2019年02月19日

田村善之先生 WLJ判例コラム第158号「明細書に記載されている解決すべき課題が公知技術と対比すると不適切である場合のサポート要件の判断の仕方について」(ピリミジン誘導体事件知財高裁大合議判決 平成30年4月13日判決)


([2019/2/21 追記]あり)

昨年11月19日付の田村先生のWLJ判例コラム 第153号 「進歩性要件の判断の基礎となる引例適格性について」の感想を書こうと思いつつ、まだできてないのに、その後、田村先生は、私が感想を書きたくなるような内容のものに限ってさえ、論文は出るし、フォーラムにも出るしで、すごい勢いだ。

そしてまた、 「ピリミジン誘導体」事件の知財高裁大合議判決に関して、3つ目のWLJ判例コラム 158号が公開された。

この勢いにはまったく追いつけないので、とりあえず瞬間的な感想だけ。

WLJ判例コラム 第158号より]
 出願時に予めあらゆる公知技術を覚知することは困難であり、また、補正や訂正も新規事項を追加すると判断される場合には、原則として出願の拒絶や特許の無効を伴うというリスクを伴う。そうであるならば、技術思想がその内容としては新規性や進歩性を喪失ないし欠如しないものであれば、公知技術を見逃したり、公知技術に気付いた後、補正や訂正をなしていなかったりすることのみを理由に機械的に出願拒絶や特許無効をもたらす帰結は採用すべきではないだろう。そのような帰結は、徒に出願人に出願書類を完璧に作成することを求め、さもなければ特許保護を諦めろというに等しく、非効率的な制度運営となるか、発明とその公開に対するインセンティヴを過少なものとするおそれがあると考えるからである。
 結論として、サポート要件の場面では、明細書に記載された解決すべき課題や解決手段を、公知技術との対比によって再構成することを否定した本判決の取扱いは穏当なものであったと評すべきである。

上記の部分、つまり、「出願人に完璧な明細書を書くことを課すのは非効率である」という論調は、田村先生が「均等論」の「第5要件」(出願時同効材)に関して言っていることと同じだなぁ。 インテグリティ(整合性)があるなぁ、と思いました。 ただし均等論は権利行使時に権利範囲を拡大させる方向で調整するのに対して、上記のケースは権利行使時に権利範囲を縮小させる方向で調節することを示唆しているのだろうから、「逆均等論」ですよねWLJ判例コラム153号の脚注40参照)。 つまり、均等論でも逆均等論でも、田村先生は、制度運営の効率性やインセンティブ論の観点から、同じように考えればよいのだと論じているわけだ。

でも今回のケースは、「ある程度広い範囲を持った特許発明を『逆均等論』で権利制限しよう」という話とは違うと思う。 なぜなら、本件のような発明はピンポイントのような発明であって、縮めようがないからだ。

たとえば、Sotoku 10号でも書いたけれど、先行文献(甲1)に記載されている化合物を参考にして、以下のような化合物をつくった場合を考える。 私がまったくでたらめに考えて作った化合物だ。

Sotoku 10号 24ページ]
Sotoku10-p24fig.png

それで、先行文献(甲1)の化合物を、上記の「私が考えた改変化合物」に改変した結果、活性が1/3になってしまったとする。 いわば、改悪発明だ。 それでも、本件の判決文に基づく限り、甲1の化合物は既存薬のメビノリンよりも15倍程度は高い活性を持っているから、上記の「私が考えた(でたらめ)改変化合物」は既存薬のメビノリンの活性よりはまだ5倍くらい高いわけだ。 それで、私はこの化合物をピンポイントでクレームして出願したとする。 田村先生は、この「私が考えた(でたらめ)改変化合物」を特許にしても問題ないと思うのだろうか。 それとも、「徒に出願人に出願書類を完璧に作成することを求め、さもなければ特許保護を諦めろというに等しく、非効率的な制度運営となる」から、特許を無効にはしないけれど、権利行使のときに、権利範囲を調整するのだろうか? ピンポイントの発明なのに、どうやって権利行使を調整するのか?

今回、田村先生が書いていることは、私には今一つピンとこない。 少なくとも、今回の大合議判決から示唆される不都合(つまり、上記の「私が考えた(でたらめ)改変化合物」が特許になってしまうという不都合)を解決するものではないと思う。

この問題を解決するためには、上記の「私が考えた(でたらめ)改変化合物」の特許性を否定する理屈を考え出すことが必要だ。 大合議判決を「穏当なもの」と評するだけでは、この問題は解決できないと思う。

それとも田村先生は、メビノリン程度の活性さえあれば、でたらめ改変化合物は特許にしてよくて、権利行使もOKだと思っているのかなぁ。。 まあ、この程度の活性の化合物なら、他にも容易に作れるのだろうから、仮に「私が考えた(でたらめ)改変化合物」に排他権が生じたとしても、誰もあまり困らないだろうということは言えるかも知れないけれど。

*    *    *

私も、いわゆる「パイオニア発明」なら、田村先生のような議論(すなわち、広めに特許にしておいて、権利行使時に調整しようという考え方)は成り立つかも知れないと思う。 iPS細胞の発明のように、非常の幅広い応用の可能性がある基本特許のような発明を出願した場合はね。 でも、本件の発明はそういうものではない。 単に、既存の化合物の置換基を変えたものだ。 たとえ、前知財高裁所長の清水節先生が唱える「清水説」(Sotoku 10号 の24頁参照)で考えるとしても、Sotoku 10号 の26頁の脚注34にも書いたとおり、本件のような発明はむしろ「周知技術を適用したに過ぎない」たぐいの発明だとみなし、顕著な効果がない限りは特許にしてはいけない類型に属すものなんじゃないかな。

つまり、パイオニア発明とは言えない「ピリミジン誘導体」事件のような発明について、今回の大合議判決のような説示(つまり、効果が高いことは要しないという説示)を行ってしまったことについて、大合議に対する批判は避けられないと思う。 本件の場合、明細書中には本件発明の化合物が顕著な効果があることが明確には示されていないので多少苦しいのではあるが、もし本件発明の特許性を肯定したいのであれば、大合議判決のような説示をするのではなく、多少無理をしてでも「このような高い効果を持つ化合物を取得した発明であるから特許性があるのだ」という説示をすべき案件だったと思う。

なお、「高い効果を持つから特許性があるのだ」ということを、「進歩性」で判断するのか、それとも「サポート要件」で判断するのかは、いろいろ意見があるところだろう。 つまり、サポート要件については、コレステロール生合成阻害活性がともかくもある化合物を提供したというだけで肯定し、「顕著な効果があるから進歩性がある」と判断することもできただろうし、そうでなければ、進歩性については「発明の構成」に動機付けがないというだけで肯定し、効果の顕著性は「サポート要件」の方にまわして、「それなりに顕著な効果を持つ化合物を提供するという課題」を達成したという意味で本件は「サポート要件」を満たすのだと説示することもできただろう。

私は個人的には、「サポート要件」や「実施可能要件」というのはかなり“眉唾”な要件だと思っていて、実際には「進歩性」を判断しているのに、そうではないかのように装う要件が「サポート要件」や「実施可能要件」ではないかと疑っているので、なるべく「サポート要件」や「実施可能要件」は使わずに、「進歩性」で統一的に判断できる規範を作る方がいいと思っているけれど。

たとえば、パラメータ発明のサポート要件を否定した「偏光フィルム」事件(平成17(行ケ)10042) にしたって、判決のようにサポート要件を否定するのではなく、「よい実験結果2例と、悪い実験結果2例を隔てるように2つのパラメータで当てずっぽうに範囲を設定することは容易であり、クレームに規定されているパラメータが当てずっぽうではない(すなわち、クレームで規定したパラメータの組み合わせは、高い効果が発揮される偏光フィルムを製造するための稀有な組み合わせである)ことが推認できるほどの実証が明細書中でなされているものでもない」と捉えて「進歩性」を否定することは可能だったと思うし、その方が分かりやすかったのではないかと思う。 そういう考え方が、Sotoku 10号(27頁)で説明した、「でたらめに行った選択に過ぎない」という推定を退けることができないものは進歩性を否定するという考え方だ。 この考え方を取り入れることによって、たとえ「発明の構成」(「ピリミジン誘導体」事件で言えば、本件化合物の構造であり、「偏光フィルム」事件で言えば、2つのパラメータの範囲をクレームに規定されているように組み合わせること)に動機付けがなくても、進歩性を否定することができるようになる。 今のところ多くの人は、「発明の構成」に動機付けがない限り「進歩性」は否定できないという考えに囚われているから、特許性を否定したいと思ったら、無理やりにでも「サポート要件」で特許性を否定するしかないのだ。 そのために、「本件の発明の課題は、従来よりも優れた〇〇を提供することである」などという理屈を付けて「サポート要件」で特許性を否定しているのだ。 そうした呪縛から自由になって、「進歩性」で拒絶する方が分かりやすいと思う。

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速攻で書いたので、考えが足らないかも知れないけれど、そんなところかなぁ。 WLJ判例コラム 153号については、また改めて書きたいと思う。 「旅の途中」っていうのもぜひ。

[2019/2/20]
言葉足らずだと思った部分について、ちょっと書き足してみた(青っぽい色を付けた部分)。今度は言い過ぎたかなぁ。


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[2019/2/21 追記]
特許庁の岡田吉美先生は、現在の技術では実現不可能なほど高純度の「金」、例えば、「99.9999999999999%の金。」というような発明は、「進歩性なし」で拒絶すべきだと論じている(岡田吉美, パテント Vol.60, No.5, 50-67, 2007 62〜63ページ)。 これに対し私は、Sotoku 8号の 25〜27ページで書いた通り、この種のクレームは「実施可能要件」(あるいはサポート要件)で拒絶すべきだと考えていた。

しかし Sotoku 10号 を書く過程で、岡田先生の考え方に違和感はなくなってきた。 少なくとも、岡田先生が主張する「進歩性がない」という結論には同意できるようになっている。

つまり、「99.9999999999999%の金。」(実現不可能なほど高純度の金)という発明は、単なる当てずっぽうで書いただけという推定を退けることはできないので、Sotoku 10号(「10.」節,26-27ページ)で書いた考え方(いわば「非でたらめ・非当てずっぽう」要件)により、進歩性は否定されてよいのだと思う。

「進歩性欠如」と「記載要件違反」のロジックはしばしば「表裏一体」の関係で根は同じとなることがあるということかな。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする