2019年06月03日

大合議判決は論難に値するか − 田村善之先生 WLJ判例コラム153号「進歩性要件の判断の基礎となる引例適格性について」〜ピリミジン誘導体事件知財高裁大合議判決(平成30年4月13日判決言渡)の検討(その2)〜 の感想(4)


前回の投稿に引き続き、ピリミジン誘導体事件の大合議判決(平成28(行ケ)10182、10184)に対する北大(当時)の田村先生の評論の第2回目(ウエストロー・ジャパンの判例コラム 153号)について考えたい。 今回が最終回。 今回の田村評論で納得がいかないところの一つ、すなわち、発明の効果を検討することなく進歩性を肯定した今回の大合議判決を「論難するに値するものではない」と田村先生が論じたことを論難したいと思う。

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本件(ピリミジン誘導体事件)の副引例(甲2:特開平1-261377号公報)のように、実施例において実際にHMG-CoA還元酵素阻害活性が確認されている化合物以外にも、文献中に膨大な数の置換基の候補が列挙して記載されており、それらの置換基で置換した化合物が、実施例の化合物と同等の高いHMG-CoA還元酵素阻害活性を持っているかどうかは、実施例もないのでよく分からないようなケースについて田村先生は以下のように論じている。

[田村評論の 7)より]
 翻って、本件の甲2にあっては、先にも紹介したように、判決の認定によれば、・・・。・・・。・・・、「甲2の一般式(T)で示される極めて多数の化合物全部について、実施例1〜23や上記認定の特定の化合物と同程度又はそれを上回るHMG−CoA還元酵素阻害活性を有すると期待できるわけではなく、HMG−CoA還元酵素阻害活性が失われることも考えられる」のであって、「甲2から、甲2の一般式(T)で示される極めて多数の化合物全部について、技術的裏付けがあると理解できるとはいえない」とされている。 そうだとすると、本件の事案は、HMG−CoA還元酵素阻害剤を提供するという、本件発明に係る技術的思想との異同が問題となる技術的思想の観点からみれば、甲2の一般式の全てについて、とりわけ相違点に係る構成を含む範囲について先行発明が成立していたわけではないことになる。・・・。
 したがって、選択発明に本来要求されるべき顕著な効果を吟味することなく、甲2に記載された技術的思想に対する本件発明の進歩性を否定しなかった本判決の取扱いは、論難するに値するものではないといえよう。

なお田村評論の脚注47では、『先行発明が成立していない場合にも、それだけで必然的に後行発明が特許性を取得するというわけではなく(・・・)、未完成の先行発明を主引例としつつ副引例や周知技術等と組み合わされることにより、進歩性が否定されることはありうると考えている(そしてこの進歩性判断においても、やはり顕著な効果が二次的考慮要素として参酌されうる)。』と記載されている。 この指摘は一見すると、効果を参酌しなかった大合議判決を批判しているようにも見える。 しかし「効果」を参酌することなく進歩性を肯定した本件における大合議の判断を「論難するに値するものではない」と評していることと整合的に考えるのであれば、本件は脚注47の指摘が該当するケースではないと田村先生は考えていることになるだろう。 つまり田村先生は、少なくとも本件については、「効果」を参酌するまでもなく特許性(進歩性)が肯定されるケースだと考えているのではないか。

こうした田村先生の考え方を否定するためには、Sotoku 10号 の「9.」節をはじめとして、2月19日の投稿や4月16日の投稿でも書いた「でたらめ改変化合物」の例で十分だと思うのだが、どうだろう? 例えば、甲2に記載されている膨大な置換基の選択肢の中からでたらめに選んだある置換基で、甲1の化合物を改変した化合物(「でたらめ化合物」)を作った場合だ。

化合物の塩の違いはさておき、本件特許の化合物(例えばロスバスタチン)も、私が作った上記の「でたらめ化合物」も、構造的には『甲2に記載されている膨大な置換基の選択肢の中から選ばれたある置換基で甲1の化合物を改変した化合物』に相当するから、本件特許の化合物(ロスバスタチン)であれ、私の「でたらめ化合物」であれ、物の構成としての想到困難性は同等といえるだろう。 そして、もし本件化合物の進歩性の判断において、物の構成が容易想到ではないというだけで、「効果」を考慮することなく進歩性を肯定してよいというのなら、上記の私の「でたらめ化合物」の進歩性も、「効果」を考慮することなく肯定してよいということなるはずだ。

ということは、上記の私の「でたらめ化合物」は、活性を考慮することなく進歩性が肯定される。たとえHMG-CoA還元酵素阻害活性が甲1の化合物の1/2だろうが、1/3だろうが、1/10だろうが、1/100だろうが、あるいは活性がゼロだったとしても、進歩性は肯定されるということになるはずだ。

もしそうなのであれば、Sotoku 10号の脚注33 にも書いた通り、甲2に記載されている膨大な置換基の選択肢の中から選んだ任意の1つで甲1の化合物を改変した化合物の進歩性は、ほとんどの場合において肯定されることにもなるだろう。 なぜなら、甲2に記載されている膨大な置換基の選択肢のほとんどは、それを積極的・優先的に選択する理由などなく、物の構成の容易想到性という点では、本件化合物(ロスバスタチン)との違いは見当たらないのだから。

私は、そういうでたらめな化合物に進歩性を認めるべきではないと思うし、多くの実務家も、そういう感覚は共有できるのではないかと期待する。

上記のような帰結となってしまう原因は、進歩性の判断において「効果」を考慮しないことにある。 つまり、上記のような帰結を否定したいのなら、たとえ選択肢の数が膨大であっても、進歩性の判断において「効果」を考慮する必要性を認める必要がある。 甲2に記載されている膨大な置換基の任意の1つで甲1の化合物を改変した発明の進歩性は、得られた化合物に一定の効果があってこそ認められるべきなのであって、効果を参酌することなく進歩性を認めた大合議判決の判断のやり方は論難に値する。

そもそも田村先生は、上に引用したとおり、先行発明で示される一群の化合物が「実施例1〜23や上記認定の特定の化合物と同程度又はそれを上回るHMG-CoA還元酵素阻害活性を有すると期待できるわけではない」(すなわち優れた効果を奏するとはいえない)と裁判所が認定していることを根拠にして、「先行発明は成立していない」としているわけだ。 「効果を奏するとはいえない」ということをもって「先行発明は成立していない」とするにもかかわらず、本件発明の化合物は効果(活性)があるか否かを確認するまでもなく進歩性を認めるというのは、論理的に整合しているとは言えないのではないか? それとも、この点は発明該当性や記載要件で判断するとでもいうのか?

同様の批判は、大合議判決の説示にも当てはまる。 裁判所は「(ウ)a」(判決文PDFの110ページ)において、構成が容易に抽出できないことをもって「構成が記載されているとはいえず」と説示しているにもかかわらず、「(ウ)b」(111ページ)において「・・・,実施例1〜23や上記認定の特定の化合物と同程度又はそれを上回るHMG−CoA還元酵素阻害活性を有すると期待できるわけではなく,・・・。極めて多数の化合物全部について,技術的裏付けがあると理解できるとはいえないのであって,・・・,前記aの判断を左右するものではない。」と説示し、まるで、効果が期待できる場合は「前記aの判断」がくつがえる、すなわち、効果が期待できる場合は、「構成」が記載されていなくても「構成」が記載されていることになるかのような説明を行っている。 これは、具体的な構成が記載されていなくても、概念的に包含されるもの(つまり選択発明)は新規性がないとみなす「ゾンビ説」に通じる考え方だ。 大合議のこの説示に田村先生が着目した上で、大合議判決はゾンビ説に「変更を迫るものではない」と論じているのはなるほど、うなずける話だし、効果が期待できる場合とできない場合で別異の取り扱いをすることを示唆しているように見える大合議判決のこの説示を受け入れるのであれば、田村先生が「選択発明二分論」(5月20日の投稿を参照)を説くのも当然というべきだろう。

しかし論理的に考えて、「効果」の予測困難性は「構成」の抽出困難性を左右するものではないのだから、(実施しない限り判明しない)「効果」を予測することが困難であることが、「構成」の新規性や容易想到性に影響を及ぼすと考えること自体がおかしい。 なお、この考え方に論理性を持たせるために、ここでいう「構成」とは「効果がある構成」を意味していると捉え、『効果の予測が困難な場合、「効果がある構成」を抽出するのは困難だから、「効果」の予測困難性は「(効果がある)構成」の抽出困難性を左右する』と考えることはできるかも知れない。 しかしもしそう考えるとすれば、それは「構成」の中に「効果」を織り込んだ上で抽出困難性を考えているのであり、「構成」の抽出困難性を純粋に考えているのではないのだから、「効果」を考慮していることを認めるべきだ。

ちなみに、甲2に記載されている膨大な選択肢の多くは活性が失われてしまうという推定が成り立つような場合は、HMG-CoA還元酵素阻害活性をともかくも持っている構成を同定したという程度でも進歩性は肯定し得るだろう。 その場合は、ともかく活性がありさえすればよく、活性の「程度」は考慮する必要はないということになるのかも知れない(Sotoku 10号 の脚注36)。 しかしその場合でも、効果を考慮していることに変わりはない。

なお田村先生は、今回の大合議判決と同様に『選択発明としての進歩性判断の前提となる「刊行物に記載された発明」に当たらない旨を判示して原審決を取り消した判決』の例として、平成25(行ケ)10324[誘電体磁器及びこれを用いた誘電体共振器]を挙げている(脚注44)。 しかしこの判決は、甲4報告書や甲35報告書という事後的に出された実験結果を加味して甲1発明を認定した原審の審決に対して、『甲4報告書や甲35報告書に記載された結晶構造等の属性も,甲1公報に「記載された発明」となる』と解することはできないと説示し、その限度において審決の誤りを指摘したに過ぎず(判決文PDF 21ページ5-9行)、出願前に知られていた引例(甲1)の引用発明適格性そのものを否定したわけではない。 そして進歩性に関しても、「甲1公報には,少なくとも,1/100000〜3体積%のβアルミナ等の結晶相を存在させること,また,それによりQ値を向上させることについて記載も示唆もなく,甲1公報は,甲1発明において,Q値を向上させるために,1/100000〜3体積%のβアルミナ等の結晶相を存在させることを動機付けるものではない。」(判決文PDF 16ページ)と説示し、本件発明が40,000以上のQ値(誘電特性)を達成したことを考慮した上で進歩性を肯定しているのだから、効果を考慮することなく進歩性を肯定した今回の大合議判決とは明確に異なっていることを指摘しておきたい。

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なお、「構成が容易でなければ、効果を考慮するまでもなく進歩性あり」という考え方は、今回の大合議判決が初めて示した考え方というよりは、特許庁において従来から採られていると思われる考え方であり、実務家の大半も、半ば常識として信じている考え方だと思われるので、これを否定しようとする私の考え方は笑止だと思われるかも知れない。

しかし、特許庁の審査基準にも、単なる「設計変更」(「設計事項」とも言う)や「寄せ集め」には進歩性を認めない(審査基準 第III部第2章第2節 3.1.2 (1), (2))という考え方はあり、その場合は発明の効果が検討されることになるから、「構成が容易でなければ、効果を考慮するまでもなく進歩性あり」という考え方が常に採られているわけではない。 「効果」を必ず検討する私の考え方を採ったとしても、画期的な新しい構成を開発したような発明、例えば、これまでは「天然成分を使った糊(のり)」しかなかったところ、初めて「合成接着剤」を開発したような場合は、たとえ接着力が天然の糊より劣っているとしても、その発明は「でたらめ」によって入手できたありきたりではないとみなすことはできるのだろうから、進歩性を肯定することは十分に可能だ。 私の考え方(つまり「効果」を必ず考慮する考え方)を採ることによって、本来なら進歩性が肯定されるべきものの進歩性が否定されることはないだろうと思う。 むしろ、「構成が容易でなければ、効果を考慮するまでもなく進歩性あり」という考え方は、今回説明したように、膨大な選択肢の中からでたらめに一つを選んだような発明や、目新しい指標を適当に組み合わせたパラメータ発明などの進歩性を否定することが難しく、大した効果もないような態様が包含されうる発明であっても進歩性が肯定されてしまうという不都合がある。 パラメータ発明のように、ある程度の範囲がある発明であれば、たとえ進歩性を否定できなくても、「明細書において謳われている効果が十分に発揮されない態様が包含されうる」あるいは「明細書中に謳われている課題が解決できない態様が包含されうる」ということを理由にして「サポート要件」で拒絶することはできるかも知れない(「偏光フィルム事件」(平成17(行ケ)10042)や最近の「トマトジュース事件」(平成28(行ケ)10147)の知財高裁判決などのように)。 しかし2月19日の投稿でも指摘したとおり、クレームの範囲が実施例とあまり変わらない程度にまで限定されている場合は、実施例でサポートされていると言える以上、「サポート要件」で拒絶することは難しくなり、拒絶されるべきものを拒絶できないという不都合が生じてしまう。 したがって、「進歩性を否定できなくてもサポート要件で否定すればよい」などと考えて安心していてはいけないのであり、こうした発明を進歩性で拒絶できるような判断規範を作っていく必要があるのだと思う。

「進歩性判断において “効果” は常に考慮すべきなのではないか」、 「構成が容易でなければ、効果を考慮するまでもなく進歩性あり」というのは、実は「構成が画期的である場合は、効果の程度を考慮するまでもなく進歩性がある」というだけで、効果を考慮する必要がなくなるわけではないのではないか?」、「これまでサポート要件で拒絶していたものは、実は進歩性で拒絶すべきなのではないか」ということについて、よく考えてもらいたいなと思う。

なお、特許庁の宮崎賢司先生の特技懇 289号(2018)の論文「間接事実説なのか、独立要件説なのか、それとも?」(その論文の「11.」を参照)では、発明の「目的、構成、効果」の三要素を(一つの)技術的思想の創作として捉えて進歩性を判断することが論じられている。 ちょっと意味が分かりにくいが、「構成」だけを切り取って判断して進歩性を肯定してよいものではなく「効果」も含めた一体のものとして考慮せよということなのであれば、私の考え方ともかなり近いような気がする(私は発明の「目的」や「課題」は重視しないが)。

また、私がここで述べた「でたらめに過ぎないという推定を否定できないものは “進歩性なし” で拒絶してよいのだ」という考え方は、「99.9999999999999%の金。」という、単なる願望を書いたような高純度の金の発明は、たとえ現実には実現できないほど高純度であっても “進歩性なし” で拒絶してよいのだという特許庁の岡田吉美先生の言っていることにも通じるものがある(岡田吉美, パテント Vol.60, No.5, 50-67, 2007 62〜63ページ)。 2月の投稿でも書いたが、私は昔は、岡田先生のこの考え方に若干否定的だったものの、今は比較的すんなり受け入れられるようになった。

こうした先生方の論考の理解を深めながら、私の方もさらに考えを修正していきたいと思う。

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ということで、数回に分けて田村評論(WLJ判例コラム153号)を見てきた。 いろいろと文句は書いたけれど、何といっても田村先生の評論は、井関先生の論文に輪をかけて興奮するものだったし、今回の大合議判決に関してこれまでに他のどの人が書いた評釈より同感できる部分が多かった。 この田村評論が多くの人に読まれ、今回の大合議判決の進歩性の判断のやり方が本当に妥当といえるのか、そして進歩性の判断基準はどうあるべきなのかについて、議論が進むことを期待したい。

posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする