2019年10月09日

「二次的考慮説」は生き残れるか(アレルギー性眼疾患事件 平成30(行ヒ)69 令和元年8月27日判決)


「アレルギー性眼疾患事件」最判(平成30(行ヒ)69 )における顕著な効果の位置付けに関して、9月16日にイノベンティアの飯島歩先生の評釈が公開された。 その中で飯島先生は、最判の判示事項について次のようにコメントされている。

[飯島歩,イノベンティア・リーガル・アップデート,2019/9/16 より](強調は私が入れた;以下同)
これらの判示事項は、進歩性判断において、顕著な効果を構成の容易想到性とは別個の要件に位置付け、明細書に記載された効果をもとに、引用発明を組み合わせるなどして導かれる発明を基礎として効果の予測可能性を判断する独立要件説に近い考え方を採用したものといえます。

そのように考える理由の一つとして飯島先生は、判決の拘束力との関係を示唆している。 具体的には次のとおり。

[同上]
本件においては、前訴の取消判決により、発明の構成が容易に想到可能なものであることについて、拘束力が生じていました。本判決は、そのような状況にあっても、なお、予測できない顕著な効果について審理を尽くさせるとの判断をしています。これは、構成の容易想到性について判断を示した取消判決の拘束力が顕著な効果の判断には及ばないことを前提としています

つまり「顕著な効果」についての審理は、「発明の構成」の容易想到性の判断からは何らかの形で独立しているのではないか、ということが示唆されるということだ。 ここで、「発明の構成」とは何かということが問題になりうるが、ここではとりあえず、「発明の構成」とは、「クレームの文言で特定される発明」をいい、クレームの文言から直接は把握できない「発明の効果」や「効果の程度」を考慮しないもの、とでも考えておこう。 但し、昨年6月22日の投稿でも書いたとおり、本件発明のクレームは「ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための局所投与可能な、点眼剤として調製された眼科用ヒト結膜肥満細胞安定化剤であって、・・・」という用途的な表現が含まれていることに注意が必要だろう。 すなわち、本件発明は純粋な物のクレームではなく、「ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置する」、「ヒト結膜肥満細胞安定化」という用途的表現がクレーム中に記載されているのだから、これらは「発明の構成」とみなされるべきものだ。 よって、「本件発明の構成は容易」だというからには、本件化合物をともかくも「ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置する」という用途に用いることや、ともかくも「ヒト結膜肥満細胞を安定化」(具体的にはヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離を抑制する)という用途に用いることは、容易であることは既に確定しているとみなされなければならないだろう。

さて、飯島先生の上記の解説のとおり本件は「発明の構成は容易想到」ということが前訴判決において確定して拘束力が生じている状況であるにもかかわらず、最判は、なお「顕著な効果」について審理を尽くせと判示したことになる。 よって、もし「顕著な効果」によって今後本件発明の進歩性が肯定されうるのだとすれば、「本件発明の構成は容易想到」であるにもかかわらず、なお「本件発明は進歩性がある」ということになるだろう。 そういうことが、果たして「二次的考慮説」と整合性があるのか、ということが問題になる。 もし整合性を取るのが難しいのであれば、今回の最判は、「二次的考慮説」の存続に重大な影響を与えることになるのかも知れない。

「二次的考慮説」について飯島先生は次のように解説している。

[同上]
・・・、顕著な効果を進歩性判断の基礎とするとの理解は、・・・特許法29条2項の条文から直接導くことができません。 そのため、これを進歩性判断の構造の中でどのように位置づけるかについて、種々の考え方があり、大きく分類すれば、主引用発明を出発点とする発明の構成の容易想到性判断の中で考慮する一事情とする考え方(二次的考慮説)と、構成の容易想到性とは別の、独立した進歩性の判断要素とする考え方(独立要件説)に分かれます。

飯島先生が解説しているとおり、通説的な「二次的考慮説」とは、発明の効果を「発明の構成の容易想到性判断の中で考慮する一事情とする考え方」だ。 すなわち「二次的考慮説」によれば、「顕著な効果」は、あくまで「発明の構成」が容易想到であるか否かの判断を行うにあたって考慮される一事情に過ぎない。 したがって、もし「顕著な効果」によって進歩性が肯定される場合、「二次的考慮説」では、「顕著な効果を考慮した結果、その発明の構成は容易想到ではない」と結論することになるのだ。

そのように結論するために、「二次的考慮説」論者がどのように考えているかは、4月24日の投稿で取り上げた前田先生の論文にあらわれている。

[前田健, Law and Technology No.82, 2019-1, 33-44 の 38ページ]
請求項に係る発明の構成が奏するであろう効果が、当業者が予測できる範囲を超えていた場合には、当該効果を奏して課題を解決できるだろうと予測できなかったのであり、そのような状況のもとでは、当該構成を採用しようと実際に試みるはずはなかったといえる。

[同 42ページ]
このような考え方は、二次的考慮説から最も説明しやすい。効果を構成の容易想到性の問題に一元化して捉える場合、その構成のものとして予測される範囲を超えていることは、結局、その構成を採用して当該効果が得られるという見込みがなかったことを意味し、そのような場合には、その構成を実際に採用しようとしたであろうとはいえないからである。

ところが上述のとおり本件の場合は、「本件発明の構成は容易想到」であるということが、前訴判決(平成25年(行ケ)10058)においてすでに確定しているわけだ。

この状況で、本件発明の顕著な効果を審理することは、「二次的考慮説」の立場で可能なのだろうか? 可能なのであれば、一体どのように審理するのだろうか。 これは結構興味深い問題ではないか。

なお中村合同の高石秀樹先生が9月26日に公開した今回の最判の解説でも、前訴判決が確定していることと「独立要件説」との関連について次のように論じられている。

[高石秀樹(執筆) 吉田和彦(監修) 中村合同法律特許事務所 9月26日 法情報提供 より]
本最高裁判決及び原判決が進歩性を判断した審決取消訴訟の判決の拘束力の範囲について ・・・ 何れの考え方に立脚したかについては諸説あり得るが、知財高裁(二次)において “動機付けあり、相違点は容易想到” という知財高裁(一次)判決が確定したという経緯であるにもかかわらず、「予測できない顕著な効果」の有無について判断したものであるから、このような経緯を前提とした結論であったとするならば、理論的・形式的には、・・・、進歩性判断における「予測できない顕著な効果」の位置付けについては “独立要件説” に親和的であったと評価できる。
(但し、上記の高石解説では、「もっとも、本最高裁判決及び原判決は、・・・ 何れの考え方に立脚するかという点を棚上げにしたものとも理解可能である。」とも論じられている。)

このように、飯島先生も高石先生も、今回の最判は「独立要件説」に近いと論じており、「二次的考慮説」には苦しい状況だ。 この状況で「二次的考慮説」が採りうる立場をいくつか考えてみる。

(1)「本件発明の構成」が容易想到である以上、「顕著な効果」があっても進歩性はないと考える。

「二次的考慮説」が採りうる一つ目の立場は、「本件発明の構成」が容易想到である以上、「顕著な効果」があっても進歩性はないと考える立場だ。 なおこの考え方は、上で触れた9月26日の高石解説の「3(1)」の前半部分で紹介されている考え方と同じだ。

上記のとおり、通説的「二次的考慮説」において「発明の効果」は、あくまで「発明の構成」が容易か否かを判断するために考慮されるに過ぎない。 そして前訴判決では「本件発明の構成は容易」だと判示され、その判断は確定しているわけだ。 これを文字通りに捉えるのであれば、「本件発明の構成は容易」だということが確定している以上、「発明の効果」がどうであれ、「本件発明の構成は容易」ということは動かしようがないのだから、「顕著な効果」があっても進歩性はないと考えざるを得ないだろう。 こう考えると、この立場こそ、通説的「二次的考慮説」論者が採れる唯一の立場だとさえ思えてくる。

では、そもそも原審(平成29(行ケ)10003)ではなぜ「効果の程度」が判断されたのだろうか? これについては、次のように考えればよいだろう。

つまり、「本件発明の構成」が容易想到である以上、「効果の程度」を考慮するまでもなく進歩性はないのではあるが、原審では、「効果の程度」を考慮したとしても「顕著な効果」とは言えないので進歩性は認められないことについて確認的に判断したのだと捉えるのだ。

そして最判(平成30(行ヒ)69)は、原審が確認的に行った判断の判断手法に関して文句を言っただけで、別に「顕著な効果」があれば本件の進歩性の判断が変わりうることを示唆したわけではないと捉える。

したがって、たとえ差戻審において「顕著な効果」が肯定されるとしても、進歩性がないという結論は変わらないということになる。 つまり最判は、「進歩性なし」という原審判決の結果にとっては意味のないことを判示したことになる。 見る人によっては、この(1)の立場は最判に肩透かしを食らわせるような立場に見えるかも知れない。

(2)「顕著な効果」がある場合は、「本件発明の構成」は容易想到ではないと考える(修正主義)。

「二次的考慮説」が採りうる二つ目の立場は、「顕著な効果」がある場合は、「本件発明の構成」は容易想到ではないと考え直すという立場だ。

「効果の程度」を考慮しない場合には、「本件発明の構成」は容易想到であるが、「顕著な効果」がある場合は、「本件発明の構成」は容易想到ではないと考えるのだ。 発明が持つ予想外の効果は、発明を行い、それを実施して、結果を見てみなければ分からないものだが、その結果、「予想外の効果」がない場合は「本件発明の構成」は容易想到だと考え、「予想外の効果」があった場合は「本件発明の構成」は容易想到ではないと考えるのだ。 この考え方は、発明を行った結果を見てから、発明をすることの容易想到性(すなわち「発明の構成」の容易想到性)を決めるという、過去を書き換えるような考え方であることから、私は「修正主義」と呼んでいる(2019年04月24日の投稿を参照)。

そして、たとえ前訴判決(平成25年(行ケ)10058)において、「効果の程度」を考慮しない場合の「本件発明の構成」が容易想到だと判断され、それに拘束力が生じているとしても、「顕著な効果」を認定した上で「本件発明の構成」を容易想到ではないと判断することは、前訴判決の拘束力に違反しないと捉える。

「効果の程度」を考慮しない場合の「本件発明の構成」と、「顕著な効果」を認定した場合の「本件発明の構成」は、たとえ「発明の構成」は同じであっても違うのだと考える(そんなことが可能なのか?)。

この考え方は分かりにくいし、人によっては受け入れがたい考え方かも知れない。 容易であることが確定しているものを、容易ではないと言い直すことになるのだからね。 しかもこの考え方は、進歩性を認めるか否かという最終結論において、独立要件説と違いが生じるのかがよく分からない。 但し、「修正主義」であることを露呈させてはばからないという点については、次の(3)よりは潔いと言えるかも知れない(笑)。

(3)「本件発明の構成」が容易想到であっても、それは「本件発明」の容易想到性とは別物だと捉える。

「二次的考慮説」が採りうる三つ目の立場は、「本件発明の構成」が容易想到であっても、それは「本件発明」の容易想到性とは別物だと捉える考え方だ。

「本件発明」は、あくまで発明の構成とその効果等が一体となったものであるので、「本件発明の構成」が容易想到であることは、「本件発明」が容易想到であることを意味するものではないと考える。 そして、「顕著な効果」がある場合は、「本件発明の構成」が容易想到であっても、「顕著な効果」と一体のものとして捉えた「本件発明」は容易想到ではないと判断することはできるのであり、効果の程度を一切考慮せずに結論を出した前訴判決(平成25年(行ケ)10058)の拘束力は及ばないと捉えるのだ。

ちなみに発明の容易想到性を判断するにあたって、「発明の構成」の容易想到性のみに着目するのではなく、「効果」をも考慮した「技術的思想」(構成及び効果)として発明を捉えて容易想到性を判断した知財高裁の裁判例があることについて、高石秀樹先生が2016年2月の投稿において論じている(「破袋機」事件;平成27年(行ケ)10035)。

また、9月26日の高石解説でも、「3(1)」の後半部分に次のように記載されている。

[高石秀樹(執筆) 吉田和彦(監修) 中村合同法律特許事務所 9月26日 法情報提供
もっとも、発明とは「技術的思想」であるから(特許法2条1項)、構成のみではなく、課題及びその解決原理も含むと理解されている。それ故、本件発明と主引用発明との課題が異なることを理由に副引例発明との組み合わせの動機付けが否定され、進歩性が認められた裁判例が多数存在する。

この考え方を押し進めると、「発明」は構成及び課題(+解決原理)であるところ、更に、課題と密接に関連する「効果」も「発明」に含まれ、容易想到性の判断対象となりうるのである。そう考えれば、構成自体が容易想到であるとしても、未だ「発明」が容易想到か否かは結論されておらず、「課題」や「効果」の容易想到性もなお問題となると考えられる。

しかしこの考え方は、実質的には上記の(2)と変わらないようにも思う。 上記の(2)の考え方は、「効果を考慮して発明の構成を捉えている」のに対し、(3)はそれを「技術的思想」と言い換えただけではないか? それに上記(2)と同様に、もし「顕著な効果」があれば「技術的思想として容易ではない」とみなすというのなら、それは事実上「独立要件説」と変わるところがないようにも思う。 なお高石先生は、上で示した2016年2月の解説投稿で「破袋機」事件判決の考え方が「二次的考慮説」(間接事実説)に親和的である旨を解説しているが、8月27日の私の投稿の最後にも書いたとおり、「独立要件説」を採っているようにみえる「シュープレス用ベルト事件」判決(平成24年(行ケ)10004)でさえ高石先生は「二次的考慮説」に親和性がある旨を解説している(前田先生も同様)。 しかしそうなると、「二次的考慮説」は「独立要件説」と何が違うのか本当に分からなくなる。

「シュープレス用ベルト事件」判決がなぜ「二次的考慮説」に親和的であるのかについて、9月26日の高石解説は、裁判所が「甲第2号証に接した当業者が,・・・ 動機付けられることがあるとしても,本件発明1が,・・・ ,当業者といえども予測することができない顕著な効果を奏するものであることに照らせば,本件発明1は,当業者が容易に想到するものであるとはいえず,進歩性があると認められる ・・・ 」と判示していることを指摘し、『同判決は、「動機付けられることがあるとしても ・・・」と述べながら、結論としては、「本件発明1は,当業者が容易に想到するものであるとはいえず」と結論付けていることから、“従属要件説”(=二次的考慮説・・・ )に立つと理解できる。』と論じている。 しかし、判決文の最後のシメのところに「当業者が容易に想到するものであるとはいえず」というフレーズをポコッと入れたら、それだけで「二次的考慮説」に分類されるというのが高石先生の分類分けなのだろうか? もしそうだとしたら、8月27日の投稿の最後でも書いた通り、そういう「二次的考慮説」は、やっぱり「独立要件説」と変わるところはないよね、ということになると思う。

もし「二次的考慮説」論者が(2)(3)のような考え方を採るのなら、「独立要件説」と何が違うのかが明らかにされなければならないだろう。 もし「二次的考慮説」と「独立要件説」とで、進歩性の有無に関する結論に差が生じないのなら、そんな「二次的考慮説」など要らない、ということにもなりそうだ。

なお、9月26日の高石解説によれば、「二次的考慮説」論者であるはずの神戸大の前田健先生が、本事件において、上告人(特許権者)側の鑑定意見書を書いておられるのだそうだ。 私は、2019年4月24日の投稿「『修正主義』としての『発明の効果』の意義論」を書いているときから、前田先生は “隠れ独立要件説” 的だと思っていたから別に驚きはないが、ご自身が「二次的考慮説」とどのように整合性をとられているのかが気になる。 前田先生がいずれ出すであろう論文を待ちたいが、意見書を書いたことによって、今後の論考において心理的な不自由さが生じないか少し心配だ。 学者は当然そういうことから自由であるべきだから、上告人がびっくりするような論文が出ることを期待したい(笑)。

*   *   *

さて、他人の説を取り上げるだけでは何なので、私の進歩性の考え方を採る場合に今回の事件をどう捉えられるのかについても考えてみたい。 上で取り上げた「二次的考慮説」と同様、私の考え方でも苦しいことに変わりはないが、無理やり考えてみよう。

私の考え方とは、2019年8月30日の投稿や前回の投稿でも書いたとおりで、進歩性を2つの要件で判断する。 1つ目の要件(進歩性の第1要件)は、「放っておいても近々誰かが発明するようなものか?、あるいは発明まで一本道であったか?」を問うもので、「予想外の発明の効果」によって判断が左右されない要件だ。 そして、もし答えが Yes である場合は進歩性は否定される。 2つ目の要件(進歩性の第2要件)は、「“発明の効果” 等を考慮して、ありきたりな発明のたぐいだと評されるか?」を問う「意味づけ要件」だ。 これは「予想外の発明の効果」によって判断が左右されうる要件だ。 そして、もし「ありきたりな発明のたぐいだと評される」のであれば、やはり進歩性は否定される(下図)。

[あるべき進歩性の判断手順]
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進歩性を二段階で判断するという点では、上記の考え方は「独立要件説」と似たところがあると言えるのかも知れない。 しかし「独立要件説」は、「発明の構成が容易ではないこと」と「顕著な効果」という2つの要件のどちらか1つでもを満たせば進歩性が肯定されるのに対し、私の場合は、上記の「第1要件」と「第2要件」を両方とも満たさなければ進歩性は認められないという点で、独立要件説とは異なっている。

ところで前訴判決(平成25年(行ケ)10058) は、「効果の程度」を考慮しない場合の本件発明(すなわち「本件発明の構成」)は容易だと判断した。 具体的には、本件発明の化合物が、ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(ヒト結膜肥満細胞安定化作用)を有することを確認し、その作用を発揮させるための用途に用いることは容易想到だと判断した。 この前訴判決を私の考え方で捉える場合、判決が行った「容易想到」という判断は、私の言うところの第1要件(予想外の効果に依存しない要件)の判断なのか、それとも、第2要件(予想外の効果に依存する要件)の判断なのか、ということが問題となる。 つまり前訴判決は、「放っておいても誰かが本件化合物にはヒスタミン遊離抑制効果が存在すること(すなわち本件発明の構成)を発見することは時間の問題であった、あるいは一本道であったから容易」(進歩性第1要件)だという趣旨で判断したのだろうか、それとも、「本件化合物にヒスタミン遊離抑制効果が存在するというだけでは、でたらめ・ありきたりの域を出ないと評されるから容易」(進歩性第2要件)だという趣旨で判断したのだろうか。 このように、前訴判決の判断が「第1要件」の意味で「容易」だと判断したという解釈と、「第2要件」の意味で「容易」だと判断したという解釈が可能な場合、どちらの解釈を採るかによって、以下のように捉え方は変わってくることになる。

(A)前訴判決が「進歩性第1要件」を判断したと捉える場合

前訴判決は、「放っておいても本件化合物にヒスタミン遊離抑制効果が存在することの発見(すなわち本件発明の構成)に誰かがたどり着くことは時間の問題であった、あるいは一本道であったから容易」(進歩性第1要件)だと判断したのだと捉える場合は、上記(1)とほぼ同じこととなる。 すなわち、放っておいても誰かが本件発明の構成に到達することは容易だということが前訴判決において確定している以上、「顕著な効果」があっても進歩性はないと考えるほかない。

第1要件を満たさない以上、「顕著な効果」を考慮するまでもなく進歩性はないのではあるが、原審(平成29(行ケ)10003)では、「効果の程度」を考慮したとしても「顕著な効果」とは言えないので、第2要件の観点からも進歩性は認められないということについて確認的に判断したのだと捉える。

そして最判は、原審が確認的に行った判断の判断手法に関して文句を言っただけで、別に「顕著な効果」があれば本件の進歩性を認めうると言ったわけではないと捉える。

したがって、たとえ差戻審で「顕著な効果」を肯定したとしても、進歩性がないという結論は変わらない。

(B)前訴判決が「進歩性第2要件」(意味づけ要件)を判断したと捉える場合

上で説明したとおり、私の考え方においては、第1要件と第2要件の両方が満たされない限り、進歩性は認められない。 したがって、進歩性の判断順序についても、必ず第1要件から判断しなければならないというものではなく、もし第2要件が否定されるのであれば、第2要件だけを判断して進歩性を否定してもよいわけだ。 そして、前訴判決(平成25年(行ケ)10058)はそのような判断だったと捉えるのだ。

この場合、前訴判決は「効果の程度」を考慮しない本件発明は「でたらめ・ありきたり」のたぐいだと評されるから容易だと判断したのだと捉える。 したがって、「顕著な効果」があった場合になお「でたらめ・ありきたり」のたぐいだと評されるかについては前訴判決は判断していないのであり、その場合の判断には拘束力は及ばない。また、前訴判決は「第1要件」についても判断はしていないので、それに対しても拘束力は及ばないと捉える。

したがって、審理しうる事項に関して、原審(平成29(行ケ)10003)は広いフリーハンドを持っていた。 そして原審では、とりあえず「顕著な効果」を否定し、「第2要件」によって進歩性を否定したと捉える。

そして最判は、原審が行った「顕著な効果」の判断手法に関して文句を言っただけで、別に「顕著な効果」があれば本件の進歩性を認めろと言ったわけではないと捉える。

差戻審では、「顕著な効果の有無」を再審理して、再び「顕著な効果なし」で「第2要件」により進歩性を否定することもできるし、「第1要件」を判断して進歩性を否定することもできる(とはいえ最判は顕著な効果について審理を尽くさせるため、と説示しているから、「第1要件」で進歩性を否定する場合であっても、「第2要件」を判断することは求められるだろうが。)。 もちろん、「第1要件」も「第2要件」も肯定して進歩性を肯定することもできる。

ということで、昨年の6月22日の投稿で私は、『一般論としては、効果の「程度」について、無効を訴えた当事者が主張しておらず、裁判所によって判断もされていないときに、それを別訴で争うことは認められるべきだとは思う』と気楽に書いたけれど、それは「顕著な効果」を考慮するか否かで進歩性の有無についての結論が変わりうる以上、それを審理することは「蒸し返し」ではないし、前訴判決ではあえてその部分は避けて審理されていたように見えたからだ。 しかし今回よく考えてみて、「独立要件説」を採るのならともかく、私の考え方で前訴判決(平成25年(行ケ)10058)との整合性を取ろうと考えると、上記のように結構苦しいという気が、今はしている。 それでも、上記のような考え方が採りえないとまでは言えないと思うし、特に(B)の考え方は原審や差戻審に対して広い自由度を与えられる考え方でもあるから、とりあえず上記の(B)の捉え方を推しておこうかな、と思っている。

とはいえ、そもそも私の考え方は誰も採用していないし、上で書いたいずれの捉え方も、判決を行った裁判官の人たちがそう考えていたはずもなく、あくまで判決の「解釈」(創造的解釈(笑))に過ぎないのではあるが・・・。

*   *   *

「第1要件」について

私のいう「第1要件」は「発明に至ることが時間の問題、あるいは一本道であったか」を問うものであるが、「時間の問題であったか」というのは、いわば「時間的要件」だと言えるし、「一本道であったか」というのは、いわば「空間的必達性」みたいなものだ。 これらはつまるところ、「本件発明に至るのに、本件発明は必要なのか?」 を問う要件であり、いわば「自然到達性」、もっと正確に言えば「本件発明非依存的到達性」を問うものだ。 もっとズバリと言ってしまえば「依拠性要件」(あるいは、依拠性とまでは言えなくても、依拠性に比例する要件)だ。 例えば、本件発明が特許されたとして、その特許存続期間中に、第三者が本件発明に該当する発明を実施したとする。 その場合に特許法は、その第三者に対して特許権を行使することを許し、その際に、著作権法とは違ってその第三者の実施が本件発明に依拠していることをいちいち証明する必要はないが、なぜ証明する必要がないのかと言えば、それは「進歩性要件」によって依拠性が擬制的に担保されているからなのだというのが私の考え方だ(Sotoku 6号の脚注111参照)。 だから、ある発明が特許された場合に、「同じ発明を当業者が独自に発明して実施するなどということは、そうそう起こらないだろう」(=「その発明を第三者が実施したということは、本件発明に依拠しているのだろう」)とみなせる状態が、特許存続期間の丸々20年かはともかく、少なくともある程度の期間はおおむね担保されることを、「進歩性要件」が担っているのだと私は考えている(39条や79条は例外処理みたいなもの、ということ)。

逆に言えば、「第1要件」とはそういう要件なのだから、到達することが技術的手法として困難(険しい道)である必要はない。 たとえ技術的手法としての困難性はなくても、本件発明に至るには膨大な数の選択肢(つまり平坦ではあっても、たくさんの分かれ道)がある場合、すべての選択肢が試されるのが時間の問題であったという特別な事情があるのならともかく、そうでないのなら、多数の選択肢をすべて試すのは困難というべきであるから、本件発明が選んだ特定の選択肢を選択することは時間の問題、あるいは一本道であったとは言えないだろう。 したがって、そうした発明は「第1要件」をクリアできる。

ところが、現在の進歩性判断の実務では、個々の選択肢を試す手法が容易であったというだけで、すべての選択肢(本件発明の構成に該当する選択肢を含む)を「容易」だとみなしてしまうことが多い(例えばSotoku 10号の脚注38で引用した特許庁の宮崎先生の1000個の化合物を作る例など)。 その上で、顕著な効果があったものだけは例外的に「進歩性がある」とみなす実務が行われている(すなわち「独立要件説」的な判断)。 しかし、個々の選択肢を試す手法が容易であったというだけで、すべての選択肢(本件発明の構成に該当する選択肢を含む)を「容易」だとみなすのは「第1要件」を判断したことにはならない。 「第1要件」は、あくまで本件発明という特定の選択肢にたどり着くことが時間の問題、あるいは一本道であったかを問うているのであって、本件発明という特定の選択肢を他の選択肢とは切り離して焦点を当てた上で、その発明をすることに技術的困難性がなかったのか(平坦な道であったか)を問うているのではない。 「発明に至る道が平坦である」ことと、「発明に至ることが時間の問題、あるいは一本道であった」ことは、似て非なることだ。 このように、現在の進歩性判断の実務では、私のいう「第1要件」は検討されていない場合が多いのではないかと思っている。

例えば前訴判決において裁判所は、「以上によれば,甲1及び甲4に接した当業者は,甲1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる動機付けがあり,その適用を試みる際に,KW-4679が,ヒト結膜の肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどに対する拮抗作用を有することを確認するとともに,ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有することを確認する動機付けがあるというべき」(判決文PDF 91ページ)と判示している(「KW-4679」とは本件発明の化合物の一つ)。 この判断にしても、私のいう「第1要件」を判断したのかといえば微妙だ。 前訴判決は、甲1及び甲4に接した当業者は、本件発明という構成を試すことは容易であったということを判断したに過ぎず、当業者が甲1及び甲4に接して本件発明に至ることが時間の問題、あるいは一本道であったと判断したわけではないように見える。

したがって、実際には前訴判決(平成25年(行ケ)10058)が上記の(A)の判断を行ったとみなすことはできないかも知れない。 その場合、私の考え方に基づいて前訴判決を解釈するとすれば、せいぜい、上記(B)の判断を行ったとみなすことにするか、あるいは、前訴判決は本来行うべき判断を行わずに進歩性を否定した判決だということになるのかも知れない。

このように、たとえ発明の構成は容易だと判断した上で、顕著な効果により進歩性を認めている例(すなわち「独立要件説」的な判断をしている例)があるとしても、その多くは、試すことが容易であったことをもって発明の構成は容易だと判断しているだけで、私のいう「第1要件」は検討していない可能性がある。 したがってそうした発明は、実際には、「第1要件」をクリアできるものが多かった(すなわち、私の考え方でも進歩性は肯定されていた)のかも知れない。 個々の選択肢を試すことが容易であったというだけで、すべての選択肢を「容易」だとみなすという現在の判断実務は、「本件発明の構成にたどり着くことが時間の問題、あるいは一本道であったのか」ということを必ずしも検討することなく「発明の構成」の容易想到性を肯定してしまうことになるが、それでは本当は容易にはたどり着けないものを容易にたどり着けると判断することになってしまう。 その欠陥は、顕著な効果があるものを救済することでほぼ補われてはいるのだろうが、本来あるべき進歩性の判断規範からはずれが生じうるだろう。 根本的な解決を目指すなら、進歩性の判断において、本件発明に到達するまでの「時間的要件」や「一本道性」を考慮要素として取り込む必要があり、そのためには、例えば選択肢の「数」(すなわち「選択の容易性」)を考慮要素とする必要がある。 「ピリミジン誘導体事件」判決(平成28(行ケ)10182、10184)は、(副引例中の)選択肢の「数」が考慮要素であることを正面から認めた判決として画期的だったとは言えるが、考慮すべきは「副引用発明」の選択の容易性に留まるものではない。 4月16日の投稿で書いたように、「主引用発明の選択の容易性」も、考慮する必要が生じる場面はあるのだろうと私は考えている(たとえそれが必要なケースは多くはないとしても)。

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「第2要件」(意味づけ要件)について

「意味づけ要件」などという呼び方は、いかにも「曖昧」、「主観的」、「予測可能性が低い」などと言われそうではあるが、私は、進歩性判断において、結局はそこは避けて通れないことなのだという気がしている。 例えば上記の(2)(3)の考え方、すなわち、効果が大したことがない場合は「発明の構成」は容易だと考えるのに、顕著な効果がある場合は、一転してその「発明の構成」は容易ではないと考えたり、効果が大したことがない場合は、その発明は「技術的思想の創作」として容易だと考えるのに、顕著な効果がある場合は、その発明は「技術的思想の創作」として容易ではないなどと考えるというのは、結局のことろ、発明の効果によって発明に対する意味づけを変えていることに他ならないのだと思う。 私は、単にそれを潔く認めて要件としただけであって、上記の(2)(3)のような考え方とくらべて予測性や客観性が下がるものではないし、むしろ上記の(2)(3)の考え方にかなり近いはずだと思う。

例えば、特許庁の現行の審査基準(第III部 第2章 第2節 3.)に記載されている「図 論理付けのための主な要素」(9月26日の高石解説にも引用されている)は、発明の構成の容易想到性に関連すると思われる「技術分野の関連性」や「課題の共通性」、「阻害要因」などの要素と、「有利な効果」というまったく異なるものを天秤にかけて進歩性を判断するという感じの図になっている(下図)。

[特許庁 審査基準 第III部 第2章 第2節 3. の 図]
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しかし、そもそも「有利な効果」が、他の要素と同じ天秤に乗るのかという疑問があるし、どちらが重いかをどうやって判断するのかもよく分からない。 それに比べれば、私の考え方は「顕著な効果」を、発明に到達することの容易性(進歩性 第1要件)とは切り分けて、「でたらめ・ありきたり」とは思えないほどのものか、という別の観点(進歩性 第2要件)の中で考慮しようとするものだから、まだ分かりやすいのではないか。

Sotoku 10号の脚注38にも書いたとおり、そもそも「意味づけ」という言葉は、特許庁の宮崎賢司先生の論文『間接事実説なのか、独立要件説なのか,それとも?』(tokugikon 2018.5.31. no.289, 156-170 )の脚注50でいわばキーワード的に使われている言葉を採ったもので、宮崎論文では、「意味づけ」という言葉を加藤志麻子先生の論文(パテント Vol. 61 No. 10(2008)86-102の91ページ)から採ったと書かれている。 したがって、「意味づけ」という考え方は、二人の先生方の考え方に親和性があるはずだ。 また、宮崎先生自身は、発明というものを、課題(目的)・構成・効果の三要素を含む「技術的思想」の創作だと捉えて容易想到性を判断することを論じており(技術的思想の創作説)、そうした考え方は上記の(3)に近いと思われるが、宮崎論文を読むかぎり、宮崎先生は自身の考え方は「二次的考慮説」よりも「独立要件説」に近いと考えているようで、論文の166頁では、「独立要件説」を「技術的思想の創作説」(宮崎先生ご自身の説)と捉えることを提唱されている。 そういう宮崎論文にもし理があるのだとすれば、「技術的思想」という概念や「独立要件説」さえも、発明に対する「意味づけ」と無関係ではないことが示唆されるだろう。

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最後に、通説的な「独立要件説」論者が採っている理屈を批判して本稿を終わりにしたい。

冒頭で紹介した飯島歩先生の評釈では、「独立要件説」を正当化する理屈として、知財高裁が行った判決(平成24(行ケ)10415;「血清コレステロール低下剤」事件, 平成25年10月3日判決)における以下の説示が引用されている。

平成24(行ケ)10415;判決文PDF 43-44ページ]
・・・,発明が引用発明から容易想到であったか否かを判断するに当たっては,当該発明と引用発明とを対比して,当該発明と引用発明との構成上の相違点を確定した上で,当業者が,引用発明に他の公知発明又は周知技術とを組み合わせることによって,引用発明において相違点に係る当該発明の構成を採用することを想到することが容易であったか否かによって判断するのを原則とするが,例外的に,相違点に係る構成自体の容易想到性が認められる場合であっても,当該発明が奏する作用効果が当該発明の構成そのものから当業者が予測し難い顕著なものであるときは,その作用効果が顕著である点において当該発明は特許法の目的である産業の発展に寄与(同法1条)するものとして進歩性を認めるべきであるから,当該発明が引用発明から容易想到であったとはいえないものと解するのが相当である。

つまり裁判所は、相違点に係る「発明の構成」は容易想到であっても、顕著な効果がある場合は進歩性を認めるのが相当だと説いている。 確かに、この説示は「独立要件説」と言っていいだろう。 ちなみに、9月26日の高石解説でも、この判決は「“独立要件説” に立ったと考えられる裁判例」の項目の中で紹介されている。

ちなみにこの判決を行ったのは、本件前訴判決(平成25年(行ケ)10058;平成26年7月30日判決)を行ったのと同じ知財高裁第4部(富田善範裁判長)だ。 しかも二つの判決は時期的にもかなり近い。 富田判事が「独立要件説」を採っているのであれば、前訴判決においても、裁判所の審理は「独立要件説」的な思考形式で行われた可能性は高いのかも知れない(だからこそ、「二次的考慮説」や私の説の立場から、前訴判決の確定を前提にして今回の事件を説明しようとすると上記のように苦労するわけだ。)。

さて、上記の裁判所の説示では、「当該発明が奏する作用効果が・・・予測し難い顕著なものであるときは,その作用効果が顕著である点において当該発明は特許法の目的である産業の発展に寄与(同法1条)するものとして進歩性を認めるべきである」と説かれている。 この考え方は、早田尚貴先生の論稿(知的財産法の理論と実務 第2巻, 新日本法規出版 (2007) 403-432 の 418ページ)で分類されている「独立要件説1」に相当する考え方であり、飯島先生は昨年出された論文(知財管理 Vol. 68, No. 9 (2018) 1275-1288 の 脚注46)で、玉井克哉先生の論文(私が昨年6月22日の投稿で取り上げたもの)もこの立場だと論じている。

「顕著な効果がある発明は産業の発展に寄与する」というのは正しいのか?、ということはとりあえず不問にし、それは正しいと仮定しよう。 私が上記の裁判所の説示に対して問いたいのは、「産業の発展に寄与する発明に特許権を与える」ということは、特許法の法目的(同法1条)に合致するのか、ということだ。 換言すれば、「産業の発展に寄与する発明に20年の独占権を与えることは、“もって産業の発展に寄与する” のか」ということだ。 もっと分かりやすく言えば、「産業の発展に寄与する発明に対しては、その発明に20年の独占権を与えることが産業の発展に寄与するのかを問うことなく、20年の独占権を与えることが特許法の法目的なのか」ということだ。

「産業の発展に寄与する発明に独占権を与える」ことと、「発明の保護及び利用を図ることにより、・・・、もって産業の発展に寄与する」(同法1条)こととは異なる。 「産業の発展に寄与する発明」に独占権を与えれば産業の発展に寄与するということを誰も証明していない以上、後者を前者に読み替えるような説示を看過することはできない。 特許法1条は、「産業の発展に寄与する」ように発明の「保護 “及び利用” 」を図ろうと言っているのであって、産業の発展に寄与するか否かを不問として「産業の発展に寄与する発明」に独占権を与えようと言っているのではない。

例えば、当業者がその発明を行うのは時間の問題であった場合でも、その発明に予測を超える顕著な効果がある場合は、いち早く出願した者に20年の独占権を与えることが産業の発展に寄与するのか? 皆がいずれたどり着くような発明は、皆がたどり着くことに任せ、その「顕著な効果がある発明(すなわち、産業の発展に寄与する発明)」を皆が早期に自由に利用できるようにすることの方が、むしろ産業の発展に寄与するのではないか?

このように考えると、上記の裁判所の説示は特許法1条を読み誤っていることは明らかであるように見えるし、もし、こうした理屈が「独立要件説」が拠って立つ根拠なのだとすれば、「独立要件説」の正当性は疑わしいというべきだろう。

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以上のとおり、今回の事件は、本件発明の構成が容易想到だと判示した前訴判決が確定しているにも関わらず、なお審理を尽くせと最判が判示したという点で、「二次的考慮説」に対して難題を突き付ける事件だと言えるかも知れない。 しかし、だからと言って「独立要件説」の正当性が疑わしいのは上記のとおりだ。

この難題にどう立ち向うか。

安易に「独立要件説」に日和ったり、最判に忖度したりすることなく、制度趣旨から説き起こした議論がなされることを期待したい。

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参考論考:
田中汞介『最高裁は効果の独立要件説を採ったのか?』(特許法の八衢)2019年8月31日

田中汞介『 最三小判令和元年8月27日(平成30年(行ヒ)第69号)後の差戻審についての覚書』(特許法の八衢)2019年9月1日

飯島歩『進歩性判断における予測できない顕著な効果の位置付けに関するドキセピン誘導体含有局所的眼科用処方物事件最高裁判決について』(イノベンティア・リーガル・アップデート)2019年9月16日

田中汞介『続・最高裁は効果の独立要件説を採ったのか?』(特許法の八衢)2019年9月23日
(この投稿でも飯島歩先生の評論を題材に考察が進められており、最高裁は「【・・・独立要件説および二次的考慮説のいずれの立場を採るかはブランクのまま、さしあたり、効果顕著性については(・・・)・・・判断手法を是正し(効果顕著性の判断手法を統一し)ようとした】と理解することも十分にできるのではないか」と結論されている。)

高石秀樹(執筆) 吉田和彦(監修) 『【特許★★★】「ヒトにおけるアレルギー性眼疾患を処置するための点眼剤」事件  〜進歩性判断時に、「予測できない顕著な効果」は、他の化合物と比較するのではなく、発明の構成自体から優先日当時に当業者が予測できたか否かの問題であると判断した最高裁判決〜』(中村合同法律特許事務所HP 法情報提供)2019年9月26日
(この解説は、飯島先生の評論とも共通部分は多い。 もともと今回の私の投稿は、飯島先生の評論を題材に書き始めたものだが、ほぼ書き終えたころにこの高石解説が公開されたため、これを受けて修正を行った。)


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする