2020年02月26日

田村善之 Westlaw Japan 判例コラム189号「医薬用途発明の進歩性につき発明の構成から当業者が予測し得ない顕著な効果の有無の吟味を要求して原判決を破棄した最高裁判決について 〜局所的眼科用処方物事件最高裁判決(令和元年8月27日判決言渡)の検討(その1)〜」


進歩性の最判に関し、田村先生の評論が先月8日に公開されている(Westlaw Japan 判例コラム189号)。 今回はこれを取り上げたい。

1.本件発明について最判は「顕著な効果があれば進歩性あり」ということを明らかにしたのか?(「構成」という言葉のレトリック)

「顕著な効果」があれば進歩性が肯定されるのかという問題について、田村論文は以下のように論じている。 なお「構成」という言葉を太字にして引用した。

@ [判例コラム189号 4ページ]
・・・、本判決は、進歩性の要件を判断するに際して「予測できない顕著な効果」があることを参酌しうることを当然の前提としており、しかも、・・・、本件発明の用途への適用が容易に想到しうるものであったとしても、予測できない顕著な効果がある場合には、なお進歩性が肯定されうることも前提としているように読める。

A [判例コラム189号 5ページ]
・・・、医薬品の場合には、物の構成が公知であったり、その構成が容易想到であったりしたとしても、当該構成に係る効果が示されない限り、当該構成を当該効果(用途)に用いることを想定しにくく、ゆえに、構成が容易想到であっても、効果が容易想到でなければ特許というインセンティヴを与える必要があるというのが、用途発明を認める実務の背後にある政策判断といえよう※13。このような用途発明の特殊性を勘案して、二次的考慮説の下でも、用途発明に関しては、例外的に、構成が容易想到であったとしても、効果を予測しがたい場合には新規性、進歩性を肯定すべきであることが説かれていた※14。

B [判例コラム189号 5ページ]
本判決にも、・・・、かなり弱含みながら、「本件各発明の効果が化合物の医薬用途に係るものであることをも考慮すると」とことわりをいれるくだりがある。 これをさらに事案との関係で理解するのであれば、一般に独立要件説を採用したわけではなく、医薬用途発明に限って、構成が容易想到である場合でも予測しがたい顕著な効果があれば進歩性が充足されることを明らかにしたに過ぎないとの理解※15が生まれる所以である。

※15高林龍[判批]年報知的財産法2019-2020・32頁(2019年)。愛知/前掲注11・14〜15頁も参照。

C [判例コラム189号 6ページ]
用途発明の場合に限っては、二次的考慮説の下でも、独立要件説的に、つまり構成が容易想到であっても効果が顕著である場合には特許を認めることを許容しうることは前述したとおりである。つまり、二次的考慮説の下では、用途発明は効果が一般の発明における構成に相当する。

D [判例コラム189号 6ページ]
本判決は、少なくとも医薬用途発明に関しては、特定の薬剤に用いることが当業者にとって容易想到であっても、なおその薬剤の効果に予測しがたい顕著な効果がある場合には進歩性を肯定しうる旨を明らかにしたという点では、医薬用途発明に関する従前の理解を是認したと評しうる。

E [判例コラム189号 7ページ]
以上、要するに、本判決は、第一に、医薬用途発明については構成が容易想到であっても、予測しがたい顕著な効果がある場合には、進歩性が認められる場合があること、第二に、・・・、・・・を明らかにしたものといえる

上記 @ において田村論文は、まず、「本件発明の用途への適用が容易に想到しうるものであったとしても、予測できない顕著な効果がある場合には、なお進歩性が肯定されうることも前提としているように読める。」と論じている。 「読める」というのは弱含みな表現であり、田村論文もこの時点では、顕著な効果があれば進歩性を肯定できるのか否かはまだ明言を避けているようにみえる。

そして上記 A において田村論文は、医薬品の場合には、物の「構成」自体には新規性や進歩性がないとしても、その効果が知られておらず、その効果を発揮させるために用いることも容易想到ではない場合は、例外的に「用途発明」に特許を与えることができる旨が説かれている。

なお、上の引用中に太字で示したとおり、上記Aでは「構成」という言葉が多用されている。 このうち、「物の構成」、「その構成」、「当該構成」という言葉は、すべて「物の構成」を意味していることは明らかであり、「ゆえに、構成が容易想到であっても」、「構成が容易想到であったとしても」というフレーズで使われている「構成」も、「ゆえに」という言葉からして、「物の構成」を意味していると解されるだろう。 すなわち田村論文のAにおいては、医薬品の場合は、「物の構成」自体には新規性や進歩性がないとしても、例外的に「用途発明」に特許を与えうるのだと説かれている。

しかしながら、物が公知でも、その用途が新規であり容易想到ではないのなら、「その物質をその用途に用いる方法。」という方法発明(用途発明の一形態といえるだろう)や、「その物質からなる、その用途に用いるための剤。」という用途発明に特許が与えられるのは、なかば当然であって、医薬品に限った話ではない。 化粧品や工業薬品などあらゆる分野において化学物質の用途発明は認められている。 食品に限っては、日本では近年まで用途発明が認められていなかったが、食品において用途発明が認められていなかったことこそ「例外」だったのであり(tokugikon No.282, (3-3) の最後 (27頁右) を参照)、それも先ごろの審査基準改訂(平成28年4月1日運用開始)によって食品用途発明も特許可能となり、日本の審査制度は理論的にもすっきりしたものになったのである(功罪はあるにせよ)。

もっとも、日本では「治療方法」は、医師における医療行為を保護する観点等から特許にならないと解されているので、新たな医薬用途を発見しても「治療方法」として特許にすることができないという特殊事情があり、そのために、「○○剤。」という「用途物」として特許を受けざるを得ず、医薬分野の特許において「用途物」の表現が多用されているという事情はある。 また、医薬品業界は権利取得に積極的だから、ある疾患に治療用途がすでに知られている場合でも、より細かく、投与条件などで限定した発明について特許が受けられるように各方面に働きかけ、それを実現してきたという事情もあるかも知れない。 しかしそうした細かい点をおけば、物質が既知でも用途が新規で容易想到でもないのなら、用途に限定された発明(方法発明や用途物発明)に特許が付与されるということ自体は、昔から受け入れられてきた実務であり、学説に大きな争いがあったわけでもない。 したがって、田村論文の上記 A で「例外的に」と論じられていることは、けっして「例外的」な話ではない。

そして B において田村論文は、本件の最判に焦点を当てた上で、「・・・事案との関係で理解するのであれば、・・・、医薬用途発明に限って、構成が容易想到である場合でも予測しがたい顕著な効果があれば進歩性が充足されることを明らかにした・・・との理解※15が生まれる所以である。」と論じるのだが、この辺りから「構成」が何を意味しているのかが分かりにくくなってくる。 田村論文がいう「構成が容易想到である場合でも」というのは、「物の構成が容易想到である場合でも」という意味なのだろうか、それとも「その物をその用途に用いるという構成が容易想到である場合でも」という意味なのだろうか?

C において田村論文は、「用途発明の場合に限っては、・・・、・・・構成が容易想到であっても効果が顕著である場合には特許を認めることを許容しうることは前述したとおりである。 つまり、二次的考慮説の下では、用途発明は効果が一般の発明における構成に相当する。」と述べる。 「前述した」とは上記 A を指していると解されるから、ここでいう「構成」とは「物の構成」を意味しているはずであるが、続く文において田村論文は、「用途発明は効果が一般の発明における構成に相当する。」と説くのだ。 そうすると、「効果があることが容易想到であっても効果が顕著である場合には特許を認めることを許容しうる」と言いたいのだろうか? しかし田村論文の A は、物が知られていても用途が容易想到ではないのなら用途発明に特許を与えてよいということしか論じられていないのである。

そして D において田村論文は、「本判決は、・・・、特定の薬剤に用いることが当業者にとって容易想到であっても、なおその薬剤の効果に予測しがたい顕著な効果がある場合には進歩性を肯定しうる旨を明らかにした」と論じ、E において「要するに、本判決は、・・・、医薬用途発明については構成が容易想到であっても、予測しがたい顕著な効果がある場合には、進歩性が認められる場合があること、・・・を明らかにしたものといえる」というのだ。

このように、@ においては「読める」という弱含みの表現が用いられていたに過ぎない事項が、D や E の結論においては「明らかにした」ことになっている。 しかしその結論は、上で見た通り、初めは「物の構成」を意味している「構成」という言葉が、次第に「用途」をも意味するかのように変化していくことによって導かれているのだ。

これは、「構成」という言葉のレトリックと言えるのではないか。

*   *   *

なお、B に引用したとおり田村論文は、今回の最判が「本件各発明の効果が化合物の医薬用途に係るものであることをも考慮すると」と説示していることを指摘したうえで、本件最判について「一般に独立要件説を採用したわけではなく、医薬用途発明に限って、構成が容易想到である場合でも予測しがたい顕著な効果があれば進歩性が充足されることを明らかにしたに過ぎないとの理解※15が生まれる所以である。」と論じ、脚注15において高林論文の32頁と愛知論文の14-15頁を引用している。

確かに高林論文は最判のこの説示を取り上げた上で、「本判決の射程を検討する場合には重要である。」(32頁左)と論じており、愛知論文も、「本判決は、公知の化合物と同じ化合物を対象とする(医薬)用途発明に係る事案であるからこそ、予測できない顕著な効果の斟酌を否定しなかったと理解する余地もないわけではないだろう。」(14-15頁)と論じているから、最判の射程が「医薬用途発明」にしか及ばないという文脈で高林論文や愛知論文を引用することは理解できる。 しかし1月28日の投稿で書いたとおり、高林論文は「差戻審においては、発明の効果の顕著性が当該発明の構成が奏するものとして当業者が予測した範囲を超えているかとの観点からさらなる検討が加えられることになる」と論じるだけで、顕著な効果があれば進歩性が肯定されるかのような “雰囲気” を醸し出しているということはできるとしても、顕著な効果があれば進歩性が肯定されるとは一言も言っていないし、まして最判がそれを「明らかにした」などとは言っていない。 愛知論文も同様で、前回の投稿で絶賛(^^)したとおり、愛知先生は顕著な効果を肯定してもなお差戻審において進歩性を否定する選択肢を排除していないのだから、顕著な効果があれば進歩性が肯定されることを最判が「明らかにした」などと論じてはいないことは明らかだろう。

したがって、医薬用途発明においては顕著な効果があれば進歩性が肯定されることを最判が「明らかにした」という田村論文の見解は、高林論文や愛知論文により支持されるものではないことを指摘しておきたい。


2.「医薬用途発明」に限っては独立要件説的な思考が許容できるのか?(「医薬用途発明“例外論”」は純一か)

今回の田村論文を読むまで私は、今回の最判の評価に関して、田村先生には大いに期待していた。 なぜなら田村先生は2016年に公開した論文(パテント別冊15, 1-12, 2016)において「独立要件説」を批判し、自らは「二次的考慮説」に立つことを言明していたからだ。 それだけではない。 2016年論文において田村先生は、「シュープレス用ベルト」事件(平成24(行ケ)10004)を題材にして考察を行い、たとえ予測し難い顕著な効果があったとしても、その効果が発見されるのも間近であったといえるのであれば進歩性を否定すべきだと論じていたのだ。 具体的には以下の部分だ。

[田村善之, パテント Vol.65 No.5 (別冊 No.15) 1-12の9ページ]
しかし発ガン性抑止という目的こそ違え,当業者が硬化剤を用いることの動機づけがあることが示されている以上(30),たまたまとはいえクラックの発生が抑制されることが発見されるのも間近であったといえ,それが予測し難い顕著な効果であるからといって,あえて特許を与える必要はないように思われる(31)。

これは顕著な効果があった場合は「容易ではなかった」とみなす従来的な「二次的考慮説」(因果関係が逆転している考え方)を採らないことを言明するものであって、画期的といえる論文だった。 同じ見解は、田村先生のより最近の論文でも繰り返されている(パテント Vol.72 No.9, 5-12, 2019 の8ページ左)。 なおこの論文(2019年論文)の原稿受領日は、今回の最判(2019年8月27日判決言渡)の3か月足らず前の2019年6月3日となっている。

「シュープレス用ベルト」事件は、製紙工程において紙に含まれる水分を取り除くために行われるシュープレスに使用される円筒状の樹脂ベルト(シュープレス用ベルト)の発明の進歩性が争われた事件だ。 そのベルトの外周に使われるポリウレタンの硬化剤として従来は4,4'-メチレンビス(2-クロロアニリン)(MOCA)が用いられていたところ、硬化剤としてジメチルチオトルエンジアミン(Ethacure-300)を用いることがこの発明の特徴の一つだった。 そして特許権者は、Ethacure-300を使うことで、ポリウレタンに発生するクラック(ひび割れ)が低減されたことを強調し、この効果は予測できない顕著な効果であるから進歩性は肯定されるべきだと主張した。 しかし当時からMOCAには発がん性があることが指摘されており、MOCAを代替しうる安全性の高い硬化剤の一つとしてEthacure-300は当業者に知られるところとなっていたことから、シュープレス用ベルトのポリウレタンの硬化剤としてEthacure-300が使われるのは時間の問題だったのではないかという疑いがあるのだ。 2019年8月27日の投稿でも書いたとおり、MOCAを代替しうる硬化剤はEthacure-300以外にも存在していたから、Ethacure-300が使われるのが本当に間近だったといえるのかは議論があるだろうが、もしEthacure-300が使われるのも間近だったと評されるのであれば、確かに田村先生が論じるとおり、たとえ顕著な効果があったとしても進歩性は否定されるべきだろう(私のいうところの進歩性 第1要件)。

そして今回の「アレルギー性眼疾患」事件についても、まったく同じ問題が持ち上がるはずだと私は期待していた。 本件化合物に抗ヒスタミン活性があることは知られており、モルモットの結膜炎モデルを使って治療効果を確認する実験もすでに行われていた。 また既知の抗ヒスタミン剤は、ヒスタミン拮抗作用を持つだけでなく、肥満細胞からの炎症性メディエーターの放出を抑制する活性(肥満細胞安定化作用)も持っていることが多くあることも知られていた(原審 (平成29(行ケ)10003) の判決文を参照)。 したがって、この化合物をアレルギー性眼疾患治療薬として開発する場合に、ヒト細胞を用いて肥満細胞安定化作用を調べることになるのは当たり前のことだったともいえるだろう。 つまり本件においても、「ヒト肥満細胞安定化作用が発見されるのも間近であったといえ,それが予測し難い顕著な効果であるからといって,あえて特許を与える必要はない」という疑問が田村先生の中で生じるはずだった。

ところが今回の田村論文(判例コラム189号)はそうはならなかった。

@ [判例コラム189号 1ページ]
 ・・・事案が用途発明に関するものであることに加えて、判文が一般論として受け止められる説示を避けている・・・

A [判例コラム189号 5ページ]
このような用途発明の特殊性を勘案して、二次的考慮説の下でも、用途発明に関しては、例外的に、構成が容易想到であったとしても、効果を予測しがたい場合には新規性、進歩性を肯定すべきであることが説かれていた※14。
 本判決にも、結論に至る論理を展開する際に、かなり弱含みながら、「本件各発明の効果が化合物の医薬用途に係るものであることをも考慮すると」とことわりをいれるくだりがある。これをさらに事案との関係で理解するのであれば、一般に独立要件説を採用したわけではなく、医薬用途発明に限って、構成が容易想到である場合でも予測しがたい顕著な効果があれば進歩性が充足されることを明らかにしたに過ぎないとの理解※15が生まれる所以である。

B [判例コラム189号 6ページ]
用途発明の場合に限っては、二次的考慮説の下でも、独立要件説的に、つまり構成が容易想到であっても効果が顕著である場合には特許を認めることを許容しうることは前述したとおりである。

C [判例コラム189号 6ページ]
 本判決は、少なくとも医薬用途発明に関しては、特定の薬剤に用いることが当業者にとって容易想到であっても、なおその薬剤の効果に予測しがたい顕著な効果がある場合には進歩性を肯定しうる旨を明らかにしたという点では、医薬用途発明に関する従前の理解を是認したと評しうる。

D [判例コラム189号 7ページ]
 以上、要するに、本判決は、第一に、医薬用途発明については構成が容易想到であっても、予測しがたい顕著な効果がある場合には、進歩性が認められる場合があること、第二に、予測しがたい顕著な効果の有無を判断する際には、発明の奏する効果と対比すべきは、究極的には、発明の構成から当業者が予測しうる効果であること、の2点を明らかにしたものといえる・・・

E [判例コラム189号 7ページ]
また、医薬用途発明を超えて一般的に、進歩性判断に関して、独立要件説をとるのか、二次的考慮説をとるのかということに関しては態度を明らかにしていない※23。

上の引用のとおり、今回の論文で田村先生は、「医薬用途発明」を “例外” として扱い、医薬用途発明に “限って” は、構成が容易である場合でも、顕著な効果があれば、独立要件説的に進歩性を認めてもよいのだと論じた。 これは「医薬用途発明 “例外論”」といっていいだろう。

上述のとおり2016年論文および2019年論文で田村先生は、たとえ予測し難い顕著な効果があったとしても、その効果が発見されるのも間近であったといえるのであれば進歩性を否定すべきだと論じていた。 しかし上の「1.」で見たとおり、田村先生は今回の最判を、構成が容易想到である場合でも予測しがたい顕著な効果があれば進歩性が充足されることを「明らかにした」と捉えた。 しかし今回の最判をそのように捉えると、2016年論文や2019年論文で田村先生が論じたこととは一見矛盾してしまう。 そして、一見矛盾する両者のインテグリティ(純一性)を保つために今回の論文で田村先生は、「医薬用途発明」を “例外” 扱いすることによって、過去に論じた事項から「医薬用途発明」を切り離したように私には見える。

しかしもし最判との整合性をとるためにそのような「例外論」を生み出したのだとすれば、それは果たして「純一」といえるのだろうか?

実は田村先生に対しては、前にも似たような思いをしたことがある(2017年3月23日の投稿を参照)。 そのとき田村先生は、パシーフカプセル事件の最判(平成21(行ヒ)326)との整合性をとるために(かどうかは知らないが)、特許期間の重複延長を肯定し、その結果、特許権者に過剰な独占と利益を許すことになりうるのを問題視しなかった。

制度論を考えるにあたって、何を前提とすればよいのか。 つまり本当に純一性を確保しなければならない対象は何なのか? 最判か? 条文か? 制度趣旨か?

愛知論文に対する投稿でも書いたとおり、今回の最判は、顕著な効果があれば進歩性を認めるべきだとは言っていない。 にもかかわらず、この最判を「医薬用途発明に限って、構成が容易想到である場合でも予測しがたい顕著な効果があれば進歩性が充足されることを明らかにした」と捉えるのは「忖度」だろう。 間違っているかも知れない今回の最判の説示を過度に忖度すれば、真に保つべき純一性をけがすことになるのではないか。

私は先生の2016年論文こそ、例外なく通用する判断規範を示した論文だったと思う。 田村先生が2016年論文に回帰し、先生が説く特許制度の根本的な要請である「フリー・ライド」の防止(1月14日の投稿参照)のために、進歩性の判断はどうあるべきなのかをもう一度説きなおしてくれることを願っている。


posted by Ichizo Sotoku at 08:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする