えることを理由に他説を批判するのなら、「現行の特許法」や「現行の特許制度」に対する井関先生の見解をぜひ明らかにしてほしいと思う。 すなわち井関先生は、現行の特許法(67条の3、68条の2)に不備はあると考えているのか、それとも不備はないと考えているのか? 井関先生の説が、現行の条文を超えて妥当であるのかも論じて欲しい。 この点は、井関先生の2015年論文(AIPPI Vol.60, No.1, 2015, 20-36)でも気になったところだ(以下に引用)。

[AIPPI Vol.60 No.1 2015 20-36 の 34ページ]
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上に引用した通り、2015年論文において井関先生は、自説を論じた後で、それでも不都合が出るというのなら、「これを是正することはもはや条文の解釈を超えたもの」だと論じている。 この論じ方からは、現在の条文を井関先生は必ずしも肯定的に思っていないようにも見えるが、実際のところ、どうなのだろうか?

今回のジュリストでは次のように締めくくられている。

[ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の 52ページ]
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これは、ひょっとして現行特許法と整合するという意味なのだろうか? 現行の条文を前提とせず、延長制度というものの在り方を、現行条文によらない特許制度本来の趣旨や目的から考えた場合、井関先生が今回論じている考え方とは違う結論になるのだろうか?

なお井関先生は2016年論文においても、田村先生が現行条文に必ずしも囚われることなく延長制度の在り方を論じていることに対して次のように批判している。

[特許研究 No. 62, 2016, 16-30 の 26ページ]
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まぁ、延長制度の問題に限らず、田村先生はとても自由に論じる方だと私も思うから、井関先生がこのように指摘するのは分かる気もするけれど、田村先生は、延長制度の在り方を根本から考えて結論を導き出しているのだろうから、仮にその結論が妥当で、かつ、その結論が現在の条文に適合しないというのなら、それは現在の条文が間違っていることを示唆するに過ぎない。 だから田村説を批判したいのなら、延長制度の在り方に基づいて田村説の結論の妥当性を批判することが重要で、田村説が仮に現行の条文に適合しないとしても、それは二次的な問題に過ぎないと思う。

ともかく、私は現行法に対する井関先生の考えが知りたい。 もし井関先生が、現行条文には解釈論では解決できない問題があると思いつつも、あえて現行条文を前提として井関説を導き出したというのなら、私も井関説をそのようなものとして理解するだろう。 そうでないのなら、「現行法(67条の3、68条の2)を超える」との井関先生の指摘は、「井関説は現行法(67条の3、68条の2)を超えて妥当なのか」との問いを生み出してしまう。


(1−3)市場競合性をメルクマールとする制度が、特許制度“外”の制度としてしか成り立たないのかについて

今回のジュリストの49ページでは、市場競合性を区切りとする制度設計に関して、上の引用に続いて以下のように記載されている。

[ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の 49ページ]
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上に引用した通り井関先生は、市場競合性を区切りとする制度設計の考え方を欧州のSPC制度と関連付けた上で、それを「特許制度“”」の制度だと認定し、「特許権の侵食された存続期間とは“無関係”」、「日本が,現行の延長登録制度を“廃止”し、新たにそのような制度を導入するという選択肢はありうるであろうが,そのようなニーズがあるのか」、「特許制度“”の延長登録制度に比して望ましいのか」と論じている。

しかし、そもそも欧州の延長制度がつくられるにあたっては、「欧州特許条約六三条を改正することも考えられたが、そのために必要となる全加盟国の承認を得るのが困難であったため、特許法とは別個の制度が選択された」と井関先生自身が2009年論文(同志社法学, 60巻6号 (通号331) 83-113, 2009 の111ページ)で解説されている通り、特許制度の中に設計することも想定されていた。 つまり、欧州において特許法とは別の規則としてSPCが制定されたのは立法の手続的な問題によるものであって、欧州における特許延長の規定が「特許制度“”」の規定としてしか成り立たないからではないのではないか? しかも、市場競合性を区切りとする制度設計の考え方が、なぜ欧州のSPCと同列に論じることができるのかもよく分からない。

井関先生は、市場競合性を区切りとする制度設計が「現行特許法の規定」に当てはめることが難しいことを理由に「現行の特許制度を超える」と論じ、その流れで「このような制度設計が特許制度“”にありうる」として欧州のSPC制度の議論に導き、そのような制度が「現行の特許制度“”」の制度より望ましいのかは慎重に議論すべきだと論じることで、市場競合性を区切りとする制度設計が「特許制度“”」の制度としてしか成り立たないかのような印象を与えている。 しかし、現在の条文への当てはめが難しいという指摘からそこまで話を展開させるのは飛躍ではないか。

同様の論じ方は、この論文の締めくくりにも見られる。

[ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の 52ページ]
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「当事者間の利益調整のみを徹底させたいという主張」とは、市場競合性を区切りとする考え方のことを指していると思われるが、そのような制度が、特許法の制度趣旨と調和する形で特許法の“中”に設けることはできないかのような印象を与える論じ方がされている。

しかし、「特許制度の中に設計できるのか」ということは、「現在の条文に当てはめることができるのか」ということとは違う問題だ。 市場競合性を区切りとする延長制度は、日本の特許制度の中に設計することは当たり前に可能であり、また、そうすることにより、上記の「(1−1)」で説明した通り、延長制度に予見性と安定性、公平性をもたらすだろう。

なぜ井関先生は、ことさら「制度趣旨」という言葉を使ってそれを批判するのか。 その理由は、井関説こそが「制度趣旨」に沿ったものだと井関先生自身が考えているからだと思うが、その妥当性について次に検討したい。

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(2)政令処分を受けるために実施できなかった独占実施の回復を基本に据える説

井関先生としては、自らの説や大合議判決がこの「(2)」に該当し、市場競合性を区切りとする考え方は「(2)」には該当しないと考えているのだと思う。 私はそうは思わないが、なぜ井関先生と私とで考え方が違ってしまうのか、その原因は、『医薬品の承認を受けようとする間、特許権者は、医薬品の実施に関して特許権の排他的効力を行使し得たのか』という点に関する認識の違いにある。

井関先生は今回の論文において、以下のように述べている。

[ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の 50ページ]
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確かに、飯村敏明判事(当時)を裁判長として行われたベバシズマブ事件の大合議判決(平成25年(行ケ)10195;平成26年5月30日)では、以下のように説示されている。

平成25年(行ケ)10195 (平成26年5月30日判決)]
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裁判所がいう「第三者の行為」というのは、特許権者の特許発明に該当する医薬品の製造・販売行為のことを指しているのだろう(そうでなければ、この説示は意味不明となってしまうのだから)。 つまり裁判所は、第三者が特許権者の特許発明に該当する医薬品をもし製造・販売したならば、特許権者は差止めや損害賠償を請求することができたのだから、特許権が持つ排他的効力は損なわれていないと言いたいのだろう。

裁判所がこのように説示したのはこれが初めてではなく、例えば大合議判決の14年前に東京高裁(山下和明裁判長)が行った塩酸オンダンセトロン事件判決(平成10年(行ケ)361;平成12年2月10日)でも以下のように説示されている。

平成10年(行ケ)361(平成12年2月10日判決)]
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特許権者の特許発明に該当する医薬品を、第三者がもし製造・販売していれば、確かに特許権者はそれに対して特許権を行使することはできたであろうし、またそうしていたであろから、裁判所や井関先生が言っていることは一見すると正しいように見える。 しかし、例えばある医薬品について承認を受けようとする間、医薬品を第三者が実施(製造・販売)することに対して差止めや損害賠償などの禁止権を行使することは、本当に妨げられていなかったのだろうか?

なお、この点に関してジュリスト論文の脚注14で井関先生が指摘していることは的外れだと思うので確認しておくが、ここで考える“実施”とは、「厚労省承認済み医薬品」の実施(製造・販売)を指している。 まだ承認されていない医薬品の実施は、当然ながら、ここで言う“実施”には含まれない。 なぜなら、未承認医薬品は承認を受けなくても実施できるのだから、「特許権者が承認を受けようとする間」も特許権者は実施できるし、現に、承認を受ける前に特許権者は、治験等を行うために実施していた。 つまり承認を受けるための実施は、そもそも特許権者が妨げられている“実施”ではないからだ。

そしてある医薬品について特許権者が承認を受けようとする間は、その医薬品はまだ承認されていないのだから、その医薬品(承認済み医薬品)を第三者が実施(製造・販売)することは当然できない。 第三者が実施することができない以上、その医薬品(承認済み医薬品)を第三者が実施(製造・販売)することに対して特許権者が禁止権を行使する余地もなかった。 すなわち、その医薬品(承認済み医薬品)を第三者が実施(製造・販売)することに対して特許権者が禁止権を行使することは、薬機法の規制に起因して妨げられていたというべきだろう。

