2020年01月28日

高林龍判例解説『進歩性判断における顕著な効果の位置付け』(年報知的財産法2019-2000 日本評論社 24-32 2019)


昨年の年末に出版された『年報知的財産法2019-2020』(日本評論社 2019)に、「アレルギー眼疾患事件」(発明の名称「アレルギー性眼疾患を処置するためのドキセピン誘導体を含有する局所的眼科用処方物」)の最判(平成30年(行ヒ)69)に対する高林龍先生の評釈が掲載されている。

評釈は全体として、今回の最判は事例判断に過ぎず、射程は極めて狭く、「独立要件説」と「二次的考慮説」の対立について判示したものでもないというスタンスをとっている。 最判を批判せず、かつ最判の影響は最小限に留まることを論じる高林解説は、バランスと配慮の効いた論文だと評することはできるかも知れない。

しかし褒めるだけではなんなので、高林先生には大変失礼ながら、曖昧に書かれている部分は多少勝手に解釈しつつ、今回の高林解説について批判的に感想を書いてみたい。

1.独立要件説と二次的考慮説の違いは「言葉の問題」に過ぎないのか

進歩性の判断における効果の意義について高林解説の28-29頁では、「独立要件説」と「二次的考慮説」が説明された上で、以下のように論じられている。

[29ページ](強調を追加)
いずれにせよ効果の顕著性が進歩性の判断過程において考慮されるのであれば、独立要件説と二次的考慮説の差異はほとんどないといってよく、特許庁や裁判所内部での運用や解釈が必ずしも統一されていなくとも、結果に大きな差が生じていないのだろうと予想できる 17) ・・・

そして脚注17では以下のように論じられている。

[29ページ 脚注17](下線及び強調を追加;以下同様)
効果を参酌するまでもなく構成が容易想到であると判断できる場合とは、通例は構成が奏する効果は当該構成を採用することで当然に導かれる想定内のものにすぎない場合ということもできるだろう。この場合に効果を参酌することなく構成の容易想到性が判断されているというのかどうかは、言葉の問題にすぎないように思われるし、このような判断過程を経る出願が多いのが現状であろうかと思われる。

上に下線で示したとおり高林先生は、「効果を参酌するまでもなく構成が容易想到であると判断できる場合とは、通例は構成が奏する効果は当該構成を採用することで当然に導かれる想定内のものにすぎない場合ということもできるだろう」という。 確かに “通例” はそうなのかも知れない。 しかし「予想外の効果」というものは、“通例” ではないからこそ「予想外」なのだから、“通例” の場合だけを考えるのでは意味がない。

もし高林解説が言うように、「構成が奏する効果は当該構成を採用することで当然に導かれる想定内のものにすぎない場合」が「効果を参酌するまでもなく構成が容易想到であると判断できる場合」だというのなら、まったく同じ構成を採用した結果、効果が想定外に顕著だった場合は何というのだろうか?

その場合は、「その構成は容易想到ではない」とでもいうのだろうか? まったく同じ構成であるにもかかわらず、効果が想定内であった場合は「効果を参酌するまでもなく構成が容易想到」だといい、効果が想定外であった場合は「効果を参酌した結果、構成が容易想到ではない」ということにするのか?

もし高林先生の考える「二次的考慮説」がそのような説なのだとすれば、そのような考え方こそ、私が常々批判しているところの「修正主義」(2019年4月24日の投稿などを参照)であり、欺瞞というべきものだ。 効果が予想外か否かを見てから構成が容易想到かどうかを決めるのなら、そのような「二次的考慮説」が「独立要件説」と同じとなるのは当たり前だ。 「二次的考慮説」をそのように解した上で、「独立要件説」と「二次的考慮説」は「言葉の問題」にすぎないなどと論じるのはトートロジーであって、無意味かつ誤解を生む源だと言わなければならないだろう。

「独立要件説」であれ、高林先生の考えるであろう修正主義的な「二次的考慮説」であれ、不都合が起こる場面は2つある。 1つ目は、膨大な選択肢の中からでたらめに一つの選択肢からなる構成を選んだだけの発明(すなわちその特定の構成を選択することは容易想到とは言えない発明)であって、見るべき効果がまったくない発明に進歩性を認めるか否かという場面であり、2つ目は、発明に到達することが一本道(時間の問題)であった場合でも効果が顕著なら進歩性を認めるのか否かという場面である。

「ピリミジン誘導体事件」の大合議判決(平成28年(行ケ)10182、10184)では、膨大な選択肢の中から一つを選んだ場合は、それだけをもって進歩性は肯定され、効果の検討は不要とされた。 しかしそのような考え方では、でたらめに選んだだけの発明の進歩性を否定することができない点で不都合があり、私はそのことをSotoku 10号(「9.」節)で指摘した。 そして今回の「アレルギー眼疾患事件」(平成30年(行ヒ)69)は、それが調べられるのは時間の問題になっていたとも思われる発明の効果が「顕著」であった場合に、進歩性は肯定されるのかが問われている(2019年8月30日の投稿を参照)。

すなわち、これは「言葉の問題」などではなく、現実に起こりうる問題だ。 「二次的考慮説」を修正主義的に理解した上で、「独立要件説」と差がないなどというのは、現実に想定できる問題について見て見ぬふりをするのに等しい。 現実から目をそむけず、「独立要件説」と修正主義的な「二次的考慮説」の両方を否定することが求められているのである。

*   *   *

2.効果が顕著なら進歩性を肯定するのは「理の当然」か

本件判決について高林解説は、次のように解説している。

[29-30頁]
 ・・・、前訴判決を理解するうえでは、まず本件各発明は化学物質のいわゆる用途発明であり、出願前公知の化合物Aをヒト結膜肥満安定化剤の用途に適用することを見出した点に発明としての進歩性が認められるか否かが問われるべき事案であることが重要である。用途発明とはたとえ公知物質であったとしてもこれが奏する未知の効果を見出し、これを新たな用途に適用することに進歩性ばかりでなく新規性も認められるとして特許が成立する場合のことであるから、その用途は特許請求の範囲に構成として記載されており19)、構成が奏する効果も用途と一体不可分のものとして包含されている考えることができるから、独立要件説とか二次的考慮説とかで一般的に論じられるように、構成の容易想到性の判断を効果の顕著性とは別に先行して判断できるのかという点については、用途発明独自の観点からの検討が必要になるように思われる。

ここまでの高林解説については特に異論はない。 続いて高林先生は以下のように論じる。

[30頁]
 本判決は「化合物を発明に係る医薬用途に適用することが容易想到であることを前提とする場合において」と判示したうえで、当該発明の効果が予測できない顕著なものであることを否定した原審の判断手法に違法があるとの判断に進んでいる。この前提事実は、本件審決が、審決取消確定判決(前訴判決)の拘束力20)が及ぶとした、引用例1および引用例2から当業者が本件各発明に至る動機付けがあるとして、化合物Aをヒト結膜肥満安定化剤の用途に適用することは容易想到であるとした判断であり、原判決は当事者に争いがないとして適示している事実であるから、その当否はともかくとして、最高裁としては前提事実として扱うほかない事実ということができよう。その意味では、本判決の前記判示は、一見すると、化合物の用途発明の場合に当該化合物を特定の効果を奏する用途に用いることに思い至ることが容易である場合であっても、その奏する効果が予測できない顕著なものであるか否かはこれとは別に判断できるとの独立要件説に立っているかのようではあるが、実は法律審である最高裁としては原判決の認定した事実として当然に前提とせざるを得ない事実を判示したにすぎないものということができるだろう。
 そうすると、化学物質の用途発明の場合は、前述のとおり、用途は特許請求の範囲に構成として記載されており、構成が奏する効果も用途と一体不可分のものとして包含されている考えることができるから、構成の容易想到性の判断を効果の顕著性とは別に先行して判断できるのかには疑間があるものの、仔細に検討してみるならば、前訴判決は、前審決が、本件発明における「ヒト結膜肥満細胞安定化剤」という発明特定事項は、引用例1及び引用例2から当業者に動機付けられるものとはいえないから進歩性欠如の無効主張は理由がないとした判断は誤りであり、同引用例から動機付けられるとして、その限度での判断に止めて審決を取消したものということができる21)。 そうであるのならば、二次的考慮説に立ったとしても、独立要件説に立ったとしても、審決取消判決確定後の手続きにおいては、効果の顕著性が審理されるべきことになる22) のは理の当然である

ここまでの高林解説も、最後の一文を除けば異論はないし、最判が独立要件説に立っているという解釈を高林解説がはねのけている点はむしろ評価できる。 しかし最後の一文については異論がある。 なぜなら、高林解説が「理の当然」と言っていることは「理の当然」ではないと思うからだ。

高林解説は、「審決取消判決確定後の手続きにおいては、効果の顕著性が審理されるべきことになる」というが、高林解説がそのように論じるのは、効果の程度が進歩性の判断に影響を及ぼしうると考えているからだろう。 しかし、効果の程度が進歩性の判断に必ず影響を及ぼすかどうかは明らかとは言えない。 例えば、「たとえ顕著な効果があっても進歩性は否定されるべき」場合が存在する可能性はないのか? もし本件が、「たとえ顕著な効果があっても進歩性は否定されるべき」場合に該当するのなら、効果の顕著性を審理するまでもなく本件の進歩性は否定されるから、必ずしも「効果の顕著性が審理されるべきことになる」とは言えない。 そして高林解説は、本件が「顕著な効果があっても進歩性は否定されるべき」場合に該当しないこと、あるいは、「顕著な効果があっても進歩性は否定されるべき」場合など一般論としてあり得ないことについて、なんら論証していない。 また高林先生は論文の最後で、「差戻審においては、発明の効果の顕著性が当該発明の構成が奏するものとして当業者が予測した範囲を超えているかとの観点からさらなる検討が加えられることになる」(32頁)と論じ、あたかも効果が「予測した範囲を超えている」場合は進歩性が肯定されるかのような論じ方で論文が閉められているが、上述のとおりそもそも本件が「顕著な効果があっても進歩性は否定されるべき」場合には該当しないことは論証されていないのだから、「効果の顕著性が審理されるべきことになる」などと論じたり、「予測した範囲を超えている」か否かで進歩性の有無が決するかのような論じ方をしたりするのは飛躍があるというべきだろう。

これもまた、高林先生が「二次的考慮説」を修正主義的に理解した上で、世の中には「独立要件説」と「修正主義的二次的考慮説」の二つしかないことを前提に物事を論じていることに起因するのかも知れない。 しかし上の「1.」で述べたとおり、「修正主義的二次的考慮説」というのは、つまるところ「独立要件説」と同じなのであり、顕著な効果があった場合は容易なものを容易ではないと思うことにするという欺瞞の上に成り立っている考え方にすぎない。 世の中に、「独立要件説」と「修正主義的二次的考慮説」の二つしかないと考えること自体が誤りなのである。

*   *   *

本件の場合、本件化合物は抗ヒスタミン剤として既知の化合物であった。 そして本件化合物の一つ(KW-4679)をアレルギー性眼疾患の治療薬として用いることを想定して、モルモットの結膜炎モデルに点眼する実験も本件の特許出願前に行われていた(本件引用例1)。 そして一般に抗ヒスタミン剤は、ヒスタミンと拮抗するだけでなく、肥満細胞からの炎症性メディエーターの遊離を抑制する作用(肥満細胞安定化作用)を持つことがあることも知られていた。 そうすると、本件化合物をアレルギー性眼疾患の治療薬として開発しようとする場合に、この化合物が持つ肥満細胞安定化作用をヒト細胞において調べることになるのは当然であり、自然の流れと言いうるだろう。

仮に本件発明、すなわち、本件化合物を肥満細胞安定化の用途に使用するということが、誰かが行うのも間近だったと評される場合は、この化合物の肥満細胞安定化作用がいかに顕著であろうとも、そのような用途発明(すなわち本件発明)の進歩性は否定すべきだと私は思うが、その意義は「先行者の保護」にある(もし先行発明がパブリックドメインとなっている場合は、パブリックドメインの保護にある)。

例えば上記の本件引用例1の発明者(すなわち先行者)が本件の特許権者とは無関係の者だったとして、引用例1の発明者が、引用例1に記載されているように、モルモットの結膜炎モデルを用いて本件化合物がアレルギー性眼疾患の治療薬として有用であることを見出し、アレルギー性眼疾患の治療薬としてこの化合物を開発しようとしていたとする。 そしてその場合に、この化合物が持つ肥満細胞安定化作用をヒト細胞において調べることになるのは当然であり、自然の流れだったとする。 ところが、本件特許の出願人がいち早くこの化合物の肥満細胞安定化作用を調べ、本件用途発明を出願してしまったとする。 そして引用例1の発明者に対し、この化合物をアレルギー性眼疾患の治療薬として使用すれば、必然的に肥満細胞安定化作用が発揮されることになり、また、薬事当局もこの作用が発揮されることは認めるだろうから、あなたがこの化合物を医薬品として販売したら特許侵害として訴えると警告すれば、引用例1の発明者は医薬品の製造・販売ができなくなってしまうかも知れない。

このように、何人かが発明するのも間近だったものに対し、効果が顕著であったからといって特許を付与することは、先行者に対して強力な不意打ちと妨害を与えることを可能とし、パブリックドメインにあるべきものを奪取することを許すことにもなる。 こうした発明に特許を与えれば医薬品の製品化が促進されるかのように論じる向きもあるが(2019年8月30日の投稿を参照)、このような付加的な効果について目ざとく特許出願を行う者が、医薬品を製品として開発して上市してくれる者である保障はない。 本件の場合、本件化合物の医薬品(製品名:パタノール点眼液)を製品化しているのがたまたま本件特許権者だったから事の不合理さが覆い隠されているが、もし本件用途発明の特許を取得した者が、この化合物を医薬品として開発している者ではなかったとしたら、本医薬品の製品化は、その用途特許により妨害されていたかも知れない。 そうした不意打ち的な妨害を防ぐために特許法29条2項(進歩性要件)は機能すべきなのであり、そのためには、誰かが発明するのも間近だったと評されるものに対しては、その効果の顕著性にかかわらず特許を付与してはならないと考えるべきなのだ。

同じことは、昨年10月2日に投稿した「光学活性ピペリジン誘導体」事件(平成24年(行ケ)10207)のところでも説明した。 二つの異性体の混合物であるラセミ体に生物活性を見出し、これを医薬品として製品化しようとする動機付けが生じるところまで行けば、どちらの異性体に活性があるのかを調べるのは当然であり自然の流れなのだから、それにより必然的に判明すること(すなわちどちらの異性体に活性があり、それによりラセミ体の何倍に活性が上昇するかということ)が、先行者(すなわちラセミ体に最初に生物活性を見出し、これを医薬品として製品化しようとする者)の前に立ちはだかることを許すのは不合理だ。 したがって、容易に分離できる異性体をいち早く分離して「顕著な効果」を見出したからといって、それに特許を付与すべきではないのである。

[2019年10月2日の投稿で掲載した図]
sinposei20191001-1_1940.png

このような理由により、私の言うところの「進歩性 第1要件」(上図)は導かれる。 つまり、たとえ効果が「予測した範囲を超えている」としても、進歩性を認めてはならない場合は確かに「ある」というのが私の考えだ。

したがって、高林解説が言うように、本件の場合に「効果の顕著性が審理されるべきことになるのは理の当然である。」とは言えないし、「差戻審においては、発明の効果の顕著性が当該発明の構成が奏するものとして当業者が予測した範囲を超えているかとの観点からさらなる検討が加えられることになる」のが当然ということもできない。

もっとも、「効果を参酌するまでもなく構成が容易想到であると判断できる場合」と「構成が奏する効果は当該構成を採用することで当然に導かれる想定内のものにすぎない場合」を半ば同一視(脚注17)する高林解説からすれば、誰かが発明するのも間近だった場合は、よほど顕著な効果があっても強引に「効果は想定内」だとみなせばよいと高林先生は考えているのかも知れない。 しかしそうした点について今回の高林解説では触れられておらず、本件において進歩性を認めるほどの「顕著な効果」とは何なのか、または、そのような場合が本当にありうるのかということについて明確な問題提起をしないまま、論文の最後において、「予測した範囲」を超えてさえいれば進歩性を肯定しうるかのような印象を与えていることについては、不満を感じざるを得ない。

*   *   *

なお本件最判は、判決文の最後で「・・・,本件各発明についての予測できない顕著な効果の有無等につき更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。」と説示しているから、この最判の説示にしたがう必要があるという意味においては、差戻審において効果の顕著性が審理されるべきは当然ということにはなるだろう。 しかしそれは、最判がそう説示したから審理はせざるを得ないだろうということに過ぎず、特許法29条2項の趣旨から理の当然のごとく導き出せるものではない。

そして最判は、顕著な効果があれば進歩性を肯定すべきだと説示したわけでもないことを指摘しておきたい。

前回の投稿でも述べた通り、前提とすべきは特許法の制度趣旨と、変わることのない社会的規範(社会的正義やフェアネス、衡平の理念)である。 間違っているかも知れない今回の最判の説示を過度に忖度すれば、砂上に楼閣を建てる危険を冒すことになるだろう。

*   *   *

3.用途発明における「顕著な効果」の判断の特殊性(高林先生の真の立場は何か)

さて、ここまでは今回の高林解説を批判的に書いてきたが、最後に、高林先生の本当の立場とは何なのかを考えてみたい。

本件発明は用途発明であって、上述のとおり、物質(オロパタジン)はすでに公知であり、抗ヒスタミン作用があることも既知で、モルモットのアレルギー性眼疾患モデルに対する治療効果の検証なども行われていた。 そして本件発明は、この化合物にヒト結膜肥満細胞安定化作用(ヒト結膜肥満細胞からの炎症性メディエーターの遊離抑制作用)があることを見出したことに基づいて出願されたものだ。 その請求項は、「・・・、○○を含有する、ヒト結膜肥満細胞安定化剤。」となっている(「○○」は公知物質名)。 この請求項の「ヒト結膜肥満細胞安定化剤」という部分は、この発明が「ヒト結膜肥満細胞安定化という用途に用いる剤」であることを規定するものであり、この発明が、「ヒト結膜肥満細胞安定化」という用途に用いることに限定されていることを示すものだ。 このように用途発明とは、用途(「ヒト結膜肥満細胞安定化」)が発明の「構成」の中に組み込まれている。

そして用途発明について高林解説は次のように論じる。

[30頁]
・・・、その用途は特許請求の範囲に構成として記載されており19)、構成が奏する効果も用途と一体不可分のものとして包含されている考えることができるから、・・・、構成の容易想到性の判断を効果の顕著性とは別に先行して判断できるのかという点については、用途発明独自の観点からの検討が必要になるように思われる。

そして今回の最判の説示について高林解説は、

[30頁]
・・・、本判決の・・・判示は、一見すると、化合物の用途発明の場合に当該化合物を特定の効果を奏する用途に用いることに思い至ることが容易である場合であっても、その奏する効果が予測できない顕著なものであるか否かはこれとは別に判断できるとの・・・説に立っているかのようではあるが、・・・

と論じつつ、最判はそうした「説」に立つものではない旨を論じている。 そして、化合物の用途発明の場合に、構成の容易想到性(すなわち、効果を奏する用途に用いることの容易想到性)の判断を、効果の顕著性の判断とは別に先行して行うことができるのかという点について、

[30頁]
・・・、化学物質の用途発明の場合は、前述のとおり、用途は特許請求の範囲に構成として記載されており、構成が奏する効果も用途と一体不可分のものとして包含されている(と)考えることができるから、構成の容易想到性の判断を効果の顕著性とは別に先行して判断できるのかには疑間がある・・・

と論じている。

上の高林解説の論じ方からすれば、高林先生は、用途発明における用途(すなわち発明の構成)の容易想到性と、効果の顕著性を別々に判断することができるのかについて「疑問」を持っていることが分かる。

その是非はともかく、もし高林先生が、「両者を別個に判断すること」に疑問を持っており、それでもなお今回の最判には疑問を持っていないという立場をとるのであれば、今回の最判は、「両者を別個に判断すること」を肯定したと解することはできないはずである。

本件用途発明が容易想到であるか否かが前訴において検討され、その結論が既に出ているにもかかわらず、本件の「効果の顕著性」を判断する結果、本件用途発明の容易想到について前訴とは異なる結論に到達しうるのだとすれば、それは「両者を別個に判断した」からに他ならない。

しかし前文のとおり、高林解説の立場からは、今回の最判が「両者を別個に判断すること」を肯定したと解することはできないはずだから、今回の最判は、「本件発明」について顕著な効果があれば前訴とは異なる結論に到達しうる(進歩性を肯定しうる)との立場を示したと解することはできず、せいぜい、顕著な効果を判断する場合の判断手法について説示を行ったに過ぎないと解さざるを得ないのではないか。

そうすると、たとえ差戻審において本件発明の「効果の顕著性」が審理され、それについて何らかの結論が出るにせよ、なお本件発明は容易想到だと結論することは十分にありうる(というより、高林先生のいう「疑問」からすれば、そう結論するのはむしろ理の当然)というべきで、これこそが高林先生の真の立場だと、一応は推定することができるのではないか。 すなわち、上の「2.」で書いたのとは裏腹に、高林先生は、本当は、本件発明が容易想到だという結論は変わりようがないと考えている可能性がある。

もしそうでないのなら、高林先生は自身の立場をより明確にすることが求められるように思う。

*   *   *

なおこれに関する私の立場を書くと、2018年6月22日の投稿の「3-4.」にも書いた通り、本件明細書において、本件発明の「効果の程度」を判断するにあたって肝となる「表1」の各数値は、前訴において既に見られ、比較されているはずで、その上で進歩性が否定されていることからすると、別訴で再び「表1」の数値に基づいて顕著な効果を審理・判断することに違和感を感じるのは確かだ。 したがって本件の場合に前訴とは別途「顕著な効果」を判断できるのかという点については否定的に検討する余地はあるように思う。

しかし一般論としては、「用途発明」を特別扱いする必要はないと考えている。 私の言うところの「進歩性 第2要件」は、効果の程度を参酌するか否かで判断は変わりうるものであるから、もし先行する判決が、「効果の程度」を考慮せず、「効果の存否」しか見ないようにして「第2要件」を判断したのであれば、「効果の程度」を考慮してもう一度「第2要件」を判断し直すことはありうるし、その結果、「第2要件」の判断が変わることもありうるだろう。 しかし、もし先行する判決が「第2要件」ではなく「第1要件」を判断して進歩性を否定したのであれば、「第1要件」は発明の効果によって影響を受けるものではないから、前訴判決が確定している以上、進歩性が肯定されることはありえないことになる。 このように、「効果の存否」しか見ないようにして進歩性を先行的に判断した場合に進歩性が否定されたとして、「効果の程度」を考慮して進歩性の判断をやり直した場合、「顕著な効果」により進歩性判断が変わりうることもあれば、たとえ「顕著な効果」があろうとも進歩性判断は変わりえないこともある。 それは、先行判断において何が判断されたのかによるのであり、このあたりのことは、すでに昨年10月9日の投稿「『二次的考慮説』は生き残れるか」で書いたとおりだ。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする