2018年04月02日

篠原勝美『続・知財高裁大合議判決覚書』─オキサリプラチン事件をめぐって─ 知財管理 Vol.68 No.3 2018-03


篠原先生は知財高裁の初代所長で、延長登録に関する判決(平成17(行ケ)10012;平成17年5月30日)も手掛けている。 今回の大合議判決後に先生は、昨年のジュリスト8月号、昨年の知財管理の9月号、そして今回の知財管理3月号と、延長問題に関してこれまでに3つの論文を出されている。


1.「延長制度の趣旨」と「衡平の理念」から問題を考えることについて

篠原先生の論文で好きなのは、今回のオキサリプラチン事件の大合議判決の読み方として、この判決が「(実施できなかった期間の回復という)延長制度の趣旨」と「衡平の理念」という2つの観点をもとに判断が行われている点を重視していることだ。 例えば今回の知財管理3月号では以下のような感じ。

[知財管理 Vol.68 No.3 (2018) 319-318ページ]
本判決は、制度趣旨として、・・・「・・・処分を受けるために・・・実施できなかった期間の回復」(・・・制度趣旨@・・・)を踏襲した上、「特許権者と第三者との衡平ないし衡平の理念」(・・・制度趣旨A・・・)を付加し、・・・を確認している。

[知財管理 Vol.68 No.3 (2018) 326ページ]
特許権の存続期間延長の制度趣旨@、Aを考慮して、斯界全体の「産業の発達に寄与」(特許法1条)するよう、関係規定の適切かつ合理的な解釈運用が求められている。

延長制度の問題を考えるにあたって、「延長制度の趣旨」と「衡平の理念」の2つを出発点とすることが重要だと思うことについては、2017年3月23日の投稿「延長問題を考える上で重要な前提として何を選択するか」で書いたが、この2つを出発点としてこの問題を考えることによって劇的なことが起こる。 つまり、「延長登録の登録要件の判断基準は今のままでは駄目だ」という結論へとたどり着くのだ(笑)。

[知財管理 Vol.68 No.3 (2018) 326ページ、下線追加]
・・・ 制度趣旨@、Aとの文脈において検討すると、後行処分に係る延長登録の登録要件について見直しを迫られる場面も想定され、・・・ 新たな論点も浮上してくる。

まったく同感です! 「延長登録の要件」にこそ問題が残されている。 「登録要件の問題は過去の2つの最高裁判決で解決済みで、残された問題は延長された特許権の効力範囲の問題だけだ」などという考えはまったく間違っている。 延長登録の要件に問題が残されているという指摘を篠原先生ができるのは、「延長制度の趣旨」と「衡平の理念」の2つを大事に考えているからで、過去の最判や条文を前提として論じていては難しい。

「延長制度の趣旨」と「衡平の理念」の2つから出発し、最終的に制度改正の必要性の議論に至っているのが、篠原先生の論文のもっとも好きなところだ。

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2.延長された特許権の効力範囲に関する大合議判決の判示は「傍論」なのか?

上記の「1.」についてはずっと賞賛していたいのだけれど、次の話題に行かせて頂きます。。。

今回の大合議判決では、「延長された特許権の効力範囲」(特許法68条の2)の判断基準(すなわち68条の2に言う「処分の対象になった物」との実質同一性の判断基準)が示された上で、被告製品は「延長された特許権の効力範囲」に含まれないので非侵害だ判断とされたが、それだけでなく、被告製品はそもそも本来の特許発明の技術的範囲(特許法70条1項)にも含まれていないので、延長された特許権の効力範囲に含まれるか否かを考えるまでもなく非侵害だとも説示された。 この判決について篠原先生は、今回の大合議判決の「延長された特許権の効力範囲」における実質同一の判断基準に関する判示は「傍論」だと指摘している。

[知財管理 Vol.68 No.3 (2018) 320ページ]
本判決の「知財高裁詳報」は、事案に鑑み、特許法68条の2の判断が特許発明の技術的範囲の判断よりも先行することもあり得る、とするが、対象製品が本件特許権の特許発明の技術的範囲に属しない事案である以上、効力範囲における実質同一の類型論は、厳密に言えば、傍論である

なぜ大合議判決の68条の2の判断が「傍論」だと言えるのかについて、篠原先生は次のような説明をしている。 つまり先生の2つ目の論文(知財管理 Vol.67 No,9 (2017) )の1329ページに記載されている通り、特許権侵害訴訟の要件事実を考えると、請求原因事実は基本的には「文言侵害または均等侵害」の該当性(すなわち、原告の特許権、被告の実施行為、被告製品が特許発明の技術的範囲に含まれること)であり、その抗弁事実として「特許権の存続期間の満了」が主張されることとなり、本件では、それに対する再抗弁事実として「特許権の存続期間の延長と68条の2による権利侵害」が主張されることになると捉えることができるのだという。 但し、「特許権の存続期間の満了」という抗弁事実は、そもそも請求原因事実の主張の中に顕れてしまうので、「特許権の存続期間の延長と68条の2による権利侵害」という再抗弁事実の主張も、請求原因事実の主張に“せり上がる”のだという。 したがって、たとえ“せり上がり”によって68条の2に関する主張が請求原因事実の主張の中に顕れているとしても、68条の2に関する判断は本来は再抗弁事実の判断であって、要件事実論的には「技術的範囲の属否」(70条1項)に関する判断こそが本来の請求原因事実に関する判断であり、その順序で捉えるのが筋ということのようだ。

ちなみに本件の要件事実としては、『理系弁護士の日常』ブログでも、今回のオキサリプラチン事件の第一審の判決が出された後の2016年7月24日の投稿で篠原先生と同じような説明がされている。

[『理系弁護士の日常』ブログ「延長された特許権の効力と実質同一物」(2016-07-24)より]
要件事実の観点から、技術的範囲に属する(請求原因)→出願から20年経過(抗弁)→延長された効力の範囲(再抗弁)とすることもできますが、特許の存在の主張の際に出願日が現れることを理由に、技術的範囲に属する+延長された効力の範囲に属する(請求原因)とすることもできます(前者は、実質的同一の範囲が技術的範囲に収まるべきことの確認的な意味合いとして)。

(なお、一審では延長された効力範囲の属否(68条の2)のみが判断され、技術的範囲の属否(70条1項)は判断されなかったので、68条の2の判断が「傍論」か否かという問題は発生せず、当然、上の投稿でも触れられていない。)

さて、これは批判ではなく単なる疑問なのだけれど、延長された特許権の効力範囲に関する大合議判決の判示は、篠原先生の言う通り「傍論」だと言えるのだろうか?

「被告製品が技術的範囲に属するから侵害である」(文言侵害または均等侵害の該当性)ということを本件の請求原因と考えるというのは、要件事実をとても回りくどく捉えているという気がする(だから上のブログの方も2つの考え方を書いているんじゃないのかな?)から、今回の事件で「被告製品が技術的範囲に属するから侵害である」ということが請求原因と言えるのかについて私はそもそも疑問があるけれど、仮に篠原先生の言う“せり上がり”があるということを認めて、「被告製品が技術的範囲に属するから侵害である」ということが、“せり上がり”の陰に埋もれている本来の請求原因だと考えるとしても、出願から20年が経過している場合は、被告製品が技術的範囲に属するか否かを考えるまでもなく、その請求は斥けられるのだから、被告製品が技術的範囲に属するか否かの判断は行う必要はそもそもなく、通常は、判決中にその判断は示されないはずではないか? そうすると、たとえ今回の判決において技術的範囲の属否について判断が示されているとしても、それがせり上がりの陰に埋もれている本来の請求原因に対する判断だと解さなければならない理由はないということになるのではないか?

また2つ目の論文(知財管理 2017年9月号)で篠原先生は、「特許発明の技術的範囲に属さないものについての『均等物ないし実質的同一物』は考えられない」(1329ページ)と指摘し、これを理由に68条の2における実質同一の判断よりも技術的範囲の属否の判断を先行させるべきだと指摘しているが、「特許発明の技術的範囲に属さないものについての『均等物ないし実質的同一物』は考えられない」か否かは、必ずしも明らかとは言えないと思う。 68条の2には「特許発明の実施」という語句が含まれているので、68条の2に基づく侵害が成立するためには被告製品が特許発明の技術的範囲に属していることが必要だと私も思うが、68条の2に言う「処分の対象となった物」に対する均等物ないし実質的同一物の該当性のみを切り取って判断することは可能かも知れず、その場合に被告製品が特許発明の技術的範囲に属するか否かを判断する必要はないかも知れない。 今回の大合議判決は、技術的範囲の属否の判断を後回しにして実質同一の判断を先行させていることからしても、実質同一を判断するために技術的範囲の属否を判断する必要はないという立場をとっているのではないか? ともかく、私は「特許発明の技術的範囲に属さないものについて『68条の2に基づく侵害成立』は考えられない」ということは正しいとしても、「特許発明の技術的範囲に属さないものについての『均等物ないし実質的同一物』は考えられない」と言えるのかどうかは定かではないと思う。

なお、篠原先生のような詳しい説明ではないものの、大合議判決の68条の2の判断が傍論だということについては、昨年9月6日の投稿で紹介した岡田先生の論文や、6月20日の投稿で紹介した高林先生の論文でも指摘されている。

[岡田吉美, 2017年8月号 (Vol.70 No.8) p.106-115の111ページ]
・・・、仮にその認定が正しいとすると、被告製品はそもそも本件特許の技術的範囲に入らず、特許法68条の2の特許権の効力制限規定を論じるまでもなく特許権の侵害とはならない。特許法68条の2の解釈に関する判示部分は傍論でしかない

[高林龍, IPジャーナル 1号 (2017) 30-38の35ページ]
・・・、本件のY各医薬品は・・・。・・・、本件発明の技術的範囲に属さないのであるから、これが技術的範囲内のさらに限られた発明の実施である保護範囲の延長を認める部分により実施が可能になった範囲内にあるか否かを論ずるまでもない事案であったのであり、この点の判断はすべて傍論と位置付けられるということである。

上記の通り、二人の先生が言っていることは、68条の2の実質同一を判断するまでもなく、特許発明の技術的範囲の属否の判断だけで「非侵害」と言う結論は出せるのだから、68条の2の実質同一に関する判示は傍論だというものだが、これも上と同じ疑問が当てはまる。 すなわち、68条の2の実質同一の判断によって侵害を否定できる場合は、それだけを判断すれば、技術的範囲の属否を判断するまでもなく非侵害という結論は出せるのだから、二人のロジックをそのまま使えば、技術的範囲の属否の判断こそ傍論だと言うこともできるだろうから。 つまり、どちらか1つのみを判断すれば「非侵害」という結論が出せる場合に、どちらが傍論かは一概には分からないはずではないか?

まあ、今回の大合議判決の68条の2の判断を「傍論」だと言いたくなる気持ちは分かる。 今回の大合議判決では、実質同一の判断についてかなり細かい基準が判示されており、これが強い拘束力を発揮するというのでは影響が大きいから。 この事件が大合議で判断されることが決まったとき、私も投稿で、もし「非侵害」という結論を導きたいのなら、被告製品はそもそも本件特許発明の技術的範囲に入らないか、あるいはこの特許は新規性・進歩性がないので無効とされるべきものであるという理由で非侵害にすれば足りるのだから、一審は延長問題に触れない方がよかったのではないかと書いた。 だから、上記の方々が、68条の2に関する大合議の判示は傍論だとみなしたいという気持ちで希望的に論じているのだとしたら、それには同意できるのだけれど。。

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3.効力範囲に関する各説の捉え方について

さて今回の大合議判決では、いわゆる物質特許や剤型特許(用法用量や効能効果に特徴がない特許発明)の場合、延長された特許権の効力が及ぶいわゆる「実質同一」とは、特許権者の医薬品に対して「周知・慣用技術に基づき,一部において ・・・ 付加,転換等しているような場合」なのだと判示された。 もしこの判示を文字通りに硬直的に受け取って、特許権者の医薬品と全く同じか、周知・慣用な違いがあるものにしか延長された特許権の効力は及ばないと解するとしたらどうなるか? 特許権者が何年もかけて臨床試験を行って承認を取った医薬品に関して、薬品の安定性や溶解性を多少向上させる何かちょっとした添加物を追加して後発薬の承認を受けさえすれば、延長された特許権の効力を免れることができることになってしまうかも知れない。 これでは効力範囲が狭すぎると思う人はきっといるだろう。 そうした意見に関して篠原先生は、「いくつかの議論に基づいて、本判決及び原判決のような周知・慣用技術の付加・添加等の考慮要素は無用である、とする以下のような見解がある。」(324ページ)とした上で、以下のような説を挙げている。

@ 有効成分基準説
有効成分を一律に基準とし、それ以外の成分(添加剤)の付加・転換等が周知・慣用技術の応用に過ぎないか否かは問題にせず、すべて実質同一として延長特許権の効力が及び、仮に後発医薬品が製剤技術等において改良発明として特許権を取得していても侵害にしてよいとする説。(なお篠原論文ではこの説に関して「井関涼子, ジュリスト No.1509, 50ページ」が挙げられているが、井関先生は基本的に大合議判決を支持しており、有効成分の物質特許の場合に限っては、有効成分が同じで代替性のある後発薬を抑えられないのは不適当だと指摘しているだけなので念のため。)

A 発明特定事項基準説
特許庁がかつて採用していた立場であり、特許請求の範囲に記載された発明特定事項のうち、処分を受けた医薬品の承認書に記載された事項と対応がつくものについては、承認書の事項に限定して範囲を決定する説。(三枝英二, 知財管理 Vol.60, No.1 (2010) 5-22; 熊谷健一, Law and Technology, No.67 (2015) 66-74; 岡田吉美, パテント Vol.70 No.8 (2017) 106-115)

B 市場競合説
延長された特許権の効力は、処分を受けた医薬品と市場で競合する範囲、ないし、特許発明の独占的実施を保障するのに必要な範囲に及ぶとするもの。(田村善之, 知的財産法政策学研究 Vol.49 (2017) 389-452; 愛知靖之, 判例時報2333号(判例評論702号)170-177, 2017; 前田健, Law and Technology No.77, 2017, 70-79)

C 先発医薬品の成果依拠説
本事件の原告が主張した説で、延長された特許権の効力は、先発医薬品の承認に依拠して承認を受けた後発薬に及ぶとするもの。(なお、2017年8月18日の投稿でも紹介した通り、原告代理人を務めた大野聖二先生の論文(知的財産法研究の輪:渋谷達紀教授追悼論文集, 発明推進協会 (2016) 223-232の232ページ)や、高林先生の論文(高林龍, IPジャーナル 1号 (2017) 30-38の37ページ)でも触れられている。)

そして篠原先生は上の4つの説に対して「以下のような反論が考えられる」と書いている。

[知財管理 Vol.68 No.3 (2018) 324ページ(グレーの括弧はこちらで追加したもの)]
(i)(上記@については、)本判決の通り、延長された特許権の効力範囲に関する実質同一は、医薬品としての有効成分や治療効果(有効性・安全性)のみから論じるべきではなく、延長登録制度の趣旨に照らして判断すべきである。 要件論において「物」(特許法68条の2)を有効成分と同一視する旧々審査基準や旧審査基準の考え方は、最高裁平成27年判決により既に否定されている。

(ii)前二説(上記@、A)及び先発医薬品の成果依拠説(上記C)については、先行処分の物質特許により一律に後発医薬品の参入を阻止し得るため、一方的に、先発医薬品側に有利に、後発医薬品側に不利に働き、本判決の趣旨に反する結果を招く。周知・慣用技術の添加、転換等に基づく技術的特徴という判断要素を、制度趣旨に基づく業界双方の調整スキームとして機能させ、斯界全体の見地からバランスを図る必要がある。

(iii)市場競合説(上記B)は、特許法の枠組みの中でこれを徹底することは困難である。特許発明の全体について構成要件ごとに充足性を問題にする技術的範囲の属否判断と、「物」に関する技術的特徴・作用効果の同一性を問題にする効力範囲の判断とを全く同一視することはできない。

(iv)先発医薬品の成果依拠説(上記C)は、後発医薬品の存在意義を否定するに等しい。他人の発明の成果の利用は、試験・研究のためにする特許発明の実施(特許法69条1項)でも予定されており、後発医薬品の承認申請に当たり先発医薬品の試験データを利用することを、「不正競争」(・・・)とか、「不公正な商業的利用」(・・・)などと評価することはできない。

こうした批判に対する感想は、これまでに何回も書いてきた気がする。 上記(i)については、上記の@にも書いた通り、有効成分を基準とする考え方を提示するにあたって井関先生は、有効成分の物質特許に関して特許権者が初めて医薬品の承認を受けて特許を延長したような場合を想定していると思われるが、私も井関先生に同感で、そうした場合に有効成分と効能・効果が特許権者の医薬品と同一であって、特許権者の特許発明にも該当する(つまり特許発明の技術的範囲に属する)医薬品を第三者が販売しようとした場合に、それを抑えられないとすれば不合理だと思う。 篠原先生自身、今回の論文で、有効成分の物質特許が延長されている状況において、「後発医薬品が周知・慣用技術による新たな製剤成分(製剤技術)を採用した口腔内崩壊錠(OD錠)」を実施している場合に、非周知だからといって侵害にできないのはおかしいという趣旨のことを書いている(323ページの右下)。

私は、延長登録の許否判断の場面においては、利害関係のない赤の他人が同じ有効成分と効能効果の先行医薬品を実施していたからといって、自分が新たな製剤技術を使って後発薬の承認を受けた場合に、自分の製剤特許を延長できないのは不合理だと思うから、延長の許否を「有効成分と効能効果」で一律に判断するのは不合理(つまり、先行医薬品を“誰が”実施していたのかを不問にして有効成分と効能効果が同じ先行医薬品があるというだけで一律に延長を拒絶するのは不合理)だと思うし、また、延長された特許権の効力範囲を判断する場面でも、既に特許権者が先行医薬品を独占実施しつつ、代替性のある後行薬品の承認を受けて特許をさらに長い期間延長したような場合に、後行医薬品の承認によって延長された特許権の効力範囲を「後行薬品の有効成分と効能効果が同じ医薬品」としたのでは二重利得を防ぐことができないので不合理だと思うから、「有効成分と効能効果が一致する範囲」というものが常に機械的に適用できるものではないとは思うけれど、特許権者が先行医薬品を実施しておらず、特許を1回だけ延長するような場合にかぎっていえば、延長された特許権の効力範囲が「有効成分と効能効果が同じ範囲」(もちろん、特許発明の技術的範囲内でなければならない)であったとしても、広すぎるとは言えないと思う。 まあ篠原先生もそこは百も承知なのかも知れないけれど。

上記(ii)に関しては、状況による。 上述の通り、特許権者が既に先行医薬品を独占実施しつつ、代替性のある後行薬品の承認を受けて特許を延長したような場合に、延長された特許権の効力範囲を「後行薬品の有効成分と効能効果が同じ医薬品」としたり、「後行薬品に依拠して承認を受けた後発薬」としたのでは、特許権者の二重利得を防ぐことができないので問題だとは思うが、特許権者が先行医薬品を実施しておらず、特許を1回だけ延長するような場合にかぎっていえば、「一方的に、先発医薬品側に有利に、後発医薬品側に不利」とは言えないと思う。

「周知・慣用技術の添加、転換等に基づく技術的特徴という判断要素を、制度趣旨に基づく業界双方の調整スキームとして機能させ、斯界全体の見地からバランスを図る必要がある。」という先生の指摘に関しては、状況によってバランスを図る必要があることには同意できるけれど、もし現行法という制約を取り払って考えるのであれば、バランスを図るための手段として「周知・慣用技術の添加、転換等に基づく技術的特徴という判断要素」を使わなければならない理由はないのではないか。 後述する通り、延長登録の許否判断の場面において「市場競合性」をうまく反映する基準を作っておけば、効力範囲の判断において「周知・慣用技術の添加、転換等に基づく技術的特徴」などという特徴をことさら判断要素にする必要はないように思う。 但し、現行の法制度は、篠原先生も示唆されている通り、延長登録の許否判断の規定がうまく機能していないので、効力範囲の判断の際に「周知・慣用技術の添加、転換」といった要素を“弥縫的”に判断要素としなければ、制度の公平性や妥当性を確保することはできないということは言えるかも知れない。 だから私は大合議判決のような考え方をいつも“弥縫策”と呼んでいる。

上記(iii)に関しては、井関先生の昨年の論文で指摘されていることと同じような内容だが、それに対する反論は既に昨年8月18日の投稿で書いた。 現行条文において市場競合説を十分に反映させることが困難なのはその通りかも知れないが、論文等において制度の在り方を考えるときには、現行条文に囚われる必要はないから、「制度趣旨と衡平の理念」をもとに自由に考えればよいのだし、そもそも市場競合説を“徹底”させる必要はないのだ。 利害関係者や国民が許容できる程度に市場競合が加味された制度ができれば、それでよいのではないか。

「特許発明の全体について構成要件ごとに充足性を問題にする技術的範囲の属否判断と、『物』に関する技術的特徴・作用効果の同一性を問題にする効力範囲の判断とを全く同一視することはできない。」と論じられていることについては、おそらく私は先生の言いたいことが理解できていないかも知れないが、「70条1項の判断と68条の2の判断は同一視できない」ということなのであれば、同一視できないことについては同意できるが、それは市場競合説の是非とはあまり関係がないことのような気もする。 ひょっとすると篠原先生は、「市場競合説」とは、市場競合する限り、特許発明の技術的範囲を超えて効力が及ぶ説だと思っているのかも知れないが、市場競合説を主張する論者は、その効力範囲が特許発明の技術的範囲内であることを当然の前提としているはずだ。

上記(iv)に関しても、井関先生の論文を取り上げた昨年8月18日の投稿で既に書いた。 私は、たとえ後発者が先発者の医薬品の試験データに依拠するのではなく、独自に臨床試験を実施して承認を受けたとしても、先発薬と市場において強く競合し、かつ特許発明の技術的範囲に含まれるような医薬品については、延長した特許権の効力を及ぼしてよい(すなわち、後発者が臨床試験の実施という“努力”や、医薬品の改良という“貢献”を付け足したからといって、権利侵害を免れるものではない)と思っているから、「特許権者の試験データを流用しているか」などということは本来は関係がないと思っているけれど、それはともかく、特許権者が先行医薬品を実施しておらず、特許を1回だけ延長しているような場合において、先発薬に依拠して臨床試験なしに簡易に承認を受けた後発薬の販売行為を抑えることができないのでは、延長制度の意義が問われてしまうと思う。

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私は、上記の@〜Cの説や、大合議が判示したいわゆる「実質同一説」を以下のように理解している。 つまり、そもそも医薬品の特許延長制度はなぜできたのか? 医薬品の開発には多額のコストと時間がかかるのに、医薬品の製造販売には国の規制があり、製造販売承認を受けるために治験を行うなどの時間がさらにかかるから、その分だけ特許期間が短くなってしまい、独占販売できる期間が短かすぎて特許制度が本来果たすべき機能が十分に発揮されない。 だから延長制度はできたのだ。 そして延長制度は、特許権者が医薬品の承認を受けるために必要だった期間だけ特許を延長することにした。 これにより、特許権者が医薬品の承認を受けるために独占実施できなかった期間と同じだけ独占実施できる期間が長くなることになるので、承認を受けるために得られなかった利益が回復できることが期待される。

ここで井関先生は、特許権者が医薬品の承認を受ける間、排他的効力はいささかも侵食されていないと論じている。 パシーフカプセル事件の大合議判決(平成25年(行ケ)10195〜10198)をはじめとする過去の判決でも裁判所は類似した説示を行っているし、他の論者もそれを否定していない。 もしそれが正しいのであれば、他人を排他する権利はそもそも妨げられていなかったのだから、他人を排他する権利の権利期間を延長する必要はないはずだ。 それなのに現行制度では、他人を排他する権利期間が延長されるし、そのこと自体を不当だと思っている人は誰もいない。 これはどういうことだ? 排他的効力は、やはりどこかで侵食されているから延長する必要があるのか、さもなければ、侵食はされていないのだけれど、侵食とは関係なく(つまり、単なる損得勘定で)排他する権利期間を延長する必要があるのか、どちらかだと考えられるのではないか(井関先生は、日本では前者で米国では後者だと指摘しているが、それについては井関先生の論文 (ジュリスト 2017年8月号, No.1509, p.46-52) を参照)。

私は過去の投稿でも説明している通り、日本だろうが米国だろうが、他人を排他する権利期間は現実に侵食されると思っている。 但し、特許権者が医薬品の承認を受けるときに侵食されるというよりは、他人が後発医薬品の承認を受けるときに侵食される(あるいは他人が後発医薬品の承認を受けたときに、その後発医薬品を排他する権利期間が侵食されていたことが明らかとなる)と考えている。 医薬品の承認を受けようとしている間は、その医薬品を実施すること(すなわち承認済み医薬品として製造・販売すること)はできない。 つまり医薬品の承認を受けようとしている期間というのは、その医薬品を誰も実施することはできなかった期間だ。 誰も実施することができなかった以上、実施しうる人はいないのだから、実施している人に対して排他権を行使することもし得なかった。「排他権が侵食されていない状態」というのは、「排他権を行使しうる状態」のことを言うのだから、誰も実施することができず、排他権を行使し得なかった状態を「排他権が侵食されていない状態」と言うことはできない。 医薬品の承認を受けようとしている期間は、排他権も含め、特許権を行使することができない期間であって、排他権も含めて特許権の存続期間は侵食されると理解するのが正しいと思う。 ちなみに承認を受けようとする前の期間はどういう期間かというと、「承認を受けようとすれば直ちに承認されて実施することができるかも知れず、できないかも知れない期間」であって、特許権の存続期間が侵食されている期間とは言えない。 特許権の存続期間が侵食される期間は、その医薬品の承認を受けてみて初めて明らかになるのだ。

このように、排他権を行使しうる期間の侵食は、特許権者が医薬品の承認を受けるときに起こるというよりは、他人が後発医薬品の承認を受けるときに侵食される(あるいは他人が後発医薬品の承認を受けたときに、その後発医薬品を排他する権利期間が侵食されていたことが明らかとなる)のだ。 具体的には、ある後発者が独自に3年かけて臨床試験を行って承認を受けた場合は、「その3年の間は、あなたの後発薬は実施される可能性はなかったわけですが、実施される可能性がなかった以上、それに対して排他権を行使しうる状態ではなかったので、排他権が侵食されていた期間ですね」ということになるし、後発者が先発医薬品に依拠して承認を受けた場合は、「あなたの医薬品は私の先発医薬品に依拠して承認されたわけですが、ということは、私の先発医薬品の承認を受けていた期間はあなたの後発品も実施される可能性がなかったということになります。 その間は、あなたの後発薬に対して排他権を行使しうる状態ではなかったので、あなたの後発薬に対する排他権が侵食されていた期間ですね」ということになる。

しかしそう考える場合、例えば特許権者がまったく医薬品を実施する気がなかった場合に、第三者だけが独自に3年かけて臨床試験を行って承認を受けたとすると、上述のとおり、「その3年は排他権を行使しうる状態ではなかったので、排他権が侵食されていた期間ですね」ということになって、原理的には、その医薬品に対して3年間特許を延長してもよいことになる。 実際、「侵食期間の回復」という原理を貫徹したいのであれば、私はそういう制度にすることもありうると思っているけれど、特許権者が実施する気がないのなら、他人に実施されても、特許権者は事実上不利益を被らないのだから、延長しなくてもいいじゃないかと考えることもできる。 実際、現在の延長制度では、特許権者や実施権者が承認を受けた場合に限って延長を認めているから(67条の3第1項2号)、特許権者や実施権者が実施していない場合は、他人が実施しても延長制度でそれを抑えることはできない。 ここで重要なのは、「事実上不利益を被らないのだから、延長しなくてもいいじゃないか」という考え方は、「侵食期間の回復」という原理から導き出されるものではなく、「損得勘定」から導き出されるものだということだ。 先に言った通り現在の制度は、特許権者や実施権者が実施するときに限って延長できることになっているから、実は現在の延長制度は「侵食期間の回復」という原理を貫徹したものではなく、「損得勘定」を加味して作られている制度だということができるのだ。 「損得勘定」という言い方を少し変えて「帰結主義的な考え方」ということにすれば、現在の延長制度は、そもそも「帰結主義的な考え方」が取り入れられて作られている制度だと私は理解している。

さて、延長された特許権を行使する場面について、「侵食期間の回復」という原理を貫徹する考え方と、帰結主義的に考える考え方(すなわち損得勘定で考える考え方)の2つで考えてみる。 「侵食期間の回復」という原理を貫徹しようとする場合、例えば特許権者は5年かけて承認を受けて5年延長したけれど、後発者は後発薬に関して独自に臨床試験を行って3年で承認を受けた場合、上記の通り、後発者の医薬品に対する排他的効力の侵食期間は「3年ですね」ということなのだから、3年で後発者を参入させるのが侵食期間の回復という原理的には正しい。 また、例えば特許権者が市場代替性のある2つの医薬品の承認を受けて、最初の医薬品(第1の医薬品)では5年延長し、その後、第2の医薬品で3年延長している場合、「侵食期間の回復」という原理を貫徹しようとするならば、3年の延長期間がすぎれば第2の医薬品については後発薬を出してよいことにするのが正しい。 しかしそうすると、3年たつと、第1の医薬品の延長期間はまだ残っているのに第2の医薬品に対する後発薬が市場にあふれることになり、市場競合性がある第1の医薬品の販売は低下してしまう。 せっかく第1の医薬品の延長期間が「5年」あっても、特許権者にとってはほとんど意味がなくなってしまうが、「侵食期間の回復」という原理を貫徹する立場からは、「損得勘定など気にする必要はない」のだから、特許権者が損をしようが知ったことではないということになるだろう。

しかしそういう制度が妥当だとは思わないでしょう? それはなぜか? それは、あなたもこの問題を「帰結主義的」(すなわち損得勘定的)に考えているからだ。 つまり、「侵食期間の回復」という原理を貫徹させるべきだと考えている人など、実は誰もいないのだ。 「侵食期間の回復」という原理を貫徹させるような制度は、そもそも衡平の理念からして採用することはできないのだ。 それに上述のとおり、そもそも延長制度というのは、特許権者や実施権者が実施しようとしていない場合、すなわち他人に実施されても特許権者が損害を被らない場合は、たとえ特許期間の侵食が起きても延長できない制度となっているのだから、制度の成り立ちからして損得勘定に基づいて作られていると言えるのだしね。

このように、延長登録の許否判断の場面において、特許権者が実施していない場合は、他人に実施されても特許権者は事実上損をしないのだからと帰結的に考えて延長を認めないことにされているのと同じように、延長された特許権の効力を何に対して及ぼせばよいかを考えるにあたっても、「侵食期間の回復」という原理をことさら重視するのではなく、帰結的(すなわち損得勘定的)に妥当な結果が得られることを目指すべきだと言えるのではないか? そして帰結的に見て「妥当な結果」とは、「特許期間が侵食されたことにより特許権者が被る不利益をなるべく過不足なく回復させること」であることに異論はないだろうから、延長された特許権の効力が及ぶべき対象は、特許発明の技術的範囲のすべてではなく、「(特許期間の侵食により特許が早く満了して他人に実施されてしまうことにより)特許権者が不利益を被るもの」で十分であり、たとえ特許発明の技術的範囲に含まれるものであっても、それが実施されても特許権者が不利益を被らないものに対しては及ぼす必要はないということになるだろう。 どういうものを実施されたときに不利益を被るかというと、特許権者の医薬品と市場で競合するような医薬品を他人に販売されたときに不利益を被るのだから、延長された特許権の効力が及ぶべき対象は、「特許権者の医薬品と市場競合性のある医薬品」であるということは、自然に導くことができる。 これについては、昨年の7月31日の投稿でも説明した。

すなわち、現在の条文や最高裁判決などはとりあえずわきに置いて、延長制度の趣旨と衡平性の観点から考えていけば、延長された特許権の効力範囲として理論的にもっとも妥当なのは、篠原論文で挙げられている諸説のうちで「B 市場競合説」ということになる。 つまり「市場競合説」というのは、制度趣旨と衡平性から考えた場合に導かれる理論的な正解なのだ。

但し、それを制度として落とし込むためには工夫が必要となる。 「市場競合する範囲」というのが具体的にどういう範囲なのかは不明確だし、予測可能性が低い。 それに、競合性が低く、わずかしか競合しないのに権利行使できることにするのは帰結的(損得勘定的)に考えても妥当性が低いから、ある程度高い競合性があるものに限って権利行使できるようにすることが必要だろう。 だから、あるべき延長制度を考えるにあたって我々がやるべきことは、「高い市場競合性がある範囲」というものを判断しやすくし、予測性を上げることによって、延長制度を効率的に運用できるようにすることだ。 例えば、「高い市場競合性がある範囲」を、より具体的で予測性の高い言葉で表現された範囲に置き換えることはできないか? 例えば「有効成分と効能・効果が同じ範囲」はどうだろうか? 「先発医薬品に依拠して承認を受けられる範囲」はどうだろうか? 上記の「@ 有効成分基準説」や「C 先発医薬品の成果依拠説」というのは、いずれも「高い市場競合性がある範囲」の予測性を上げるための代替案となりうるものだ(それらの説を唱えている人がそれを意図しているか否かはともかく)。

篠原論文に掲載されている「@ 有効成分基準説」や「C 先発医薬品の成果依拠説」というのは、そういう視点で理解されるべきものだと私は思う。 「有効成分と効能効果」が同一の医薬品が、特許発明としての技術的な観点から見て特許権者の先発医薬品と実質的に同一であると本気で信じ込もうとしたり、逆にそれを批判したりするのは不毛だ。 「有効成分と効能効果」が同一の範囲というのは、「高い市場競合性がある範囲」の代替表現に過ぎないのだから。 「先発医薬品に依拠して承認を受けた後発薬」が、特許発明としての技術的な観点から見て特許権者の先発医薬品と実質的に同一であると本気で信じ込もうとしたり、逆にそれを批判したりするのも不毛だ。 「先発医薬品に依拠して承認を受けた後発薬」というのは、「高い市場競合性がある範囲」の代替表現に過ぎないのだから。 私は「@ 有効成分基準説」や「C 先発医薬品の成果依拠説」をそういう視点で捉えているから、例えば「成果依拠説」に対して「69条1項は試験・研究における使用を認めている」などという主張を見るともどかしく感じてしまう。 「私は帰結的(損得勘定的)に考えて成果依拠説でもまあまあ妥当な結果が出せるかも知れないと考えているだけなんです。 あたなたも帰結的に考えてください。」と言いたくなってしまう。 これは別に篠原先生に言いたいわけではないけれど、もし「成果依拠説」ではダメだと思う人がいるのなら、「成果依拠説」で制度運用した場合に具体的にどういう場合にどういう不都合が生じるのかをぜひ例示してくださいと言いたいのだ。 単に理念的に「試験・研究における使用は認められている」という反論は不毛であって、結果としてどういう不都合が生じるのかで議論してくださいと思うのだ。

A 発明特定事項基準説」や、今回大合議判決が判示した「実質同一説」も、そういう観点で検証されるべきものだと思う。 「実質同一説」のことを、条文と特許発明の観点から導き出される考え方であって、損得勘定などまるで気にしていない考え方だと思っている人がいるかも知れないが、実際には違うでしょう? 冒頭で言った通り、大合議判決は「衡平の理念」を大切にして判断しているのだ。 「衡平の理念」にもとる帰結をもたらすような解釈運用はできないというのなら、それは帰結主義的に考えているということでもあるでしょう? 「衡平の理念」は帰結主義を要求するのだ。

以上のことを踏まえつつ、各説がどういうものであるのかを示せば、以下のようになる。

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特許庁が採用した「発明特定事項基準説」というのは、たとえ後行医薬品が先行医薬品と市場競合するようなものであっても特許発明の技術的範囲に先行医薬品が含まれていない限りは延長できることを決めた「パシーフカプセル事件」の最判を受けて、どうやって制度の妥当性を確保するかを目指して作られた考え方であり、大合議判決が採った「実質同一説」は、「アバスチン事件」の最判によって、原則、承認ごとに延長できるようになった事態を受けて、どうやって制度の妥当性を確保するかを目指した考え方だ。 どちらも特許法の条文や最判という制約のもとでかなり無理をしている考え方であり、もしそういった制約がないのであれば(すなわち、制度改正を視野に入れて考えるのであれば)、そもそも採用する必要はない考え方だと思う。 それに対して「有効成分基準説」や「成果依拠説」は、「市場競合する範囲」というものを、より予測性が高い基準に代替するという観点で評価されるべきものだと思うが、市場で競合する似たような医薬品を複数回延長した場合にどうやって制度の妥当性を確保するかについてはあまり考えられていないから、制度改正によって、似たような医薬品については延長できないようにするとか、延長の終期をそろえるなど、別途対策を考える必要があるだろう。

それぞれの説の妥当性は、なにを制約として考えるかによって変わる。 つまり、条文や最判の制約や、重複延長があることを前提とするか否かによって変わる。

*    *    *
    
4.「連動論」

篠原先生がこれまでの3つの論文で一貫して論じているのが「連動論」だ。 「連動論」とは、分かりやすく言えば、“一度延長したら再延長を認めない範囲”(67条の3第1項1号)と “延長された特許権の効力範囲”(68条の2)とを一致させる考え方だ。 篠原先生も論じている通り、過去の2つの最高裁判決(パシーフカプセル事件とアバスチン事件)によって現在では登録要件が著しく緩和され、医薬品の成分や用量・用法などの承認事項が一部でも異なり、新たな承認が必要であった医薬品については、たとえ先行医薬品と非常に高い代替性を持つものであっても原則として新たな延長が可能となっている。 もし、延長されたそれぞれの特許権の効力範囲にそれなりの幅がある場合、効力範囲同士が重なり合うことになるが、後行承認の延長期間の方が長いと、重なり合っている領域では、すでに排他権が及んでいるところがさらに延びることになるので、一見して不適切であることは明らかだろう。 篠原先生はこの問題を解決するために2つの範囲を連動させることを示唆しており、今回の論文の脚注48では条文の改正案も提示されている。

私は、現在の状況は由々しき事態だと思うし、篠原先生がこの問題を積極的に取り上げていることはとても重要だと思う。 しかしながら、これまでにも書いている通り、「連動」させるだけでは、この問題を根本的に解決することはできない。 これについては2017年7月31日の投稿で書いたし、2017年10月5日の投稿でも書いたが、「同じ市場をターゲットとする医薬品について異なる複数の延長期間が設定されることを避ける」ことが重要なのだ。 例えば代替性のある医薬品A1と医薬品A2という2つの医薬品があって、「連動論」が採用されているとする。 すなわち、医薬品A1で延長した場合、延長した特許権の効力範囲には医薬品A2は含まれず、医薬品A2で延長した場合、延長した特許権の効力範囲には医薬品A1は含まれないとする。 例えば、特許権者がまず医薬品A1で5年延長した場合、たとえ医薬品A2を3年で出すことが可能で、A2の方が利便性が高く患者にとって好ましいとしても、医薬品A2では3年しか延長することができず、3年たてばA2の後発薬が市場に出てきてA1の独占状態も侵されてしまうことを考えれば、特許権者は医薬品A2を3年で出すことを躊躇するだろう。 たとえよい薬を早期に出せるとしても、出すのをやめるか、あるいは何らかの理由をつけて医薬品A2の臨床試験を5年に引き延ばして5年の延長期間を確保するという選択を採るしかなくなる。 逆に、特許権者がまず医薬品A1で3年延長した場合、医薬品A2を5年かけて承認を受ければA2については5年延長することができるが、そのままでは3年たつとA1の後発薬が出てきてA2の市場も脅かされる。 もし特許権者が、医薬品A1には稀な副作用が起きるリスクが医薬品A2よりも高いかも知れないと主張できるようなデータを持っていたり、薬剤の安定性がA2よりも劣るというデータを持っていたり、取扱いが煩雑で誤用が起きる可能性があると主張できる場合、それを理由に厚労省に働きかけて医薬品A1を販売できなくすることができれば、A1の後発薬は市場に出てこないことになるので、事実上の市場独占を3年から5年に引き延ばすことができる。 すると特許権者としては、そういう状況を作り出すことでより多くの利益を上げようとするかも知れない。

このように、たとえ「連動論」を採用しても、高い市場競合性のある範囲内に複数の延長期間を設定することが可能な制度である限りは、特許権者としては、それを利用して利益を最大化することについて動機が働くことになる。 それを食い止められるかは「特許権者のモラル」にかかっているが、モラルに頼らなければならないような制度を作るべきではないでしょう?

大事なのは「連動」させることではなく、「市場競合性のある範囲では複数の延長期間を設定できないようにすること」だ。 旧々審査基準では、延長要件の範囲として「有効成分と効能・効果が同一の範囲」が採用され、かつ効力範囲としても同じ範囲が採用されると解されていた(すなわち「連動論」が採用されていた)が、この旧々審査基準がなぜ比較的うまく行っていたかと言えば、それは「連動論」が採用されていたからというよりは、「有効成分と効能・効果が同一の範囲」というものが、「市場競合性のある範囲」を事実上規定するものであったからだ。 米国や欧州は「有効成分」というもので範囲を設定する制度となっており、そうした制度が曲がりなりにも運用されているのは、「有効成分が同一の範囲」というものが、「市場競合性のある範囲」を事実上規定するものとして機能しているからだ。 「市場競合性のある範囲」というものを区切りとして延長要件を規定することは延長制度において非常に意味があると思われるのに、現在の日本では2つの最判によってそれが崩れてしまった。 こういう言い方をすると最高裁が悪いみたいになるが、そもそも条文が悪いのだから、最高裁はよくぞ崩してくれたと言ってもいいのかも知れない。 ともかく、市場競合性を反映する範囲設定が失われたところに現在の延長制度が混乱している原因があるので、制度改正を考える場合は、「連動論」を目指すのではなく、延長要件において市場競合性を反映した範囲設定を取り戻すことを目指すべきだ。

とは言え、たとえ先行医薬品と市場競合性があるとしても、剤型変更や投与経路の変更によって需要が何倍にも増加するような後行医薬品については、延長を認めなければ帰結的に見ても不公平になるし、先行医薬品を独占販売していたのが赤の他人である場合は、延長登録が拒絶されるのはおかしい。 したがって、一筋縄に範囲を設定することはなかなか難しく、単に旧々審査基準に戻せばよいというものではない。 今回の混乱を踏まえて、より合理的な基準作り、つまり、旧々審査基準を超えるだけでなく、諸外国の延長制度をも超える基準作りを目指すことができればよいのだけれど。

なお篠原先生の論文では、市場競合性を考慮して延長要件を判断する考え方について、「EUのSPC(追加保護証明書)制度にならい」(327ページ)と書かれているが、この考え方はSPC制度と特に関係があるわけではないと思う。 確かに井関先生の論文(ジュリスト 2017年8月号 (No. 1509) の49ページ)では、この考え方がSPC制度にからめて論じられているが、それは昨年8月18日の投稿で書いた通り、井関先生は、市場競合性を考慮する考え方を「特許“”の考え方」だと言いたかったから、特許法とは別の制度として作られたSPC制度を引き合いに出しただけで、内容に特に関連性があるわけではない。

井関先生は、これまでの論文では「市場競合説」に反対されているけれど、その理由は、医薬品の承認を受ける間も排他権は侵食されておらず、広範な効力範囲を与えることになる「市場競合説」は、侵食された権利を侵食された期間だけ回復させるという制度の趣旨に沿っていないと考えているからだろう。 しかし上述の通り、医薬品の承認を受ける間は、誰も実施することができない以上、その医薬品に対する排他権を行使しうる状態とは言えず、その医薬品に対する排他権は侵食されていたと考える方が妥当だと私は思う。 もし井関先生がそれを受け入れられるのなら、先生が「市場競合説」を否定しなければならない大きな理由はなくなるはずだと思う。 私も自分の考え方が本当に正しいのかには少し自信がないけれど、こうして何回も何回も書いていたら、嘘も百回のごとく、だんだん信じられるようになってきたから、井関先生もそのうち信じてくれるようになるのではないかしら。^^

また、2017年9月28日の投稿でも書いた通り、市場競合性を考慮して延長要件を判断する考え方については、前田先生の2015年論文(神戸法学雑誌 65(1) 2015-06, p.1-44)で既に打ち出されている。 アバスチン最判によって、前田先生のような立場は現在の法制度のままでは採りづらくなってしまったことから、その後の前田先生の論文ではこの論点はあまり見られなくなっているけれど、篠原先生がこうやって制度改正の可能性にまで踏み込んで考察を進めているのを見ると、前田先生にもぜひ、市場競合性を加味した延長要件論を再び積極的に展開してもらいたいと感じてしまう。

そして、「市場競合性」という概念を初めて延長問題に取り入れて論じた田村先生(特許判例ガイド 第2版, 2000, 260ページ)にも、「市場競合性」という概念をぜひ延長要件論に取り入れて、帰結的にも納得のいく延長制度論を完成させてくれることを期待したい。 なにしろ田村先生は帰結主義論者のゆうだから。^^


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする