田中汞介先生のブログ(『特許法の八衢』)が12月6日の投稿で「アレルギー性眼疾患を処置するためのドキセピン誘導体を含有する局所的眼科用処方物」事件の最判(平成30年(行ヒ)69)について取り上げているので私も何か書こう・・・。
一般論を判示するこの種の判決文を読んで思うのは、「判決文の内容をどれだけ真に受けなければならないのか」ということ。 裁判官は、判決内容について、後で解説したりは通常しないし、「判決文で是々と書いたのは、是々の意味です」とか、「あの説示は間違いでした」とか、そういうことは通常言わない。 質問はできないし、議論もできない。 つまり、判決しっぱなしで、「後は知らん」という態度なわけだ。 調査官解説が出ることもあるが、判決を行った裁判官が書いたものではないし、解釈論の一つに過ぎない。
例えば、PBPクレームの最判(平成24年(受)1204)が出された際にも、判決を真に受けたら大変だということで実務界では混乱が起きた。 その後、「一見PBPクレームのように見えるクレームでも、許容できるものは最判の射程外だ」というような理論(設樂隆一先生の「表見PBPクレーム」論など)が実務界・裁判所において生み出されることで、最判の射程は制限的に解釈され、なんとか事なきを得たわけだ。 判決直後の混乱期に知的財産分科会の会長を務められていた大渕哲也先生は、こういう事態を「災害対応」になぞらえて「ダメージコントロール」と発言されている(特許制度小委員会第6回審査基準専門委員会WG議事録の28ページ参照)。 当時はそんな感じだった。
ところが、いざ公式発言となると、皆、「最判はすばらしい判決をした」という態度をとる。 特に裁判官は。 例えば最近公開された中島基至裁判官の論稿(「PBP最高裁判決後の裁判例の展開」,in ビジネスローの新しい流れ 片山英二先生古稀記念論文集,青林書院 2020,437-445)を読んでいても、設樂先生の「表見PBPクレーム」論は妥当だと論じつつ、「PBP最高裁判決は,・・・,我が国の特許法上の難問であるPBPクレームの解釈手法を理論的に大きく進化させたものといえる。」(438ページ)と最判を大いに持ち上げている。
中島論稿は、PBP最判後の混乱と収束を解説する優れた論稿だとは思うけれど、なんというか・・・、少し白々しいというか・・・(笑)。
「物同一説」をPBP最判が判示したことについて中島論稿は、上記のとおり理論的に大きな “進化” だと評価している。 しかし、そもそも理論の正否を決めるのは最高裁の役目ではない。 Sotoku 通号6号 (24頁以降)および2017年4月11日の投稿でも書いた通り私は、PBPクレームの理論的に正しい解釈は、設樂先生が昔提唱していた「製法特定物説」であって、「物同一説」ではないと思う。 ところが「製法特定物説」を提唱していた設樂先生ご自身は、最判後、最判に沿った論稿(LT 73号,2016)を書かれているものの、「製法特定物説」は表だって主張されていないように思う。
こういう状況を見るにつけ、最判の拘束力が言論にまで及んでいるのではないかと心配になってしまう。
もちろん、最判の解釈は実務的には重要だろうし、また、そうした解釈は学問でもありうるから、最判を「前提」として、それをどう解釈するのか、という議論は当然あってよいとは思う。 しかし、最判が常に理論的に正しいことなどありえない。 もし、そういう種々の最判を所与の「前提」として特許制度を論じ続ければ、理論はぐちゃぐちゃなものとなり、むしろ理論的には “退化” してしまうことになるだろう。
学問はなにものにも拘束されないのだ。 最判に対して自由で独立した姿勢は常に持ち続けるべきものだと思う。「アレルギー性眼疾患」事件の最判における発明の効果に関する判示についても、アカデミアは、ネットのブログ等で議論されているように自由に扱ってよいのだと思う。
以上、ポエムでした。^^
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