このように、ある医薬品について特許権者が承認を受けようとする間は、その医薬品についての特許権は、実施するということに関する権利(もし特許権にそのような権利があればだが)を行使することが妨げられるだけでなく、禁止するということに関する権利を行使することも妨げられることになる。 要するに、承認を受けようとする間は、その医薬品は誰も実施することができない以上、医薬品の承認を受けるのに要する期間というのは、薬機法の規制に起因してその医薬品についての特許権の行使はすべての効力に関して不可能な期間だというのが正確な理解だ。

上の説明は、特許権者の医薬品そのものに対する禁止権の行使に関するものだが、特許権者の医薬品そのものではなく、「後発薬」の実施についても同様だ。 特許権者の医薬品に依拠して後発薬として承認を受ける医薬品は、特許権者の医薬品が承認を受けない限りは、承認を受けられるはずはないのだから、特許権者が特許権者の医薬品の承認を受けようとする間は、第三者は後発薬を実施(製造・販売)する余地はない。 したがってその間は、その後発薬(承認済み後発薬)を第三者が実施(製造・販売)することに対して特許権者が禁止権を行使する余地もない。 特許権者が特許権者の医薬品の承認を受けるのに要する期間は、薬機法の規制に起因してその後発薬についての特許権の行使はすべての効力に関して不可能な期間ということになる。

特許権者の医薬品とは異なる医薬品(但し特許権者の特許発明の技術的範囲に含まれる医薬品)について、第三者が独自に治験を行って医薬品の承認を受ける場合はどうか。 この場合、第三者が医薬品の承認を受けようとしている間は、第三者はその医薬品を実施(製造・販売)することはできない。 したがって、その医薬品(承認済み医薬品)を第三者が実施(製造・販売)することに対して特許権者が禁止権を行使する余地もない。 すなわち第三者がその医薬品の承認を受けるのに要する期間は、薬機法の規制に起因してその第三者の医薬品についての特許権の行使はすべての効力に関して不可能な期間ということになる。

以上の通り、特許権者が医薬品の承認を受ける場合であろうと、第三者が医薬品の承認を受ける場合であろうと、医薬品の承認を受けるのに要する期間は、その医薬品についての特許権は、薬機法の規制に起因してすべての効力が妨げられる期間だというのが正確な理解だ。 第三者がもし製造・販売していれば、確かに特許権者はそれに対して禁止権を行使できただろう。 しかし、医薬品の承認を受ける期間は製造・販売することはできないのだから、“もし”という前提がそもそも成り立たない。 禁止権を行使できる期間は侵食されていないかのように論じている井関先生や裁判所は、その点を看過している点で根本的に誤りがあると私は考えている。

「禁止権は妨げられていない」ということについて井関先生は、2009年論文(同志社法学, 60巻6号 83-113, 2009)において次のように論じている。

[井関涼子, 同志社法学, Vol. 60(6) 83-113 (2009) の 96-97ページ]
 特許権の存続期間延長制度は、薬事法等の規制により特許発明の実施が妨げられることにより侵食された存続期間を回復する制度であると説かれるが、特許権の効力との関係で、「存続期間が侵食された」とは、そもそもどのようなことを意味しているだろうか。 これは、特許権の効力の本質をどのように考えるかにより、意味が異なると思われる。
 特許権の本質を巡っては、これを、特許発明を独占的に現実に実施することができる権利であると捉える専用権説と、他人をして特許発明を実施せしめない権利であると考える排他権説との対立がある。 ・・・。
 特許権の存続期間延長制度は、特許権の本質を如何に考えるかにより、解釈が相違する場面であると思われる。 薬事法上の製造承認を得るまでの間は特許発明の実施が妨げられるとはいうものの、その間も他人の実施は変わりなく排除できる。 すなわち、特許権の排他的効力は些かも侵食されてはいない。 したがって、侵食された特許期間を回復するというのは、自ら独占的に実施できる効力が侵食されたために、これを回復するということに他ならないのであり、このような考え方に立って存続期間延長制度を立法している我が国は、特許権の効力を専用権であると考えていると解される

[同97ページ]
 一方、・・・、米国特許法は、特許権を排他権であるとする立場に立っていることは、争いのないところである。 したがって、そもそも特許権は、特許権者に特許発明を実施する権利を与えるものとは考えられていないから、米国における存続期間延長制度について、特許発明を実施する効力が妨げられた期間を回復するという趣旨は成り立たない。 米国においては、・・・、特許権者である先発医薬品メーカーと、特許期間満了後の医薬を販売する後発医薬品メーカーとの双方の利益のバランスを図るための総合的な政策立法の一部として、存続期間延長制度が導入されたのであり、日本法とは、立法の経緯も根拠も全く異なるものである。 特許権の本質的効力をどのように考えるかという制度の根本に立ち返っても、両国の存続期間延長制度が、異なる考え方に立って成り立っていることが理解できる。

[同105ページ]
・・・、米国特許法では、特許権は排他的効力を有するにすぎず、これを超えて、特許権者自らが特許発明を実施できる権能を積極的に付与するものではないと解されているから、法的意味において特許権の排他的効力は侵食されていないのであり、・・・、その立法趣旨は、「失われた特許期間の回復」ではあり得ず、特許権者が事実上被った不利益の補填にすぎない。 すなわち、特許権者が特許発明を実施できなかったことは、米国特許法においては法的意味を持たないという、日本法との相違に留意しなければならない。

このように井関先生は、2009年論文において、医薬品の承認を受ける間も、「特許権の排他的効力は些かも侵食されてはいない」と論じ、それなのに特許期間を延長する日本は、「特許権の効力を専用権であると考えている」からなのだと論じている。 そして、米国では特許権は排他権だと解されており、医薬品の承認を受ける間も、その権利期間は侵食されていないのに米国において延長制度が創設されたのは、「先発医薬品メーカーと後発医薬品メーカーとの双方の利益のバランスを図るため」であり、特許期間の侵食とは関係がない旨を論じている。

上記の「(1)」で見た市場競合性を区切りとする制度設計の考え方について井関先生は、今回のジュリストの論文において「先発・後発の利益調整のみ」を目的とする考え方であるかのように論じ、それが「特許権の侵食された存続期間とは無関係」の制度であるかのように論じているのは、2009年論文において、米国の延長制度が、「先発医薬品メーカーと後発医薬品メーカーとの双方の利益のバランスを図るため」に設けられた不利益の補填の制度であり、そのような利益調整は侵食された特許期間の回復ではないと論じていることとパラレルだ。 しかし上述の通り、医薬品の承認を受ける間は、特許権の排他的効力は損なわれている。 専用権説を採る特許制度においてのみ特許期間が侵食されるという考え方は誤りであり、米国の延長制度も日本の制度も、侵食された権利期間の回復という機能を果たしている点に変わりはない。

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欧州のSPC制度についてはどうか。 これについて井関先生の2009年論文では以下のように論じられている。

[同111ページ]
 欧州において、医薬の特許期間の侵食に関する・・・規定は、・・・追加保護証明書(Supplement Protection Certificate, 略称SPC)という特許法とは別の保護が与えられることとなった。 ・・・。
 ・・・。 注目すべきは、特許「出願日」から販売承認日までの期間が追加保護期間として与えられる点である。 すなわち、特許権の設定登録の時期は問題とならないのであり、たとえ、特許権の登録が販売承認日より後であって、特許権を取得した後に販売承認を待つために特許発明を実施できなかった期間がゼロであったとしても、なお特許出願日から販売承認日までの期間を追加できることになる。 日本の特許期間延長制度では、この場合は特許発明を実施する特許権の効力は侵食されていないとして延長されず、米国特許法においても、・・・延長期間はゼロになるのとは、大きく異なる。 このことは、追加保護証明書制度が、特許権の侵食された存続期間を回復するという趣旨とは全く異なり、独占的であるかどうかに関わらず、販売規制により製品を販売できなかったという事情に対する救済措置を与えるという制度であることを示している。 したがって、EUの制度は、日米における、特許制度の一部をなす制度とは、考え方の根本が異なるといえよう。

上の引用において井関先生は、欧州では、医薬品の承認を受けたのが特許登録前、すなわち“特許期間”が侵食されているとは言えない場合であっても特許期間が延長されることを理由に、「特許権の侵食された存続期間を回復するという趣旨とは全く異なり」、「販売規制により製品を販売できなかったという事情に対する救済措置を与えるという制度である」、「EUの制度は、・・・、特許制度の一部をなす制度とは、考え方の根本が異なる」と論じている。

しかしこの問題については、昨年9月15日の投稿や、今年の6月20日の投稿で繰り返し説明している通り、日本や米国の延長制度の方がおかしいのである。 確かに特許登録前は、クレームの発明は「特許発明」ではなく「出願にかかる発明」に過ぎない。 したがって、医薬品の承認を受ける期間が特許登録前であった場合は、侵食されるのは「特許期間」(すなわち「特許権」の権利期間)ではなく「出願中の期間」(すなわち「特許を受ける権利」の権利期間)に過ぎない。 しかしだからといって「出願中の期間」の侵食を無視するのは誤りであり、「出願中の期間」が侵食されたのであれば、その期間を回復させなければ侵食したものを回復させたことにはならないだろう。 例えば、医薬品の承認を受ける期間が3年だった場合、特許期間が3年侵食されたのであれば特許期間を3年延長し、出願中の期間が1年と特許期間が2年侵食されたのであれば出願中の期間1年と特許期間2年を延長し、出願中の期間が3年侵食されたのであれば出願中の期間を3年延長するのが、少なくとも理屈の上では正しいというべきだ。 医薬品の承認に3年かかったのであれば、いずれにしろ特許存続期間の満了日は3年延長されることになる。

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  Sotoku 通号1号より(一部改変)

特に医薬品特許の場合、出願中の期間だからといって、第三者がその間に医薬品の承認を受けて実施(製造・販売)することはまずない。 すなわち出願中の期間は、事実上、特許権者の独占排他的期間として機能する。 そうすると、出願中の期間が侵食された場合、仮にこれを「出願中の期間」として延長させるのではなく、「特許期間」として延長させたとしても、看過できないほど不公平とは言えず、「侵食された期間の回復」という趣旨から大きく外れることにはならないのではないか。 むしろ、出願中の期間の侵食を無視してなんら回復させないのだとすれば、よほど「侵食された期間の回復」という趣旨にもとることになる。

すなわち、出願中の期間であろうが、特許期間であろうが、変わりなく延長させるという点だけを見れば、欧州の延長制度は「侵食期間の回復」という趣旨にむしろ合致しているといえるかも知れないのであり、出願中の期間を無視して延長期間に算入しない日本や米国の延長制度は、「侵食期間の回復」という趣旨からみて欠陥があるというべきだ。 井関先生はこれを逆に捉え、出願中の期間を無視する日本の延長制度を、「特許制度の一部をなす制度」、すなわち「特許制度“内”」の制度であると評価しているが、それは違うと思う。

以上、井関先生がかなり以前に書かれた2009年論文の記載を引用しながら説明してきたが、2015年論文(現代知的財産法:実務と課題:飯村敏明先生退官記念論文集 (設樂隆一他編) 発明推進協会 (2015) 131-149 の 133〜134ページ)でも、2016年論文(特許研究 No. 62, 2016, 16-30 の 19ページ)でも井関先生は同じことを論じているし(以下に引用)、今回のジュリストの論文を見ても、考え方はまだ変わっていないように見える。

[特許研究 No. 62, 2016, 16-30 の 19ページ]
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私は、井関先生が考え方をいつ修正するのかに注目してきたし、これからも注目していきたい。 井関先生は、「侵食されたものを回復させる」ことが延長制度の趣旨だと捉え、それ以上のものを回復させることに反対する立場を一貫して採ってきた。 私もそれには同意できるし、基本的には他の先生方もそう思っているはず。 今のところ井関先生は、禁止権は損なわれていないと思っているから、延長した特許権の効力を市場競合性のある範囲に及ぼすことは「期間侵食の回復」という趣旨を超えると思うことになり、そうした考えに反対することになるのだろうが、禁止権も損なわれているということになれば、考え方の修正を迫られるはずではないか。。

なお、延長した特許権の効力を「市場競合性のある範囲」に及ぼすということ自体は、禁止権が損なわれているということから直接導き出されるものではなく、(期間侵食があるすべての範囲について期間侵食を回復させなくても)、「特許権者が実施できなかったことに起因して特許権者に不利益を及ぼし得る範囲についてのみ期間侵食を回復させればよい」という考えから導き出されるものだ。 したがって、たとえ、医薬品の承認を受けようとする間は禁止権が損なわれていると思っていない人でも、特許権者が受ける不利益を過不足なく回復させることを考える限りは同じ結論に至るだろう。 事実、田村先生は「禁止権の保護があったことは自明」(AIPPI Vol.60(3), 2015, 206-236の226ページ;知的財産法政策学研究 Vol.49, 2017, 389-452の400ページ)と論じているから、承認を受ける間も禁止権は損なわれていないという認識だと思われるが、2000年にいち早く、「市場競合性のある範囲」に延長した特許権の効力を及ぼすことを論じた(特許判例ガイド 第2版, 2000, 260ページ)。

医薬品の承認を受けようとする間は禁止権も損なわれるという事実は、延長された特許権の効力を「市場競合性のある範囲」に及ぼすことは、「侵食期間の回復」という趣旨からしても「広すぎるわけではない」という、いわばお墨付きを与える役割を果たすに過ぎない。 つまり、あらゆる医薬品は、その承認にあたって、禁止権も含めてすべての効力が損なわれるのだから、その医薬品が特許権者の特許発明の技術的範囲に含まれる限りは、その特許の存続期間を侵食する。 したがって「侵食期間の回復」という趣旨からすれば、あらゆる医薬品は、その医薬品が特許権者の特許発明の技術的範囲に含まれる限りは、特許期間を延長する理由がある。 但し、特許権者が自分の医薬品を実施するにあたって受ける不利益は、それと市場競合性のある医薬品を第三者が実施する場合に限られるから、特許権者が実施できなかったことに起因して特許権者が被る不利益を回復させることだけを考えるのなら、特許発明の技術的範囲のうち、特許権者の医薬品と市場競合性のある範囲に限って延長した特許権の効力を及ぼせば足りる。 「期間侵食の回復」という趣旨からは特許発明の技術的範囲に含まれる医薬品はすべて延長された特許権で禁止する理由はあるのだが、市場競合性のある範囲に限って禁止するのだから、それは決して「期間侵食の回復」という趣旨を超えるものではない(むしろ狭いくらいだ)ということであり、特許権の効力を市場競合性のある範囲に及ぼすことに、権利期間の侵食の回復という面からもお墨付きを与えるのだ。

以上の通り、今回のジュリスト論文の「(1)」の考え方(市場競合性を区切りとする考え方)は「侵食期間の回復」という趣旨を決して超えるものではないのだから、「(1)」と「(2)」の考え方は対立するものではない。

なおジュリスト論文の脚注14で紹介されているが、大野総合法律事務所の大野聖二弁護士は、昨年出た論文集において延長制度の問題について論文を寄稿しており、その中で、医薬品の承認を受けようとする期間においては、「第三者も特許発明の実施ができない以上,・・・禁止権も行使できない」と論じた(以下に引用)。

[知的財産法研究の輪:渋谷達紀教授追悼論文集, 発明推進協会 (2016) 223-232 の 232ページ]
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これは私が知る限り、医薬品の承認を受けようとする間は禁止権も損なわれていることを肯定的に論じた貴重な論文だ。 続稿を期待しよう。

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(3)先発医薬品の成果に依拠していることを根拠とする説

オキサリプラチンの大合議事件において特許権者は、被疑侵害者の後発薬に関し、「・・・,先発医薬品と実質的に同一なものであるとして,・・・,承認を得ているにもかかわらず,特許権侵害訴訟の場面では,・・・,実質同一物等ではないとするような二枚舌の主張を認めることは公平に反することは明らかである。」と主張し、「・・・,問題とすべきは,先発医薬品が処分を受けるために特許発明の実施ができなかったことにより得られた成果に全面的に依拠して,安全性の確保等法令で定めた試験等を自ら行うことなく,承認を得ているかどうかである。」と主張した(平成28(ネ)10046;平成29年1月20日判決の判決文より)。 また特許権者側の訴訟代理人を務めている大野先生は、訴訟終結までは詳細な検討は書けないとしながらも、上記の論文において、『・・・後発医薬品メーカーが薬事承認においては、先発医薬品との実質的同一性を主張して、・・・簡易な申請書類により承認を採っている以上、延長登録後の特許権の効力が問題とされる場面で、「均等物ないし実施的同一物」に該当しないという二枚舌の主張を認めるべきではなく、後発医薬品に対して特許権の効力を及ぼすことが、「延長登録制度の立法趣旨」に適う・・・』と論じている(下に引用)。

[知的財産法研究の輪:渋谷達紀教授追悼論文集, 発明推進協会 (2016) 223-232 の 232ページ]
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大野先生の考え方について井関先生は今回のジュリスト論文において、「他人が資金・労力を投下して得た成果にただ乗りをすることは許されないという発想は、不正競争を許さないという考え方である」と論じている。

[ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の 51ページ]
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そして、「試験・研究」としての実施は特許法69条1項で認められていることを根拠に、特許法はただ乗りを認めているのだと論じ、この「(3)」の考え方を批判している。

[ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の 51ページ]
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しかしながら大野先生が問題としているのは、68条の2において特許権者の先発薬との「実質同一」を判断するにあたって、先発薬と「同等」なものとして後発薬の承認が受けられているものを「違う」と主張することの整合性についてであって、必ずしも「不正競争を許さない」という観点で論じているのではないかも知れない。 また、特許問題において「ただ乗り」と言えば、普通は、他人の特許発明を流用して利益を上げる行為(例えば承認済みの後発薬の製造・販売行為)を思い浮かべるのであるから、試験・研究を「ただ乗り」の概念に含めた上で「特許法はただ乗りを認めている」と言ったところで、「(3)」を支持している論者を納得させることはできないだろう。

ところで、興味深いことに井関先生は、有効成分の物質特許を延長した場合に関して、「・・・有効成分を等しくし,かつ,後発医薬品として直接特許発明の実施品と代替するものについて延長特許権の効力が及ばないとするならば,処分対象医薬品の独占的実施を回復したとは言い難いと思われる。 よって,有効成分を特徴とする特許発明の場合は,延長特許権の効力は,周知・慣用技術の付加等ではなくとも後発医薬品のすべてに及ぶとすべきである。」と論じている(以下に引用)。

[ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の 50-51ページ]
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この点、2016年論文において井関先生は、延長された特許権の効力は「改良発明」には及ばないと論じていたのだが、今回のジュリスト論文では、有効成分の物質特許においては、上記の通り、延長された特許権の効力はすべての後発医薬品に及ぶべきだと論じ、たとえ改良発明であっても、「後発医薬品」である限りは延長された特許権の効力が及ぶべきだという考えを示した。

しかし、特許権者の医薬品と“代替する”ことを根拠とするのであれば、それは市場競合性で範囲を区切ろうとする「(1)」の考え方を採っているのと事実上違いはないということになるだろうし、“後発医薬品”であることを根拠にするというのであれば、「(3)」の考え方を採っているのと事実上違いはないということになるのではないか?

これについて井関先生は、あくまで「特許発明の技術としての観点」から考えたらそうなるのだと論じている(以下に引用)。

[ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の 51ページ]
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井関先生は、延長制度を実効性のある妥当なものとするために後発品のすべてに及ぶべきだと論じているのだろうから、そのこと自体は評価しなくてはいけないだろうと思う。 しかしこういう論じられ方を見ても、延長された特許権の効力範囲を「特許発明の観点」で決めるという井関説や大合議判決の考え方の危うさを感じてしまう。

前回の投稿でも書いたが、延長した特許権の効力を、特許権者の医薬品に依拠して承認を受けた後発薬に及ぼしてよい理論的な根拠は、『特許期間の侵食の回復』という点に求めることが可能で、不正競争の観点は必要ないし、井関先生が主張する『特許発明の技術としての観点』も必要がない。 上の「(2)」で述べた通り、特許権者が特許権者の医薬品の承認を受けようとする期間は、その医薬品に依拠して承認を受ける後発薬に対する特許権のすべての効力が薬機法の規制に起因して妨げられる期間である。 すなわち、特許権者が特許権者の医薬品の承認を受けようとする期間は、後発薬についての特許期間の侵食期間でもあるとみなすことができるから、その期間だけ、後発薬の実施に対して特許権の効力を及ぼすことに理由が立つというところが重要なのだ。

特許権者の医薬品の承認に依拠することなく、第三者が独自に医薬品の承認を受けた場合は、問題は複雑になってしまう。 この場合、第三者の医薬品についての特許期間の侵食期間は、特許権者の医薬品に対する薬機法の規制に起因して実施が妨げられる期間ではなく、第三者の医薬品に対する薬機法の規制に起因して実施が妨げられる期間であるから、第三者が承認に要した期間が、特許権者の医薬品の承認に要した期間とは異なる場合、特許権者が延長した特許権の効力を、その期間だけ第三者の医薬品に及ぼしてよいとは言えないかも知れない。 そもそも、特許権者が特許権者の医薬品の承認に要した期間は、特許権者の医薬品についての特許期間の侵食期間(すなわち薬機法の規制に起因して実施が妨げられる期間)だとみなしてよいのだろうか? 特許権者が、治験の実施に関して最高の実施能力と財力を有しており、少しも時間を無駄にせずに最短の期間で承認を受けたのであればよいのかも知れないが、そうではなく、もっと早く承認を受けることができたのに、効率が悪く、財力に劣り、怠惰も重なって承認を受けるまでの期間が長引いた場合、その期間の全部が、「薬機法の規制に起因して実施できなかった期間」だと言えるのだろうか? 治験計画の届出から承認書の到着までを延長期間としている現在の日本の延長制度は、いわば、その期間を「薬機法の規制に起因して実施できなかった期間」だとみなす“みなし規定”によって延長期間を決めているようなものであって、実際のところ、その期間が真に「薬機法の規制に起因して実施できなかった期間」だというわけではない。 特許権者が延長した特許権の効力を、第三者が独自に承認を受けた医薬品に対して及ぼそうとすると、そうしたみなし規定に内在する問題が表出してくることになるかも知れない。 特許権者の医薬品に依拠して承認を受けた後発薬というのは、そうした問題が表出しない医薬品群を指しており、少なくともそうした後発薬に対しては、特許権者の医薬品の実施に関する侵食期間をそのまま当てはめることに問題がない範囲だと考えることができる。 このように、「(3)」の考え方は、「期間侵食の回復」という趣旨からも、延長した特許権の効力を“その期間”だけ及ぼすことに手堅い対象を規定していると捉えることができる。

私は、同じ市場をターゲットとする限りは、後発品に限らず抑えられる制度にした方がよいと思っているから、「(3)」の考え方を必ずしも支持しているわけではないが、現実問題として、第三者が独自に医薬品の承認を受けるという事態が起きないのであれば、後発薬だけを抑えることにしても、事実上不都合は起きないのかも知れない。 逆に、第三者が独自に医薬品の承認を受けるという事態が頻発したり、あるいは先発薬が複数ある場合に、ある後発薬がどの先発薬の後発薬として承認されたのか判然としないという事態が起きたりすれば、やはり「(3)」の考え方だけではうまく行かないということになるのではないか。

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なお、治験計画の届出から承認書の到着までの期間(特許権者が現実に実施できなかった期間)は、その医薬品についての特許期間の真の侵食期間ではないという考えを推し進めていくと、真の侵食期間の長さは、誰が医薬品の承認を受けるのかに左右されるものではないという考えに行き着く。 そして、例えば抗がん剤の承認を受けるのであれば、どのようなものであれ、臨床試験で無増悪生存期間なり全生存期間なりのデータを出して評価することになるのであろうが、そういうデータを出すために真に必須の期間(延長すべき期間)というのは基本的にすべての抗がん剤で同じなのではないか・・・。 そう考えると、昨年の9月16日の投稿で「例えば抗がん剤の延長期間は一律に〇〇年だと決めることも考えられなくはない。」と書いた通り、実際に承認を受けるためにかかった期間とは無関係に延長期間を決める制度にしても、決して「期間侵食の回復」という趣旨から離れたものではないかも知れない。

しかしそこまで言うと現行の日本の特許制度からは大きく離れてしまい、同意してくれる人はいなくなってしまいそうだ。 また、もしそういう制度にするというのであれば、例えば医薬品の種類別に必要な臨床試験の期間を見積もって延長期間をあらかじめ決めておく必要が出てくるかも知れないが、制度づくりとして煩雑すぎて現実的ではない気もする。 したがって、旧々審査基準(有効成分と効能効果で区切る制度運用)で運用されていた頃の日本が事実上そうであったように、市場を代替するような先行医薬品を特許権者が実施していない状態で受けた医薬品の承認に要した期間(すなわち、期間を引き延ばすことで特許権者が利益を受けることが基本的になく、時間を無駄にしないために特許権者が最大限努力して承認を受けたであろう期間)を「侵食期間」とみなし、それを延長期間として制度を運用していくことには、一定の合理性はあるのだろうと思う。

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以上の通り、井関先生のジュリストの論文に対して感じたことを書いてみた。 医薬品の承認を受ける間は、承認済み医薬品の実施に関しては、排他的効力も含めて特許権のあらゆる効力が損なわれるのであって、実施権なる部分だけが損なわれるのではない。 医薬品の特許延長制度が、特許制度を持つ世界中の国で必要とされているということだけを見ても、延長制度が日本においてのみ特許制度の趣旨に合致するというものではないことは直感的にも分かるのではないか。 そして特許登録前に治験を開始した場合に、その期間は「特許期間」ではないとみなされて延長することができない現在の日本の制度がおかしいことは、特に医薬品メーカーであれば、日々、実感として感じているはず。 現行の特許法の条文に囚われることなく、期間侵食の回復の視点と特許制度本来の趣旨からあるべき延長制度を考えることで、現在の日本の延長制度に存在する不備を見つけ出して解決策を探していくことが必要だと思うし、またそのようにしてできる延長制度は、日本に限らず世界中の特許制度にも通用するものとなるのではないか。 だから論者の方々には、必ずしも「現行条文の解釈論」に留まらない考察を期待したい。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする