2019年09月03日

「アレルギー性眼疾患」事件最高裁判決(平成30(行ヒ)69,令和元年8月27日判決)追記


今回の「アレルギー性眼疾患」事件最高裁判決(平成30(行ヒ)69,令和元年8月27日判決)に関して、田中汞介先生がご自身のブログ『特許法の八衢』で記事を2つ(『最高裁は効果の独立要件説を採ったのか? 日本 最高裁 進歩性(非自明性) 』(8月31日)、『最三小判令和元年8月27日(平成30年(行ヒ)第69号)後の差戻審についての覚書』(9月1日))投稿されているので、それを読んで、まあ、あまり関係あることは書けない気もするけれど、前回の投稿に引き続き、思いついたことを若干書いてみたい。

*     *     *

(8)最高裁による破棄理由に関する田中先生の論考について

8月31日の田中論考では『破棄理由』に関し、「原審(知財高判平成29年11月21日(平成29年(行ケ)第10003号)) の判断枠組みは、【効果顕著性がなければ審決を取り消せる】であり、【効果顕著性がなければ審決を取り消せる一方、効果顕著性があれば審決が維持される】というものではない。」と指摘されている。

後者は、前者の反対解釈を付加したものだ。 後者であれば効果顕著性があれば審決が維持されることになろうが、前者であれば、効果顕著性があってもなお、審決を取り消す余地はあるということになる。

私は、8月30日の投稿で書いた通り、一般論として、「効果顕著性があっても、進歩性は否定しうる」と考えており、本件発明も、そうした場合に該当しうると思っているから、そういう考えが、今回の一連の判決の枠組みの中で依然として採用しうるというのなら、夢のある話だ。

改めて原審判決を見ると、判決の論理構成は以下のようになっている。

平成29(行ケ)10003 より]
 以上のとおり,本件特許の優先日において,化合物A以外に,ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出に対する高い抑制効果を示す化合物が存在することが知られていたことなどの諸事情を考慮すると,本件明細書に記載された,本件発明1に係る化合物Aを含むヒト結膜肥満細胞安定化剤のヒスタミン遊離抑制効果が,当業者にとって当時の技術水準を参酌した上で予測することができる範囲を超えた顕著なものであるということはできない。(判決文31ページ)

 したがって,本件発明1の効果は,当業者において,引用発明1及び引用発明2から容易に想到する本件発明1の構成を前提として,予測し難い顕著なものであるということはできず,本件審決における本件発明1の効果に係る判断には誤りがある。(判決文31ページ)

4 結論
 以上のとおりであるから,その余の点について判断するまでもなく,本件審決を取り消すこととし,主文のとおり判決する。(判決文34ページ)

上に引用したとおり原審判決は、原審審決の効果に係る判断の誤りをもって、その余の点について判断するまでもなく、原審審決を取り消している。 この判示の中に「効果顕著性があれば審決が維持される」という含意が感じられるかというと、まぁ、感じられないという方が自然だろうという気はする。

ただし、もし効果顕著性があってもなお審決は取り消される「理由」があり得るというのなら、効果顕著性を判断する前に、あるいは同時に、それが判断されてしかるべきであるのに、原審判決は効果顕著性のみを判断しているのだから、そうした「理由」がありうるという解釈は不自然ではないか、という意見はあるかも知れない。 特に、効果顕著性を判断するまでもなく審決は取り消されうる「理由」が本件においてあるのなら、まずはそれが判断されるべきであるのに、原審判決でそれが判断されていない以上、そうした「理由」がありうるという解釈は不自然ではないか、と考える人は多いかも知れない。

そういう意見が出るのは当然だろうとは思うし、解釈の優劣としては、そちらの解釈の方に軍配が上がる可能性はあるだろう。 しかし、どちらかの解釈しか採りえないとまでは言えないように思う。


(9)差戻審について

田中先生の9月1日の方の論考では、差し戻し審で採りうる結論は以下の3つだろうと指摘されている。

 1. 効果顕著性の存在を認めず、進歩性否定
 2. 効果顕著性の存在を認め、進歩性肯定
 3. 効果顕著性の存在を認めるも、進歩性否定

そしてもし上記の「3.」(効果顕著性の存在を認めるも、進歩性否定)を採るのなら、なぜ原審で効果顕著性を判断したのか説明が必要だと思うと指摘され、そうした説明の一つの可能性として、効果顕著性の「存在」の判断と、効果顕著性の「程度」の判断は別だと考える可能性が提示されている。 なるほどと思った。

ちなみに、前訴判決(平成25年(行ケ)10058)では効果(ヒスタミンの遊離抑制作用)の「存在」の容易想到性が判断され、本訴では当該効果の「程度」(効果顕著性)を判断しているのであるが、仮に田中先生の可能性を採用すれば、本訴原審(平成29(行ケ)10003)では効果顕著性の「存在」が判断され、差し戻し審では効果顕著性の「程度」(効果顕著性の程度)が判断されようとしているというフラクタルな感じになるのかも知れない(笑)?。

私の考える可能性は・・・、前回の投稿で書いた趣旨にしたがうのなら、

・ 効果顕著性の存否にかかわらず、進歩性否定(予備的に、効果顕著性の存在を認めず、進歩性否定)

というもので、前回の投稿の(7)にしたがって「効果顕著性の存否にかかわらず、進歩性否定」という結論を導き、(3)にしたがって予備的に顕著性を否定するという感じになるのだろう。 具体的には前者については、ヒト細胞に対するヒスタミン遊離抑制作用の「程度」が測られるのも間近だったといえ、そうである以上、本件発明は「容易に発明をすることができた」(29条2項)と言うほかなく、その効果が仮に予測を超えて顕著であるとしても、「容易に発明をすることができた」という判断を左右するものではない、というもの。 後者(顕著性否定)については、本件明細書には、本件化合物がヒスタミン遊離抑制作用を有することが開示されているとはいえ、その作用の程度は、クロモグリク酸二ナトリウム及びネドクロミルナトリウムなど、限られた化合物との比較でしか評価されていないし、高いヒスタミン遊離抑制作用を有する化合物が他にも知られていたことを考えれば、予測を超えて顕著とは認められない、というもの。

最判は「・・・,原審は,本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということ以外に考慮すべきとする諸事情の具体的な内容を明らかにしておらず,その他,本件他の各化合物の効果の程度をもって本件化合物の効果の程度を推認できるとする事情等は何ら認定していない。」という。 私の考える上記の理屈に沿って、最判のいう「諸事情の具体的な内容」を説明すれば、「明細書には、少数の構造を異にする他の化合物との比較しか示されておらず、当該少数の構造を異にする他の化合物に比べて活性が顕著であったからといって、本件発明の効果が予測を超えて顕著であると直ちに結論することはできない。」というのが「事情」だ。 また、本件発明が医薬用途に係るものであることをも考慮すると、本件明細書に開示されているヒト培養細胞を用いた実験のみからでは、ヒトへの臨床適用を含むクレームの全範囲において予測を超えて顕著な効果が奏されると直ちに認めることはなお困難、というのも「事情」と言えるだろう。 これは最判の説示をそのままお返ししているだけだから、最判の説示が正しいというのなら、この「事情」も否定はできないのではないか?(笑) (前回投稿の(3)も参照)

それから、上記の最判の後半部分の「本件他の各化合物の効果の程度をもって本件化合物の効果の程度を推認できるとする事情等は何ら認定していない」という説示に対しても、「明細書には、そこに示されている少数の構造を異にする他の化合物との比較しか示されておらず、その結果のみをもって本件化合物の効果の程度が予測を超えていると推認できる事情等は何ら明細書に説明されていないし、技術常識とも言えない」というのが「事情」なのであって、明細書に開示されている少数の構造を異にする他の化合物との比較をもって顕著性が推認できるかが問題となっている以上、それを否定するためには、構造を異にする他の化合物との比較をもって足りると考えなければ道理が合わないということだ。

また、田中先生が「説明が必要」と指摘されていること、すなわち、もし顕著な効果があっても進歩性は否定されるのなら、「なぜ原審において効果顕著性を判断したのか」という点について説明するとすれば、かなり鉄面皮な説明にはなるが、本件の場合は、たとえ顕著な効果があっても進歩性は否定される理由はあるのではあるが、それとは別に、効果顕著性を否定することによっても進歩性は否定されるのであり、進歩性を否定するにあたってどちらで判断するかは任意であって、とやかく言われる筋合いはないという説明になる(笑)。 また、前訴判決(平成25年(行ケ)10058)では効果の「存在」の容易想到性が判断され、本訴では「効果顕著性」が問題となっていることに鑑みて、原審では効果顕著性を判断してやったのだ、と説明することもできるだろう。

ということで、まぁ、最高裁に喧嘩を売っているみたいになる点で、これは無理か・・・、という感じは否めない。。

但し、上記の理屈が最高裁に喧嘩を売るようになってしまう一番の原因は、最判が、「構造を異にする他の化合物」との比較だけでは「顕著な効果」を否定することはできないと説示する一方で、本件明細書には「構造を異にする他の化合物」(しかも少数)との比較しか開示されていないことを不問にしていることにある。 そして「そこは不問にはできないのだ」という立場を取ると、まるで最高裁に逆らっているように見えてしまうのだ。

しかし明細書の開示から顕著な効果を推認できるか否かという問題と、引例からそれを否定できるか否かという問題は、分離することはできない。 明細書の開示が、本件化合物の効果を比較すべき対照としっかり比較された説得力のあるものであればあるほど、それを否定するための引例は完璧でなければならないが、明細書の開示に説得力がない場合は、それを否定するための引例に完璧さは求められない。 そして両者(明細書の開示と引例の開示)を一体として判断するとき、それは引例によって「顕著な効果」が否定されると捉えるのは適切ではなく、明細書の開示と引例の開示との関係において本件発明の効果が「顕著な効果」だとみなすことができないと捉える方が実体に合っている。 明細書に開示されているのは「構造を異にする他の化合物」との比較に留まる場合に「顕著な効果」を推認することができるのか否かという問題を不問とし、引例に開示されている「構造を異にする他の化合物」との比較のみでは「顕著な効果」を否定できないと説示する今回の最判を、『否定できなければ肯定せよ』という説示だと捉えるとすれば、分離できない問題を分離する失当を犯すことになる。 逆に最判がそのような意図で説示をするはずはないと捉えるのであれば、たとえ最高裁に喧嘩を売っているように見えるとしても、上記のような「事情」を認定することをもって最判に応えることは、結局は最判の説示を正しく捉えることになるはずだ、と思う。


(10)最判の実務への影響

顕著な効果は「本件発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができなかったものか否か,当該構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであるか否かという観点」で検討されなければならないという最判の一般論についてはともかく、その理由をもって “本件の” 原審を破棄したということが実務に及ぼし得る影響は大きい。 本件には特殊な状況がある。 原審に先立つ前訴判決(平成25年(行ケ)10058)において、「・・・ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有することを確認する動機付けがあるというべきであるから,・・・ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(「ヒト結膜肥満細胞安定化」作用)を有することを確認し,「ヒト結膜肥満安定化剤」の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められる。」と説示され、その判決は既に確定しているからだ。

この状況で、本件発明の進歩性がこのまま肯定されることになれば、所定の効果を有することを確認することについて出願前に既に動機付けがあり、その用途に適用することには既に進歩性がなくなっていることが明らかな状況であっても、その効果が予想外であれば、直ちに進歩性が肯定されるという雰囲気が醸し出されるだろう。

例えば、先行文献には本件発明の構成が開示されており、「この化合物の○○活性について調べてみることも興味深い。」とまで記載されているとしても、実際にその活性を調べて高い活性が確認されたり、用量依存性において目新しい特性(本件のように高濃度においても活性が低下しないなど)を示すことが分かった場合には、出願人としてはこの最判を掲げて進歩性を主張できることにもなりそうだ。

よって、出願人・特許権者サイドにとっては、この最判はとてつもなく強力な武器となる可能性があるが、それに対峙しなければならない側にとっては、どうやってその進歩性が否定できるのか、頭の痛い状況になるのではないか。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする